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第七話 黒花と陽彦

「イテテ、腰と首が」

 翌朝、元気に伸びをする子猫と愛猫達を横目に、無理な体勢で寝る羽目になった鈴音は身体のあちこちをミシミシいわせている。

「オハヨー、ハラヘッタ」

「オハヨー、メシ」

「オハヨー、ゴハン」

「くぁー……はい、おはよう。すぐ用意するから待っててな」

 朝一番の鈴音の任務は、餌と新しい水の用意に猫トイレの掃除だ。

 子猫を抱えて皆でリビングへ下り、まずは猫達待望のもぐもぐタイム。

「ん、完食。お水もちゃんと飲んでエラいなー。おチビも上手に飲めたなー」

 ペロンペロンと口まわりを舐め、せっせと顔を洗い始める猫達をデレデレしながら順番に撫でた。その足でトイレ掃除へ向かい、丁度起きて来た母親に子猫の見守りをバトンタッチ。

「おはよう、後はよろしく」

「おはよう、了解。ニャーちゃんヒーちゃんおチビちゃん、おぉーはよーぅ」

 母親にじゃれつく子猫に目尻を下げつつ、手早く作業を終え身支度を整えて、鈴音は日課である朝のランニングへ向かった。


 三十分後、きっちりと“人の速さ”で走り終え、無事に帰宅する。

 もしも無意識に猫の能力が出るとすれば、虎吉の言った通り、突発的な事態が起きた時くらいなのだろう。

「早朝でも人目はゼロちゃうもんな、何事も無くて良かったー」

 一安心だと笑ってシャワーで汗を流し、次いで朝食を取る。

 リビングでは母親が猫達と遊んでいた。

「お母ちゃん、もう行かな遅刻すんで?」

「わかってるけど、わかってるけどー!」

「アソボー!アソボー!」

「ほら、こんなキャーキャー言うねん!ほっとかれへん、会社休もかな」

 ピョコピョコ飛び跳ねる子猫にデレている母親を、どうにか引き離して玄関へ強制連行する。

「アホ言うとらんと、いってらっしゃーい」

「ぎゃー、鬼ぃ!!いってきますぅぅー」

 未練たらたらの母親を爽やかな笑顔で送り出し、きっちり施錠してリビングへ戻った。


「はー、こんな時間やのに慌てんでええの、変な感じやわ」

 猫達も、いつもと様子の違う鈴音に戸惑っているようだ。

「アレ?ミマワリ、イカナイ?」

「カリ、シナイ?」

 愛猫達の問い掛けで、外へ出て行く自分達をどう思っていたのか知った。

「ぶふふ、狩りか、成る程。うん、今日はええねん。……いや、買い物は行くか。いつもとちょっと時間変わってん」

 その説明で愛猫達は納得し、キョトンとしている子猫に意味を教えてやっている。

「ええお兄ちゃんズやなぁ。おチビがこのまま弟になったら嬉しいねんけどなー」

 その可能性を調べる為スマートフォンを手に取り、迷い猫のサイトをチェック。念の為一ヶ月前まで遡ってみても、子猫の特徴に合致するようなコメントは無かった。

「警察が三ヶ月やから、こういうのも同じくらい見とかなアカンな。よし、ほな今日は家の掃除とにゃんズのご機嫌取りと、……あ!貢物!」

 昨夜虎吉が『また明日声を掛ける』と言ってくれた事を思い出す。


 虎吉も白猫も猫用オヤツに興味を示していたし、“喫茶室猫神”を訪れる神々は皆、貢物を持って来るとも知った。

「一応社会人やし、あんだけ面倒見て貰てんのに、土産のひとつも無いとか有り得へんよな。色々用意するて最初ん時にも言うたし。よし、買いに行こ」

 何がいいだろうかと思案しつつ、爪を立ててよじ登って来る子猫を捕まえ擽りの刑に処す。気持ち良さそうにキャッキャと笑って喜んでいるので、何の刑にもなっていないのだが。

