第五百八十話 歩くコピー機
そうして、目を泳がせるばかりで一歩も動けない兵士達をよそに、鈴音は国王を探すべく猫の耳を澄ませる。
すると少し離れた場所から、謎の轟音に怯える人々の声が届いた。まさか堅牢な城の扉が吹っ飛んだとは誰も想像しないだろうから、何が起きたのか分からず気が気でないと思われる。
聞こえてくる声には若い男女のものが多く、アルマンの読み通り舞踏会だったようだ。
この集団の中に国王が居れば話は早いが、残念ながら声を知らないので、鈴音には誰が誰やら分からない。
取り敢えず行って確認するかと顎に手をやった時、『恐れながら申し上げます。陛下、お部屋を移られませ』という男声を耳にした。
同時に、『王族だけ安全な場所へ?』『しっ。そうしてくれた方が我らも動き易い』等という親子らしき会話も届く。
これにより、舞踏会が開かれている部屋に国王も居る事が判明した。
「よっしゃ、貴族も王族も全員纏めて同じ部屋やわ。行こ行こ」
声がした方を指差しながら鈴音が歩きだし、ユミトとアルマンも続く。
厄災に等しい存在が国王のもとへ向かっているにも拘らず、盾となるべき兵士達は最後までピクリとも動けず、只々呆然と一行を見送った。
さてこの城、要塞としての機能は縮小され宮殿寄りに改装されているので、見る人が見れば『ヴェルサイユか』『エルミタージュか』と目を輝かせそうな豪華絢爛さを誇る。
しかしド庶民2名と猫には、その良さが伝わらない。
「うーわー、何もかも高そう。怖いから真ん中歩こ」
「あっちもこっちも金色で目が疲れる」
「廊下をこない飾って何の意味があるんや?」
大広間へと続く、美しい回廊を見た感想がこれである。芸術性を理解し目を奪われているのはアルマンだけだ。
「これは凄い。ここまで細かい仕事が出来るなんて、どれほど腕の良い職人を呼んだんだろう。でもその分、とんでもないお金が動いてそうだなぁ」
国内の貴族も他国の要人も圧倒されるのは間違いないが、この規模からして改装費には税金も投入されたと思われる。
もし、上がるばかりで下がる事のない税に苦しむ平民がここを訪れたら、一体何を思うのか。
「絶対に怒るよね……」
ポツリと呟き、アルマンはひっそりと肩をすくめた。
そんなピカピカの回廊を、進んで曲がって暫く行くと。
「お、あった、あの部屋やわ声がするん」
鈴音が指差す先に、これまた豪華な装飾の大扉が現れた。
舞踏会の最中は開いていたであろうそれが、今はきっちりと閉じられており、まるで中に居る人々の心境を表しているかのようだ。
扉の数メートル手前で足を止めた鈴音は、顎に手をやり唸る。
「んー、ビカッと光ったままバーンと乗り込むんは決定として。金髪のクソガキの親父、ナントカ伯爵」
「エクラ伯爵です」
「それ。そいつの悪行も国王の前で晒したいんよね。警備担当で責任者なら中に居てるよね?」
「恐らくは」
頷くアルマンを見ながら、鈴音は考え込んだ。
「告発状持ってったよ、て出したら食い付くかなぁ。内容を検める!とか言うて」
「その場合、誰の告発状かを教えた方がより効果的かと」
「あ、そうか。商都にある学校の生徒のんやで、て言うたらバカ息子が頭に浮かんで、何が何でも確認せなアカン思うかも?」
「はい、私もそう思います」
鈴音とアルマンの意見が一致した所で、ユミトが提案する。
「それならアルマンは隠れてた方がいい。神の使いのそばに悪霊化してない魂が居たら、多分つか絶対に警戒する。息子は捨てて、自分だけ助かろうとするぞ」
「そっか。告発されるんは息子だけ、しかも跡継ぎちゃうし、『まさかそんな悪い事しとったなんて!』とか驚いて見せて、縁切りして自分と家を守る?」
