第五百六十四話 掃除の準備
室内から『入れ』と返事があったので、扉を押し開け中へ。
12畳程の部屋に間仕切りは無く、入って右手側に本棚や仕事机、左手側にベッドが配置されている。
本来は、機能性重視の簡素な家具が備え付けられていたと思われるが、今ここにあるのはゴテゴテと装飾が施された成金趣味な代物ばかりだ。
その代表格がベッドで、キングサイズのそれは天蓋付き。装飾がもう少し上品なら、本当にどこかの王が使っていそうである。
そんなベッドの上に、素っ裸の男女が3人。
神殿の外で見掛けた時と同じく、中年神官を真ん中にして左右に女性がくっついていた。
「おお、来た……か?はて?後ろの娘はともかく、そなたは?」
顔を伏せ震えている女性を見ていやらしく笑ってから、鈴音を上から下まで舐めるように見て問い掛ける神官。
目を伏せ虎吉を両腕で抱きながら、か細い声で鈴音が答える。
「その……、うっかり躓いて貴族の方に少しお水を掛けてしまって……。そうしたら、この時間に神殿前に居る女の人について行けば赦してやるって……」
「ほぉほぉ、そうかそうか。メードゥ伯爵が気を利かせたのだな、グフフ」
神官の独り言を聞き、『伯爵が女衒の真似事て。終わっとるなこの国』と鈴音は脳内メモにクズの名を刻んだ。
その時、隣で震えていた女性が、意を決したように口を開く。
「し、神官様!どうか、どうかお見逃し下さい……!」
「うん?」
何を言い出すのか、と怪訝な顔をする神官へ、女性は必死に訴えた。
「私は給仕の際に伯爵様に少し触れてしまっただけ、この方は少しばかり水を掛けてしまっただけです。他所の国の貴族はその程度の事、笑いながら赦して下さいます!」
いや水はどうかなあ、と自分の作り話のまずさに鈴音は遠い目をし、神官は幾度か瞬きをしてニタリと不気味に笑う。
「そうか?ではそのように伯爵に伝えるとしよう。私は別に構わんが、伯爵はどう思うだろうなぁ?グフフ」
「そんな……。私には婚約者が居るのです、どうか……」
「だから好きにせよと言っている。私はそなたが帰った後、あの娘がそなたの事を他国の貴族に比べて心が狭いと言うておったぞ、とヤツに伝えるだけだ」
両隣に実る豊満な胸を玩びながら、神官は心底愉快そうな笑みを浮かべた。
女性はスカートを握り締め、顔を伏せ肩を震わせる。
それを横目に見つつ、鈴音がおずおずと小さく挙手した。
「おお、どうした?」
「えぇと……、どうすれば神官様から伯爵様へ、あれは悪い娘ではないから今回は赦してやれ、と言って貰えますか……?」
帝国で実年齢より若く見えると言われた事を思い出し、ウブな田舎娘を演じてみる。
まんまと引っ掛かった神官は、それは見事なスケベオヤジ顔を披露。
「なぁに簡単な事よ。裸になって私に跨り、腰を振ればいい。それで伯爵の怒りも解ける」
ぶわ、と鈴音の全身に鳥肌が立った。
「つまり、性行為を望んでいると」
「これ、そうハッキリ言うでない。情緒というものを分かっておらんなぁ」
ウブな田舎娘の口から出るにしてはおかしな単語だったのに、思考回路がピンク色に染まっている神官は気付かない。
鈴音は大きな大きな溜息を吐いた。
「はぁーーー。なあぁぁぁあにが情緒や性犯罪者の分際で」
か細い声とは正反対の、腹の底から出た怒りの低音。
あまりの変わりっぷりに室内に居る誰もついて来られず、皆揃ってポカンとしている。
「何で貴族に粗相して神官と性行為せなアカンねん。どういう理屈や、説明出来るならしてみぃ!」
怒りのあまり真正面を向いて睨み付けてしまった鈴音は、色々と丸出しな3人を見て顔を顰め思い切り舌打ちをし、魔力で作った縄を飛ばして神官を足首から肩までグルグル巻きにした。
理解不能な事態に裸の女性2人が悲鳴を上げ、ベッドから慌てて飛び退く。
隙間も遊びも無くギッチギチに縄を巻かれた神官は、背筋と足をピンと伸ばして直角に座っている。
苦悶の表情を見せているのは、身体が硬くて足を前へ伸ばしたこの姿勢がキツイからだろう。ナニかが締め付けられているからではない筈だ。
「くっそー、見てもうたー」
「うはは、腹立ち過ぎたんやな」
「そうやねん!キモいしムカつくし!サブイボ出たわ!」
「分かった分かった、ほれ、吸うとけ」
差し出された虎吉の頭にありがたく鼻を埋め、深呼吸する鈴音。
少し落ち着いて隣を見ると、被害者の女性が目をまん丸にして固まっていた。裸の女性達も同じく。
「あー、うん。喋るんです私の相棒」
顔を上げて誤魔化し笑いを浮かべるも、反対に警戒させたようで、後退られてしまった。
