表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
603/629

第六百三話 無い無い尽くし

 溜息を吐きつつ近付いてくる女中頭の後ろから、笑いを噛み殺しているのが丸わかりな顔で、ラピールを拾った中年女性こと食堂の女主人が姿を見せる。

 まず口を開いたのは女中頭だ。

「ちょっとアンタ、何をやっているの?私は店の前を掃除しておいてって言ったの。道行く皆さんと揉めろなんて言っていないわよ?」

 呆れ果てた表情でそう言うと、生徒達や通行人へ軽く膝を折る。

「当店の従業員が御迷惑をお掛け致しましたこと、心よりお詫び申し上げます」

 女中頭の謝罪に合わせて同じく膝を折った女主人が、棒立ちのラピールの隣へ並び片眉を上げた。

「突っ立ってないでアナタも謝んなさいな」

 これにラピールは猛反発。

「無礼な平民に何故わたくしが !?」

 予想通りの反応を女主人は鼻で笑った。

「平民平民って、アナタも平民よ。しかも小銅貨1枚すら持っていない、最下層のね。あちらを行く皆々様は裕福でいらっしゃるから、貧しい下女の1人くらい簡単に破滅させられるわよ?」

 どこかで聞いたような表現にラピールは顔を顰める。


「わざわざ戻ってきて立ち聞きしていたなんて。アナタ随分とお暇なのね」

 元貴族らしからぬ直接的な嫌味をぶつけられ、女主人はニンマリとした。

「いいえぇ?大ぉ忙しだったわよ!どこかのお馬鹿さんがやらかす所をこの目で見たくて、普段の倍の早さで働いたの!やれば出来るものねぇ、間に合って良かったわぁー」

 わざとらしく語尾を伸ばして煽られ、ラピールの顔は益々険しくなる。

「誰が馬鹿ですって…… !?」

「アナタ以外に誰が居るの?自分の罪を大声で告白した挙げ句、取り潰されて歴史からも消された家の次期当主だとか言うなんて、私は国王の命令に不満を持つ危険人物です!って自己紹介しているようなものよ?頭悪過ぎでしょ」

「罪の告白?わたくしは、人ひとり破滅させるくらい簡単だと言っただけよ。実際に何かしたとは言っていないわ。勝手な解釈はよして下さる?」

 険しい中に嘲りを混ぜ込んだ目で睨まれ、女主人は肩をすくめた。


「あらあら。気の毒だけど、殆どの人は私と同じ解釈をするわよ?ソフィア様を殺す為にアナタが嘘を広めたってね。その動機は、自分をフッた騎士見習いの主がソフィア様だったから。大きい声でオマエのせいだって言ってたものねー」

 フフフ、と手を口元へやりつつ笑う女主人と、目元をピクピク痙攣させるラピール。

「噂が広まるのって一瞬だから、父親の罰に巻き込まれただとか寝ぼけたこと言っても、もう誰も信じないわよ?」

「それは学のない平民に限っての話ね。貴族は違うわ」

 下賤の者に何が分かると言いたげなラピールの顔を見やり、女主人は目をぱちくりとさせた。

「やぁだ何を言ってるのよ。貴族こそ気にするわよお馬鹿さんねぇ。真実か嘘かなんてどうでもいいの。そんな噂が出回っているのが問題なの。アナタがソフィア様にやった事よ?それがそっくりそのまま返ってくるだけよ?どうして分からないの?頭が悪いにも程があるし本当に貴族だったのか疑わしくなっているわよ?大丈夫?」

 言葉通りの怪訝な顔で畳み掛けられ、流石のラピールも即座に反論出来ない。


 生徒達や通行人は、突如として始まった2人のやり取りを興味深そうに眺めている。

 数十人規模の人垣になっているが、その中にラピールへ助け舟を出してやろうという者は居ないようだ。

 寧ろダメージを与えたいのか、女主人の主張を後押しするかのように、多くの者達が口元を隠しヒソヒソ話をしている。


 これに気付いたラピールの顔は強張った。

「平民の間にだけ広まった噂なんて貴族が真に受けるわけ……」

 分が悪いと感じながらも絞り出した残念な反論は、勝利の微笑みを浮かべた女主人により遮られる。

「だから。そこに真実なんかなくていいんだって言ってるでしょう。面白ければ何でもいいのよ貴族は。社交の場で『ねえご存知?』って盛り上がりたいだけ。アナタも散々見てきたし、醜聞こそ率先して広めたでしょう?」

 事実そうしてソフィアを孤立させたので、ラピールは悔しそうに歯を食いしばるばかりだ。

「出入りの商人辺りから国内の貴族に噂が広まった後は、彼ら彼女らと付き合いのある国外の貴族に広まるわね。国家を乗っ取ろうと企んだ現当主と、横恋慕で人を殺した次期当主が居る伯爵家の話が。もう取り潰されているから怒らせる心配もないし、面白おかしく脚色された劇が異国で上演なんて事になるかも」

