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第五百六十九話 狩人

 朝の清々しい空気を楽しみながら屋根を歩いていた鈴音は、神殿へ近付くにつれ何となく嫌な気配を感じ取る。

 国境の街の神殿と同じく、ここの神殿も澱のようなモノに包まれているのだろうか、と眉を顰めつつ進めば、騒がしい声も聞こえ始めた。

 猫の耳が拾ったのは、『私は悪くない!』という若い女のヒステリックな声と、不気味な雑音だらけの低音による『浮気』『財産』『赦さない』という不穏な言葉。

「ちょ、待って、これ、もしかして」

 ピタリと足を止め引き攣った笑みを浮かべる鈴音へ、鼻をフンフンと動かした虎吉が答える。

「死臭やな。ゾンビちゃうか」

「やっぱり!?ついに出た……!」

 自然と嫌そうな顔になり、鈴音は悩んだ。


「女の人は助けてとか言うてへんから、もう結界の中やんね?」

「おう」

「ほなこのまま回れ右しても……」

「狩人に会えるんちゃうか?どうせ今ヒマなんやし、話するのに丁度ええやろ」

「うぐ、ソウデスヨネー」

 虎吉からド正論をぶつけられた鈴音は、只々頷くしかない。

 強烈な腐臭はしないから、そこまでアレな見た目にはなっていない筈だと己に言い聞かせ、恐る恐る歩みを進めた。

「あ、狼煙が上がってる。城壁ちゃうから、治安維持部隊の詰所で上げてんのかな?」

 遠くに見える、一筋の赤い煙。

 神殿に逃げ込んだ女性の関係者が詰所へ駆け込み、隊員が狩人の集落へ向けて合図しているのだろう。


「何分ぐらいで着くもんなんやろ。待ってる方からしたら、めっちゃ長く感じるやろね」

「せやな。集落は街の外やもんな。馬で来てもそこそこ時間掛かるやろ」

 神殿は巨大な街の中心部にあるので、防衛上わざと曲がり角が多く作られた道を抜けてこなければならない。

 早朝とは言え、飲食店に食材を運ぶ荷馬車や荷車がそこそこ行き交っているので、馬に全力を出させたら危なそうだ。

「10分15分は掛かるんかなぁ……」

 そう呟いた直後、鈴音と虎吉の耳は猛スピードで走る人の足音を捉えた。それも複数。

「え?あーそうか、筋力強化の魔法使(つこ)て自力で走って来てる?」

「おう、その手があったか」

「ね。この世界の魔法はあんまり発展してへんのに、車並みのスピード出せるて中々や思う。優秀な戦闘員なんやなぁ狩人て」

 感心した鈴音は、遅れてはいけないと自身も屋根の上を走った。

 その先に何が居るのかをすっかり忘れて。



「ぎゃー、しもたー」

 大通りに面した神殿の、斜向かいの屋根に立ち、ばっちり動く死体を見てしまった鈴音が遠い目になっている。

「別に怖ないやろ。見た目には殆ど腐っとらへんし」

 虎吉の言う通り、神殿をドーム状に包む結界に体当たりをしているのは、絶命してからまだ数時間程度だと思われる男性の死体で、腐敗した箇所は見当たらない。

 ただ。

「首がアカン角度になってた」

 これである。

 異様に色白なだけなら、日本で遭遇する悪霊と大差ないので鈴音も恐れはしないが、首がグラグラというかグラングランなのは駄目だ。

「どんな死に方したらあんなんなるん?殺された言うてたし、えげつない勢いでブン殴られて首の骨ボキッと行ってしもたんやろか」

「どうやろな。こっち向いたら殴られとるか分かるねんけどな」

 右へ左へ首を傾げながら、虎吉は喚いて暴れる死体を観察した。

 そこへ、全力で走ってきた狩人達が到着する。


 背丈が様々な5人組だ。

 手袋から靴に至るまで全身黒尽くめで、全員がローブのフードをしっかり被っているので、屋根の上からでは表情は勿論、性別も分からない。

「汚れが目立たへん色を選んだ結果なんやろね」

「おう。死体をバラバラにするんやったら、色々と付きそうやもんな」

「ひー、想像してもたー」

 鈴音が自身の逞しい想像力を呪っている間に、狩人達は動く死体を囲むようにして距離を詰めて行く。

 その途中で、5人の真ん中に立つ人物が神殿へ向け声を掛けた。

「狩人が依頼者に尋ねる!この死体、明らかにおかしな死に方をしているが、治安維持部隊へ報告はしたか!」

 殺人の疑いがある場合はこういった問い掛けもするのか、と感心した鈴音は同時に、『若い男の声……どっかで聞いた声やなー?』とも思っている。

 誰だっけ、と記憶を探る鈴音を邪魔するように、神殿内からキーキーと高い声が返ってきた。


