第五百三十八話 そういえば生霊って
車で睡蓮の宿泊先であるホテルへ戻った一行は、綱木を介してフロントマネージャーと顔合わせをし、出入り自由のお墨付きを貰う。
その上で、夜に捕り物を行う予定の部屋へ向かった。
このホテルでは一般的な料金の部屋だと綱木は言っていたが、エレベーターはぐんぐん上る。
30階を過ぎて漸く止まり、庶民の鈴音は『高層階や。値段も高そう』とビビり気味だ。
皆は特に何も思わないようで、目的の部屋へスタスタと歩いて行く。
「うん、まあね、私が泊まるんちゃうし」
そう呟いて小さく息を吐いた鈴音も、彼らの後を追った。
フロア自体にこれといった特徴はなく、廊下の両側に部屋の扉が並んでいて、突き当りに非常階段があるシンプルな造りだ。
睡蓮の部屋は、エレベーターホールと非常階段の中間地点あたりにあった。
「ここ。山田さん木村さんの話によると、普通のツインルームらしいわ」
扉の前で立ち止まった綱木の言い方から、中に入れて貰えるのは女性職員だけだと分かり、鈴音は驚く。
依頼を受けてやってきた綱木ですらお断りという事は、招かれざる彼氏なぞどう頑張っても入れる訳がない。
鈴音の脳裏に、微笑みながら黒いオーラを出すマネージャー山崎の顔が浮かび、『最強の門番や』と遠い目になった。
「ツインいう事は睡蓮さん、山崎さんと一緒に泊まってるんですか?」
「初日だけね。夜に御守り外したら、何か起きるか試してみたんやて。ほら、マンスリーマンションの方に問題あるんちゃうか、いう疑いも持っとったから」
「ははあ。その“何か”が起きたら直ぐ、睡蓮さんに御守りを着けられる人が必要やったと」
「そういう事。ほんで実際嫌な気配がしたから、慌てて御守り着け直して事なきを得たと」
その後、御守りさえ身に着けていれば問題ないと分かったので、独りの時間も欲しかろうと山崎は隣の部屋に移ったそうな。
「良かった、無事で。それにしても流石は幽霊……いや生霊ですね、高層階でも平気で侵入……、ん?あれ?」
急に眉根を寄せ顎へ手をやった鈴音を、皆が何事かと見つめる。
「あのー、生霊て空飛んだり壁すり抜けたりするんですか?悪霊は地面にも木ぃにもぶつかってたし、自由自在に空飛ぶ感じではなかったですけど」
鈴音が初めて遭遇し、ボッコボコに殴り飛ばした猫殺しの悪霊は、人と同じように樹木へ激突していた。あれでは壁を通り抜けられそうにない。
違いは何だと悩む鈴音に綱木が微笑む。
「そうか、そこの違いを説明してへんかった。魂に何が出来るかは、澱に触ったか触ってへんかで変わるんよ」
「澱ですか」
「うん。魂は本来、空飛ぶし壁すり抜けるねん。人が死んだ時、普段は1人1人の為に冥界への通路が開くから、その手の能力は要らんねんけど。震災みたいな大規模災害ん時なんかはそれやとややこいから、神が外に大きい通路を開けるねん。そこへ向かう為に、死んだ場所によっては飛んだりすり抜けたりが必要になるんよね」
ふんふん、と頷いているのは鈴音だけでなく茨木童子もだ。伝説の悪鬼も、細かい事までは知らなかったらしい。
そんなふたりの顔を見ながら、綱木は続ける。
「せやけど澱と接触すると、その本来の能力が失われてまうねんな。魂が重たなるんか、空は飛ばれへんし壁も抜けられへんように変わってまう。まあ何せ人から出た汚い感情を取り込む訳やから、肥溜めに落ちたとか、ヘドロまみれになったとでも考えたら分かり易いかな」
反射的に鼻を摘むふたりと、『肥溜め!ピッタリ!』とケラケラ笑う黄泉醜女。
