第六百十五話 酒の力を借りよう
淡々と凄絶な過去を語っていたユミトは、明らかに酔いが深まった表情で幾度か瞬きをする。
そうして、3分の1ばかり瞼が下りた目で鈴音と骸骨を見た。
「あれだなー、神の使いは止めないんだな?」
緩く揺れながら首を傾げたユミトの問い掛けに、ふたりは顔を見合わせる。
「止めるて何を?」
「あれだよ、『もういいよ』とか『無理に話さなくていいから』とか」
「あーはいはい、成る程。そんなえげつない話、する方も辛いやろいう気遣いね。分からんでもないけど、本人が喋りたいんやったらええんちゃう?好きなだけ喋らしたった方が、スッキリしそうやん。はい、おかわり」
酔ったからこそ出来る話もある、と考え直し、鈴音は空いたユミトのグラスにウイスキーを注いで渡した。勿論、骸骨にもおかわりを注いでいる。
「ぅえーぃ、酒だーやったーありがとー」
グラスを受け取りフニャフニャ笑ったユミトだったが、ひと口ふた口飲んで黙り込むと、不意に顔を歪めポロリと涙をひと粒零した。
「里長はさー、あれは母さんじゃねえっつったけどさー?やっぱ母さんなのよ。俺は、どっかの誰かじゃなくて、母さんを斬ったの。わかる?」
「うん」
虎吉を撫でながら頷いた鈴音へ視線をやり、涙目のユミトは口を尖らせる。
「ね?俺は母さんを助けたの。なのにさー、この話するとさー、思い詰めるなとか背負い込み過ぎなくていいとかさー?違うんだよなーそういうんじゃねんだよなー」
「うん」
酔っ払い特有の分かり難さが出始めているなと思いつつ、それでも鈴音はただ頷いた。
気を良くしたユミトが話を続ける。
「父さんに頼まれてたんだよ俺。母さんを頼んだぞってさ。なのにー!あんな感じにー!なっ、ちゃっ、てー!」
父との別れ以来ずっと、母を守らねばと思っていたようだ。自分の事だけ考え、親に守られていればいい年頃の子供が。
「何も!出来なかったからー、せめて人殺しにはね?しねえぞって頑張ったのにさ?『お前が斬ったのは母親じゃない、だから気にするな』とか酷くね?」
周りの大人達は、たとえ死体だとしても“実の親をバラバラに斬った”等という凄惨な記憶を消してやりたい一心で、そのように言ったのだろう。
ただ、母ひとり子ひとり、特殊な環境で生きてきたユミトにとって、それは要らぬ気遣いだった。
「斬ったんがお母ちゃんやないなら、ユミトさんのお母ちゃんはドコ行ってしもたんや、っちゅう話になるもんね」
穏やかな鈴音の声に、ユミトは大きく頷いた。
「それ!魂が神んとこ行ったってんなら、死体が動くのオカシイし!母さんの魂がまだ居たから動いたんだろ?って。じゃあやっぱ母さんで間違いねえでしょ?」
ムスッとした顔でグラスを傾け、据わった目で鈴音を見やる。
「母さん、ずっと居たからね?俺のそばに。母さんがちゃんと俺の分の金も払ってたから、俺はメシ食えたし服も貰えたし、追い出されなかったんだよ?騙されたのが辛くてちょっと変になってただけだから。別に俺のこと見えなくなってたわけじゃねえし。だからあれは母さんなの」
真っ直ぐに目を見返しうんうんと頷きつつ、鈴音は切なくなった。
小さなユミトは分かっていたのだ。
たった1人の家族である母の心が見知らぬ男に奪われ、その目にはもう自分の姿など映っていない事を。
それでもいつかまた振り向いてくれる、優しい母に戻ってくれると信じていた。信じるしかなかった。
なのでユミトにしてみれば、母の姿をしたものを母でないと否定したら、母が自分を捨ててどこかへ行ってしまったかのようで、絶対に嫌だったのだろう。
だから、斬るという恐ろしい行為ではあったものの、母を助け罪人にしなかった自分は『よくやった』と褒められるべきであって、憐れまれるのはおかしいと思っているのだ。
「ほんでその『ようやった』っちゅう言葉は、お父ちゃんとお母ちゃんに言うて欲しいねんな。叶わへんて分かってても。何やろ、育児放棄されても親を慕い続けるタイプの子に似てるなぁ」
極々小さい呟きは虎吉にしか聞こえず、ユミトはゆらゆら揺れているだけだ。
すると、呟きなど聞こえていない筈の骸骨が、そっと手を伸ばしてユミトの頭を撫でた。
半開きの目をぱちくりとさせ、ユミトは骸骨を見つめる。
「……父さん?」
暗がりに何がどう見えたのか、頭を撫でるという行動から連想したのか、骸骨に父を重ねる酔っ払い。
空気が読める骸骨は静かに頷きながら、よしよしと頭を撫で続けた。
