第五百三十六話 撮影スタジオへ行こう
カラオケ店を後にした一行は、鈴音と茨木童子を警護対象の坂田睡蓮に会わせる為、撮影スタジオへ向かう事にする。
まずは、綱木と松本が駐車場を使わせて貰っているホテルへ戻った。
車が出てくるのを待ちながらホテルを見上げた鈴音は、ふと湧いた疑問に首を傾げる。
「このホテルに睡蓮さんが泊まってるんですよね?撮影スタジオの場所考えたら、ドームよりお城の近くの方が便利や思うんですけど、何でまたここに?」
「ああ、それなぁ。なんでも、週末に彼氏がこっち来るんやて。ドームでライブする為に」
綱木の答えに鈴音は目をぱちくりとさせた。
「あのバンド、地方のドーム埋められる程の集客力あるんですか?4万人とか5万人とか入りますよ?」
「それは知らんけど、単独ライブやのうて音楽イベントらしいで?アイドルなんかも出るような」
「あー、そういう事ですか。そのイベントに出る彼氏と会う為に、ドームそばのホテルがええと」
毎日毎日撮影で忙しい睡蓮からすれば、彼氏と会える貴重な時間だと思ったのだろう。
ただ、彼氏を部屋に呼びたいと言った所で、マネージャーの許可が下りるとは思えない。
どうするのかなと首を傾げる鈴音へ、まるで心の声が聞こえたかのように、悪い笑みを浮かべた黄泉醜女が口を開く。
「ぜぇったい無理だよねぇ、会うとか。時間差で同じホテルに入る2人の写真とか動画が欲しくてぇ、記者が待ち構えてんじゃん?」
「ですよね」
「睡蓮ちゃんの事務所はぁ、彼女の希望を叶えたフリだけしといてぇ、彼氏側に『日帰りだから会えないって言っとけ』とか圧力掛けてる筈ぅー。あ、睡蓮ちゃんの事務所は大手、彼氏の方は弱小ねぇー」
もう女神様から芸能情報を教わる事にも慣れた鈴音は、そういう力関係ならその通りになりそうだ、と頷いた。
いくら交際宣言をした恋人同士とはいえ、ホテルで夜を共にしたなんて記事が出ると、少なからず主演ドラマに影響が及ぶ。
例えば逆境に耐えるヒロインを熱演しても、『大変だけど夜はダーリンとイチャラブだから平気』だとかSNS等に書き込まれ、台無しにされたり。
登場人物と演者を同一視する層が令和の今も僅かながら存在するので、『ヒーロー以外の男と密会なんて!』等と言われる事もあるだろう。
女優のイメージを守りたい事務所としては、ドラマ放送中の逢瀬は全力阻止で決定だ。
「まあでも圧力掛けるまでもなく、生霊の正体によっては週末までに破局するかもしれませんしね」
鈴音が身も蓋もない事を言えば、黄泉醜女はケラケラ笑い、茨木童子は深く頷いている。おじさん達は微妙な表情だ。
「一応彼氏は潔白で、自称ファンのストーカーが暴走してるだけかもしらんよ?宝くじの1等前後賞纏めて当たるぐらいの確率やとは思うけど」
助け舟に見せ掛けた泥舟を出す綱木に、茨木童子も笑い出し、黄泉醜女は『苦しー!』と腹を抱えている。鈴音の顔にも悪い笑みが浮かんだ。
「うちの上司が容赦ない」
「いやー、そらぁまあねぇ。彼女が困ってんのに、女性問題なんぞない!で終わりておかしいやろ?せめて、うちのバンドのファン層考えたら、勝手な思い込み拗らせた女の子は居るかもしらん、ぐらい言うたらええのに」
「もっかい聞いたらそれ言うんちゃいます?最初に聞かれた時は『バレたらヤバい!』て焦りまくって、隠したい事の方しか考えられんかったんかも。不自然やったて気付いて『彼女が狙われたて聞いて動転してしもたけど、よう考えてみたら……』とか今更な言い訳しそう」
顎に手をやった鈴音の意見には、全員が『あー、多分それ』と同意する。
話を続けようとした時、ちょうど駐車場から車が出てきたので一旦やめ、振り分けはどうしようかと綱木が松本を見た。
「ひとりやと寂……」