「その代わり攻撃力が上がるんは、知っての通り。澱の力で武器は拵えるし、魔法みたいなんは使うし、見た目も幽霊やのうてゾンビ寄りになるし、性格悪なるし、もう面倒臭いことこの上ない」
迷惑だと顔に書いてある綱木を見やり、鈴音は大きく頷いた。
「地道に澱の掃除がんばりましょ。けど、今聞いた理論で行くと、生霊も悪霊化する恐れはあるいう事ですよね?完全に身体から切り離されてへんとは言え、魂には違いないんやし」
その場合、本体にはどんな影響が出るんだろう、と興味津々な様子に、綱木は困り顔になる。
「生霊の悪霊化は今んとこ前例がないねん。みんな身体から抜けて天井も屋根もすり抜けて、空飛んで攻撃対象の居る場所まで来るから」
「あ、そうか。空に澱は溜まりませんね」
「そういう事。狙た相手の近くにあった、とかいう不幸がない限り、生霊が澱に触る機会はまずないねん」
「ありがとうございます、よう分かりました」
人が想像する幽霊に近いのは、悪霊より生霊なのだなと鈴音は理解した。
「ほんなら夜に睡蓮さんの部屋で捕まえた後、エレベーターなり非常階段なりで一緒に下まで行っても大丈夫ですね」
「ああ、はいはい。本体と繋がってる部分も壁はすり抜けるから、特に問題はないよ」
綱木の返事を聞きつつ、念動力で拘束しておけるならエレベーター、荷物のように運ばなければならないなら非常階段だな、と左右に視線を走らせる。
手で運ぶ場合、姿隠しのペンダントを着ければエレベーターに乗れるかとも考えたが、もし途中で団体さんが乗り込んできてしまったらアウトなので諦めた。
「ホテルの外に出た後は、生霊と本体を繋ぐ糸みたいなんを辿ってったらええんですか?」
「うん、その通り。それが俺らには出来んかった」
溜息交じりの綱木を、鈴音も茨木童子も黄泉醜女も不思議そうに見つめる。
「簡単そうやのに、て思うやろ?まあ普通はそんな難しないねん。ただ今回の生霊、えっらい遠いとっから来てるみたいでなぁ。霊力の痕跡が辿りきれへんかってん」
「痕跡」
「そう。生霊て物凄い速さで移動するから、流れ星みたいに霊力が尾を引くねん。直ぐ消えてまうんやけど、消える前にこっちも霊力で追い掛ける。鈴音さんらみたいに、物理的に追っ掛けるなんて俺らには無理やからね」
綱木の霊力は広範囲に展開出来るので、そういった作業に最適だと鈴音は思う。その綱木がしくじるとは、一体何事であろうか。
「元々この件を担当してる松本さんらが、ある程度までは追跡してたんですよね?」
「してた。初日、区内のどっかに居てるやろ、思て構えとったらその範囲を出た。しゃあないから次の日、見失うた辺りで待ち構えて、さあ今度こそ!思たらまた範囲外に消えた。次の日も同じ。こらアカン、もっと広い範囲カバー出来る奴を呼ぼ、いうて俺に声が掛かった」
「で、綱木さんが霊力をレーダーみたいにして、見張ってたんですか」
「うん。府内全域と、どうも東に逃げよるみたいやから、そっちへちょっとハミ出して網張ってみたんやけど」
サラッと言っているが、普通は人の身でそこまで出来ない。周囲が人外魔境だから平凡に見えるだけで、綱木はとても強いのだ。
「かなりの広さですやん。それやのに辿り損ねたんですか?」
「アカンかってん。北寄りの東側へまだ続いとった」
「ありゃー、どこに住んでる人なんやろ」
生霊とは初めましてな鈴音はこの程度の感想しか出ないが、何度か遭遇している茨木童子や黄泉醜女は違った。
「本体の霊力どないなってんすかねソレ」
