第六十七話 神よ御慈悲を
骸骨が持つ一点の曇りもない白金のような大鎌を見た怪物は、見るからに危険だと判断しトップスピードのまま強引に方向転換を図る。
意表を突いたつもりらしいが、骸骨は普段逃亡した犯罪者の魂を追跡する任務に就いている為、この手の行動は寧ろ見飽きていると言っていい。
そんな事とは露知らず全力で身体を横に向けた怪物は、先回りして佇む骸骨を見て腰を抜かしかけた。
「嘘だろ!?こっちも化け物かよ!!」
再度方向転換を試みようと踏ん張った脚に、冷たい何かが当たり通り過ぎたと感じた途端、バランスを崩し派手に転ぶ。
左脚が綺麗に刈り取られていた。
「なん、何なんだ!?何でいきなりこんな神話級の化け物に遭遇する!?しかも何で群れてんだよ!?」
上体を起こそうと魔剣を握ったまま藻掻く怪物に、音も無く近寄った骸骨が大鎌を構える。
「ちょ、ちょちょちょ待っ」
慌て過ぎて言葉になっていない怪物を無視し、化け物呼ばわりに腹を立てていたらしい骸骨は大鎌を低く構えると、後ろへ大きく引いてから思い切り振り抜いた。
「ナイスショットー!」
鎌の刃先ではなく尻の部分を使い、ゴルフスイングの要領で怪物をぶっ飛ばした骸骨へ鈴音が賛辞を贈る。
豪快にぶっ飛ばされた怪物は、左肩と左脚付け根から鮮血を撒き散らしつつ大神殿の本殿前に落下した。
魔剣ごと地面に叩き付けられ、衝撃で暫し動きが止まった怪物を、虹男とサファイアが不思議そうな顔で覗き込む。
「んんー?」
「あらあら」
「今度は何だ?誰だ?」
顔を顰める怪物の脳内で、護衛の男が悲鳴を上げた。
『か、神ッ!!嫌だ嫌だ嫌だ殺される殺される!!死にたくない!!』
「神?……そう、だったか?こんな力だったか……?」
自分が知る神の力と違うような、と首を傾げた怪物は直ぐに思い出す。『アンタのおった世界ちゃう』という鈴音の言葉を。
「別の世界……?そんなものが……いや確かに魔力が一切感じられないな……そうか、本当にそうなのか。となると、今俺は非常にマズい状況じゃないか?」
身体の持ち主が神だと騒ぐ相手が目の前に二体。
恐らく背後のどこかに腕と脚を持って行った化け物が二体。
「ったく、これでも天災級指定なんだがなあ」
嫌そうに笑った怪物は転がったまま右腕を振り、地面を滑らせるようにして階段下へ魔剣を飛ばした。
「ッギャアアアーーー!!」
途端にバタバタと右腕右脚を動かし只々絶叫するだけとなった怪物。
「うるさいよー?鈴音、これ要るの?」
怪物を指差す虹男に、鈴音は首を振った。
「もう要らんから片付けといてくれる?」
「いいよー」
頷いた虹男が指を動かすと、撒き散らした血液ごと怪物が宙に浮く。
痛みと恐怖に引き攣った顔で必死に藻掻き悲鳴を上げる怪物。
「嫌だやめてくれ!!助けてくれ!!ウアアァァア!!」
しかし当然の事ながら虹男がそんな言葉に耳を傾ける筈も無く、怪物へ向け天から真っ直ぐ金色の光が照射された。
サンピラーのような美しい現象に人々が息を呑む中、ほんの数秒で消えた光と共に、怪物もまた跡形も無く消え去っていた。
神の力に感動した人々の拍手が響き渡り、胸を張った虹男をサファイアが褒めている。
そんな光景をチラリと見て小さく笑った鈴音は、階段の上から飛んだ物を追って悪党達の間を進んでいた。
通してくれと頼まなくても、尻で後退った悪党達が勝手に道を作ってくれる。
海を割った誰かのように進んだ先では、これまた皆が後退った為円形に開いた空間の真ん中に、魔剣が突き刺さっていた。
「虎ちゃん、私の光ちゃんと消えとる?」
「おう、大丈夫やで」
虎吉のお墨付きを貰った鈴音は、怯え切った悪党達の視線を浴びながら何の躊躇いも無く魔剣を手に取る。
『フハハハハ!!馬鹿め!!この身体は俺が……って、アレ?意識に入り込めない』
「あー、成る程こんな感じなんや」
『……その声はまさか』
魔剣を手にその場から跳躍した鈴音は、サファイアが出した姿見の前に降り立った。
「ハロー」
ニッコリ笑って鏡に手を振る。
『やっぱりお前かーーーッ!!』
「うん、おもろいおもろい。何やろな、耳元で喋られとる感じ?普通は別の事考えたりしたら聞こえんようになる他人の声が、ずっとクリアに聞こえとるみたいな」
