第五百三十五話 女神の方が流行りに詳しい件
姿を隠した黄泉醜女と共に、一行はドーム球場から直ぐのビルにあったカラオケ店に入る。
店員からチラリと向けられた、『変なグループだな』という視線は綺麗に無視し、部屋へ案内して貰った。
ドリンクの注文を済ませ店員が下がった所で、初めてカラオケボックスに来てウッキウキの黄泉醜女が、ズイとマイクを差し出す。
「……ツシコさん?」
首を傾げた鈴音へ向ける女神様のお目々は、もうキラッキラもキラッキラだ。
「これってさぁ、好きな歌が歌える機械でしょぉ?どうせあの店員が飲み物持ってくるまで詳しい話は出来ないんだしぃ、やって見せてくんなぁい?」
「えぇー……?」
「だぁってさぁ、ドラマとかで偶に出てくるけど、どうなってんのか分かんないから気になっててぇー」
こっそり人のスマートフォンを覗き込んでは、面白動画に漫画、ドラマまで見ている黄泉醜女。
歌手でもない人々がマイクを握って盛り上がるシーンを見て、何がどうなっているんだろうと不思議に思っていたそうな。
「……まあ確かに、無言で顔突き合わしてんのも変ですし、綱木さん一曲いっときますか」
ここは上司に花を、と鈴音が入力端末へ手を伸ばすも、綱木は慌てた様子で首を振っている。
「俺、歌はアカンねん。音痴ではないねんけど、選曲でポカンとさしてまうんよ」
「まさかのボカロ曲とかですか?」
「いや、洋楽。昔の」
「あー……、そら微妙な空気になりますね」
まだド演歌を熱唱された方が、手拍子などで誤魔化せる分マシかもしれない。
「ほな松本さん、お願いします」
「おー、ええの?そしたら……」
こちらのおじさんは、若者でもサビなら分かる人気アーティストの曲を選択した。
黄泉醜女が興味深げに見守る中、鈴音が端末に指を滑らせ選曲完了。
即座にアップテンポの音楽が大音量で鳴り響き、仕組みを理解したらしい黄泉醜女が大喜びで踊り始めた。
実は玄人はだしの歌唱力を持っていた松本に乗せられ、ライブ会場よろしく盛り上がっている間にドリンクが運ばれてくる。
黄泉醜女の為にと鈴音が注文したのはコーラだ。
おじさん達のコーヒーと見分けが付かなかったようで、匂いを確認してから茨木童子がグラスを押しやっている。その茨木童子はといえば、オレンジジュースを確保していた。まだコーヒーは苦手らしい。
思いの外盛り上がった曲が終わり、やんやの拍手を受けた松本が照れながら喉を潤す。
釣られてコーラを飲んだ黄泉醜女が、目をまん丸にして驚いた。
「んぐ。なにこれ、すんごい刺激なんだけど」
「人界で長く愛されてる飲み物です。コーラ、聞いた事ありません?」
「あ、これがそぉなの!?へぇー!」
「ヒノ様にはまだ早いですかね?」
「そだねぇ、ちょーっと刺激が強いかも。もちょっとおっきくなってからだねぇー」
黄泉醜女の見解を聞き、鈴音の中の疑問がひとつ解消される。やはり冥界でも神は育つのだ。
人とは成育速度が違うとしても、育つ事は確定したので、しっかり見極めて贈り物の種類を変える必要が出てきた。
その辺は子育て経験のある上司に相談だな、と頷いてから、『では』と皆に視線を巡らせ本題へ入る。
「生霊が面倒臭いもんやいうんは、ワタツミ様にも虎ちゃんにも茨木にも聞きました。ツシコさん曰く、愛憎劇の果てに女性が出すもんらしいですけど、ホンマですか?」
鈴音の質問に綱木は苦笑いし、松本は目の前のイケメンが茨木童子だと思い出して固まった。
松本がフリーズしてしまったので、答えるのは綱木だ。
「そうやなあ、恋に思い詰めた女性が出す事が多い、が正解かな。けど男の生霊がゼロかいうたら、そんな事もないねんで」
「ツシコさーん?」
半眼で鈴音が睨むと、黄泉醜女は下手くそな口笛を吹きながら横を向く。
「ふふ。男の場合は恋愛関係より、仕事関係の嫉妬が殆どやけどね。現代より、遥か昔の藤原氏とか……」
平氏とか北条氏とか、と続けたかった綱木だが、茨木童子の目がギラギラして怖いので黙った。
「茨木、目ぇヤバいで。まあ吠えへんようになったんは進歩や思う」
「うっす。あざっす」
鈴音との短いやり取りを見て、確かに進歩しているなとは思いつつ、でもやっぱり怖いから英雄を連想させる名字には気を付けよう、と綱木は小さく身を震わせる。
