第六十六話 最期に見たもの
「そうなんや、お世話したった側なんや。大変やったやろ、あんなジジイ」
一体何をそんなに喜んでいるのか、と鈴音の笑顔を警戒しながら怪物は間合いを取る。
「自分は弱いクセに言う事だけは偉そうなんやろ?あんだけ高そうな物ばっかり買うお金あんねやったら、もっと給料よこせ思わんかった?自分は安全な場所でええもん食べて飲んでしとるだけやからあんな腹なって、そのせいで走るん遅いから追手に捕まったりすんねん、て呆れんかった?」
無視するつもりが、普段から思っていた事を次々と言葉にされついつい頷いてしまう。
そんな怪物の様子に怒りを顕にしたのは元大神官だ。
「お、のれ、道……端の、生活から、拾……ってや、った恩を……ッ」
脂汗を流す程の痛みで息をするのもやっとな状態からでも、声に出さずにはいられないくらい頭にきたらしい。
護衛の姿のまま攻撃してきたのは自身と同じく身体を操られての事と思い込めても、つい漏れ出た言葉や態度までそうとは思えなかったようだ。
狙い通りの効果に笑いが止まらない鈴音は、元大神官の言葉が化け物の鳴き声にしか聞こえていないだろう怪物に通訳してやる。
「けど、貧しい生活から拾い上げてくれた恩は一応感じとったりする?」
鈴音の言葉は通じる筈だが、魔剣を構えていた怪物は意味が解らないという顔をした。
「恩?拾われようが捨て置かれようがやる事は変わらんのに、恩なんか感じる訳がない」
「ん?今はともかく最初は、給料貰えたやったー!的なアレやなかったん?」
「金持ちを殺して奪う方が儲かる。ただそうだな、金持ちぶってるだけのハズレを引く事もあったし、いずれ捕まって牢獄行きになったかもしれんから、似たような事をしても安全で安定した稼ぎがあるってのは感謝してもいいのか」
遠い目をしながら怪物の話を聞いた鈴音は、こういうのを生まれながらの悪党言うんやで、と意識を奪われたままの案内係に教えてやりたくなった。
「大金持ちの大神官が“殺して奪う”の対象にならんかったんは、やっぱり大神官やから?」
「流石にな、バレるだろ直ぐに」
「ほな私らに捕まったん助けに来たんは、今後も安定した稼ぎを得るため?」
「そうだ。他に何の理由があるんだ」
答えながら怪物は元大神官と鈴音の両方をきっちり警戒している。
「で、お前は何なんだ?その化け物を殺して、俺も殺すのか?」
怪物に聞かれた鈴音は元大神官を見やり、その顔が手下に虚仮にされた怒りと屈辱に塗れている事を確認すると、ニッコリ笑って首を振った。
「コレの相手するんはアンタや。嫌ならやらんでもええけど、アンタの本音にえらい怒っとるからねぇ……もし傷が癒えたら何をするやら解らんで」
鈴音が何を言いたいのか理解出来ない怪物の視界で、霧が晴れるかのように化け物の姿が変化した。
そこに居たのは片腕は肘から下が、もう片腕は手首から下が無く、脇腹に浅い足には深い切り傷を負った元大神官だ。
「っな……!?」
「お、見えた?流石は骸骨神様やわ」
打ち合わせも無しに完璧な演出をこなす骸骨神を称賛しつつ、怪物と元大神官の様子を観察する。
怪物は驚きで、元大神官は痛みを堪えるのに必死で咄嗟に言葉が出ないようだ。
固まってしまった両者を見比べつつ、虎吉は首を傾げる。
「なあ、ちょっとずつ削るんやなかったんか?」
こっそり問い掛ける虎吉に鈴音は頷いた。
「そのつもりやってんけど、アイツがペラペラ喋ってくれたお陰で、それ以上のダメージ与えられてん。世界中の人の前であんなん言われたら、赤っ恥どころちゃう思うわ。せやからもうええかな思て」
「そうか、ほな後はあの怪物がどないするかやな?」
「うん、たぶん大丈夫や思……アカン、私が大丈夫ちゃう。ゴメン虎ちゃんまた見といてくれる?」
「おう、任しとけ」
情けない顔で頼む鈴音に笑いながら、頷いた虎吉は怪物へ視線を固定した。
こんな状態でも未だ自身の威光は生きていると思っているのか、元大神官は怪物を睨み付ける。
一方怪物はと言えば、この真っ白な世界で戦っていた相手が元大神官だったと知って驚きはしたが、それだけだった。
出血しない理由や何故化け物に見えていたのかなど、気になる点は多々あるが特に問題は無い。
今現在目の前に瀕死の元大神官が居て、それをやったのが自分だという事実があるだけだ。
「……おい」
不意に元大神官が口を開いた。
怪物は視線だけを返す。
「わ……かって、いる……っの、だ、ろ……うな」
勿論これは、己の立場を利用した威圧だ。