「うんうん、悪徳貴族はそれぐらい平気でやる」
動く死体に狙われた貴族の中には、醜聞を恐れてそういった行動を取る者が居るのだろう。
説得力あるユミトの話に、鈴音は思い切り納得した。
すると、同じく納得した様子のアルマンが、真剣な顔で口を開く。
「あの、そうなるとエクラ伯爵は陛下の前でも平気で嘘を吐きそうですから、囮に使う告発状は私の物にして下さい。私の告発状が燃やされても、お嬢様の告発状が残っていれば問題ありませんし」
強がっているのではなく、本心からそう思っていると分かるアルマンの表情を見て、鈴音はちょっと泣きそうになった。
「問題あるよ。大ありよ。命懸けで書いたもん、読んで欲しい人の手に渡る前に燃やされるとか、絶対アカンて。国王がどんな反応するかは別にして、何が何でも読ませなアカン」
「え、でもそうしたら囮が」
「作るがなそんなん。私を誰や思てんねんな神の使いやで歩くコピー機やで任しときんかいな」
「こぴーき?」
聞き慣れない言葉に首を傾げたアルマンの前で、彼の告発状を取り出した鈴音はまずよく似た紙を魔力で作り、2枚を重ねてインクが下へ染みるようイメージする。
直ぐにそっくり同じ告発状が出来上がった。
「ええ!?」
「何だそ……いや驚かないぞ」
目をまん丸にするアルマンと、唖然としてから慌てて表情を取り繕うユミト。
「よし、上出来や。けど、血の署名は色だけなんよね真似してんの。魔力入ってへんけどバレるかな?」
念動力で浮かせ2枚を見比べた鈴音は、ユミトへ渡して確かめて貰う。
「これが偽物とか嘘だろ……別に驚いてないけど。あ、確かに魔力は感じないな。でもこうやって、じっくり見て触ってやっと気付く程度なんだよな。なんせ最後に書いてあるから」
「ほうほう。つまり国王の前で読んで、『バカ息子の名前書いてあるやんけ!』て慌てまくったら、気付かへんかもしらん?」
「気になるのは署名より内容だろ?最後まで読む前に、息子の名前見た時点で無かった事にしようとするって」
醜い貴族を大勢見てきたユミトが自信満々な笑みを浮かべ、鈴音達は『確かに』とこれまた納得した。
「よっしゃよっしゃ、バッチリやん。国王と他の貴族の前で本性を暴いたろ」
イヒヒヒと悪い魔女の笑みを見せながら、本物の告発状を大切に仕舞った鈴音は、アルマンへ向け大扉横のスペースを手で示す。
「呼ぶまでそこで待っといてくれる?」
「分かりました。あの、神の使いは大丈夫だと思いますが、ユミトさんはお気を付けて。場合によっては、近衛が斬り掛かってくるかもしれません」
心配そうなアルマンへ、ユミトより先に鈴音が口を開いた。
「この人、帝国の武術披露会で優勝確実な実力の持ち主やから、その辺の近衛兵程度やと相手にならへんわ」
「えっ、そうだったんですか!?それは失礼しました!」
驚いて謝るアルマンに負けず劣らず、目と口をパカーッと開けてユミトも驚いている。
「優勝、出来んの俺」
「うん。余裕やで。各国代表は確かに魔法絡めてくるけど、あんたの速さなら躱せる程度やし」
「来年出よう」
フンフンッと鼻息の荒いユミトを見やり、鈴音は渋い顔になった。
「んー、それは神の使い的に聞き逃されへん発言やなー」
「あ、そうか」
近日中に浄化の力を手に入れ、現在の神官より強い立場を手に入れるのだ。皇帝のお抱えになっている場合ではない。
「クソー、何か勿体ねえ気がする!」
「でも忙し過ぎてそれどころちゃう思うよ」
「何で。そんな大量に出ないぞ動く死体も悪霊も」
「そっちやのうて、事務作業的な方で」
悔しそうな顔からキョトンとした顔に変わったユミトへ、まあ追々ねと笑って誤魔化し、鈴音は大扉へ近付いて行く。
「これって中から閂とかしてあるんかな?」
