第五百四十二話 バチバチ
これである程度は話に耳を傾けて貰えそうだ、と生霊の本体こと白詰マリアを見つめる鈴音。
彼女の霊力の強さを考えれば、物心付いた頃から他人には見えない物を見ている筈だ。けれど初対面の人物に突然『あなたの生霊が』等と言われたら、そりゃあ警戒もするだろう。
しかもパリッとしたスーツ姿なのは綱木だけ。鈴音も茨木童子も服装はともかく雰囲気が役人ではないし、黄泉醜女に至っては怪しさしかない。
しかしこの謎だらけの面々が只者でない事は、白詰本人が呼んだ警官が証明してくれた。
「他の人には見えないの……?幽霊?でもウロウロしてる幽霊なんて今まで会った事ないし」
困惑する白詰の呟きを聞いて、綱木が小さく幾度も頷く。
「まあ普通は、御臨終の時に抜け出た魂を見るんが精々やろね、病院なんかで。それもすぐ光の中に消えて行くし」
そんなものなのか、と思う鈴音とは対照的に、白詰は目を見開いて驚愕の表情だ。
「あれが見えるんですか……!?」
小さな悲鳴のような声と、信じられないと言いたげな顔を見れば、これまで彼女の能力が周囲にどう扱われてきたかがよく分かる。
きっと親からも友人からも否定され続けてきたのだろう白詰へ、綱木は何でもない事のように頷いた。
「見えますよ。ほんでその力を使て仕事してます。我々の姿が他人から見えへんのもその関係で。はい、これが名刺」
流れるように差し出された名刺を受け取り、白詰は訝しげな顔になる。
「厚労省?そっか最初に言ってた。ホントだったのか……。でも何で?」
何で国が、何で厚労省が、何で自分の所へ、と沢山の疑問が詰まった『何で?』に対し、ほんのり口角を上げて綱木は階段を指した。
「知りたいんはあなたの生霊についてなんですが、取り敢えず場所変えませんか?人に見られたら、ホンマに薬物中毒を疑われかねませんし」
そう言われて漸く、今の自分は存在しない誰かと会話しているようにしか見えない、と気付く白詰。
「じゃあ入って下さい。裸足の人は足拭いてから」
どうぞと手で玄関を示され、綱木が慌てる。
「いやいや、女性の部屋に初対面のオッサンやら若い男やらが上がり込むんは……」
「えー?いいじゃん別にぃ。本人がどうぞって言ってんだしー。つか、アタシの足は汚れないよぉ?ホラ」
マイペースな黄泉醜女が会話に割り込み、足裏を見せて口を尖らせた。
「確かに綺麗やけど、気持ちの問題とかありますやん?片足ずつ洗いましょ?」
夜の内に部屋には侵入済みだが、そんな事はおくびにも出さず鈴音は言う。
「洗わなくても拭いてくれればそれ……で……?」
洗面器にお湯、と想像したらしい白詰の目の前で、鈴音が掌から水の球を出した。
「玄関でチャチャッとやりますよ」
「お湯にしてお湯、ぬるま湯。冷えたらヤダしぃ」
「女神様にまさかの冷え症疑惑。あ、ちょっと失礼、お邪魔しますねー」
半身でドアを開けている白詰の横を通って、玄関へ入る鈴音と黄泉醜女。もれなく茨木童子もついてくる。
鈴音は黄泉醜女が上げた片足にぬるま湯の球を纏わせ、洗濯機よろしく回転させた。
洗い終えるや、足を拭きもせずに上がられ白詰がギョッとするも、フローリングに水滴は落ちていない。幾度となく瞬きを繰り返す彼女は最早、何に驚くのが正解なのか分からない状態だ。
「はい完了」
「キャハハ!いい足湯だったわー」
「ほな私も上がらして貰いますー」
「うっす、失礼するっす」
そう言って遠慮なく黄泉醜女と鈴音と茨木童子が室内へ入ってしまったので、綱木も行かざるを得なくなった。
「すんませんね、お邪魔します」
「え、あ、はい、どうぞ」
会釈し合った綱木と白詰は、何とも微妙な空気を漂わせながら鈴音達を追って中へ入る。