「ふーん?試してみたいけど、たぶん俺が触るとなぁ」
「せやね、きっと一撃必殺やね」
恐ろしい会話に思わず魔剣が口を挟む。
『なんで?』
「ん?虎ちゃんは神様の分身やもん。え、何なん触って欲しいん?魅惑の肉球で逝きたい?」
『いや逝きたくない。見逃してくれよ。お前には効かないんだから問題無いだろ?』
魔剣の言葉に瞬きを繰り返した鈴音は、虎吉と顔を見合わせてから首を傾げた。
「人にものを頼む態度ってあるやんな?」
「あるなぁ」
うんうんと頷く人と猫。
『……見逃していただけませんか。ほら、まだ悪党一匹乗っ取っただけで大した悪事も働いてませんし』
下手に出る魔剣。
「えー、どないしょー。でも天災がどうとか怖い事言うてたしなー」
『どんな耳してんだよ!?じゃなかった、聞き間違いじゃあないですか?ね?ここはアナタ様の広いお心でどうかひとつ』
「んー、そうやなー広い心なー」
『うんうん』
「残念、そんなん持ってへん。せやから無理ぃー」
『性格悪過ぎじゃねぇか!?』
「悪意の塊の言う事なんか聞く訳ないやんアホちゃう?アンタどこの世界の魔剣よ?神様に言うとかなあかんわ、アホ過ぎて話になりませんでしたて」
『テメェ言わせておけば……!』
怒ったらしい魔剣から、どす黒い靄のようなものがが立ち昇る。
「ほらな?直ぐに本性出すやん?そこで更に下手に出られるかどうかよねー」
『うるさい!!……って何でうるさいんだ。効かないのかこれも』
黒い靄が腕に絡み付いているが、鈴音は涼しい顔だ。
「あ、言い忘れとったけどな、鈴音は猫神さんの眷属やから」
正に今思い出したという風に虎吉が言うと、驚いたのか靄が引っ込む。
『は!?いやそれ神と一緒だろ。反則だそんなの。精神系が主体の俺の攻撃なんか効く訳ねぇじゃねぇか。クソ、最初から詰んでたのか』
「まあ、私に捕まる前から詰んどったで?アンタをここへ送ったん、アンタとこの神様やからね?」
気の毒そうな顔で衝撃の事実を告げる鈴音に、魔剣は絶句した。
「ま、人を人とも思てなかった大神官やら護衛の男やらがあんだけギャーギャー怖がってくれたし、神様のご期待には添えた思うで。魔剣のアンタにとってそれがええ事なんかは知らんけど。ほな、お疲れ様でしたー」
『待て待て待て!せめて神に会わせろ』
「んー、アンタとこの神様誰?名前わかる?」
『名前?たしか……』
鈴音の耳に“波のような音”が届いた所で突如空に小さな穴が開き、そこから走った光線が魔剣を直撃した。
『ッギャーーーーーー!!』
凄まじい絶叫と共に剣が真っ二つになり、禍々しい気配も消える。
手に残った半分の剣から空へと視線を移し、鈴音は溜息を吐いた。
「……シオン様?今更手伝うて貰わんでも平気ですよ?」
その呟きに、慌てたような気配を残して空の穴は閉じた。
「うーん、思たより魔剣がアホやったのが嫌やったんやろか」
「余計な手間増やして、鈴音が帰ってくるんが遅なったんを猫神さんが怒っとるとか」
虎吉の推理に『それだ』と鈴音は頷く。
「まあ、魔剣にも言うた通りええ仕事はしてくれてんけど……猫神様には関係無いよね。よし、ほな早よ帰る為にも後は纏めて片付けて貰おかな」
魂の光を全開にして魔剣の残骸を握り潰し蒸発させ、再び跳躍した鈴音はご機嫌さんな虹男とサファイアの元へ戻った。
「サファイア様、鏡ありがとうございました」
「あら、もういいの?」
サファイアは手を翳して鏡を仕舞い、鈴音に微笑み掛ける。
「次はあの縛られている者達かしら」
「そうですね、気絶さしてる案内係と転がってる将軍も一緒に」
鈴音の言葉に含まれなかった元大統領だけを除け、虹男が他の者達を一纏めにした。
「この者達は悪事を働いていると知っていながら、手伝っていたのよね?」
悪党達を眺めながら確認するサファイアへ鈴音は頷く。
「サファイア様が最初に処分しはったアホな騎士や、今まで虹男に挑んで来た人らは自分が正しい事をしとる思い込んでましたけど、コイツらは大神官や大統領がとんでもない悪党やと解った上で手足となって働いてましたね」
「そうよね。それじゃあのお馬鹿さんと同じと言う訳にはいかないわね」
女神の視線がヒンヤリとしてきた事に気付いた悪党達は、大慌てで口々に叫び始めた。