「いえ、舞踏会の会場となるような部屋にそういった物は……、あ、でもここ城でしたね。敵に侵入された際の時間稼ぎ用に、もしかしたらあるかも?」
きらびやかな装飾を見るに確率は低そうだが、無いとも言い切れないなとアルマンは眉根を寄せた。
成る程と頷いた鈴音が微笑む。
「普通は無いけど、お城やから分からんのやね、ありがとう。取り敢えず開けてみて、アカンかったら斬るわ。吹っ飛ばしたら中の人が怪我するかもしらんし」
先ほど見た扉の飛びっぷりを思い出し、アルマンもユミトも『怪我?いやいやあれは当たったら死ぬ』と遠い目だ。
そんな2人の様子には気付かず、ドアノブを掴んだ鈴音はガチャガチャと動かしてみる。
「お、開いたわ」
閂どころか鍵も掛かっていなかったようで、大扉はすんなりと開いた。
大広間には息子や娘を連れた貴族達が集い、一段高く作られた席に国王夫妻が座っている。その脇に王子達が立ち、彼らの目の届く距離に楽団が控えていた。
今夜は15歳を迎える子女のお披露目の日。
地球の社交界とは違い、正装であれば色にきまりは無い為、男女共に鮮やかで会場はさながら花畑だ。
この場で婚約者が内定する事も多々あり、どの家の親も笑顔の裏で瞬時に様々な判断を下している。
そんな真剣勝負の場に、全く以て相応しくない報せが届いたのはつい先程。
火を纏った鳥のような魔物が王都上空に現れ、城へ向かっている、と。
動揺する貴族達へ、国王が『慌てずともよい』と余裕を見せ、『そうだ』『ここが最も安全だ』と落ち着いたのも束の間。
今度は神の使いを名乗る何者かの声が響いた。
次いで、前触れ無しの落雷が3度も。
何が起きたのか兵士からの報告はないし、国王も難しい顔で黙っている。
これはもしかして大変まずい状況なのでは、と再び動揺が広がった所へ、遠くから轟く謎の音。
賢明な一部の貴族は即座に逃げるべきだと考えたが、国王が動かないので言い出せない。
暫くして警備責任者のエクラ伯爵が『恐れながら』と声を掛けたものの、貴族達に『逃げた』と言われたくないのか国王は移動を拒否した。
そんな馬鹿なと青褪める貴族達の耳に、何者かが大扉を開けようとする音が届く。
恐怖を押し殺して振り返った彼らの目に、眩い光が飛び込んできた。
「はい、こんばんはー」
すっとぼけた挨拶と共に姿を見せたのは、小型の獣を抱いた光り輝く若い女性と、帯剣した若い男性だ。
神が復活したという話はどこからも聞こえてこないのに、神の使いを名乗るとは何とつまらぬ冗談かと思っていたら、どう見ても本物が来てしまった。
狼狽える貴族達を一瞥し、神の使いは溜息を吐く。
「あんまジロジロ見んといてー?私も虎ちゃんも注目されんの嫌いやねん」
トラチャンとは後ろの従者の事か、と皆の視線が動くも、目付きの鋭い男はケロリとしていた。
神の使いがせっせと撫でてあやしているのは、小型の獣である。どうやらこれがトラチャンらしい。
よく分からないが、逆らってもいい事はなさそうなので、貴族達はそっと目を伏せたり国王の方を向いたりして視線を外した。
「おお、みんなええ人やん。その調子で国王の方見といてねー」
威厳の欠片もない口調でそう告げて笑い、神の使いは国王以下王族が並ぶ席へ歩を進める。
その時、近衛兵が素早く横並びになって行く手を塞ぎ、真ん中のエクラ伯爵が一歩前へ出た。
「待て!そこで止まれ!」
まさかの命令形に、貴族達はギョッとして神の使いを見る。幸い、怒ってはいないようだ。素直に立ち止まって不思議そうにしている。
それをどう解釈したのか知らないが、エクラ伯爵の高圧的な物言いは続いた。
「神の使いを騙る不届き者め!ここがどこか分かっているのか!国王陛下の御前である!平伏せよ!」