 楽しげな女主人とは対照的に、目を見開いたラピールの顔から血の気が引いて行く。


「冗談じゃないわ!そんな事になったら……」

 外国で貴族に戻ってこの国の者達へ復讐するつもりなのに、出来なくなってしまうではないか。

 メードゥの名を隠して隊商に紛れ込むのは可能だとしても、保護して貰うには身分を明かす必要が出てくる。

 その際、妙な演劇の内容が貴族の耳に入っていたら、酷い誤解を招きかねない。

 どうにかして阻止しなければと脳を全力で働かせるも、良い案は浮かばなかった。

「わたくしを怒らせた者が悪いのに!どうしてわたくしがこのような目に遭わなければならないの!お父様さえ失脚していなければ……!」

 あの役立たずめ、と続けそうなラピールの顔をじっくり見やり、女主人は満足げに頷く。

「そう、結局はそこに行き着くのよね。アナタ自身には何の力もない。頼みのお父様だって、居なくなっても誰も困らなかった。寧ろ喜ばれたわ」

 先ほど生徒達の間から聞こえた声を思い出し、ラピールは口元を歪めた。言い返したいのに言葉が出てこない。


「いい?アナタは無力な平民。しかも、私がもう要らないと言ったら今夜の寝床すら失う只の小娘よ。アナタのお父様も、いくらでも替えがきく小物でしかなかった」

 突き付けられた事実を認めるわけには行かず、ギリギリという音が聞こえそうな程に歯を食いしばるラピール。

「あら嫌だ、まだ自分は這い上がれるとでも思っているの?アナタに手を差し伸べる人なんて現れないわよ?ハッキリ言わなきゃ分からないのかしら。プレリ王国を敵に回してまで復活させる価値なんて、メードゥ伯爵家には無いという事よ」

 女主人は、我が子の敵を馬鹿にして遊ぶ母の顔ではなく、大きな商会を仕切る商人の顔で冷たく言い切った。

「メードゥ伯爵に、ウルス侯爵のような強さはない。じゃあ頭脳派かというとそんな事もない。優れた戦略を立てられるわけでもないし、外交が得意なわけでもない。金や裏社会の力を借りなければ、人心を掌握する事も鼓舞する事も出来ない」

 いっそ見事な無い無い尽くしに、ラピールも見守る者達も唖然だ。


「先祖が立てた手柄にしがみついていただけの、無価値な男。ただ、次世代が優秀なら話は変わっていたのだけれど。残念な事にひとり娘は、学業を疎かにして男達と遊び呆けているお馬鹿さんだった。平民にまで『身持ちが悪い』なんて目で見られている女の所へ、優秀な婿なんか来る筈がない。つまり、次期当主もまた無価値」

「わたくしと彼らの間には何もないと言っ……」

「何度言わせるの?真実なんてどうでもいい。どう見られているかが問題なの。周りから見れば、アナタは只々馬鹿でふしだらな娘。父娘揃って無価値だから、担ぎ上げてこの国を転覆させる道具にする事も出来ない。つまり国外からも、利用価値はないと判断されるわけ」

 無駄な反論を弾き飛ばし、女主人は事実だけを述べる。

「公爵家のように、王族の血でも流れていれば馬鹿でも価値はあるけれど、アナタにはそれもないし。信じられないのなら、お隣の帝国で『わたくしは次期メードゥ伯爵よ』と名乗ってごらんなさいな。木っ端役人にも鼻で笑われるわよ、『それがどうかしましたか。脅威ではないし人質にする意味もないので、お好きに観光なさって下さい』ってね」

 ラピールは、まさか国境を守っている貴族相手にそれはないだろう、と思ったが、怖い事に女主人は大真面目な顔だった。

 嘘に違いないと周囲を見回せば、親兄弟から色々と聞いているらしい生徒達が、幾度も頷き肯定している。


「そん……な、そんな筈ないわ……お父様は国境を守る貴族として尊敬され恐れられて……」

「ない。伯爵が無能だから、落とすならあの国境だって思われているの。アナタだって薄々は気付いていたでしょうに。まあ今は、絶対に手を出してはいけない場所だと思われているでしょうけど」

 戦鬼と彼の部下達が陣取っているからね、と付け加えられ、ラピールは呆然と立ち尽くす。

「なんて事……。お父様が無能なせいで、わたくしの評価まで低くなっているのね」

「ちょっとアナタ何を聞いていたの?アナタ自身がちゃんとしていれば、話は違ってたって言ってるでしょう。親が無能でも、それを悪い見本としてアナタは違う道を行けば良かったのよ。もう16でしょう?何も知らない幼児じゃあるまいし、甘ったれるのもいい加減になさいなみっともない」

 ピシャリと叱り飛ばされ、悔しそうに口を開閉させたラピールだったが、結局ひと言も反論出来ぬまま眉根を寄せていた。

「全く、尊厳を守る為に戦われたソフィア様とは大違いね。とは言っても、今更アナタが命を絶った所で、只の平民の死体が出来上がるだけだけど」

 肩をすくめた女主人の言葉で、貴族や騎士でなければ告発状を作り国王へ直接訴える事も出来ないと気付き、命の価値すら失ったのかと目を見開いたラピールはついに崩れ落ちる。


 その様子を屋根の上から眺めていたアルマン。

 鈴音達が見守る中、半透明な彼の姿が少しずつ揺らぎ始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