「皆さん綱木さんの車で!俺の運転荒いから、気分悪なるかもしれませんし!」
うっかり茨木童子とふたり切りになったら怖い、と思っているのか、松本は綱木の言葉を遮ってまで必死の乗車拒否。
伝説の悪鬼は常に鈴音とセットなのだが、そんな事も忘れてしまうくらい“藤原”や“坂田”で殺気立った茨木童子が怖かったらしい。
「ほな俺の車で行こか。黄泉醜女もどうぞ。20分程ドライブします」
同じく茨木童子は怖いものの、鈴音が居れば大丈夫だと分かっている綱木は、やれやれと笑いながら皆に自身の車を勧める。
珍しい体験に黄泉醜女は大喜びだ。
「やったぁ、走んなくていいとかラッキー。どこ乗る?後ろ?」
「はい。私が助手席に座るんで、ツシコさんは茨木と後ろの席に座って下さい」
鈴音が後部座席のドアを開けてやると、女神様はスルリと乗り込み満面の笑みを浮かべた。
「じっとしてても目的地に着くとか、楽でいいねぇー」
「そっすね。足が遅いんやったら速い乗り物拵えたらええとか、人も色々考えてんすね」
隣に座った茨木童子もしみじみと頷いている。
「ほな行きますよー」
後部座席に女神と悪鬼、助手席に神使という人外魔境な車は、綱木の優しい運転で滑らかに走り出した。
20数分後、お城を囲む大きな公園や府警本部のそばにある、公共放送の立派なビルに到着。
車は楽屋口がある関係者用の駐車場へ入り、そこで綱木はどこかへ電話を掛けた。
「あ、お疲れ。鈴音さんと茨木つれてったで。……ふんふん、おー、分かった。ほな待っとくわな」
電話を切った綱木が、懐から出した入館証を首に下げる。
「今、これと同じ物ふたり分、睡蓮さんについてる子が持ってってくれるから」
「そっか、一般公開されてるとこ以外に入るには、許可証が要るんですね」
「そういう事。黄泉醜女は姿隠してて貰たらええけど、鈴音さんは見えとかな紹介出来ひんし」
頷いた鈴音は、わざわざ隠れて侵入しなければならない理由もないので、大人しく入館証がくるのを待つ。
少しして、髪を後ろで1つに括ったパンツスーツ姿の若い女性が駐車場に現れ、小走りで車に近付いてきた。
「お疲れ様です。はいこれ」
女性は降車して待っていた綱木に入館証を渡し、隣に立つ鈴音を興味津々の顔で見やる。
「私、山田美百合です。あなたが猫神様の神使で輝光魂の?」
「はい、夏梅鈴音です。こっちは茨木童子。それとツシコさ……黄泉醜女さん」
噂の鈴音にばかり気を取られ、恐ろしい存在をすっかり忘れていた山田は、茨木童子を見てきょとんとした。
「え、フツーに超イケメンなだけやん」
「いやいやいやいやいやいやいや」
後ろにこっそり合流していた松本が、山田の能天気な感想に真顔で手と首を振っている。
黄泉醜女へ会釈していた山田は、『何してんのやろ、うちの上司』という表情だ。
「うん、まあ男前である事は間違いないから。殺気さえ出てへんかったら只のイケメンやわな」
微笑んではいるが遠い目をしている綱木の反応で、漸く山田もこの男前な兄ちゃんが危険な悪鬼だと理解した。
「うわー、綱木さんが怖がるヤバい鬼とコンビ組んでるとか、流石は神使やなぁ」
別に相棒という訳ではないのだが、いちいち訂正するのも面倒なので曖昧に微笑み、鈴音は綱木から入館証を受け取りつつ本題について尋ねる。
「それで、守らなアカン女優さんには直ぐ会えるんですか?」
「おお、そうやった。今ちょうど撮影中やねんて。音楽ホールで歌也さんの歌唱シーンやんな?」
綱木に問われ、山田は大きく頷いた。
「主人公に励まされて夢を追っかけた親友が、夢叶えて人気歌手になって凱旋公演する、いうシーンやそうです。エキストラで客席埋めて、本格的に一曲歌うとか言うてました」
これに食い付いたのは勿論、茨木童子だ。
「それ、聞かれへんっすか!聞きたいんすけど!」