精鋭部隊を従えているからか、どこまでも強気だ。
しかし相手はどう見ても本物の神の使いである。平伏すべきはこちらでは、と顔を引き攣らせた貴族達はジリジリと後退った。
案の定、神の使いが呆れた様子で注意する。
「本物やっちゅうねん。こんな全身光る人見たことある?ないやろ?あんまり失礼やと流石に怒るよ?」
口を尖らせて文句を言う姿に恐ろしさは感じられず、それがエクラ伯爵の勘違いを加速させているようだ。
「魔力灯を応用したカラクリがあるのだろう!だが今更それを明かし謝罪したとて遅い!この狼藉者共を斬り捨てよ!」
号令と同時に近衛兵達が抜剣し、神の使いと従者へ一斉に斬り掛かった。
一体どうなるのかと目を見張った貴族達の視界で、理解不能な現象が起きる。
神の使いへ向かった5人が纏めて後方へ吹っ飛び、腹を押さえてのた打ち回ったかと思えば。
従者へ向かった5人は揃いも揃って剣を取り落とし、脂汗を滲ませつつ手首を押さえて膝をついた。
神の使いも従者も、その場から動いたようには見えないのに。
「回復薬ある?私がシバいた人ら、内臓が残念な事になってる筈やから、早よ回復させな危ないで?」
「俺が剣の峰で殴った奴らは、手首の骨が駄目かもな」
涼しい顔で仲良くそんな事を言う。
ここには武勇に優れた侯爵なども居るが、『見えなかった』と首を振っていた。
当然ながらエクラ伯爵に見える筈もなく。
「そんな……そんな馬鹿な」
わなわなと震えながら後退る彼へ、貴族達は非難の目を向けた。『死にたいなら勝手に死ねばいい。だが我々を巻き込むな』そんな目だ。
「ちょっとー、回復薬はー?さっさとせな人殺しになってまうやん」
そういった貴族同士の関係性なぞどうでもいいらしい神の使いが、のた打ち回る近衛兵を見下ろし不機嫌になった所で、宙空に茶色い小瓶が現れた。
「お!ありがとうございまーす。助かります」
一瞬で機嫌を直した神の使いがそれを掴むと、何もしていないのに瓶の蓋が開く。
「はい、神様特製の回復薬やで」
サラッととんでもない発言をしながら、内臓をやられた兵士にも手首の骨をやられた兵士にも、まんべんなく水滴を振り掛けた。
すると奇跡が起こり、全員があっという間に回復。薬を飲んでもいないのに、だ。
この結果に貴族達は勿論、国王達も目をまん丸にしている。
すっかり元気になった近衛兵達は、極々自然に神の使いへ向き直り、躊躇う事なく膝をついて静かに頭を垂れた。
神の使いも満足そうだ。
「はいはい、もうええよ。あんたらは命令に従っただけ、普通に仕事しただけやし。けど、私の助手が優しぃて良かったね。手首スパーンと落とされとったら、くっついたかどうか分からへんよ?」
怖過ぎる話に近衛兵達は固まったものの、もう少し相手の強さを見極められるようになれという助言だと受け取って、神妙な面持ちで頷いた。
よしよしと笑った神の使いは、その柔らかい表情のまま国王を見やる。
「ほな本題に入ろかな」
近衛兵が脇へ退いた事で、国王夫妻が座る席までは障害物なしの一直線だ。
キリリと顔を引き締め、どこからか筒状に丸められた紙を取り出した神の使いが、国王を見つめて言う。
「告発状を持ってきましたよ。商都デスタンの学校に通う男子生徒が命を捨てて書き記した、魂の訴えです。読みますか?」
問われた国王が頷くより早く、エクラ伯爵が直線上に割って入る。
「お待ちを。それの内容を確認するのが、私の本来の仕事でしてね。こちらへ渡していただけますか」
「フーン?」
急に立ち直ったエクラ伯爵を疑う事なく、神の使いは言われた通り告発状を彼に渡した。
この後に何が起きるか知っているような目で、じっと見つめながら。




