第五百七十四話 予定通り……?
ラピールをエスコートしているのは、彼女と同じ鳶色の髪の中年男性。
30代半ばだと思われるが、弛んだ顎周りと太めな腹周りのせいでもう少し上に見える。目鼻立ちは整っているので、『痩せたらイケメンだよねー』と言われるタイプだ。
アイドル級の男子ばかりを侍らせているラピールからすれば、父親のこの体型はいただけないのだろう。嫌悪感を隠そうとして隠し切れていない、貼り付けたような笑みが実に印象的だ。
その微妙な笑顔のままラピールがカフェのテラス席を見やり、頷いた金髪男子が笑いを堪えつつ軽く手を挙げる。
「やあ、メードゥ伯爵令嬢じゃないか?」
「まあ!エクラ伯爵令息、偶然ですね?皆さんでお勉強の続きかしら」
娘が立ち止まった為、伯爵も足を止め制服姿の少年達へ視線をやった。
すかさずラピールは打ち合わせ通りの説明をする。
「お父様、同じ教室で学んでいる男子達よ。女子からとても人気があるのだけれど、いつもはあの通り男子だけで集まって、難しいお話ばかりなさっているの」
「ほほう」
「今日はお父様が一緒だから、声を掛けていただけたのね」
いつの間にか立ち上がっていた取り巻き達が、胸に手を当て軽く頭を下げた。
笑顔のラピールが父を促し取り巻き達に近付くと、彼らの自己紹介が始まる。それにより、取り巻き達は伯爵家や子爵家の次男三男ばかりだと判明した
会話を耳にした鈴音は、お茶を飲みながら半眼になる。
「次男三男て。例外はあるにせよ、普通は婿に行くか、自力で手柄立てるかせな平民街道まっしぐらちゃうの?」
「継ぐ家やら職のない奴は、軍に入るんやったか」
小首を傾げる虎吉に鈴音は頷いた。
「軍に馴染まれへん人が用心棒んなって、そこにも馴染まれへん人が狩人になるとか聞いたよね。でも勉強もせんと遊んで、お嬢ちゃんのご機嫌取りでイジメに手ぇ染めるような奴、そのどこにも必要とされへん思うねんけど」
「根性なさそうやから、軍なんか1日で脱走しそうやもんな。盗賊やら魔物やらと戦う用心棒は命懸けやし、動く死体を斬らなアカン狩人も心が強ないと無理や」
「そうやんねぇ。もしかして全員、クズ伯爵んとこに婿入りする気?」
顎に手をやった鈴音を見上げ、虎吉が笑う。
「そないようけ旦那は要らんやろ」
「ほな、『選ばれるんは俺やのに、コイツら遊んどって平気なんか?』とか全員が思てる?」
「多分それや」
あららー、と顔を見合わせて半笑いになり、ふたりは盗み聞きに戻った。
「今日は娘の髪飾りを探しにきたのだよ」
「学校に着けて行ってもおかしくない物が欲しくて。あっ、そうだわお父様。皆さんにも一緒にきていただけないかしら。同世代の殿方の目に、品良く映るか確かめたいの」
腕をキュッと掴んで上目遣い、という必殺技を繰り出した娘に、父はあっさり陥落。
「どうかね君達、娘の我儘に付き合っては貰えないか」
伯爵に問われた取り巻き達は、にこやかに頷いた。
「喜んでお供します」
代表して金髪が答え、視線で店員を呼ぶ。
「じゃあ今日の支払いは私が」
その金髪がさらりと言えば、茶髪が首を振り。
「いや私の番だろう」
「キミは以前支払った筈だ、私の番だよ」
黒髪も他の取り巻きも割って入って、日本のオバサン達もびっくりな『ここは私が』バトル勃発。
「あら大変。お父様、どうにかしてさしあげて」
「そうだな、ここは私が持つとしよう。君達には娘の為に貴重な時間を割いて貰うのだし」
ラピールのひと声で伯爵が頷き、取り巻き達は驚いた顔を見せる。
「そんな、それは流石に……」
「かまわんさ。そこの者、請求はメードゥ伯爵家へ」
「かしこまりました」
店員がそう返事をしてしまったので、『これ以上なにか言うのも』という表情になった取り巻き達は、伯爵へ素直に礼を告げた。
「ありがとうございます。この御恩はいずれ必ずお返し致します」
「ハハハ、おおげさな。では行こうか」
鷹揚に笑い宝飾品店へ目を向けた伯爵は、娘と取り巻き達の『予定通り』な笑みには気付かない。
残念な大人だなあと呆れつつ、こっちも店へ入らなければと店員を呼んで支払いを済ませた鈴音は、虎吉を抱いて立ち上がった。
すると。
「まあ!あれは何!?」