「掃除機はちょっと時間早いから、さっそく貢物の買い出しやな」

 言いながら、はしゃぎ過ぎて目をショボショボさせ始めた子猫を、リビング内にある猫ベッドへ運んだ。

「ネムクナイヨ」

「うんうん、そうやなー。はい、ねんねーん」

 優しく優しく眉間から額へと撫でてやると、幸せそうに目を閉じてストンと寝落ち。その間約三秒。天使の寝顔に鈴音は無言で身悶えた。

 グネグネしている飼い主は無視して、子猫と一緒に寝ようと愛猫達はまとめてベッドに入り込む。

「わ、可愛ッ。けどこれ、もっと大きいベッドうた方がええんかな……でもこのギュウギュウ感が好きなんかもしらんし、悩むわー」

 小さな親切大きなお世話の可能性も、等と全員を撫でながら難しい顔で唸る。

 ともかく、猫達がぐっすり眠っている事を確認し、キッチンや風呂場へ続くドアを閉めてから、近所のホームセンターへ出掛けた。勿論、人の速さでの駆け足で。



 所変わって。

 鈴音が出掛ける三十分ほど前、首都のとある民家の一室。

陽彦はるひこ、起きろ」

「ぅんー?……んだよ、まだ大丈夫だろ」

 凛とした女声の主に対し、陽彦と呼ばれたベッドの中の男は気怠げな声を返す。

「駄目だ。起きろ。犬神様のお告げだ」

 厳しい声と同時にカーテンが開けられた。

「うわ、眩し、黒花くろはなテメ何すんだよ」

 射し込む朝陽を避けるように、陽彦は頭から布団を被る。

 そこへ冷ややかな視線を注ぐ女声の主は、真っ黒な中型の和犬だった。

「お告げだと言っている。起きんのなら、最終手段に打って出る他無いが構わんか」

「さいしゅう……?ぁんだそれ」

 欠伸混じりの寝惚け声に、黒花という名の犬は溜息を吐く。

「不本意だが致し方無い。こうしてくれる!!」

 言うが早いか頭を布団の中へ突っ込み、陽彦の顔をベロベロと舐め回した。

「ギャー!!ちょ、うわ、やめろテメェ!!」

 堪らず布団を跳ね除け起き上がる。

「ふぅ。初めからそうすれば良いのだ愚か者め」

「愚か者とかそこまで言うか!?」

「神使の立場で犬神様のお告げを無視するなぞ、愚か者以外の何者でも無いわ」

「ぐ。……クッソー。顔洗って来るから話はそれからなッ!」

 反論の余地は無かったらしい。立ち上がると随分背の高い陽彦は、大きな手で悔しそうに黒髪を掻き乱しながら洗面所へ向かった。


「それで?犬神様は何だって?」

 タオルで顔を拭き拭き戻って来た陽彦が、ベッドに腰を下ろし黒花を見やる。

 その顔は、道行く人々の大半が思わず注目してしまう程に、美形で売っている芸能人の多くが霞んでしまう程に、とんでもなく整っていた。恐らく、俳優をやらないかといった類の勧誘は、数え切れない程受けているだろう。

 だが、多くの人が見惚れる美しい顔も、黒花には関係ない。彼女は犬でしかも神使だ。特に何の感動も無く、淡々と職務を全うする。

「犬神様の古い馴染みが、人を神使としたそうだ」

「ふーん?」

「お前と同じく輝光魂きこうこんらしい、随分と優秀な」

「へー」

「そしてその優秀な人物へ、仕事を紹介してやれ、との事だ」

「はあ!?」

 生返事だった陽彦も、さすがに驚いて大きな声を上げた。途端に隣室の壁がドカンと音を立てる。

「あー、悪ぃツキ」

 壁に向け一言謝罪して、小声に戻した。


「で、なんだっけ、仕事……就職先?本気で言ってんの?俺まだ高校生ですよー?」

 心底呆れ返ったという態度で自身を指す陽彦に、黒花はフンと鼻を鳴らす。

「国の働き手でもあるではないか。その伝手をだな」

「解った上での嫌味なんですがー」

「……そうか、もういい。他をあたろう。輝光魂の陽彦には出来ぬ事らしいので、助けては貰えまいか、と一声吠えれば誰ぞ応えるだろう」

 窓へ近付き遠吠えの体勢に入る黒花を、抱きしめるような格好で陽彦は止めた。それはもう必死に止めた。

「ばかなの!?ねえ馬鹿なの!?こんな早い時間に吠えたら近所迷惑だわツキが起きるわで大変な事なんじゃん、アイツの寝起き最悪なんだから解るだろ!?」

「解らん。犬神様のお言葉に従うのが私の務めだ。では」

「はいはいはいはい、解った!解りました!その人どこの人?とにかく紹介すりゃいいんでしょ!?」

 必死の形相で説得する陽彦。どこかの猫至上主義者ヘンタイとは違う意味で、美形が台無しである。

「フン。初めからそうすれば……まあいい、その人物は関西に居るそうだ」

「関西?」

「何やら、ファッションと肉でお馴染みの港町……」

「ああ、はいはい。そこなら知り合いが仕切ってるから話し易い。面接ぐらいならいけんだろ多分。けど、俺が話つけてその後どうすんだよ」

 早速スマートフォンを取り出して操作し、画面に視線を注いだまま問い掛ける。

「勿論、向こうへ報告し、そっくりそのまま犬神様にお伝えして貰う」

「え、それ大丈夫か?伝言ゲームったあげく謎住所に送り込む事になっても、俺カンケーないからな」

「そんな失敗はしない」

 キリリと凛々しい顔で言い切る黒花へ疑いの眼差しを向けつつ、陽彦は素早く作り上げた文面を送信した。



「鈴音、るかー?」

 しんと静まり返った夏梅家に、虎吉の声が響く。

 丁度その時、玄関から鍵を回しドアを開ける音が聞こえてきた。

「お、帰ってった(来た)

