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第五百六十二話 一般人のフリをする筈が

 確か、“どんな事件や事故に巻き込まれても、それで死んじゃったりしても、ウチは責任取らないからね。襲われた時は反撃していいけど、相手に非がある事をはっきりさせておかないと、後々面倒だよ。特に貴族とやり合った場合はね”的な事が書いてあったと記憶している。

 つまり大事なのは、と拳を振り上げている男を見上げ、鈴音は問い掛けた。


「お兄さん、貴族?」

「あ?」

 男は殴り掛かるポーズで固まり、怪訝な顔になる。

「ナメてんのか?こんな貴族がいる訳ねえだろ」

「分からへんやん。通りすがりの一般女性に、初対面の騎士が言い掛かりつけてくる国もあるねんで?」

「うはは、やっぱり根に持っとった」

 猫の耳専用の声量で笑う虎吉に、『当たり前やん』と悪い笑みを返す鈴音。

 それを見た男の顔が怒りに歪んだ。

「何を笑ってやがる!」

「ちょっ、バカやめな!」

 キレた男が本当に拳を振り抜き、脅しのつもりだった女が慌てて声を上げる。

 直後、野次馬達が耳にしたのは、華奢な女性が殴られ石畳に倒れる鈍い音ではなく、乾いた打撃音と屈強な男の野太い悲鳴だった。


「いっっってぇぇぇえええーーー!!」

 男は右拳を左手で庇いながら、膝をついて痛みに顔を歪めている。

 彼がぶん殴ったのは鈴音の右掌だ。

 鈴音としては顔めがけて飛んできた拳を遮っただけなのだが、殴った方からすると急に分厚い金属製の壁が現れたに等しかった。

 痛みで言葉が出ない男に代わり、彼に駆け寄った女が鈴音を睨みつけて喚く。

「アンタ!何してくれてんのよ!」

 これに対し野次馬達は全員、『いや何もしてないだろ』と心の中でツッコんでいた。

 当然、鈴音も同じ反応だ。

「なんもしてへんで?殴られそうになったから顔(かぼ)ただけやけど?」

 ヒラヒラと右手を振って見せられ、女は言葉に詰まる。

「そ……りゃそうだけど」

「寧ろ、何してくれてんねんはコッチの台詞や。何で人が集まってんのかなー、て眺めとっただけやのに、殴られかけてんで?ちゃうわ、殴られたわ右手。どこに訴えたらええんやろ」

 握って開いてグーパーグーパー、右手を見せつけながら鈴音は冷ややかな視線を向けた。

 するとその目を睨み返した女が、ゆっくりと立ち上がって踏ん反り返る。


「どこに訴えたって無駄!だって私は帝国の武術披露会の優勝者だから!皇帝のお抱えになる私に、罰なんか与えられないでしょ!」

 自信満々な女の顔を、鈴音が残念そうな表情で見つめた。

「何よその馬鹿にした顔!」

「だって馬鹿やし」

「はあ!?」

「アンタは自分を優勝者や言うけどさ、それ何か証拠あんの?ないやろ?」

 女は嫌そうに眉を顰めたものの、無いとは言わない。

「治安維持担当の機関に私が暴力、そこの店の人が恐喝で訴えたら、取り敢えず捕まるよねアンタら2人。ほんで、レーヴェ帝国へ問い合わせが行くで?女の方が皇帝陛下のお抱えやとか言うてるけど、ホンマ?て」