「おー、ポスターもカレンダーもナントカさんや」
ダイニングキッチンと続きになっているお洒落なリビングの壁に、例のバンドのボーカルが大写しになったポスターが貼られていた。
リビングの隣にもう1部屋あり、そちらは生活感溢れる寝室だ。壁にはポスターとカレンダーが並んでいる。カレンダーが4月のままなのは、ボーカルが単独で写っている月だからだろう。
鈴音と黄泉醜女はぐるりと室内を見回して感想を述べているが、茨木童子は一応遠慮してリビングの壁に視線を固定している。
綱木もまた、寝室が視界に入らないよう努めていた。
男性陣の配慮に気付いた白詰は、寝室へ続くドアをそっと閉めて会釈し、ローテーブル周りへ座布団代わりのクッションを用意して皆に勧める。
真っ先に座ったのはやはり黄泉醜女で、その隣に綱木、向かい側に鈴音と茨木童子が並んだ。必然的に白詰はお誕生日席になる。
「お茶かお水、飲みますか」
座りかけてからまた立ち上がろうとする白詰を、綱木が手を振って止めた。
「お気遣いなく。我々は客やないし、今からするんはあなたにとって不愉快な話ですんで」
「そう……ですか」
表情を硬くして白詰が腰を下ろすと、黄泉醜女は残念そうな顔になる。
供物がなくて女神様のご機嫌が急降下だと判断した鈴音は、無限袋から木製コップと木製皿、ティーバッグとバタークッキーを取り出し、黄泉醜女の前に置いた。
コップにはティーバッグを入れ指先から湯を注ぎ、皿にはクッキーを並べる。
「やぁだ鈴音ってばご機嫌取ってくれんのぉー?」
「そら取りますよ。ツシコさんが暴れたら誰も止められませんし」
「キャハハ!お茶断ったぐらいで暴れないよぉ?多分」
「ほら多分とか言う。クッキー、ヒノ様にも持って帰りますか?」
「うん、ありがとねぇー」
ここまでの流れを、白詰は虚無の表情で、綱木は『危なー!生霊の事で頭いっぱいやった』の表情で見ていた。茨木童子は『クッキー美味そう』な顔である。
「はい、女神様へのお供えも終わりましたんで、どうぞ始めて下さい」
ティーバッグを小皿で受けて回収し無限袋に仕舞った鈴音が言うと、綱木が頷き白詰へ向き直った。
「えー、白詰さん。ツッコみどころは満載や思うけど、今日の本題はそこやないんですよ」
「……他の人には見えなかったり何もない所から水が出たり物が出たり女神様とか呼んでたりは無関係」
虚無の顔のまま息継ぎなしで言い切った白詰へ、全員で力いっぱい頷く。
「そこに時間割くと長なるんで。我々が厚労省の職員で、霊力や怪異に関する事件を扱うてる、いう事だけ知っといて貰たらそれで問題ないです」
色々端折り過ぎな綱木の説明に、抗議しようと思ったのか口を開きかけた白詰だが、結局は溜息を吐いただけで小さく頷いた。
「国がやってる事なら、文句言ったってどうせ何も変わらないですもんね。それで、何の話ですか」
国家権力に加え魔法としか思えない意味不明な力を目にして、逆らうだけ無駄だと思ったようだ。
ただ、声には諦めの色が滲んでいるものの、目には探るような光がある。
恐らく最初に聞いた、あの男の名前が気になっているのだろう。
それを分かった上で、綱木は質問を口にした。
「お伺いしたい事がありましてね。茶谷雷斗さんとのご関係について、お話し頂けますか。生霊問題を解決するのに不可欠なんです」
問われた白詰は小首を傾げる。
「ご関係。ご覧の通り、彼のファンの1人ですが」
「そらそうでしょうね。でも只のファンやのうて、もっと親しい関係になってますね?」
「何で?そりゃ、なれるものならなりたいですけど。誰でも、好きなアーティストとかアイドルとかと付き合いたいって思いますよね」