「うわビックリした!え、と、どないしたんですか?」
凄い勢いで迫られ、山田が困惑している。
どうどう、と宥める鈴音の横で綱木が説明した。
「んー、茨木童子は、歌也さんを酒呑童子の子孫や思てるから。晴れ舞台なんかは是非ともチェックしときたいんちゃうかな?」
「あっ、そういえばそんな話を聞いたような気が。夏梅さんが歌也ちゃんの事件担当で、そこで知り合ったんでしたっけ。そっか、それなら見たいかー。ひょっとしたら、舞台袖でコソッとなら行けるかも?」
要は画面に映り込まなければいいのだ。ホール側に出なければ問題なかろう、と判断した山田は、歌也のマネージャーに電話を掛けた。
「すんませーん、今オッケーですか?あ、良かった。睡蓮ちゃんの警護担当が増えたんですけど、前に歌也ちゃんの事件担当した夏梅さんで。そうですそうです。ええ、今ここに……え?あ、そうなんですか?そしたら急いで行きますねー」
スマートフォンを仕舞った山田が、ビルを指差す。
「なんや歌也ちゃんがムッチャ緊張してるとかで。夏梅さん知り合いやったら励ましたって欲しい、とか言われたんで、行きましょ」
言うが早いか走り出す山田。皆も慌ててついて行く。
「歌也さん緊張なんかしそうになかったのに」
「そっすね、どないしたんすかね」
鈴音と茨木童子は首を傾げながら関係者入口を通り、黄泉醜女は物珍しそうに周囲を見回していた。
階段を駆け上がり音楽ホールへ辿り着くと、歌也が居るという楽屋へ向かう。
「えーと、ここや」
先頭の山田がノックして返事を待つ間に、おじさん達は息を整えていた。階段一気は辛かった模様。
「はい。あ、山田さん」
扉を開け顔を見せたのは、20代後半の女性だ。
「夏梅さんつれてきましたよ」
そう紹介された鈴音は、この女性が歌也の新しいマネージャーかと会釈する。
「歌也のマネージャーの井上です。すみません無理を言って。舞台には慣れている筈なんですけど、カメラの前だから勝手が違うのか、かなり緊張してるんです」
扉を大きく開けた井上が一行を迎え入れようとすると、中から歌也の声がした。
「ごめん!鈴音さんと2人にして欲しい!」
これには井上が目をぱちくりとさせ、茨木童子は恨みがましい視線を鈴音へ向けてくる。
どういう事だろうという空気の中、ご指名を受けた鈴音の方こそ、『なぜに?』と解せぬ顔だ。
しかしここで断るのも人としてどうかと思うので、茨木童子に待てを言い渡し、ひとり楽屋へ入った。
「はいこんにちは、お久しぶり?」
努めて明るく声を掛けると、白い清楚なドレスを着て黒髪を結った歌也が、どんよりとした表情で振り向く。
「うわあ。折角の別嬪さんが台無しやん。どないしました?」
「うー……。自信がない。勇気が出ない。なんか不安」
「そらまた何で?」
尋ねた鈴音をチラリと見て、歌也は溜息を吐いた。
「マネージャーが違うからかも」
「あ、成る程それで人払いしたんかぁ」
前任のマネージャーは、歌也が呪いの影響を受ける羽目になった愛憎劇を演じた1人だ。
「あの人はどないなったんですか?」
「減給処分になって、デビュー前のアイドルグループの担当になったみたいです」
「クビにはせんと、地道な営業が必要なとこでこき使うか。彼女もあの男を見返したい思て頑張るやろし、会社的には一石二鳥や」
先に手を出したのは男の方だった事から、相手方の事務所とは上手く折り合いを付けたのだろう。
「でも歌也さんは、今のマネージャーよりあの人の方がええんですか?」
「や、そうじゃなくて。井上さんに不満は全然ないんですけど」
「けど?」
「なんだろ、わかんないです。なんか不安」
不安という言葉を繰り返し、両手で両肘を抱える歌也を見て、鈴音は小首を傾げる。