「捕まらない。暴力はコイツがやった事だし、私は恐喝なんてしてない」

「したよ。首飾り出せ、さもないと無関係なこの女をぶん殴る!的なこと言うたん大勢が聞いてたで?」

 うんうんと頷く野次馬達や店長を纏めて睨み、腕組みをした女は苛々と指先を動かした。


「ああそう、だったら何?訴えたきゃ訴えれば?でも私には皇帝がついてるって忘れないことね。ほら、これがお望みの証拠!」

 連れの男が背負っている袋から引っ張り出した紙を広げ、大逆転だとばかり得意げな笑みを浮かべる。

 その紙を見やり、鈴音は大きな溜息を吐いた。

「偽物作るんやったらもうちょいお金掛けな。紙が庶民向け過ぎ。ほんでまた字ぃも汚い。“武じャつ披ラう会のヤう勝者、レーヴェ帝国”て読めるで?」

 文字を鈴音が読み上げると、女はギョッとして突き付けていた紙を引っ繰り返し、険しい顔で確認した。

 しかしどこが間違っているのか分からない様子だ。

「字は読める、けど間違いは分からへん?ああ、そもそも字ぃ間違えて覚えてるんか。これが正解や思て書いた本人やから、読み返した所で分からへんと」

「は!?何言ってんの!?」

「因みにこっちが皇帝陛下から賜った本物の身分証。レーヴェ帝国名義やのうて、皇帝陛下のご署名が入るねん」

 無限袋から出した身分証を右手に持ち、女に続いて店長にも見えるように動かす。

 明らかに高そうな紙を見た女が慌てて自身が持つ紙を隠し、店長は内容を読んで目を見開いた。


「レーヴェ帝国武術指南役!?」

 驚愕の叫びに野次馬達も目を丸くしたが、『だからか!』と先程の不可思議な現象を思い出し納得する。

 何もしていないのに大男が負傷したのではなく、きっと目にも留まらぬ速さで何かをしたのだ。

 あの人材豊富な帝国で武術指南役を任されるような女性なら、それくらい出来るに違いない。

 野次馬達は確信して頷き合った。

 そんな彼らとは対照的に、何かの間違いであってくれという顔をしているのは店長だ。

 もちろん優勝者を騙る女も、口元をピクピクと痙攣させている。

「そ、そちらの書面だけでは何とも……」

「そう、そうそう!偽物でしょどうせ!」

 慇懃無礼と只の無礼を順番に見やり、皇帝の言う通りになったなあと思いつつ、鈴音は首元から紋章を引っ張り出した。

「はい、その手の疑い掛けられた時に使いなさい、て陛下が下さった皇家の紋章。一般には馴染みが薄いかもしらんけど、宝石扱うような店の人なら知ってるやんね?」

 赤い夕陽に照らされた紋章は、素人が見ても一流の職人が手掛けたと分かる代物だ。これを偽物呼ばわりしたら、店長の目は節穴だと噂され店の信用は地に落ちる。


「……これ程の一品、滅多にお目にかかれる物ではございませんね。武術指南役に対し大変なご無礼を致しました事、ここにお詫び申し上げます。平にご容赦を」

 両膝をついて胸に手を当て頭を垂れた店長と、『嘘でしょ……』と青褪める女。

 鈴音は溜息交じりに頷く。

「ええですよ別に。身分明かす前やし」

「おお……、ありがとうございます。心より感謝申し上げます」

 大きく安堵の息を吐く店長を見やり、虎吉が首を傾げた。

「アイツ何でビビっとったんや?殴り掛かっても暴言吐いてもないのに」

「そら、見捨てたからね。私が殴られそうになっても、用心棒へ助けるよう命令せんかったやん?」

「あー、成る程。自分とこの客になりそうもない他所の国の平民や思て放っといたら、まさかの偉いさんやったからビビったんか」

「そうや思う。首飾りと天秤に掛けて、首飾りを取った。結果まさかの帝国上位貴族級で大誤算!みたいな。身分明かす前やってんから、貴人を見捨てた事にはならへんねんけどね」