バチバチと火花を散らす綱木と白詰のやり取りを眺めつつ、鈴音は『バンドもアイドルも興味ないなー』等と考えている。
「ねねね、鈴音も好きなアイドルとかいんの?」
なので、黄泉醜女にこのように聞かれ、思い切り首を傾げた。
「全く。初恋の相手は時代劇の主人公ですけど、その役者さん自体が好きか言われたらちゃうんですよね。あ、恋愛感情いう意味ですよ。役者さんのファンではあります」
「あー、そのキャラが好きなんだぁ。中の人にまで恋はしないんだねぇ」
「そうですね。だって、どんな人なんか知りませんし。見た目はそら男前ですけど、中身まで男前かは分かりませんやん」
「確かにねぇー。いい人の役ばっかやってる男優がモラハラ野郎だったり、清楚な役ばっかやってる女優が超肉食系だったり、色々あるもんねぇー」
ふたりは小声で会話しているものの、全員が密集しているこの状況では丸聞こえだ。
「あんなん言うてますけど、どうやったんですか、茶谷さんは。子犬系大型犬のまんまでしたか」
綱木の攻撃を白詰は受け流す。
「ライブで見る感じだと、そのままですよ?照れ屋で口下手なとこが可愛いです」
成る程と頷いた綱木は必殺の一撃を繰り出した。
「そういう所に睡蓮さんも惹かれたんですかね」
ほんの一瞬、白詰の眉間に皺が寄る。綱木は攻撃の手を緩めない。
「お似合いですよね、清楚で可憐なお嬢さんと、照れ屋で口下手な男前。ファンも納得でしょう」
「そうですか?ライ君にはもっと、尽くす感じっていうか、支えてくれる感じの人がいいと思いますけど」
声に苛立ちが交じり始めた。
気付かぬ振りをして微笑む綱木。
「へぇー。関係ないですけど、顔立ちがあなたと似てますよね睡蓮さん」
「は!?」
「出会いが先やったら、あなたが選ばれとったんかな?いや、ファンはファンでしかないか」
向こうは売れっ子女優、あなたは一般人、と言外に匂わせた綱木を見る白詰の目は、怒りで瞳孔が開いている。
「お、霊力が乱れだしたっすよ」
茨木童子の言う通り、白詰から溢れた霊力が部屋の中でうねり始めた。
「これ、普通の人やったら何か影響あるんですか?」
般若化しやしないかドキドキしている鈴音の質問に、クッキーを食べ終えた黄泉醜女が頷く。
「軽い呪いみたいな感じになるねぇー。急に頭が痛くなったりぃ、身体が重くなったり?今はただ垂れ流してるだけだからその程度だけどぉ、この子の霊力の強さだと呪術習ったら人も殺せるよぉ?」
ニヤリと悪い笑みを浮かべた黄泉醜女を、穴が空く勢いで見つめる白詰。
その様子に鈴音は物凄く嫌そうな顔をする。藁人形の般若を思い出しているのだ。
「殺したい人が居てるみたいですよ?呪術てどこで習えるんー?て顔してますもん彼女」
どストレートな指摘を受け、白詰はハッと我に返るが遅かった。
「殺したい人は睡蓮さんですか。毎晩毎晩、夢の中で襲い掛かる程に憎いと」
そう言って真っ直ぐ見つめてくる綱木から目を逸らし、白詰はボソボソと言い訳をする。
「そりゃ嫌いですよ?好きな人と噂になってる人の事とか、好きになれるわけないでしょ?」
「いや噂になっとるいう段階は過ぎて、交際宣言してますね既に。完全に恋人同士ですよ、結婚を前提とした」
綱木が訂正すると、また白詰の目に凄まじい怒りが宿った。
「そんなの、事務所同士が勝手に言ってるだけだし!」
「どっちも直筆のメッセージ出してましたね、SNSに」
「書かされたの!ライ君は利用されてるだけだから!あの女の事務所、もうすぐドラマも終わるし、次の話題が欲しかったんだって!思ハウの事務所は大手に圧力掛けられて、逆らえなかっただけだから絶対!」
か細い声から一転、生霊の時を思わせるヒステリックな声にドン引きしつつ、『しはう、とは?』と黄泉醜女に尋ねる鈴音。
