第六十五話 護衛と魔剣再び
サファイアの力で身体の自由を奪われている護衛は、逃げるどころか身動きも出来ない。
結果、巨大な手のような形を取りながら忍び寄る青白い光を、恐怖に引き攣る顔面でまともに受けた。
視界が真っ白に染まる。
自分は死んだのか、と瞬きを繰り返し護衛は周囲を見回した。
今の今まで見ていた神々も大神殿も見当たらず、ただ真っ白な世界が続いている。
死んだ後どうなるのかなど考えた事も無かったが、どうやらこれが答えのようだ。
同僚に比べればマシな死に方だったな、などと薄笑いを浮かべた護衛の前に、天から何かが降ってきた。
銀色の化け物だった。
「ヒッ!?」
息を呑んだ護衛の鼻先まで瞬時に顔を寄せた化け物は、口を開いて鮫のように鋭い牙を見せながら手足をてんでバラバラに動かす。
その奇怪な動きと何度も開閉する口が恐怖を煽り思考は滞った。
しかし身体は咄嗟に反応する。
化け物が振り上げた腕を飛び退る事で回避。
鼓動が早鐘を打ち冷や汗が噴き出す中、護衛の目に一本の長剣が飛び込んで来た。
手招きでもするかのように赤黒い剣身を鈍く光らせるそれは、この悪夢のような状況を断ち切ってくれる聖剣にしか見えなかった。
あの剣さえあれば勝てる。
迷う事なく剣に飛び付いた護衛は一気に自信を取り戻した。
これで形勢逆転だ。恐れるものなど何も無い。
気味の悪い動きをする手足を切り落とし首を刎ねてやる。
表情を消した護衛は力強く踏み込み、剣を振り下ろした。
「わっ!危ないよ、っと!」
虹男の声と共に後方へ移動した元大神官の腹を、魔剣の剣先が掠めて行く。
人形を操るように虹男が楽しげに手を動かすと、元大神官の身体が連動し護衛を挑発した。
すぐさま反応した護衛が斬り掛かる。
不気味な動きの元大神官が避け、魔剣を振りながら護衛が追った。
「流石に死にそうな顔してるわ」
二人の動きを見つめる鈴音の呟きに虎吉が頷いた。
「そらそうやろな。人の造り無視した動きさせられるわ、殺る気満々の男が目の前で魔剣振り回しとるわやもんな」
「全部自分がやってきた事やて解ってるやろか。解ってへんやろなー。何で自分がこんな目に遭うねんとしか思てないやろなー」
「おう、何も解ってへん思うで。ま、ビビらせたんやからええんちゃうか?それこそ手下に殺られて終わるんなんか、屈辱以外の何もんでも無いやろ」
「そっか、そやね。全部が全部思い通りにはならんよね。よし、せめて思いっ切り悔しがって貰お」
お互いに目を細め、うんうんと頷き合う。
鈴音が階段下へ視線を戻すと、元大神官の脇腹に浅い切り傷が出来ていた。
「お、死なへん程度に痛い傷や。上手いやん虹男」
褒められた虹男は得意気に笑う。
「ちょっとは当たってあげないとね?でもなんか、もっと斬りたいのかな?魔剣の人がかなり苛々してるんだよねー」
虹男の言う通り、護衛の顔には焦りが見て取れた。
「剣には自信あったのに、ろくに当たらんからちゃう?化け物相手にしてるつもりやし、このままやとアカン思て慌てとるんかも」
「へー、そういうもんなんだね。じゃあも少し斬らせてあげようかな?ねえ、230の人!斬られるなら手と足どっちがいいー?」
鈴音の解説を聞いた虹男は納得し、奴隷番号で元大神官を呼び問い掛ける。
尋ねられた元大神官は口を動かし何やら答えているようだが、さっぱり声が聞こえてこない。
「あ、ごめんなさい私だわ。うるさいかと思って声を封じていたのよ」
口元に手をやって困った顔をするサファイアに、虹男は目尻を下げながら首を振る。
「いいよー、気にしないで。今から戻してくれる?」
「ええ」
頷いたサファイアは特に何の動きも見せなかったが、直ぐに元大神官が喧しく喚き始めた。
「貴様ら!!私を誰だとォボァッ!!」
喋っている最中でも攻撃がくれば虹男が容赦無く身体を移動させるので、元大神官は舌を噛みまくりだ。
「ねーねー、手と足どっちにするー?」
「どっちだとキサ、ホガァッ!!ブフッ!!」
「んー、何言ってるか全然わかんない」
原因が自身にあるとはこれっぽっちも思っていない様子の虹男に笑いつつ、代わりに鈴音が答えてやった。
「足斬ったのにあの速さで動いたら変やし、腕にしといたら?」
「そっか、解ったそうする」