「死に方とか知らないしどうでもいいし!私は襲われてんの!見りゃ分かるでしょ!?さっさと助けろ!」

「うわ助ける気なくなるわー。何様のつもりやねん偉そうに」

「ホンマやな。食われたらええのにな」

 思考を中断した鈴音と呆れる虎吉をよそに、狩人達は目で会話して頷き合い、1人がどこかへ走って行く。

「治安維持部隊を呼びに行ったっぽいね」

「おう。せやけど、こういう事があるんやったら、狩人呼んでくれ言われた時に調べにきといたらええのにな」

「そない思う。死因が分からんぐらい傷んでたら骨折り損やし、呼ばれてからでええわ、みたいな考え方なんかな」

「そうかもしらんな。襲われとるんが貴族やったらそうも行かんやろけども」

「あの口の悪さからして平民丸出しやもんねぇ」

 お里が知れる、の典型的な例だろう。


「神官の方は、お金さえ(はろ)てくれたら殺人犯かどうかも気にせぇへんのやろか」

 鈴音がそんな疑問を口にすると、タイミング良く神殿内から中年男性の声がした。

「そなた、人殺しもしくはその仲間か。ならばこれ以上守ってやる必要はないなあ」

 ネチネチとかネバネバとかいう効果音を入れたくなる、実に嫌味ったらしい言い方だ。

 お陰でこの神官が何を求めているのか鈴音には直ぐ分かったが、依頼者にはピンとこなかったらしい。

「ええ!?私何もしてませんけど!私は悪くない!」

「動く死体に狙われておいて、何もしていないは通らんだろうよ。おっといかん、うっかり結界を解いてしまいそうだー」

 見事な棒読みに鈴音と虎吉がスナギツネと化す中、漸く依頼者も神官が何を要求しているか分かったようだ。

「こ、これで!これでもうちょっとお願いします!」

 足音と金属音に続き、神官の溜息が聞こえる。

「これでは後15分が限界だ。金貨なら話は別だったんだがなあ」

「金貨なんてあのケチが持たせてくれるワケないでしょ!?……あっ、いえ」

「あのケチとはどのケチなんだろうなあ。いやあ面白くなってきたではないか」

 ニタニタ笑っていそうな神官の声に鈴音が顔を顰めていると、馬に乗った治安維持部隊を引き連れて狩人が戻ってきた。


 3人の隊員は馬から降りると、とても嫌そうに動く死体へ近付いて行く。

「あー、生きている間に出来たアザがあるぞ」

「何度か殴られて死んだか」

「その時点で首がこうでは、この内出血がおかしい」

 あっちこっちと指を差して確認し、隊員達は頷き合った。

「つまり首は不要な(とど)めだ」

「死んだという確証が欲しかったのか」

「その結果がこれとは、何たる皮肉だろうな」

 全員が呆れ顔で肩をすくめ、狩人のリーダー格を見る。

「殺人だ。依頼者の身柄を押さえてくるから暫し待て」

 黙って頷いた狩人を残し、隊員達が神殿内へ入って行った。

「ちょっと、何す、離して!離せ馬鹿!そっちにはアイツが!」

 抵抗しているらしい女の声に続き、溜息交じりな隊員の声がする。

「神官様、今暫くのご協力を」

「あと10分だ」

「それだけあれば充分です」

 そんな会話を交わし、隊員達は女を引きずるようにして出てきた。


「キャァア!気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!死んだクセに動いてんじゃねぇよ!」

 動く死体を目にした女の暴言に、『そこだけは同意』と鈴音は半笑いだ。

 動く死体は動く死体で、標的を前にして興奮したのか両手で結界を叩き、『浮気女』『財産狙い』と片言で吠えている。

「ひー。あの据わっとらへん首で何で喋れんの」

「さあなあ。そもそも動くんがおかしいし今更やろ」

 目を逸らしたままビビりまくる鈴音と、この後どうするのか興味津々な虎吉。

 隊員達は女を引きずって結界の端、動く死体の方へ。

「やめろ!離せ馬鹿!あの人は!?あの人はどこよ!」

 女が言うあの人とやらが、殺人の実行犯なのだろう。となると、馬鹿正直に出てくる筈がないと誰もが思う。


「情夫を探しとるんか?疾うに逃げた後やろ」

 くあーっと大あくびする虎吉に、鈴音はよそ見したまま頷いた。

「うん。最初に詰所へ駆け込んだんがその間男で、そのままトンズラちゃうかな」

「別行動したらそないなるよな」

「ね。ケチとか浮気女とか財産とか聞こえたから、あの女の人が間男と結託して、旦那殺してお金ごっそり奪う計画やったんやろね。ところが何かの弾みで旦那にバレて、その場の勢いで間男が殺してしもたと」