偶々こちらを見たらしいラピールが、鈴音へ視線を固定して驚いている。
いや、見ているのは鈴音ではなく、虎吉のようだ。
「お父様、あんな動物をご覧になった事があって?」
ラピールに聞かれた伯爵も虎吉を見やり、怪訝な顔で首を傾げる。
「さて、王宮でも見た事はないな」
「そうよね!あんな宝石のような目をした美しい動物が居たら、話題にならない筈がないもの!」
「確かに、毛皮の縞模様も美しいな」
同意した伯爵を引っ張るようにして、ラピールが鈴音へと近付いてきた。
「そこのあなた!その動物を渡しなさい!」
そうする事が当然といった顔で命令され、鈴音は唖然とし虎吉は耳を後ろへ反らす。
「聞こえないの?それはわたくしが飼うわ。こちらへ渡しなさい」
両手を出してそんな事を言うラピールに、虎吉が低く唸り始めた。
暴れないでねと頭を指先で撫で、鈴音は真顔で返す。
「虎ちゃんが嫌や言うてるから無理」
スパッとかバサッとかいう効果音が聞こえそうな勢いのお断りに、誰もが一瞬なにを言われたのか分からなかったらしく妙な間が開いた。
ややあって意味を正しく理解したラピールの顔が醜く歪み、背後に居た取り巻き達が鈴音を囲むように前へ出る。
「オマエ、まさかこちらの御方がどなたか知らんのか?」
「畏れ多くもメードゥ伯爵とそのご令嬢だ」
「そして我々もまた貴族だ」
「平民風情が誰に何を言ったか理解したか?」
「理解したなら今すぐ跪け!」
蔑んだ目で鈴音を睨みながら、地面を指差す取り巻き。
ラピールは憎々しげに、伯爵は冷ややかに、鈴音を見ている。
遠巻きにしている通行人や店員達は、『あーあ、問題児軍団がまたやってるよ』と気の毒そうな顔だ。皆、この憐れな外国人が平伏す様を想像しているに違いない。
しかし。
「貴族いうんは、この国の貴族?」
全員の視線を物ともせず、真顔で鈴音は聞き返した。
予想外の反応にギョッとした取り巻き達だったが、即座に立て直す。
「当たり前だ!異国の者だからとて容赦はしない!」
「平民の分際でその態度、赦されると思うな!」
吠える取り巻きの後ろから、不自然に甘ったるい声が割り込んだ。
「あら、赦してあげてもいいのよ?それをこちらへ渡してきちんと謝罪するなら」
ニヤニヤというかニタニタというか、弱者を追い詰めいたぶる事に快感を覚えているのが丸わかりの笑みで、ラピールが“優しいわたくし”を演出する。
普通はこれで彼女らの望む展開になるのだろうが、今回は相手が悪かった。
「え?謝らへんけど?」
再びのバッサリ。
これには父親が横に居るのも忘れ、良い子の仮面を粉々にしてラピールが吠える。
「だったら死になさい!このわたくしに口答えする平民など生きていていい筈がないわ!この場で首を刎ねてやる!」
鼻筋に皺を寄せて叫ぶ娘を引き気味の顔で見てから、伯爵は鈴音へ鬱陶しそうな目を向けた。
「路端に転がる小石程の価値すらない下民が、我が宝たる娘を怒らせるな。誰ぞ治安維持部隊を呼べ、伯爵への不敬であるぞ」
何故ここまで逆らうのやら、と言いたげな顔をしていた伯爵は、虎吉がじゃれつく振りで鈴音の首元から引っ張り出した物に目を留める。
「あ、こらこら虎ちゃん。これは陛下から賜った大事なもんやねんでー?オモチャにしたらアカンねんでー?」
微笑んだ鈴音の胸元で銀色に光る、恐ろしく精巧な造りの紋章。
「陛下?どこの田舎の王国か知らんが、小銀貨程度の価値はありそうだな。それも一緒に……」
偉そうに言いながら手を伸ばした金髪へ、伯爵の怒声が飛ぶ。
「やめろ馬鹿者!!キサマ伯爵家の生まれでありながらその紋章を知らんのか!!有り得んぞ!!」
まさか怒鳴られるとは思ってもみなかったのだろう、反射的に手を引っ込めた金髪は目を白黒とさせていた。
「お、お父様?」
訝しげに見上げてくる娘に、伯爵は顔を引き攣らせる。
「ラピール、お前もか……!」
どこかで聞いたようなセリフに、『予想外の裏切りに遭うたらホンマにこんなん言うんやな』と鈴音は笑いを堪えるのに必死だ。
そのギュッと結ばれた口元をどう見たのか、真っ青になった伯爵が叫ぶ。
「それはレーヴェ帝国皇家の紋章だ!皇族しか持てない!つまりそちらの御方は……」