「神よ御慈悲を!!」
「悔い改めます!!」
「目が覚めました!!」
「どうか御慈悲を!!」
それを聞いたサファイアは小首を傾げ、何事か考える素振りを見せる。
もしや上手くいったのでは、と悪党達は期待を募らせた。
「そうね、確かに彼らは先程までの者達と同じではないわね。指示されて動く立場だし、直接人を殺めた訳でもない」
その言葉に快哉を叫びそうになるのを堪える悪党達。
微笑んだサファイアは続ける。
「腕や脚を斬ったりしては可哀相ね。苦しまないように一瞬で消し去ってあげましょう」
「……え、消し?」
「なん……ッ」
「殺され……る?」
「うわあぁぁぁああああ殺されるーーー!!」
期待が膨らんでいた分、それが弾けた衝撃は大きかった。
立ち上がろうとして失敗し転ぶ者、転がって逃げようとして他者にぶつかる者、ぶつかられ転んだ者の下敷きになり悲鳴を上げる者、中々のパニックである。
それを呆れながら見ていた鈴音はふと気付いた。
「あ、そや。神殿は真面目な神官さん達に任せたらええけど、政治の方がこのままやとちょっと厳しいかも。大統領がどんな手ぇ使て他の政治家黙らせたんかとか、不正なお金の流れとか知っとかんと規制する法律も作られへんやん」
この独り言は中継映像に乗っていたらしく、穏やかでよく通る声が答えてくれた。
「奴の最も近くで仕えていた者を残されませ」
ハッと顔を上げた鈴音の目に、威厳ある剣の王の姿が映った。
「国王様」
「国の代表ですから、毎日様々な約束で忙殺されておった筈。いつ何処で誰と会うのか、話の内容は、誰に何を渡し誰から何を受け取ったのか、それら全てを把握している者が居る筈ですぞ?……こう言っては何ですがな、一人では到底覚えきれませぬ故」
後半部分を内緒話風に言う剣の王の声に、他の王たちも笑いながら頷いている。
「あー、そうか。そうですよね、ありがとうございます!うんうん、おったおった、全部知っとる奴」
笑顔で剣の王に礼を告げ、鈴音は直ぐに虹男へ頼んだ。
「あの神官やない男、弱そうな奴。あれもサファイア様の攻撃に当たらんように除けといて?」
「んー、これかな?」
虹男が指を動かすと、慌てふためく大統領秘書が宙に浮く。
「あ、それそれその人」
鈴音が頷いたのを確認した虹男は、元大統領の隣に秘書を並べた。
「それじゃあ、後は消してしまっていいかしら?」
優しい笑みに優しい声で、サファイアが鈴音に問い掛ける。
「やめろ!!」
「助けてくれ!!」
「殺される程の罪か!?」
女神の笑顔に怯えた悪党達は、必死に鈴音へ訴えた。
それを聞いた鈴音は無表情に彼らを見下ろす。
「アンタらは被害者がどうなるか知ってた、もしくは想像がついとったやんな?その被害者、助けたろとか思たことある?無いやろ?あーあ可哀相にぃーお気の毒様ぁーぐらいに見てたやろ?……ま、そういう事やから」
そう言ってサファイアに会釈すると、悪党達に背を向けた。
もう彼らに用は無いのだと理解したサファイアは、右手を胸の辺りまでゆっくりと上げる。
「嫌だーッ!!」
「誰か助けてくれ!!」
「この人殺し!!」
「何でこんな目に遭わなきゃならないんだ!!」
「大した事はしてないんだよ!!」
「他にもっと悪いのが居るだろ!!」
悪党達が上げる悲鳴に怒号、的外れな哀願、どれひとつとして女神の心を揺さぶるどころか耳にさえ届かなかった。
この上なく優しい笑みを浮かべたサファイアは、舞うような優雅さで右手を振り下ろす。
間髪を入れず、大神殿前の広場に太陽が落ちたかのような光が炸裂した。
眩しさに目を閉じた人々が数秒後に恐る恐る見てみると、ぼんやり明るい広場から悪党達の姿は消えていた。
階段下に並べられている元大統領と秘書だけが、十も二十も老けたような顔をして腰を抜かしている。
そんな静まり返った広場に、明るく楽しげな声が響いた。
「わあ、スッキリ綺麗になったね」
「ええ、サッパリしたわ。残るはその男だけね」
言葉通りの表情で微笑み合う虹男とサファイアは、振り向いた鈴音を見る。
鈴音はといえば、顎に手をやり元大統領の処遇について考えていた。
「んー……、ただ八つ裂きにすんのもなぁ……」
そう呟く鈴音の目が紙束を畳んで持つ記者の姿を捉えた。




