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第七十八話 呪い、ダメ。ゼッタイ。

 まるで花自体が発光しているかのように見える桜から、桜の精がふわりと姿を現す。

 何が変わったという訳でもないのだが、先程までと比べどこか艶やかだ。

「はい、おしまい。これでもう大丈夫」

 柔らかな微笑みを向けられた女は、毒気を抜かれたような顔で小さく頷く。

「けど……また誰かを呪ったりしたら……」

 最後まで言わず意味ありげに目を細める桜の精に、女は必死で首を振った。

「しません!!絶対しません!!」

「……うん。ほな、早よ帰り?朝になって起きた神様が怒らはる前に」

 そう言われて初めて社を振り向き、自分がどれ程の無礼を働いていたのか理解出来る程度には冷静さを取り戻した女が慌てる。

 そして鈴音も慌てる。

『しもたー!!私も何のご挨拶もしとらへん!!昼間に来とったのに!!』

 もしも『猫神の神使が来たけど挨拶もなかった』等という話が神々の間で広まったら一大事である。

 社へ走って財布の小銭を全て賽銭箱へ投下する女を見ながら、後でまた来て真似しようと密かに頷いた。


 鈴音がそんな決意をしている間に拝礼を済ませた女が、桜の精へ向き直り深く頭を下げる。

「ありがとうございました」

「うん。気ぃ付けて帰り」

 頷いた桜の精へ再び頭を下げてから、散らかした物を拾った女はそそくさと境内を後にした。

 それを見送ってから鈴音は魂の光を消す。

「これで一件落着ですね?」

「うん。でも、ようさん嘘ついてもた……」

 ペロ、と舌を出す桜の精に鈴音も笑った。

「まああの人は誰にも言わんでしょうし、問題無い思います」

「うん。誰も酷い目に遭わんように出来て良かった。手伝うてくれてありがとう」

「いえいえこちらこそ、木に釘打つような人助けて貰て、申し訳ないしありがたいしで」

 お辞儀する鈴音に桜の精が寂しげに微笑む。


「怖い顔するんやのうて、笑うて欲しいんよね……。わあ綺麗、言うて欲しいだけやねん。あの人も……こんな風に助けられたらよかったなぁ……」

 桜の精に釣られ、切られた枝の辺りを見た鈴音は、首吊りがあったのは事実だったかと頷いた。

「うん、女の人が人形に釘打って呪い掛けたんも、首(くく)ったんもホンマのこと。ここで逢い引きしてたんもホンマのこと」

 鈴音の内心を見抜いたように言い、桜の精は眉を下げる。

「恋しいあの人を奪った女が憎い、言うてた。私に釘打つ度に具合悪ぅしながら。まだ呪いの事もあの黒いモヤモヤの事もよう知らんかったから、助けられへんかってん。大丈夫なんかなぁ思て見てたら……呪いが出来上がった日に帯で首縊って死んでもた……」

 溜息を吐いて肩を落とす桜の精に何と言葉を掛ければいいのか、鈴音には分からなかった。

 自分のせいではない事は解った上で悔やんでいるのだ。あなたは悪くない、では意味がない。

 意味がないのならつまらない慰めはやめにして、このまま話を続ける事にした。


「後で男の人がお参りに来たんはホンマですか?」

「うん。烏やのうて、女の人が幽霊になって会いに行ってん。鬼に見つかってここまで戻ってって捕まったけど」

「あー、そういう事ですか。その時に鬼さんから聞きました?光る魂に力借りたら姿が人に見えるようになる、て」

 合点がいった、という顔の鈴音を見て、桜の精が驚いている。

「え……うん、そうやけど、鬼が喋るて何で知ってるん?」

「仕事の関係で、いかつい顔やのにヒョロッとした声で喋る鬼さんに会うたばっかりで」

「あ、そうそう!そんなんやった。おんなじ鬼かなぁ?『はい行きますよー。これ以上罪を重ねないで下さいねー』とか、言い方は優しいけど強かった」

 鈴音の脳内で、悪霊を踏んづけている鬼の姿が再生された。

「多分おんなじ鬼さんですね。関西担当なんかな?物知りな方ですよね」

「うん。呪いが返って来る事も教えてくれた。あの黒いモヤモヤに触ったら、人がどうなるんかも聞いた。そんなんで死んでまうんは可哀相やし、また似たような事があったら助けよ思てん」