もしかしなくても皇女かと遠巻きに見ていた野次馬が驚き、平民平民と蔑み罵倒していた取り巻き達とラピールは青褪めて後退った。
そんな彼らを見回し、鈴音はにっこりと笑う。
「バレたか残念。けど皇女ではないねん、武術指南役や。その強さで他所の国に行かれたら困る、ウチだけの兵器で居ってくれ、その代わり身分は保証するから、て皇帝陛下に頼まれてしもてなぁ」
紋章を摘んで揺らし、ポケットから皇帝のサイン入り身分証を出して見せた。
「……兵器……」
武術指南役と聞いて、自身より格上には違いないが皇女よりはマシかと思った伯爵だったが、皇帝が紋章を渡してまで引き留める強さだと知り震え上がる。
「そ、その、帝国の武術指南役だなどとは思いもよらず、大変なご無礼を……」
「えー?謝る時はどないするんやったー?さっきそこのクソガキ共が何ぞ言うとったやんねえ?えっっっらそーにさあー」
つまらなそうな表情で伯爵の言葉を遮った鈴音に指差され、取り巻き達は屈辱に顔を歪めながら互いの様子を窺った。
「おや?謝る気はない?ほなあれやな、この場で首を刎ねるんやんな?それがこの国の決まり事なんやろ?」
今度はラピールを指差し、その指で首を落とす仕草をして見せる。
怯みながらも悔しそうに唇を噛むラピールと、その横で葛藤する伯爵。
こんな往来で、それこそ平民も見ている前で、貴族が膝をついて謝罪するなどプライドが許さないのだろう。
グズグズと時間を稼いでいれば治安維持部隊が来て、『まあまあここは我々に免じて』だとか執り成してくれると思っているのかもしれない。
「フーン、ここまで言うてもその態度ね。よっしゃ、剣ならあるし、とっとと叩っ斬ろか」
どう見ても丸腰な鈴音の発言に首を傾げていた野次馬達は、ジャケットのポケットからスルスルと引っ張り出された剣を見て、顎が外れんばかりに驚いた。
鈴音が無限袋から出したのは、以前シオンの世界で陽彦に貸した元魔剣である。
神剣だと溢れた神力で多くの人が失神するかもしれないので、抜群の斬れ味は残しながらも浄化済みの魔剣にした。
ただこの魔剣、陽彦向けなのでそれは見事な厨二仕様だ。
ところが、鈴音には乾いた笑いしか出ない無駄に禍々しいデザインも、魔法やゾンビが実在する世界の住人にとっては、華奢な女性を皇帝が兵器と呼ぶのに相応しい理由として映った。
伯爵やラピール達も恐怖に顔を強張らせ、どうすればこの場を切り抜けられるか必死に考えている。
「さてと。誰から死ぬー?」
軽い調子で恐ろしい問い掛けをする鈴音の目を見た伯爵は、そこに人らしい感情の欠片も宿っていないと気付き、貴族の誇りより命が大事だとばかり膝と両手を地面についた。
「こっ、この通りにございます!どうか、命ばかりはご容赦を……!」
冷や汗まみれの顔で鈴音を見上げる伯爵と、信じられないという表情で父を見下ろすラピール。
取り巻き達も、せめて場所を移すべきだろうと言いたげに眉を顰めた。
「成る程?先に死ぬんはクソガキ共やな?」
ブンッ、と音を立てて振った剣でラピールを示し鈴音が笑えば、慌てふためいた伯爵が娘の腕を強く引いて跪かせる。
「痛い!ちょっとお父様……」
「バカ娘が!武術指南役だぞ!人を斬る事に躊躇いなぞあるものか!たとえそれが戦場でなくともだ!」
父に生まれて初めての剣幕で叱り飛ばされ、ラピールも漸く自らの認識の甘さを理解した。
青い顔で大人しく地べたに膝をついたラピールを見て、取り巻き達も嫌々ながらそれに倣う。
「どうか、命だけはお助け下さい」
野次馬達が驚きの表情でヒソヒソやる中、伯爵は地面に手をついての命乞い。
ラピールと取り巻き達も、一応は同じポーズを取っている。
「命だけは、か」
そう呟いてからニヤリと悪い笑みを浮かべ、鈴音は剣先を伯爵へ向けた。
「そうやね、あんたのそのバカ娘、国境の街の神官に差し出すんやったら助けたるわ」
「……は……ッ?」
何を言われたのか分からない、という顔で瞬きを繰り返す伯爵の頬を、剣の腹でピタピタと叩く。
「せやからぁー、アンタが今までやってきた通り、あの街の神官へ娘を売り飛ばせ言うてんねん」
よく通る鈴音の声を聞いた野次馬達の反応は、『どういう事だ?』と『噂は本当だったのか』の2通りに別れた。