「でも大量出血したら直ぐ死んでまうから、切り刻むなら血は止めた方がええよ」
自分でも、随分と恐ろしい事を言っているなあと思いながら鈴音がアドバイスすると、サファイアが笑顔で頷いた。
「確かにそうね。簡単に死なせるつもりはないから、私が傷からの出血を止めるわ」
「お願いします。ほな、見てはる人らに言うときますね。はい、皆さーん!こっから先は腕が飛んだり足が飛んだり首が飛んだりしますよー!苦手な方は見んようにー!ひょっとするとさっきみたいな化け物も出るかもしらんので、その点もご注意下さいねー!」
鈴音の発した警告で三分の一くらいの人々が素直に顔を伏せる。
残る人々は、自分達を騙していた憎き大悪党の末路をその目で見届けたいらしい。
そんな中最も強い反応を示したのはやはり元大神官だった。
「何を言っている!?そんッブフッぬぁ、そんな事がッフ許されるドフォ」
抗議しようとした所でタイミング良くか悪くか護衛が連撃を加えてきたので、やはり殆ど何を言っているか解らない。
全員が無視を決め込んだ。
「そんじゃいくよー?」
虹男の確認に頷いた鈴音は虎吉の頭に鼻を埋めた。
骸骨へ視線をやると、フードを目深に被り顔を伏せている。
あれなら大丈夫だろうと安心した鈴音が視線を戻すと、丁度護衛が魔剣を振り下ろす所だった。
避け損ね咄嗟に手で頭を庇う、という動きを虹男が演出し、元大神官は忠実にそれを実行する。
予定通り元大神官の肘から下が斬り飛ばされた。
ただ一つ予定外だったのは、護衛の攻撃が振り下ろした後に斬り上げるという連続技だった事だ。
その為、随分間合いを詰めさせていた事も手伝って、本当に避け損ねてうっかり足までも深々と斬り付けられてしまった。
「ッギャーーーァアアアア!!」
想像を絶する激痛に元大神官の絶叫が響くが血は一滴も出ない。
このまま首まで飛ばされては困るので、虹男は叫ぶ元大神官を素早く後退させる。
十分な距離を取って次の動きに備えたが、護衛は元大神官を凝視したままその場に立ち尽くしていた。
呆然とする護衛の目に映るのは、腕を斬り落としても出血せず、足を深く斬り付けたのに高速で動けるという、見た目だけではない本物の化け物。
一体どうすれば息の根を止められるのか。
やはり首を落とすしかないのかとも思うが、その為には再度間合いを詰める必要がある。
しかし痛みなど感じていないかのように怒りの雄叫びを上げる様は不気味過ぎて、出来ればもう近寄りたくない。
これは最早戦わず逃げるのが正解だろう、と周囲に視線を走らせるが、どこまでも真っ白な世界に逃げ場などなかった。
八方塞がりだと絶望しかけた時、不意に何処からか声が聞こえて来る。
『勝てるさ。簡単な事だ。お前の力を解放すればいい』
男のようにも女のようにも聞こえるその声が誰のものなのか探る事より、勝てるという単語に護衛は飛び付いた。
力の解放と言われて直ぐに思い付くのは神官としての力。
聞いた所によると、聖剣は神官が力を込めて初めて真価を発揮するらしい。
つまりこの剣もまた神官の力を込めれば、あの化け物を倒せるだけの攻撃力を持つという事か。
こんな訳のわからない場所で化け物に殺されるなんて真っ平御免だ。
あれさえ倒せば元の世界に戻れるかもしれない。
ここは一つこの剣に賭けてみよう。
自分は死んだのかと考えた事も、元の世界に戻った所で恐ろしい神々が待ち構えている事も綺麗に忘れ、生と勝利へ続く道を見つけたと思い込んだ護衛は剣を握り直す。
そのまま、傷を治療する時の要領で力を込めた。
『フフ、フハハ、アーハハハハハハ!!』
誰かの高笑いと共に剣から強烈な力が迸り、護衛の身体が燃えるように熱くなる。
『気分はどうだ?最高だろう?さあ行こう、全てを壊して壊して壊そうじゃないか!!』
誰かの言う通り気分は良いし身体も軽い。
これならばあんな化け物の首を斬る事ぐらい簡単だ。
実に素晴らしい剣を手に入れた。
よし、散々挑発してくれたお返しをさせて貰おうか。
歪んだ笑みを浮かべた護衛は化け物に向けて剣を構えた。
「うわー、やっぱり出たやん。しかもさっきのやつより強そう」
「あれやろ、神さんの悪戯やろ。さっきのんが弱過ぎたから」
「もうちょい遊んで楽しませろいうこと?えー……面倒臭い。けど色々とお世話なっとるしなー」