「優しいなぁ。幸い、それから暫くは何事も起きんかったんですね」

 この近辺で丑の刻参り等の噂は広まっただろうが、それを行った本人が自ら死を選んでいるので、呪いの名所のような扱いにはならなかったのだろう。

 むしろ祟りを恐れてここを訪れる者は減ったかもしれない。

 そう考えた鈴音の言葉に桜の精は頷く。


「うん。せやのに急にあの女の人が来たんよ。何でかなぁ?」

「んー、仕事か何かでこの辺の事を調べてたんやと思います。神社について書かれた資料もあったんでしょうね。公式の資料には死んだ人がおる事しか書いてないでしょうけど、尾ヒレの付いた昔話が現代にも伝わってたんか……強力な呪いで本人も死んだけど、呪われた相手もえらい目に遭うた、みたいな話が地元にだけ伝わってたんかもしれません。せやからお守りまで用意してたんかも」

 鈴音の予想に桜の精は目を丸くした。

「えらい目……?別れて違う人と結婚してたから、えらい目言うたらそうなんかなぁ……?」

「今とちごて離婚は物凄く不名誉な事やった思うんで、そんな噂が出たんかもしれません。あの女が呪った相手はあの家の娘やったんちゃうか、みたいな。その噂が現代では何故か、一家離散したいう話になったん違いますかね」