「正体が分かったらさぁ、スカウトした方がいいんじゃなーい?」
ふたりの反応を見て、霊力が強ければ強い程、遠くへ行けるし色々出来る、とワタツミに聞いた事を思い出す鈴音。
確かに、綱木の追跡を振り切れるのだから、とんでもない実力の持ち主だとは思う。
「でも、生霊なんか出てまうぐらい思い詰めるいうか、思い込み激しい人ですよ?しかも自分を捨てた男やのうて、交際相手の方を恨むような」
睡蓮が略奪と呼ばれる行為をしたなら、恨まれるのも仕方がないだろう。けれど今の所そんな様子も情報もない。
なのに彼女の方を狙う辺り、生霊の本体はかなり面倒な性格をしていそうだ。
鈴音の『危険人物では?』という顔を見て、綱木も複雑な表情で頷いている。
「これだけ強い生霊が出せるような霊力の持ち主は、殆どが子供の頃から澱や怪異が見えるから、相談受けた寺や神社、病院なんかから生活健全局に話がきてる筈やねん。でも該当する人は居てへんかった」
「あ、私の時も似たような話してくれはりましたね」
「したした。まあ鈴音さんは例外やったけど。今回みたいに霊力強いのにノーマークな人の場合は、親が子供の言う事に耳を貸さんと否定して、どこにも相談してへんパターンが多いんよ」
「あー……」
鈴音が微妙な反応になったのも仕方ないだろう。
神界へ飛ばされるという事故がなければ、未だにこういった世界の事は眉唾だと思っていた筈だから、親の気持ちも分からなくはないのだ。
ただ、我が子の声を頭ごなしに全否定するのはどうなのか、という思いもある。幼い子供にとって、親は世界の全てだというのに。
そんな鈴音の苦い表情を見て、綱木は分かる分かると頷いた。
「せめて、『家族だけの内緒にしとこなー』とか言い聞かせといて、医者に『うちの子こんなん言うんですけど、子供にはようある事ですか?』とか聞いて欲しいよなぁ」
「ホンマそれです。信じんでもええから、嘘吐き扱いすな。霊感云々やのうて、目ぇとか脳とかの病気が隠れてたらどないすんねん」
腹立つ、と顔を顰た鈴音を、皆なんだか温かい目で見ている。
綱木には息子が、黄泉醜女にはヒノカグツチが居るので、『うんうんそうだね』という気持ちなのだろう。茨木童子は自分を認めてくれた酒呑童子を思い出し、『兄貴は親としても凄い!』とか思っていそうだ。
「話戻すで?親に否定されると、子供は『アカン事なんや、怒られるんや』思て変なもんが見えても言わんようになる。でも、独りで黙っとくんもしんどい。もしかしたら分かって貰えるかも思て友達に喋って、大失敗するとこまでが“あるある”やね。ここで友達が理解してくれると、上手に開き直って生きて行けるらしい。実際にその境遇に置かれとった、いわゆる“ノーマークの人”やった子がそない言うてたわ」
この子、と綱木がスマートフォンに表示させたのは、生活健全局専用アプリ内の名簿にある、本省に勤務する女性職員の顔写真と名前だった。柔らかな表情だ。
「理解者てやっぱり大事なんですねぇ」
しみじみ呟いた鈴音に、茨木童子が大きく頷いて同意している。
綱木も表情を引き締めて頷いた。
「そう、大事やねん。親から否定されて、1人の理解者も得られんと、バレて気持ち悪い言われたらどないしよ思いながら生きるんは、絶対しんどい。きっと、自分だけ別の世界に居る気分やろ。そんなしんどい思いで凝り固まった心の持ち主が、今回の生霊の本体や思う。そういう人は大体、自分に備わった霊力を憎んどるから、俺らと働きませんかいう誘いには乗らへんわ」
「うわ、寧ろ敵視されそうな勢いですね」