「ん?虎ちゃん来てんの?」

 パンパンに膨らんだエコバッグを二つ提げた鈴音はリビングへ入り、まず驚く。

「わっ、どっから生えてんねん!おもろ可愛いやんか!」

 何故ならソファの背もたれから虎吉が顔だけ出していたからだ。すかさずツッコミを入れ、音も無く近寄って鼻と鼻をくっつけた。

「ぎゃー」

「棒読み可愛い。にしてもリアクションおかしいで、おはようの挨拶やんか。はいもっかい鼻チュー」

「鼻チューて、そない豪快に鼻ひっつけへん(くっつけない)で俺ら」

「知っとるよー、コレは人仕様の鼻チューやッ」

「人と人で鼻チューせえへんやろ!人仕様てなんやねん!」

 虎吉のツッコミに笑いながら、キッチンへ移動して買って来た物を仕分ける。


 背もたれに開けた通路を抜けて来た虎吉が、興味津々で覗き込んだ。

「食いもん買うてったんか?」

「うん、猫用やけどね。人用の食材はまだストックあるから」

「猫用」

 何かを期待しているキラキラの目で見上げられて、鈴音の表情は一瞬で溶ける。

くぁっわい(可愛い)、たまらん、今日も生きてて良かった。ふぅ。えーと、この辺のやつがー……これもか、うん、猫神様と虎ちゃんの分な」

 ガサガサと外装フィルムの音をさせ、山と積んだのは猫用オヤツだ。

 当然匂いなど漏れてはいない筈だが、フンフンと鼻を寄せた虎吉は既に舌なめずりをしている。


「ふふ、お口に合うとええねんけど。ちなみに、食べたらアカン物は普通の猫と一緒?」

「いや、俺と猫神さんは食われへんモン無いな。なに食うても毒にはならんから」

「そうなんや、ええなぁ。奇跡の完全消化吸収だけとちゃうんやね」

 神様凄過ぎ、と改めて感心して、もう一つのバッグからステンレス製の大きなボウルと小さなボウル、繰り返し使える蓋状のラップを取り出した。

「これに中身だけ入れてったら、持って帰って来るんもこれだけでええやん?」

「ほぅほぅ」

「ホンマは綺麗な深皿とかにしたかってんけどな、猫神様対応サイズがなー……」

 近所のホームセンターにそんな都合の良い皿は無かった、と申し訳無さそうな鈴音に、虎吉は目を細めて頷く。

「その気持ちだけで充分嬉しいで。……ほんで何やったかいな。ああ、そやそや、猫神さんから鈴音に、何やええ知らせがあるらしいねん。早い時間からスマンけど、来て貰てええか?」

 本来の目的を思い出した虎吉の要請に、鈴音は頷きオヤツのパッケージを開けた。

「勿論!急いでこれ移すから待ってな……って、うわ、しもた(しまった)ぁー」


 おそらく、買って来た物を仕分けていた辺りから、耳はこちらに向けていたのだろう。そして今の開封音が決定打となったに違いない。

 虎吉の背後に、愛猫二匹と子猫が綺麗に横並びとなり、期待に満ち溢れた顔できっちりとお座りしていた。

「ウマイヤツ」

「スキナヤツ」

「イイニオイ」

「あー……めっちゃ可愛い顔で見とるー。さっきゴハン食べたばっかりやのにー。ゴメンな虎ちゃん、ちょっとだけ待ってな」

「おう、これはしゃーないわ、うん」

 君達のオヤツではない等と言えるわけもなく、仕方無しに三つの小皿でそれぞれに与え、その間にボウルへと全力で移し替える。


「後は全部猫神様の分やから、て説明しといてー」

「よっしゃ、まかしとけ」

 そんなやり取りをしつつ、液状のオヤツを細長いパウチからひたすら絞り出した。大型虎サイズの白猫用なので大量だ。

「これ、地味に疲れる。今後はカリカリのオヤツにしよかな」

 ボウルにラップをし、ゴミを片付けて漸く準備完了。

「お待たせ虎ちゃん、やっと行けるわ」

 額を拭う仕草と共に振り向けば、そこではいつの間にか大運動会が開会し、既に白熱していた。

 子猫は当然ちょこまかと動いているだけだが、大人達は追いかけっこからのプロレスごっこ、再び追いかけっこと家中を会場に大暴れである。

 こうなると声を掛けても無駄なので、鈴音はただただ待った。


 五分後、スイッチがオフの位置に入ったのか、唐突に運動会は閉会し、銘々が毛繕いなど始める。

「いやー、おもろかったわー」

「そら良かったけど、何キッカケでスイッチ入ったん?」

 子猫を再度ベッドへ戻して寝かしつけ、愛猫達を呼ぶ。

 呼ばれた猫達はいそいそと子猫の横に収まって大欠伸をし、満足そうに目を閉じた。

「目ぇうたら、そら遊ぶやろ」

「うーーーん?」

 ドヤ顔の虎吉へ、思い切り首を捻って見せ、キッチンへ戻りボウルを手にする。

「そうか、人は目ぇ合うたからて遊ばへんなそういえば。難しいなー。まぁええわ、ほな行こかー」

 言うと同時に通路を開いた虎吉に促され、鈴音はまた、もこもこ世界へと足を踏み入れた。

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