突如魔剣から迸った力で、呆然と立っていた護衛の姿が異形の怪物へと変化した。
鈴音と虎吉によるこの呑気な会話は、それを見ながらのものだ。
大神殿を囲む人々や世界中の人々からは悲鳴やどよめきが起こり、先程まで『神よー!!』と感激の号泣をしていたカンドーレは表情を引き締めて聖剣の柄に手を掛けている。貰ったハンカチは大事に懐の中だ。
骸骨も一応大鎌を取り出してはいるが、特に緊張している様子は無い。
そんな中、違った意味で緊張している夫婦がいた。
「まあ!どうしましょう。あんな怪物の攻撃が当たったら、血が出ていなくても死んでしまうわよね?」
「そうだよね、人って壊れやすいもんね」
「でももっと痛みと恐怖を味わって貰わないと」
「そうだよね、まだ全然だよね」
悪魔の会話ではなく創造神の会話である。
「どうしたらいいかしら」
「何とかしてよ鈴音」
断ったら魂を食われるのだろうか、いや承諾したら食われるのか、と指名を受けた鈴音は軽く現実逃避しかけたが、諦めて息をつき意識を戻した。
「サファイア様、人の全身が映るでっかい鏡って出せます?」
「鏡?ええ、出しましょうか?」
「いえ、今やのうて、私が合図した時にお願いします」
「わかったわ」
微笑んだサファイアに頷き、鈴音は階段下を見る。
怪物と化した護衛が、ニヤニヤ笑いながら元大神官に狙いを定めていた。
「おーおー、急に余裕ぶっこいて。取り敢えずあの怪物の攻撃力が知りたいな」
「なんでや?」
「やっぱり元大神官には手下に切り刻まれて欲しいやん?一撃で致命傷とかならんのやったら、いけるかなぁ思て」
「なるほど。ほな元大神官の手ぇの先の方にだけ攻撃が当たるようにしたらええ。どないなったかは俺が見たるわ」
虎吉の提案に『毎度ごめんなさいありがとう』と頭を下げた鈴音だが、自身の手と怪物を見比べ首を傾げる。
「元大神官の指先に怪物の攻撃がちょっと当たっただけで、全身木っ端微塵になる心配はない?」
「そこまでの力は感じひんから大丈夫やろ。そもそもそんな攻撃出来んの神さんか鈴音ぐらいのもんやで」
「あー、そっか。はははー」
スナギツネ顔になった虎吉へ乾いた笑いを返し、鈴音は階段下へ跳んだ。
急に視界へ飛び込んで来た鈴音に、護衛はギョッとして身構える。
鈴音が化け物を軽くあしらっていた事を思い出し、剣を向けるべきか逡巡しているようだ。
だがそんな悩みなど鈴音からすれば邪魔でしかないので、即座に煽りに掛かる。
「あんたホンマ弱いなぁ。こんなしょーもない生きもん相手にどんだけ時間掛かっとんねんダッサー」
口を開くや否やの暴言に、一瞬何を言われたのか解らなかったらしくポカンとした護衛だが、一拍置いて激怒した。
「俺が弱いだと!?そっちの化け物共々バラバラにしてやる!!」
「おおー、喋ったで!何やプライバシー保護されまくっとるみたいな声やけど」
「人と魔剣の何かが混じっとる。こうなるともう人には戻られへんな」
「あらー、ホンマの意味で人でなしやん」
自分を放ったらかして繰り広げられる意味不明の会話に苛立った護衛は、一気に距離を詰めて魔剣による鋭い突きを見舞う。
人の目には速すぎて見えないそれを当然のように躱しながら、鈴音は元大神官へ近付き首根っこを掴んだ。
そのまま強引に引っ張って、残っている手が護衛の突きの一直線上に来るよう配置する。
瞬時にそんな事が行われたとは露知らず、護衛は思い切り突いた。
「ギャァアアアッ!!」
元大神官の悲鳴の喧しさに、立てた耳を反らしつつ虎吉が傷口を確認する。
「おう、手首から先が無いぞ。それなりの攻撃力やな」
「ありがとう虎ちゃん。ほな手足に当てる分には問題無いね。ちょっとずつ削ってこかー」
手応えはあったのに無傷な鈴音と、悲鳴を上げ続ける元大神官を見比べ、護衛はただ混乱した。
「何で化け物が!?あの女の腹を狙ったのに何故!?」
そんな護衛を更に混乱させようと、鈴音は意地の悪い笑みを浮かべながら質問する。
「ところでアンタ、大神官には世話になったん?」
脈絡の無い問いに怪訝な顔をしつつも、護衛は口を開いた。
「いや?世話をしてやったのはこっちだ」
魔剣と混じったせいか骸骨神が見せている夢のせいか、護衛はさらりと本音を口にする。
それを聞いた鈴音は物凄く嬉しそうに笑った。