「へぇー……人の噂て怖いねぇ」

 嫌そうな顔をする桜の精を見ながら鈴音も大いに同意する。

「全く別の話になってたりしますからねぇ。まあでも、わざわざ調べな聞こえへん噂でしょうから、滅多な事で次は来ぇへん思いますよ」

「うん。あの女の人も自分の出した呪いの欠片見て、もうやめとこ、て思たやんね?」

「ああ、その為の……」

 咲く前に消すのではなく、澱を見せてから消した理由が解り鈴音は微笑んだ。

「きっとそない思たでしょうね。あんな汚い物出してたんか、て。せやからもう二度とせぇへん思いますよ」

 呪いに関しては、と心の中で続けた。

 嬉しそうな桜の精には申し訳ないが、ああいった思い込みの激しい人物がそう簡単に考え方を変えられるとは思えない。

 標的にされた気の毒な女性には、頑張って逃げ切ってくれと祈るばかりだ。


「ほな、うちの上司と先輩呼んで事情説明してもいいですか?」

「うん。私は眠たいから寝てもええかなぁ?疲れてもた……」

 先程感じた物凄い生命力を思い出し、さもありなんと鈴音は頷く。

「何か他に聞かなアカン事があったら、また来ますんで。どうぞ休んで下さい」

 目をショボショボさせていた桜の精は小さく頷き、『おやすみ』と言いながら木の中へと戻った。

「おやすみなさい。……さてと」

 スマートフォンを取り出した鈴音は、綱木へメッセージを送信する。

 すぐに綱木と田中がやって来た。

 しかし二人の表情が変だ。

 微妙に距離を取り、せっかく咲いた美しい桜ではなく鈴音をじっと見ている。

「えーと、何でしょう?」

 鈴音が問い掛けると、綱木はハッと我に返り田中はシャキンという音がしそうな勢いで背筋を伸ばした。

 さて原因は何だ、と考える鈴音へ、恐る恐る綱木が声を掛ける。

「鈴音さんやんな?」

「……何か別の物に見えますか」

「うわぁイラッとしてますよ!怒らしたら駄目ですって!」

「解っとるけど確認するしかないやろ、しがみつくな」

 伸びた背筋は何処へやら、へっぴり腰で綱木の後ろに隠れようとする田中と、それを解きながら鈴音へも視線をやって忙しい綱木。

「うーん……何やろなー……」

 先程までの出来事を思い出しつつ二人の様子を眺めていた鈴音だが、結局原因が分からなかった。

「そない怖がらせる事しましたか?さっぱり記憶に無いんですが」

 顎に手をやり唸る鈴音に、『ああよかったこのズレっぷりは鈴音さんや』と妙な所で安心した綱木が口を開く。

「氷。いきなり神社が氷に包まれたやろ。あれ何?」

 そう尋ねられて、漸く鈴音は理解した。


「そうか、あー、そらそうか」

 雷を自在に操り光のドームで広域を覆う神や、ブリザードを吹かせ夢を操る神のそばに居た為すっかり忘れていた。

 そういえば桜の精も驚いていたではないか。

「地球の人類にそんなん出来る訳ないやんそら怖いわ」

 大きめの独り言を聞いた綱木はピンと来た顔になり、田中は意味が分からず益々怯えている。

「もしかしてあれかな、今朝言うてた二柱の?」

「はい。骸骨さんの神様のお力ですね」

「あー……成る程」

「え?骸骨?え?」

 キョロキョロする田中は放置して、少し考えた綱木は頷く。

「他に出来るようになった事は?」

「雪と氷関係と、雷ですね。静電気レベルから、たぶん鉄筋の建物でも貫通させられるレベルの雷まで。ゴムは流石に無理でしょうけど」

 試していないので分らないと言う鈴音に、成る程成る程と頷いた綱木は一瞬遠い目をしてから首を振った。

「考えたら負けや。鈴音さんはパワーアップしただけ。よし。ほな事の顛末聞かして貰てええかな?」

 さっさと切り替えた綱木を見た田中は目が点である。

「え?いや、雪女疑惑とか、そういうんは無しで?」

「雪女にあんなん出来るんやったら、人類とうに滅びとる。気になるんやったら自分で確かめてみ?」

 半笑いの綱木と高速で首を振る田中のやり取りを見ながら、『雪女てホンマに居るんや』と鈴音はそっちの方が気になった。


 結局綱木の後ろから出て来られない田中の事は置いておき、鈴音はここで起きた事の全てを報告する。

「……で、桜の精は疲れてお休み中です」

「はい、ありがとう。昨日の悪霊といい、普通滅多に当たらん案件引くよね鈴音さんね」

 スマートフォンを操作し話の内容を纏めながら綱木が笑った。

「そうなんですか?これが普通なんか思てました」

「いやいや。丑の刻参りも最近減っとるのに、そこに桜の精が絡むとかレアやで」

「へぇー……。ちなみに昔の方の丑の刻参りは成功してるのに、なんで呪われた人は無事やったんですか?」

 桜の精の話を聞いて気になっていた事をその道のプロに尋ねる。

「ああ、ホンマに呪い掛けよ思たらもっと細かい決まりが色々あんねん。鬼さんは、呪いの半分が本人に返るて優しめに教えたげたみたいやけど、八割九割は本人に返る思た方がええね、素人が間違えた方法でやったら」

 綱木の説明を聞いた鈴音はポカンとしてしまった。


「ほな、憎い相手を呪ったつもりが、自分に呪い掛けてたみたいなもんいう事ですか?せやから死んでしもた?」

「そういう事。憎しみが強烈であればあるほど返って来るもんも強烈や。呪いから身を守る方法も知らんとそんなんしたら、そら負けて死んでまうよ。お守りでは防ぎ切れん」

 圧倒的な美しさで咲き誇る桜を見上げた鈴音は、緩く首を振りながら溜息を吐く。

「あの藁人形の主はもっと桜の精に感謝せなアカンわ。もうちょっとで死ぬとこやったやん」

「ホンマやなぁ。成就しとったらタイミング良う俺らみたいなんがそばに居らん限り、助からんもんなぁ。桜の精と藁人形見つけて教えてくれた人に感謝やで」

「あ、でも呪いのターゲットになった人からしたら、逆に迷惑ですかね?だってあの人この後ストーカー的な嫌がらせしそうですもんね?」

 眉根を寄せる鈴音に綱木も渋い顔をしながら頷いた。

「確かに視点を変えるとそうやね。まあ、そっちは警察やら探偵さんやらに任せよ。俺らの領分やないわ」

「そうですね、私らは私らの仕事しただけ。うん」

 頷き合う綱木と鈴音を見ていた田中は、何とも言えない表情で首を傾げている。


「どないした田中君」

「え?あー、意外とフツー?俺らと変わらん感じやなぁ思いまして」

 そう言われると『人を何や思てますのん』とツッコんでしまいそうになるが、物凄く怖がるだろうなと思った鈴音は大人しくしておいた。

「猫が絡まん限り普通のお嬢さんや。そのかわり猫絡みで何かあった時は、下手したらこの世の終わりが来るかもしれんけどな」

 しかしこの綱木の発言には黙っていられなかった。

「あはは、流石にこの世は終わらされへんでしょ。せいぜい近畿一円吹っ飛ばすぐらいで」

 神々なら『吹っ飛ばす前に猫ちゃんや動物達を避難させてよ?』等と笑ってくれそうな冗談なのだが、人、特に田中には通用しなかったようだ。

「猫、大事、頑張る、とても」

 謎のカタコトを口にしながら涙目になってしまった。


「うわぁ。なんかすみません」

「うん、神使ジョークは程々にしたってな」

「気ぃつけます。ほな、一旦帰宅してもいいですか?」

「せやね、これは残業として報告しとくから。朝はまた九時に出勤で。一応バイトが居るて、ご近所さんにも分かるようにせんとね」

「わかりました。ほなまた後ほどー!」

 ペコリとお辞儀をして、鈴音が姿を消す。

 後に残った綱木は田中の背中を叩いて活を入れた。

「ハッ!何か変な夢みてました?」

「……現実逃避したい気持ちは解るけど。鈴音さんは味方やからな、仕事仲間やから。扱い方間違えて何らかのハラスメントで訴えられても知らんで?」

「まさかのハラスメント。妖怪扱いした妖ハラで訴えます!とかですか?裁判所ポカーンですよね」

「よし、そっくりそのまま鈴音さんに教えたろ」

「ゴメンナサイゴメンナサイ」

 スマートフォンを手に走り出す綱木を田中が追い掛ける。

 上司と部下の不毛なやり取りを、月に照らされた桜が楽しげに見守っていた。

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