「勢いか。せやな、殺されたて分からんようにスッと死んで貰わな、恨みでこないなるんは目に見えとるもんな」

 神が死者による復讐を容認している世界で、恨まれないように人を殺すのは中々ハードルが高そうだ。

「痴情のもつれもお金の問題も、澱の素みたいなもんやからねぇ。それダブルでやらかした上で雑な殺し方したら、ああなるよね当然ね」

「おう、男の方は女と別れたかったんちゃうかて疑うぐらい、雑やな」

 虎吉の視界では隊員達がジリジリと動く死体に近付き、観念した女が鈴音の予想した通りの事を白状している。


「もう全部喋ったんだからいいでしょ!?さっさとソレ片付けなよ!もうすぐ結界が消えるんだよ!」

 夫をソレ呼ばわりする女をじっと見て、狩人は口を開いた。

「前金で小金貨1枚だ」

「はあ!?何でそんな高いのさ!?相場は大銀貨5枚だろ!」

 目を剥いて喚く女へ、淡々と狩人が返す。

「犯罪者はアンタで、この人は被害者だ。本来なら斬る必要のない相手を斬るんだから、手間賃が掛かるに決まってるだろ」

「ふっざけんじゃないよ狩人の分際で!とっとと仕事しろクズ野郎共が!」

 口汚く罵る女に肩をすくめた狩人達は、やってられないとばかり回れ右をした。

 途端に女は慌てだす。

「ま、待ちなって!見捨てる気!?ソレに襲われて死んだら、今度は私がアンタら恨んで動く死体になるよ!」

「へぇ……俺達に勝てるとでも?」

 振り向いた狩人の冷ややかな声に、息を呑んだ女は目を逸らした。


「もっ、持ち合わせが無いんだよ!さっき神官様に追加で払ったから!」

「それじゃ話にならない。多いんだってよ、事が済んだら代金踏み倒そうとする奴。だから前金じゃなきゃ俺達は仕事しない」

 取り付く島もない返答に焦った女が、自身を捕らえた隊員を見上げる。

「あんな事言ってるんだけど!いいの!?あれで!」

「今じゃ常識だからなぁ。別に俺が世話になる事はないから気にならない」

「動く死体は復讐を終えたら魂が抜けるらしいから、埋葬すりゃいいだけだし」

「オマエが動く死体になっても、狩人に斬られて終わりだし、俺達は何も困らないな」

 結論、どうでもいい。

 助ける気ゼロな隊員達の態度に顔を引き攣らせた女は、この場に味方など1人も居ないのだと漸く気付いた。

 このままでは動く死体に殺される、と青褪めたその時、どこからともなく声が降ってくる。


「そのお金、私が立て替えたらアカン?」

 全員の視線が、通りを挟んで神殿の斜め前にある建物の方へ向いた。

 珍しい動物を抱いた焦げ茶色のローブの女が、誰に話し掛けているのかよく分からない方へ顔を向け、建物の前に立っている。

 その姿を見た狩人のリーダー格が、少し慌てたように再びの回れ右。動く死体側を向いた。


「別に、誰が払ってくれても構わないが。アンタこの女の知り合いなのか?」