紅茶で喉を潤した女神様は、『バンド名の略称じゃん』と笑った。
「ほぉー。10代ではないけど、若い鈴音さんが略称も知らんようなバンドのボーカルを、全国区になった女優の相手に選んだんですか、大手事務所が」
綱木が皮肉たっぷりに言えば、白詰も半笑いで言い返す。
「初恋が時代劇とか言ってる人が知らなくても当たり前じゃないです?女優も全国とか言ったって、ああいうドラマ見てるのオバサン達だし、10代20代にも名前売りたいんでしょ」
謎の流れ弾に当たった鈴音が遠い目になり、黄泉醜女は大笑いして茨木童子は必死に笑いを堪えた。
ちょっと悔しかったので、ここは一発あの台詞だと鈴音が割り込む。
「でもそれってアナタの感想ですよね」
「は?古ッ」
ひと言で片付けられ愕然。
「嘘やん、世間の流れ早すぎひん!?けど、実際アナタの感想でしかないですもんね?何の根拠もあらへんし」
だいぶ悔しかったので、シレッと話題をすり替えた。
すると、白詰は苛立った顔をする。
「根拠は……ッないけど、ライ君とか思ハウをずっと見てれば分かるから!私だけじゃなくてみんな言ってるし!」
その“みんな”の声も只の感想だろうに、と思ったが口には出さず、鈴音は『フーン』と流した。
代わりに攻撃材料としたのは綱木だ。
「成る程、長年見てきたファンの総意ですか。でもそのボーカル君、睡蓮さんが女の生霊に襲われとるて知って、『自分に女性問題はないから、もしかしたら思い込み激しいファンの仕業かもしれん』て睡蓮さん本人に言うてるんですよ。ファンの勝手な想像は大迷惑みたいですね?」
真顔でそう告げた綱木に、白詰の表情が引き攣る。
「……思い込み……って……」
「茶谷さんは睡蓮さんを大事に思てるから、2人の仲を引き裂こうとする行為には困っとるみたいでね。あなたが只のファンなら、2人の仲を素直に認めて祝福してくれませんか。そしたら生霊も出んようになって、我々の仕事も終了です。ホンマに只のファンなら、好きなアーティストの幸せを願ってあげましょうよ。その分きっとええ曲が出来るやろし」
只のファン、を強調し切々と訴える綱木。
実際、本当に只のファンならそれはそれでいいのだ。
ボーカル本人がイメージと違う人物を演じる等、おかしな妄想をやめさせる方法は幾らでもある。
問題は、男女の関係だった過去がある場合だ。
ファンが恋人に昇格している訳だから、そりゃあもう事細かに男の性格から好みまで把握しているだろう。
中途半端な演技でどうにかなる相手ではない。
さあ彼女はどっちだ、と綱木は見つめる。鈴音達も見つめる。
皆に注目されながら、白詰は顔を顰め葛藤していた。
その苦しそうな表情を見て、鈴音はどうにも気の毒になってくる。
「あの、ここまで色々言うといて今更やけど、あなたを虐めたい訳やないですからね?私らはただ、睡蓮さんを襲う生霊が出んようにしたいだけで。その為には、あなたが思い詰めてる理由を知る必要があるんです。生霊は無意識の時に出るもんやから、あなたが彼の事で悩んでる限りどないも出来ひんのですよ」
眉を下げてそう告げる鈴音を見やり、口を開きかけては閉じてと白詰の葛藤は続いた。
やっぱりこれは何かある、もうひと押しだと鈴音は頑張る。
「それに生霊が出てる間は、ちゃんと眠れてへんみたいですよ?せやから顔色も悪なって肌も荒れて、お巡りさんにあんな事言われてまう、と。こんな風に身体ボロボロにしてまで、憎み続けなアカン相手ですか?睡蓮さんは何も知らんのに。彼女はごく普通に恋愛してるだけやもん」
「普通の……恋愛」
そう呟いた白詰は目を伏せ、今にも泣き出しそうな顔で深い溜息を吐いた。