ラピールと取り巻き達は後者だったようで、『冗談じゃないわ』『そんな事になったら婿入り先が』と猫の耳でなければ聞こえない声量で呟いている。
「な、何を仰っているのか、私にはさっぱり……」
「あはは!今更やで。あの街の神官が吐いたんやから。神官が気に入った平民の女性にメードゥ伯爵が近付いて、わざとぶつかるなり何なりで無礼者扱いして、赦して欲しかったら神官と性行為してこい言う。慰謝料は平民が払える額ちゃうから、女性らは泣く泣く神官のとこへ行く」
猫と出くわしてしまった鼠よろしく固まって動けない伯爵の顎からは、ボタボタと冷や汗が滴っていた。
「自分の性欲満たしてスッキリした神官は、ご苦労さんまた頼むわ、て伯爵へ報酬を渡す。その金は娘の小遣いにでもなったんかな?他所の娘さん売り飛ばした金を渡す父親も父親やし、その金で男友達と遊びまくる娘も娘よねぇ」
肩をすくめ軽蔑の眼差しを向けた鈴音を反射的に見返し、ラピールは抗議の声を上げる。
「そんな、誤解を招くような言い方をなさらないで下さる!?」
「えー?もう何人かと性的な関係になってるんやろ?」
顎で取り巻き達を示す鈴音と、愕然としている父へ視線を行き来させ、怒りで顔を真っ赤にしたラピールが吠えた。
「そんな訳ないでしょう!?何故わたくしがこんな頭の悪い者達とそのような関係になる必要があるのですか!」
この言い草に驚いたのは取り巻き達だ。
「ラピール!?どういう事だ!」
恐ろしい剣を手にした鈴音の存在も忘れ、自分達のお姫様に食って掛かる。
うっかり本音が、と舌打ちでもしそうな顔をしたラピールだが、一瞬で開き直った。
「どうもこうもないわ。あなた達とは学校に居る間だけの健全なお付き合いよ。当たり前でしょう?我が家の婿になる方は、頭脳明晰かつ爵位が上でなくては」
もはや完全に見下した態度を取るラピールと、怒りに拳を震わせる取り巻き達。
このまま醜い痴話喧嘩に突入かと期待する鈴音と野次馬達の耳に、遠くから緊迫した大声が届く。
「動く死体だーーー!動く死体が出たぞーーー!剣を持った動く死体が、メードゥ伯爵令嬢とその男友達の名前を呼びながら、こっちへ向かってるぞーーー!」
なんじゃそりゃ、と振り向いた鈴音の視界に、治安維持部隊の制服が映った。
2人組の隊員は、鈴音を見付け『あっ!』と叫んで駆け寄ってくる。
「遅くなりました!帝国の武術指南役に我が国の貴族が無礼を働いたと聞いたのですが、あなた様が……?」
彼らは朝の神殿で会った隊員達とは違うので、余計な事を言う心配はなさそうだと安心し、鈴音は頷いた。
「レーヴェ帝国武術指南役の鈴音です。無礼者は自力で処理するんでお気になさらず。それより、動く死体が剣を持ってるんですか?」
「はい!長剣を持っていました!今回の件が当て嵌まるかは分かりませんが、騎士などは剣と共に埋葬したりしますので、稀に武器を手にした動く死体も現れます!」
直立不動な隊員の答えに、鈴音は首を傾げる。
「当て嵌まるか分からへんいう事は、今回の死体は騎士ではないんですか」
「はい!学校の制服を着ていますので!」
「は!?」
目を丸くした鈴音の頬を、虎吉が前足でチョイチョイと触った。
「逃げたで」
「へ?」
言われて視線を移せば、そこに伯爵とラピールの姿も、取り巻き達の姿もない。
「うわ、馬車もクソガキ共の鞄も消えとるがな。いやまあ大丈夫やわ、動く死体に狙われてんねんから、行き先は神殿しかあらへんし」
隊員との会話に集中している間に、伯爵父娘は馬車で、取り巻き達は駆け足で逃げたのだろう。
「えーと、動く死体の標的は神殿へ向かいましたんで、私もそっちへ行こ思います。あなた方は、一般市民が動く死体と接触せんよう誘導したげて下さい」
「心得ました!」
とても良い返事をするやすっ飛んで行く隊員達を見送り、鈴音は小さく笑う。
「真面目な人もちゃんと居るんや、良かった。それにしても、制服着て剣持ってるゾンビてどういう事?あのクズ共、まさか人殺しまでしてたん?」
「どうなんやろな。行ってみたら分かるやろ」
「……うん。あんまりアレな見た目やない事を祈ろ」
そう言いながら虎吉の頭に鼻を引っ付け深呼吸した鈴音は、魔剣を無限袋に仕舞い野次馬達に手を振って、地面を蹴った。