 焦げ茶色ローブの女こと鈴音に背を向けたままリーダー格が問い掛け、誰も居ない方を向いたまま鈴音が答える。

「赤の他人やし只の通りすがりやけど。話聞こえてしもたし。その動く死体の人、被害者やのにさ。いっときの恨みで人殺しなんかしたら、神のもとへ行ってからメッチャ後悔する思うねん。何であんなしょーーーもない女なんか殺したんやろ、て」

 つまらない、無価値だ、と言われた女は歯を食いしばって堪えた。金貨を立て替えて貰えなければ、ここで人生終了なのだ。キレてどうする、と自身に言い聞かせて。

 鈴音は全く気付いていない表情で、話を続けている。

「死体やから武器持ってへんし、殺るとなったら噛みついたり、それこそ力任せに首へし折ったりやん?絶対忘れられへん感覚が残るよね。生きてる内にする復讐は好きにしたらええけどさ。死に際の混乱した感情に翻弄されての復讐は微妙。思いを遂げさせてやりたい場合もあるけど、この人のんは阻止やわ。憎い妻は捕まってんねんし、実行犯も時間の問題やろし」

 思わずといった様子で振り向いたリーダー格の狩人は、鈴音の話に驚いたのか、猛禽類のような青い目を軽く見張っていた。


「そういう訳で、死んだ方がマシや思うような罰が犯人らに言い渡される事を期待しながら、動く死体の復讐を止めたいねん」

 よそ見したまま無限袋から小金貨1枚を取り出して、鈴音は狩人達へ見せる。

 狩人達の喉がゴクリと鳴る音が猫の耳に届いた。

「よし、分かった。その金で仕事を受け……」

 リーダー格の返事が終わる前に、フッと結界が消失する。延長時間が終了したようだ。

 勢い付いた動く死体が女に飛び掛かろうとするも、何かに邪魔されて上手く行かない。

 どうしたんだろうとよくよく見てみれば、いつの間にやら死体の腰にしっかりと縄が巻かれていた。

 その縄を、体格の良い狩人が思い切り引っ張っている。

「成る程、バラバラにした後は括って遠くへ運ばなアカンから、縄の扱いが上手い奴が()るんやな」

 流石のチームワークに感心する虎吉の実況で、鈴音は今なにがどうなっているのかを知った。

 結界なしの至近距離で動く死体を見た女は失神寸前だとか、隊員達もちょっと腰が引けているだとか。


 そりゃ怖いよねと思う鈴音のもとへ、小柄な狩人が金貨を受け取りにきた。

 手渡す鈴音と狩人を見比べ、この後いよいよ斬るんだな、と期待で黒目がちになる虎吉。

 鈴音以外が見守る前で、リーダー格の狩人が刀のような剣を抜く。

「んん?何や見覚えあるで、あの刀」

「刀?この世界には無い……、あ。似たような剣なら見たわそない言うたら」

 ここで漸く、聞き覚えのある声の主が誰なのか、鈴音ははっきりと思い出した。

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