どこぞの領主に政治家に、数え切れない程の人々を黙らせて来た伝家の宝刀。
荒い呼吸の合間から聞こえたそれに、怪物は頷いた。
「ああ。アンタを殺らなきゃ俺が危ないって事だろ」
想定外の返答に元大神官は目を剝く。
「な、にを……ッ」
「そりゃそうだろ、その台詞言われた奴はみんな後で消されてたんだから。誰が殺ってたと思ってんだ。内情知っててへーこら畏まるかよ。殺られる前に殺るに決まってんだろ普通」
普通の定義って何だろう、と遠い目をする鈴音の前で怪物は魔剣を構えた。
ここまで来て漸く、元大神官が焦り始める。
「ま、待て、不も……不問に、付す」
「何をだよ。そもそもアンタがその手の約束守ったの見た事ないしな」
構えを解き、魔剣でトントンと肩を叩きつつ怪物が呆れ返っている。
これは本当に自身の護衛をしていた男か、いや怪物だ、それにしては色々知り過ぎている、やはり護衛か、しかしあんなに喋る男だったか、やはり怪物か。
大混乱に陥った元大神官は、視界の隅に居る鈴音を見た。
「お、女、助ッ……けよ、褒美、を」
「嫌や」
一言で片付けてそっぽを向いた鈴音だが、ふと思い出して続ける。
「自分で言うてたやん、片付けて欲しいて依頼されるような生き方しとる人こそが悪いとか。つまりアンタの理論でいくと、手下に殺されるような生き方してきたアンタが悪いんやで。はい自業自得」
鈴音の代わりに怪物を見つめる虎吉が、欠伸しながらけしかけた。
「なぁー……ぁんでもええんむんむ。さっさとやってまえ」
「……そうだな」
頷いた怪物が表情を消して魔剣を構える。
「待て、待て、許さ……ッんぞ」
慌てる元大神官だが、怪物はもう待たなかった。
黙って近付き、元大神官の右腕を肩からばっさりと斬る。
「ギャアアアァァァアアア!!」
「思い出した。気味の悪い動きをする手足を切り落とし首を刎ねる、だったな」
剣を手にした時考えた事を口に出しながら、続けて左腕を肩から落とした。
痛みに絶叫しながら元大神官は考える。
この怪物は誰だ。
私を誰だと思っている。
神にも等しい大神官の自分が何故こんな目に遭うのか。
どうすれば助かる。
誰かいないのか、誰か。
今助ければ褒美は弾むぞ。
誰か。
右脚を根元から斬られ倒れ込んだ地面で、左脚も奪われながら元大神官は祈る。
「か、神よ」
助けてくれ、と上げた視線の先に美しき女神は居らず、金の髪の男神が大欠伸をしていた。
「終わりだ」
怪物の声と共に元大神官の首へ刃が入る。
鈍い音がして離れ離れ、永遠の別れとなった首と胴体。
傾いだ頭は丁度奴隷の焼印を晒す角度で止まる。
稀代の大悪党が最期に見たのは、美しき女神でも男神でもなく、馬鹿にした目で見下ろしている怪物の顔だった。
全てが終わった途端、バラバラになった元大神官から血が噴き出す。
驚く怪物を尻目に、虎吉は鈴音を見上げた。
「終わったけどな、あっち見ん方がええな。何かの食い散らかしみたいになっとるわ」
「ひいぃ!例えがリアル過ぎて想像が捗ってまう!!」
怯える鈴音の様子を怪訝な顔で見やりながら、浴びた血を拭った怪物は静かに動いて距離を測っている。
それに気付いた虎吉が鼻を鳴らし、鈴音も頷いた。
「えーと、今あれには私しか見えてへんねんな。ほな私が移動したら死体を死角に放り込めるな」
そう言って無防備に歩き、階段の真下、サファイアと虹男のそばまで戻る。
「あら鈴音おかえりなさい。骸骨の神にお礼を申し上げに行っている間に終わってしまったわ。あの出来損ないはちゃんと苦しんだかしら」
困った顔のサファイアに『何故そのタイミングで!?』とツッコんでしまいそうになりながら、鈴音は頑張って笑顔を作った。
「赤っ恥晒した上にバラバラにされたんで、充分や思います」
「それは良かった。ありがとう鈴音」
「あ、はい、私が解体した訳ちゃいますけど、えへ」
幸せそうな微笑みを向けられ、内容が内容だけにどう反応するのが正しいのか悩んだ鈴音は、曖昧に笑いながら頭を掻く。
「……誰と話している……?」
サファイアの姿が見えず声も聞こえない怪物が、益々怪訝な顔になりつつ鈴音を凝視していた。
「あ、そうやった。骸骨神様、解除して頂いても宜しいですか」
その言葉が終わると同時に、怪物の視界が白一色から元に戻る。
階段、大神殿、神々に悪党達と、いきなり戻った景色に怪物は慌てて周囲を見回した。
「ど、どういう事だ?死んだ?生きていた?幻か?いや現実だ」