 猫の耳専用の声量で早口の会話をしていた鈴音へ、女のヒステリックな声が届く。


「アンタが武術指南役だったとしても!それで私が偽物だって事にはなんないでしょ!?」

 両腕を広げ必死に抵抗する女。その服の端を、痛みで顔を顰めながらも何とか立ち上がった男が引っ張っている。

 分が悪過ぎるからトンズラしようという男の訴えは、まだギリギリ言い逃れ出来ると思い込んでいる女には伝わらない。

 互いが互いの言う事を聞かず勝手に動く辺り、駄目な小悪党の見本みたいだと鈴音は呆れた。

「はー……。武術披露会の結果を、武術指南役が知らんかったらおかしいやん。その場に()らんかっても絶対に誰かが教えてくれるやん」

「あ」

「はっきり言うといたるわ。優勝者はアンタではない」

 胸に皇家の紋章を下げた鈴音に言い切られ、漸く女もジリジリと後退り始める。しかし。

「どこ行くんー?」

 真後ろから声がして、男女共に悲鳴を上げて振り返った。

 当たり前のような顔で立っている鈴音をそこに認め、何度も前後を見比べる。


「今の今まであっちに……」

「ば、化け物」

 顔色を失う男と、その左腕に縋る腰を抜かしかけの女。

 そこへ、旅人の女性が『こっちこっち』と軍服男性2人を連れてきた。

「平民同士のイザコザだろう?我々が出張らなくても」

「殴った奴が治療費を払えば丸く収まるぞ」

 いかにも面倒臭そうに文句を言いながらやってきた軍服達は、どういう状況かと辺りを見回し首を傾げる。

 そんな2人へ静かに素早く近付いた店長が、コソコソと事の顛末を話すや否や。

「レーヴェの武術指南役であらせられましたか!」

「ようこそプレリへ!我々は王国軍治安維持部隊にございます!」

 鈴音の方へ歩み寄りながら、ハッハッハだとか笑う軍服達に、野次馬は揃って『ようこそとか言ってる場合じゃねぇよ』と心の中でツッコんだ。

 言葉の選択を間違えたと軍服達が気付いたのは、ひんやりとした鈴音の微笑を見てからである。


「しまった、馴れ馴れし過ぎたか」

「もしや平民と思われているのでは」

 本人達はヒソヒソやっているつもりらしいが、猫の耳を使うまでもなく周囲に丸聞こえだった。

 それにより全員から、違うそうじゃないという視線を向けられているのに、全く分からないようだ。

 仕方ないので、ガッカリ顔になった鈴音が口を開く。

「今、貴族の挨拶しとる場合やないんですよ。大男が女性に殴り掛かった、いう知らせを受けてここへ来たんでしょ?店の人からも事情聞きましたよね?その大男を捕まえて話聞くんが先ちゃいます?治安維持担当なんですよね?」