そうして、チラと鈴音へ視線を送ってくる。
「え、これもしかして、私がお母ちゃんやらなアカン流れ?」
骸骨からのアイコンタクトに鈴音が微妙な笑みで固まり、虎吉は愉快そうに笑った。
「うはは、そうみたいやな。骸骨が親父に見える勢いで酔うとるし、過去視せんでも行けるて言いたいんちゃうか。訛らんように気ぃつけや」
「それは大丈夫やけど、ホンマに騙されてくれるかなぁ」
半信半疑ながら取り敢えず、この世界でよく見かける生成り色の服をイメージしてストールを作り、肩に羽織って優しげな微笑みを浮かべてみる。
一応乗っかってはみたものの、いくら何でも無理なのではと心配する鈴音をよそに、骸骨はやんわりとユミトの顔の向きを変えた。
素直に7割程閉じかけた目で鈴音を見たユミトは、一瞬で子供のような笑顔になる。
「母さん、元に戻れたのか。良かった。自分を陥れたクズ野郎への執着捨てられた?もうあんな奴に騙されたら駄目だよ?」
実の母へ向けた優しい声を聞き、鈴音は思わず言葉に詰まった。
何らかの応答をせねばと必死に考え、こういう時に余計な言い回しは不要だと結論づける。
「……ごめんね、ありがとう」
標準語になるよう心掛け、感謝を込めた柔らかな声音でそう返すと、ユミトは満面の笑みを浮かべゆっくりと前方へ傾いて行った。
「へへー、母さん怒ってなかったー、良かったー。でもホントはさー、斬らずに助けたかったなぁ……」
ゴン、と切り株に額を預け、寝息を立て始めるユミト。
鈴音と骸骨は暫しその様子を見守る。
完全に寝た事を確認してから、ストールを消しグラスを回収し、鈴音は深い溜息を吐いた。
「いやもうさあ、フォレ様そら嫌われるわ。ホンマは斬りたなかってん、でも正当化するしかあらへんねん、だって他に方法なかってんもん。神官が浄化出来とったらこんなんなってへんけど、『神は死んだんやし、しゃーないよな』て諦めとったよね。そしたらまさかの神の使い出現!ほんで『神様生きてるんよ。うっかりよそ見してただけなんよ』とか言い出すし。無理無理無理、ないないない、私でも『ええ加減にせぇよ !? 』てキレるわ」
早口で一気にまくし立てた鈴音へ、骸骨も虎吉も大きく頷いて同意する。
「何しにきたんや思たら、お前に浄化の力やりにきたんや言うしな。母ちゃん斬る前に寄越せや!今更や!遅いわ!てなるんも当然やな。鈴音に怒鳴ったんは腹立つけど、言いたい事はよう分かったわ」
呆れ顔の虎吉とよく似た表情で、鈴音は夜空を見上げた。
「私らが大神殿を掃除して、ユミトさんに力を渡し終えたら、いっぺん世界を浄化した方がええんちゃいます?あ、人畜無害な動く骨さんだけは残して」
箱詰めの悪霊や、バラバラにされてもまだ冥界へ旅立たない死体が、この世界の地下には数え切れないほど埋まっている。
鈴音や骸骨でも浄化は可能だが、動く骨だけ除外するなんて器用な事は出来ないし、そういう派手な演出は神がやった方が良い。
本当に神は生きていて、神官が力を失ったのは堕落したからで、辛い役目を引き受けていた真面目な狩人が正当な評価を得たのだと、人々に伝わり易いだろう。
「ド派手な演出の仕方はシオン様に教えて貰て下さい。畏れ敬われる神になりましょうフォレ様も」
「せやな。弱い神さんなんか要らん」
でもでもだって、を言おうとしていたであろうフォレも、虎吉のひと言で何も言い返せなくなったに違いない。
ニヤリと悪い笑みを交わした鈴音と虎吉に、肩を揺らしながら骸骨が拍手を送る。
「よっしゃ、そしたら戻らず山に備えて、ユミトさんの宿酔い防止しとこ」
言うが早いか無限袋から万能薬を取り出し、ポトリと1滴垂らしておいた。
「家どこやろ?もう遅いし誰か起こして聞くんも悪いから、ここで寝とって貰おか」
そうしよう、と頷いた骸骨がユミトを抱え、鈴音は魔力でフカフカベッドを作る。
剣を外し上着と靴を脱がせてベッドに寝かせ、風邪なぞ引かぬよう掛け布団を肩まで上げた。
「はい完成。幸せそうに寝てはるわ。時々様子見にくる事にして、夜の見張り続行で」
ビシ、と敬礼した鈴音へ、骸骨も同じ仕草で応える。
そうして、暇を持て余したふたりの神の使いによる見張り、というより見回りで、里の近くをうろついていた魔物はことごとく狩られた。
ひと晩で里の周りが物凄く平和になっている事も、子供のような寝顔を何度も見られている事も、スヤスヤ眠るユミトは知らない。