混乱している怪物を指しながら鈴音はサファイアを見上げる。
「サファイア様、あれの前に鏡お願いします」
笑顔で頷いたサファイアが手を翳すと、怪物の前に金の縁取りがされた立派な姿見が現れた。
震える元大統領などを見ていて鏡に気付かない怪物へ、鈴音は声を掛けた。
「おーい、顔上げてこっち見てみ。おもろい奴が居るで」
鈴音の声に釣られて視線を移した怪物は、鏡を見て驚き飛び退る。
「なんだ、いきなり何処から」
流れるように魔剣を構え、ピタリと動きを止めた。
鏡に映る剣と自らの持つ剣とを見比べようとして、視界に入った異様なものに目を見張る。
「いや、違う。違うこれは違う」
自身の腹の辺りで、実際の剣の柄を握り締めている、鉤爪付きの手。
肌の色が、赤を基調に黒、緑、黄とまだら模様になっている。
「違うぞ、違う違う」
それは鏡の中に居る怪物の色であって、自分の手がそんな色である訳がない。
驚いて見間違えただけだ、そう頷いて目を閉じ深呼吸をする。
何度か繰り返してから、ゆっくり、ゆっくりゆっくりと目を開けた。
「うああぁぁああ!!何だ!!何でだ!!うわぁぁああ!!」
何も変わらずそこにある不気味な手を顔から遠ざけ、怪物は喚き散らす。
「こ、これか!!この剣か!!」
鏡を見、手元を見て、漸く原因が何なのかに思い当たり魔剣を捨てようとした。
「離れろ!!くそ!!」
しかし魔剣は掌に張り付いて離れない。
「こんな、こんな姿、アイツと同じじゃないか!!殺される、神に殺される!!嫌だ嫌だ嫌だあんな死に方は嫌だ!!」
断末魔の叫びと共に干からびた同僚を思い出したらしく、半狂乱になって魔剣を引き剥がそうとしている。
「嫌だ、こんな姿は嫌だぁあああ!!」
『そうか、じゃあ俺が貰ってやるよ』
突如聞こえた声に素早く辺りを見回し、最終的に魔剣を見た怪物は、悲鳴を上げながらそれを地面へと叩き付け始めた。
『ハハハ!!頑張れ頑張れ、もっと頑張れ、アーッハハハハハハ!!』
「黙れ黙れ黙れ黙れぇぇえええ!!うわぁああああ!!」
そのまま、魔剣を叩き付ける音と怪物の絶叫は暫く続いたが、鈴音が『飽きてきたな、殴るか』と思ったあたりで唐突に途切れた。
「あれ、心の声が聞こえたんやろか」
「何て言うたんや?」
「殴ろかなー」
「うはは、そら怖いな」
虎吉と顔を見合わせて笑い視線を戻すと、怪物が全ての関節をカクカクとぎこちなく動かしている。
「うわ気色悪っ」
「酷いな、仕方ないだろ乗っ取ったばかりなんだから」
鈴音の声に答えた怪物は、一転滑らかに身体を動かし、魔剣を振って感触を確かめた。
「乗っ取った?ほな元の護衛の男はどこ行ったん?」
「え?ああ、奥の方で震えてるな、そこのジジイのように」
魔剣で指された元大統領は、怪物から目を逸らして縮こまる。
「ふーん。アンタは魔剣の何か?」
「そうだな。剣に封じられた悪意とでも言えば解るか?」
「ほー、なるほどー」
人が恐ろしい姿になり、おまけにその身体を乗っ取られたというのに、妙に鈍い鈴音の反応が気に入らないのか怪物は前触れ無く一気に距離を詰めた。
鈴音の真ん前に立ち、鋭い歯を剥き出しにして笑う。
「悪意の塊だからな、女相手でも容赦しないぞ?さっきのジジイのように手足を順番に斬ってやろうか?うん?」
「あー……、手足か。これ元は人やから手足もいだら血ぃ出るやんな?」
怪物を見ながら尋ねる鈴音に、虎吉は首を傾げた。
「出るやろけど、傷口見んようにしながら血ぃ避けたらええねん」
「目ぇ細めといたらいけるかな」
「おう、いけるいける」
怯えるどころか訳のわからない会話をする鈴音に、不穏なものを感じたらしい怪物は近付き過ぎた事を反省しつつ距離を取ろうとする。
しかしその時にはもう、左腕が無くなっていた。
肩から噴き出す血に愕然とする怪物へ、背後から声が掛かる。
「痛みは無いん?元の人が代わりに痛がる感じ?」
「喧しなかったら何でもええわ」
「あはは、確かにー」
勢いよく振り向いた怪物は、笑いながら立っている鈴音とその足元に落ちているまだら模様の左腕を見た。
横長の瞳孔が大きく開き、こめかみから汗が滴る。
「……ちょっとあれだ、出るとこ間違えたみたいだから帰るわ」
そろり、と後退する怪物。
「帰るてどこへ?ここ、アンタのおった世界ちゃうしなあ。逃げ場なんか、あらへんで」
ずい、と一歩前へ踏み出し鈴音は笑う。
「ヒイィィィ化け物ォォ!!」
悲鳴を上げ血塗れの怪物が逃げた先には、大鎌を構えた骸骨が待ち構えていた。