「前は、楽屋に居る時とか出番前とかに、背中叩いて貰うとか気合入れる言葉を言うて貰うとか、2人でのルーティン的なものはありました?」
「んー、そういうのは特になかったです。でも、私の歌はお客さんを驚かせるよ、とかは言ってくれました」
褒められて伸びるタイプか、と理解し鈴音はポンと手を打った。
「分かった。今日はお客さんちゃうから不安なんや」
「え?」
「ほら、今日はエキストラなんでしょ?客席。せやから、驚いてくれへんかも?驚いた演技されるんかも?思て不安になったんや思いますけど、どう?」
「あ……」
顔を上げた歌也へ、鈴音は畳み掛ける。
「相手は言うても俳優さん達な訳で、しかもテレビドラマに関しては先輩ばっかりで。人気歌手いう“設定”の自分が歌ても、本気の拍手なんか貰われへんの違うやろか」
「うん」
「それが画面通して伝わって、何やミュージカル女優とか偉そうに言うててもこの程度?とか視聴者に思われたらどないしよ?」
「うんうん」
ここで、眉を下げて泣きそうになっている歌也へ、鈴音は満面の笑みを向けた。
「でも大丈夫!何故なら、ミュージカルが超苦手なこの鈴音さんが、歌也さんの歌だけには度肝を抜かれたから!」
「え?鈴音さんミュージカルだめだったの?」
「うん。セリフの途中で急に歌って踊られたら、もうどないしてええか分からへん。ひぃぃぃフツーに喋ってぇやー!てなる」
胸に手を当て遠くを見る鈴音に、歌也はポカンとしている。
そういった人種が居る事は知っていても、出くわしたのは初めてなのかもしれない。
「ただ、歌也さんの歌うシーンだけは、ひぃぃぃてならへんかってん。負の感情に引っ張られて落ちて行く少女の、虚しさ悔しさ怒り。それ以上に溢れ返る悲しみ。よし皆殺しや、みたいな顔してんのに、歌からは悲しさが感じられてもう、うわぁ可哀相やんか何してくれてんねん王子の阿保!てなったよね」
一緒に見ていた地獄の鬼なぞ、王子を殴りに行っていいかとまで言っていた。
「マイナスの状態で見てた人の心をここまで揺さぶれるねんで?エキストラなんか瞬殺や」
「殺さない殺さない」
「あはは、好きにさせなアカンのやった。大丈夫大丈夫、心配せんでも、帰りにスマホで渡辺歌也て検索する思うよ。殆どの人が」
鈴音が悪戯っぽく笑うと、釣られて歌也も笑う。
「なんか、大丈夫な気がしてきた」
「大丈夫や絶対。人気歌手として凱旋するんやろ?もう全力出したったらええねん。ヒロインより目立ったらマズいかなー?とかいう遠慮は要らんねんから、今日は」
前回見たミュージカルでは、歌也の歌唱力だけが別格だったのだ。全力を出したら周りが霞むどころか、消し飛んでいたと思われる。
そこを指摘され、肩をすくめ舌を出した歌也は、すっかり緊張が解けた顔で笑った。
「じゃあ本気で歌ってくる。せっかくだし鈴音さん客席に入れないかなぁ?」
「そら無理やわ。でも袖で聞いとくから」
「よーし、頑張る!」
ふんっ、と息を吐いてやる気満々になった歌也に頷き、鈴音は扉へ向かう。
「ほなマネージャーさんに入って貰うよ?」
「はーい」
元気な返事を背に扉を開けると、心配そうな井上と目が合った。
「もう大丈夫みたいですよ」
「良かった、ありがとうございます」
ホッとした井上を通し、入れ替わりに外へ出ようとして、はたと気付いた鈴音が中に声を掛ける。
「私だけやのうて、仲間も一緒に聞いてもええ?」
「ぜひー!」
一段と元気な声が返ってきた事に微笑み、茨木童子に親指を立ててみせた。
「うっす、流石は姐さんっす」
先程の恨みがましい視線はどこへやら、酒呑童子の事が好き過ぎる悪鬼は、手を合わせて鈴音を拝んでいる。
「現金なやっちゃなー」
呆れ笑いの鈴音とご機嫌さんな茨木童子。
そんなふたりのやり取りを、松本や山田は初めて猛獣ショーを見た人のような顔で眺めていた。