 男へ視線をやった鈴音に釣られて、軍服達もそちらを見た。

「ふむ、その男が暴行の犯人で、その隣の女性が被害者?」

「なんでやねん!」

 思わず素でツッコんだ鈴音と、ずっこける野次馬達。

「どう見ても仲間やがな!その女は身分詐称と恐喝を働いてますよ!」

「なんと!?では被害者は」

「わーたーしー!それと店の人ー!」

 疲れ果てた鈴音に代わり、店長が再度しっかり説明する。


「ふむふむ。つまり異国の平民が、身分を偽って我が国の宝飾品店を恐喝し、偶々居合わせた帝国の武術指南役を、そうとは知らず襲ったと」

「ほほー。毎年この時期は、武術披露会で優勝したと偽るならず者が現れるとは聞いていたが、この地区に出たのは初ではないか?」

「そうだな。この地区には、ならず者が入れるような飲食店がないからな」

「ああ、そういえば無銭飲食が殆どだったか」

「店主も慣れたもので、無償で提供せよと言われたら即座に治安維持部隊を呼ぶらしい」

「もはや季節行事なのだな」

 ハッハッハ、と笑い声が響いている隙に、詐欺師の男女は逃げ出した。

 鈴音はそれを目で追いつつ、ご歓談中のお貴族様へ声を掛ける。


「逃げましたけどー?」

 スナギツネ顔で男女が走って行った方を指差すと、振り返った軍服お貴族様はギョッとした。

「何ということだ!」

「まずい!帝国から強烈な抗議が来るのでは!?」

「速やかに捕縛して鞭打ちの刑に処さねば!」

「武術指南役!我ら任務がございますので、これにて!」

 拳を左肩に当てる敬礼をしてから、『怪しい男女はどっちへ行った!?』と手当たり次第に尋ねつつ走り去って行く2人。

 その背中を見送り、鈴音は呟く。

「うーん、どっからツッコんだらええんか、散らかり過ぎとって分からへん」

「せやな」

「取り敢えずお礼だけは言うとこ」

 わざわざ治安維持部隊を呼びに行ってくれた旅人の女性へ、助かりましたありがとうと礼を告げた。

 女性は『武術指南役だったなんて』と恐縮しつつ、『犯人捕まるといいですね』と微笑んで去って行く。

 集まっていた人々も、騒ぎが収束したと見るや散って行った。


 鈴音も、何か言いたげにこちらを見ている宝飾品店の店長へ会釈だけして、その場を後にする。

「無視してええんか?」

「うん。どうせ、『お礼言いたいけど自分が巻き込んだみたいなもんやし、殴られそうな時に助けへんかったし、何をどない言うんが正解なんや』とか考えてるだけやろし」

 見上げる虎吉を撫でながら、ヒョイと屋根へ跳んだ。

「平民や思てた時は助ける為の交渉すらせんかったのに、身分が高いて分かった途端に擦り寄ろうとする。さっきの貴族軍人もそう。ほんでその軍人呼びに行ってくれたんは私と同じ他所者」

「おう。野次馬ん中でも、鈴音が殴られそうな時に助けようとして動きかけたん、旅装束のもんばっかりやったで」

 今まさに沈まんとする夕陽が、街に陰影を作り出す。

「差別意識の強い国らしいし、これが普通なんやろね。あの貴族軍人も、呼びに来たんが外国人やなかったら動いたかどうか」

「そうか、平民が喋り掛けるなとか言うて追っ払うかもしらんな。目の前に小悪党が()るのに、捕まえもせんと世間話するような奴らやし」

「うん。普段からまともに仕事してへんから、あんなんなるんやろね。私の身分が高いのん思い出して大慌てとか、日本の警察やったら今頃ネットで袋叩きやし、明日になったらテレビでも大騒ぎされるで」

 鈴音が呆れ返り、虎吉が成る程と頷いた。


「帝国の騎士を赦したん、それと似たような事になる思たからやな?」

「ん?あー、うんうん。割とまともな事も言うてたから、あの場面で私が何かしたら神の使いの評判がね。でもアイツらがあんだけ派手に謝ってたんは、大勢が見てた訳やから。あっという間に噂が広まるよね」

 実際に鈴音が絡まれているのを見ていた人も、あれが神の使いだったのかと驚き、嬉々として参加するだろう。

「騎士が神の使いに無礼を働いたらしい、普通の姉ちゃんやったらトラウマんなるような事したらしい、いう話から尾鰭が付いて行くんやな」

「そうそう。そないなると直ぐ上官の耳にも入って、大目玉食らうやん。皇帝陛下の耳にまで届いたら、特大の雷が落ちるやん。ホンマはクビて言いたいけど、神の使いが謝罪を受け入れてるから、降格処分と減給処分と地獄のシゴキで根性鍛え直せ!とかになる筈」

 イヒヒヒ、と魔女のような笑みを浮かべる鈴音。

「虎ちゃんを妙な獣呼ばわりした事、筋肉痛でけったいな動きになって同僚に笑われながら後悔するがいい……!」

「そっちかー」

 多分その後悔はせえへんぞ、と思った虎吉だが、優しいので黙っておいてあげた。



「お、あれかな神殿」

 鈴音の視界に映るのは、土台付きのピラミッドのような建物だ。

 地図で見た通りの位置にあるし、他の建物と違う造りだから間違いない。なのに、自信を持って『あれやな』と言えなかった。

「なんやろ、こう、モヤモヤーっとドス黒い?殆ど澱みたいなんが、神殿全体から出てへん?」

「おう。神力が巡ってへんからか?いやそれにしてもなあ」

「形式的にやってるお仕事が嫌過ぎて、ずっと遊んでたいのにー!て負の感情が出まくるんやろか」

 神官は好き勝手しているらしいので、澱のようになる程の負の感情など出そうもないのに、とふたり揃って首を傾げる。

 そこへ黒塗りの馬車が走ってきて、正門前で停車。

 中から降りてきたのは、胸の谷間も露わなドレスの女性2人を侍らせた、白い神官服の中年男性だ。

 目を見張った鈴音と虎吉が見下ろす先で、女性達の腰を抱いて撫で回しながら、神官らしき男は堂々と神殿へ入って行った。

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