「うん。攻撃されるかは分からんけど、普通に説得しよ思てもまあ無理やね」
そう言ってちょっと遠い目になった綱木と、幾度も頷いている茨木童子と、物凄く楽しそうな笑顔の黄泉醜女を見れば、どれほど大変な事かは簡単に想像出来てしまう。
「普通やない方法で攻め落とすしかないんかー……。よし、取り敢えず綱木さんは呼ぼ」
経験者がいれば安心、と拳を握る鈴音。
「いやそこは取り敢えず自力で頑張ってみよ、やろ」
「え、二度手間になったら嫌ですし」
キリッとした顔で言い切られ、綱木は『合理的っちゃ合理的……か?』と訝しげな顔で首を傾げた。
その後、ホテルを出た一行はコンビニエンスストアへ寄り、車内で遅い昼食を取る。これなら、黄泉醜女も人目を気にせず食べられるからだ。
おかずが沢山入った弁当と、レジ横の揚げ物と、デザートのプリンをゲットした女神様は、『紹介記事見て気になってたんだよねぇー』と大層ご機嫌だった。
夜まではまだ時間があるので、撮影が長引くようなら連絡を入れて貰う事にして、鈴音と茨木童子はこの辺りの澱掃除へ向かう。
車が気に入った黄泉醜女は、綱木と共に放送局へ戻った。
「さて、縄張り荒らしと行こかー」
「うっす」
鈴音は悪い顔でそんな事を言ったが、人口の多さから近隣より澱が溜まり易いこの市では、立ち寄ったついでの掃除は大歓迎されている。
澱の位置を示すマップ上に、物凄い勢いで“済”マークと鈴音のLEDアイコンが並び始めるや、この地域担当の職員達が『神キター』『猫キター』『どっちも違う笑』等と盛り上がったのが何よりの証拠だ。
そんなこんなで走り回ること数時間。
今日は21時頃に撮影が終わる、と綱木からメッセージが届いた。
「9時頃に終わるんやて。もうすぐやね。ドラマ撮影て真夜中までやったりするんか思てたけど、そうでもないんや」
「へぇー。ほなこの後からメシっすか?」
「どうやろ?軽く摘むぐらいちゃう?朝が早そうやから、さっさと帰ってくる思う」
その予想通り、22時半には睡蓮ご一行がホテルへ到着。ロビーで鈴音達と合流した。
ここから、鈴音と黄泉醜女は女性陣と、茨木童子は男性陣と共に動く事となる。
「綱木さん松本さんに迷惑かけんように」
「うっす」
「ま、ちゃっちゃと捕まえて下りてくるから待っといて」
「うっす」
茨木童子へ簡単な注意を与える鈴音は普段通りだが、おじさん達は違った。
「うちのコ大人しいし噛みませんよー、とかいう飼い主の言葉ほど信用ならんもんは無い思いませんか」
「それ。そら飼い主には忠実やろけども、いうやつな」
どうやら、伝説の悪鬼を大きい犬か何かに例えているらしい。
するとそこへ、茨木童子を連れて鈴音が寄ってきた。
「ほなお願いします。扱い方間違えたらどえらい事になるんで、くれぐれも気ぃ付けて下さいね」
「噛むから気ぃ付けろ言うタイプの飼い主」
「猛犬いや猛獣注意か。無理や猛獣使いちゃうし」
笑顔の鈴音と顔色の悪いおじさん達を見比べ、『姐さん遊んどるなー』と茨木童子は半笑いだ。
そのまま特に発言内容の訂正もせず、女性陣の方へ去って行く飼い主いや鈴音を目で追い、綱木は溜息を吐いた。
「お手柔らかにな?俺も松本さんも普通の人やから」
「うっす。別に取って食うたりせぇへんっすよ。大人しぃにここで待っとくっす」
微笑みと共に告げられ、まあ確かに今夜は茨木童子が殺気立つような事もないだろう、とおじさん達は頷き合う。
でもやっぱり本当の所は怖いので、早く来てくれないかなあと生霊の登場を待ち望んだ。