そこへ、直角座りな神官の怒声が響く。
「小娘ぇ!何のマネだこれはぁ!!」
「え?犯罪者を縛り上げただけやけど?」
当たり前だろうと言いたげな鈴音の態度に、神官の顔が怒りで真っ赤に染まった。
「何をどうやったのかは知らんが!私にこんな事をしてタダで済むと思うな!」
「あはは、お友達の伯爵が家族も纏めて皆殺しにしてくれるよー、て言いたいんかな?」
「よく分かっているではないか!オマエの愚かな行いで、罪もない家族が死ぬのだ!馬鹿め!」
怒りはそのままに嘲笑する神官へ、鈴音は満面の笑みを向ける。
「成る程、性犯罪の次は人殺しか。救いようのない悪人揃いやな。安心しぃ、お友達もアンタの次にシバき回したるから」
「何を……」
「因みに今まで何人殺したん?」
「そんなものいちいち覚えておらんわ!」
神官が吠えると同時に、鈴音の顔から笑みが消えた。
「数え切れん程か……。フォレ様、回復薬の追加をお願いします」
鈴音が右手を宙空に差し出せば、何も無い所から茶色い液体入りの小瓶が複数出現する。
「……は?」
宙に浮くそれを無表情に掴んではポケットへ仕舞う鈴音を、神官だけでなく女性陣も呆然と見つめていた。
「こ、小娘、それは何だ……オマエは一体……」
流石に、『何をどうやったのかは知らん』で済ませられなくなったのだろう。
引き攣った顔で尋ねた神官を、鈴音は冷ややかに見やる。
そうして黙ったまま魂の光を全開にし、神力を極々僅かに解放した。
「キャアッ!」
「っぅああ!眩しいッ!な、何だこれは、何だ」
驚いた全員がギュッときつく瞼を閉じ、暫くして恐る恐る薄目を開ける。
見間違いでも気のせいでもなく、光り輝く凛とした美女がそこに居た。
「光……それにこの、魔力とは少し違う強い力……」
鈴音のそばでそう呟いた女性は、何かを思い出したらしくハッと目を見張る。
「神の使い」
女性が口にした恐ろしい単語に神官は硬直し、裸の女性2人は震え上がった。
「勤め先の料理店で、噂に聞きました。レーヴェ帝国の武術披露会で優勝したのは女の人で、縞模様が綺麗な珍しい動物を抱いた、光り輝く神の使いだったって」
興奮を鎮めるように重ねた両手で胸元を押さえ、震える息をゆっくりと吐き出してから、女性は真っ直ぐに鈴音を見る。
「あなた様が、そうなのですか」
問われた鈴音は彼女に向き直り、柔らかく微笑んで頷いた。
「ああ……!たす、助けて下さい!」
崩れ落ちるように両膝をついた女性へ近寄り、鈴音はその背中をヨシヨシと撫でる。
「怖かったね。でももう大丈夫やで。コイツも他の神官もクソの貴族も、全部纏めてボコボコにして、悪事を働こうとする度に雷が降ってくるようにするから」
「ほ、本当ですか」
「うん。ここまでのやり取り、神もお聞きになってるからね。ホンマは今直ぐに八つ裂きにしたいぐらい怒ってはるねんけど、ほら、動く死体の事があるやん?せやから神官は生かさず殺さず、只々結界張る道具として使う事にしてん」
ギャング顔負けの酷い発言なのだが、光り輝く神の使い補正のせいか、女性は『よかった……』と喜びの涙を流していた。
そこへ恐怖に青褪めた神官の声が割り込む。
「待て!いやお待ち下さい!」
だが鈴音は視線すらやらず完全スルー。
「そうと分かったら、早よ家に帰ってみんなを安心さしたり?もう暗いから独りは危ないし、これで馬車にでも乗って」
差し出された大銀貨を見て、女性は慌てて首を振った。
「い、頂けません!馬車代ならありますので!」
「そっか。ほな乗り場まで送るわ」
「畏れ多い!神殿を出て直ぐですから大丈夫です!神殿のそばに居る女性は神官のお気に入りかもしれないので、襲われたりしませんし!」
「ゴミ神官にそんな効果が。それやったら大丈夫かな?あ、何もされてへんいう保証的な物は要らん?」
言葉だけで婚約者は信用するのかと心配する鈴音に、女性は覚悟を決めた顔で頷く。
「もしも疑うのなら、その目で確かめて下さいと言って、服を脱ぎます」
「おぉ、思たより気ぃ強い人やった。素直に信じてくれるように祈っとこ」
祈られたフォレは困惑しているかもしれないが、女性は嬉しそうに笑った。
「神の使いが神へ祈って下さったら、どんな願いでも叶いそうですね」
「あはは、そうかも」
立ち上がった鈴音へ深々と頭を垂れてから、彼女もまた立ち上がる。
「神の使いにお会いしたと、家族に話しても……?」
「ええよ勿論。そうやないと、何で無事やったんか説明が出来ひんでしょ?さ、行って行って」
笑って頷いた鈴音へ何度もお辞儀のように頭を下げて、女性は部屋から出て行った。
「さてさてー、いよいよフルボッコターイム……て、お姉さんらまだ居ったん!?早よ服着な風邪引くで!?」
ニコニコ笑顔で神官の方へ向き直った鈴音は、ベッド脇で縮こまっている裸の女性達を見て目が点だ。
「わ、わた、私達、女将から言われて、それで」
「しょ、娼婦が、神殿に入るなんて、ダメなのは分かって、います」
どうやら、自分達の仕事は神を冒涜していると思っていて、神の使いである鈴音に怯えているらしい。
「んー、別に神はその辺なんも言うてなかったよ?怒るいうより憐れんでそうな気がする。取り敢えず服着て服。なんぼ女同士や言うたかて、流石に目のやり場に困るわ」
眉を下げた鈴音に急かされ、娼婦達は互いが互いを手伝いながら、あわあわと焦ってドレスを着る。
その隙に神官がまた口を挟んだ。
「娼婦が赦されるのなら私も……」
「喧しいわ犯罪者。一緒にすな」
絶対零度の視線を突き刺すと共に、魔力で作ったガムテープを飛ばし、口へ貼り付ける。
「むゥー!?グググ」
余計にうるさくなった気もするが、言葉は発さなくなったので良しとした。
娼婦達はまた謎の現象が起きたと青褪めながらも、どうにか服を着終える。
「あ、終わった?お姉さんらのお店ってここから近い?」
「少しだけ遠いです」
顔を見合わせ恐る恐る答える2人。
「ほな馬車代どうぞ。相場が分からへんねん。1人1枚で足りる?」
鈴音が大銀貨2枚を掌に載せて差し出すと、彼女らは大いに慌てた。
「帰りのお金は神官様から貰えと言われてます」
「神の使いに貰ったなんて言ったら叱られます」
「え、でもコイツこれよ?」
そう言われて見てみれば、確かに金なぞ払える状態ではない。
「ね?誰に貰たお金かなんて黙っといたら分からへんねんし、気にしない気にしない」
ズイと前に出された掌と鈴音の顔を見比べ、娼婦達は悩んでいる。
「お金受け取った途端に、『そなた達を試しておったのだ』とか怒り出すような罠は仕掛けてへんから。女やいうだけで夜道は危ないのに、そんな胸元開いた服やったら危険度倍増やで?それでも歩いて帰るん?」
自分達のドレスを見た2人は、目で会話を交わす。
金さえ払えば何をしてもいいと思っている男は嫌いだが、その金すら払わず女を好きにしようと思っている男はもっと嫌いだ。
そんな男に犯され殺されるくらいなら、神の使いに殺される方がマシなのでは。
うん、と頷き合うや、2人揃って銀貨に手を伸ばす。
心臓が壊れそうな程に緊張しながら、ビカビカの掌からピカピカの銀貨を摘んで取った。
「よしよし。店の人に何でこんな早いねんて聞かれたら、神の使いが来たから帰れ言われた、て答えたらええから」
娼館の者は、貴族なり階級が上の神官なりが急に訪れたのだと判断するだろう。
「おーい、聞いてる?」
「は、はい!」
「聞いてました!」
殺されるどころか怒りもしないし、言い訳まで考えてくれたぞ、と娼婦達は驚いていた。
「これ、本当に頂いていいんですか」
「辻馬車でも小銀貨で足りるのに」
「ええよええよ、それより早よ帰り?ちゃんと馬車で店の前まで行くねんで?手前で降りて酔っ払いに絡まれでもしたらアホらしいし」
神の使いっぽくない発言に思わず笑いかけ、必死に表情を引き締めた2人は揃って頭を垂れる。
「ありがとうございます」
「この御恩は忘れません」
「はいよー、気ぃ付けてねー」
笑顔で手を振って娼館達を見送り、扉が閉まるや鈴音は小さく息を吐いた。
その横顔を眺めつつ神官は思う。
随分とにこやかだったし、娼婦ごときにあれだけの気遣いを見せるのだから、自分もきっと大丈夫に違いない。
叱責はされるかもしれないが、ボコボコだの八つ裂きだの生かさず殺さずだの、何度か聞こえた恐ろしい言葉が実行される事はないだろう。
何しろ、自身に仕える者の悪事を長きに渡り見逃してきた、甘っちょろい神が遣わせた小娘だ。
居丈高な物言いは虚勢で、人を小突いた事すらないと見ていい。
さあ、どんな条件を出してくるのだ、全て呑んだ振りをしてやるから早く言え。
にやけそうになる顔を無表情に保ちながら待った神官は、おもむろに振り向いた鈴音の目を見た瞬間、変な音を立てて息を呑んだ。
静まり返った部屋の中、生まれて初めて、本能が鳴らす警鐘を聞く。
己を見下ろすのは、今からこいつをやり込めてやろうといった熱さのようなものが全くない、ゴミにでも向けるような無感情な目。
猛獣のように牙を剥くでも唸るでもなく、得体の知れない迫力で場を支配する化け物がそこに居た。