松本に至っては先程のノリは幻かと疑う程、顔色を悪くして縮こまっていた。彼が小心者なのではなく、これが普通の反応である。
茨木童子は、誰もが恐れる伝説の悪鬼なのだ。
そんな伝説に姐さんだとか呼ばれている鈴音が、話をもとに戻す。
「それで、今回の生霊はやっぱり女の人なんですか?」
「そうやねん。攻撃対象が、世間へ向けて交際宣言したばっかりの女性やから、生霊の本体がその女性の交際相手に惚れとる確率が高い」
そう言って綱木は松本を見やるも、残念ながら茨木童子に怯えて固まっているので、話を引き継ぐのは難しそうだ。
困ったように笑って、そのまま綱木が続ける。
「交際宣言いう言い方で分かるように、攻撃されてんのは女優さんやねん」
「また女優!」
「ははは、そうなんよ。朝のドラマで主演務めとって、こっちに長期滞在中やねんな」
その手のドラマを見ない鈴音や茨木童子が首を傾げる中、ポンと手を叩いて名前を口にしたのは黄泉醜女だ。
「坂田睡蓮!ホントは結婚するまで隠しとくつもりだったのに、週刊誌にバレたから発表したとかいうあれじゃーん!」
「あー、名前は知ってます。CMもよう出てますよね」
「坂田……!」
鈴音は一般人と同じ反応だが、茨木童子はまたしても目に殺意を宿している。
「ちょ、坂田さんもアカンの!?」
「金太郎、兄貴の仇っす……!」
「ありゃまー、歌也さんに続き警護対象の名字がNGワード」
歌也とは、渡辺歌也という酒呑童子に瓜二つの歌姫を指す。茨木童子が人社会に馴染みたい理由が彼女だ。
「キャハハハハ!面倒臭ぁい!藤原も渡辺も坂田もよくある名字じゃんねぇー」
殺気立つ悪鬼に黄泉醜女は笑い、鈴音は困り顔になっただけだが、綱木は『勘弁してくれ』と顔を洗いたくなり、松本は涙目だ。
でもこのまま怯えていては話が進まないので、綱木は気合を入れて口を開く。
「因みに、歌也さんもドラマに出てんねん。主人公の親友役で。それで坂……睡蓮さんから、最近どうも変な夢ばっかり見るし、夜になると誰かに見張られてるような気になる、いう話を聞いたんやと。せやから、そういう時は御守りがええんやで、てアドバイスしたったらしい」
「ああ、呪いには効果絶大でしたもんね。生霊にも効くんですか?」
その辺に疎い鈴音が尋ねると、綱木も黄泉醜女も頷いた。
「呪いも生霊も似たようなもんやから」
「弓とか鉄砲とかで遠くから狙うのがぁ、呪い。霊力なくてもぉ、撃つのが上手い人に頼んだりも出来るよねぇー。でぇ、霊力高い本人が直接ぶん殴りに来んのが生霊、みたいな感じー」
「せやから御守りは効くねん。ただ、呪いは本人が望んでかけるもんやけど、生霊は無意識に出してんのが殆どなんよね」
呪いと同じ威力がありながら無意識とは、と鈴音が怪訝な顔をする。
尤もな疑問だと綱木は微笑んだ。
「思い詰めて思い詰めて、でもどないしようもない、殺したいぐらいやけどそれはやったらアカン、色んな人に迷惑かかる、て理性で抑え込んでんねん。起きとる間は」
「起きてる間?あ、生霊て寝てる時に出るもんなんですか?理性が働かへんから?」
「そういう事。狙われた人が悪夢を見たり、夜になると気配を感じんのはそのせいやね。ほんで、無意識やから呪いと違て、御守りで弾かれても弾かれても、ずーっと仕掛けてくんねん」
呪いなら弾かれた事が術師に伝わり、諦めるにしろ御守りの力を上回る攻撃をするにしろ、何らかの動きはある筈だ。
「ほな生霊は延々と襲撃しながら、どないかして御守りの壁を突破しようとする訳ですか」
鈴音の脳内には、分厚い壁をを殴り続ける般若が浮かんでいる。
「うん。本体の霊力がそこそこやったら、御守りが負ける事はまずないねんけど。今回のん、どうも相当強いみたいでなあ」
「そっか、綱木さんが参戦しても逃げ切るぐらいですもんね」
チラリと松本を見ると、小さく何度も頷いていた。茨木童子が落ち着いたお陰で、幾らか顔色が戻ったようだ。
「御守り身に着けとっても気配感じるようになってったらしいから、あんまり時間的余裕はなさそうやいう話になって。本人さんは、強いて言うならオーディションで蹴落とした人には恨まれとるかも?程度しか思い付かへんみたいやし、一応そっちも当たりつつ、交際相手の方にも話聞こか、と」
「何ぞ身に覚えはあらしまへんかー、前の彼女と揉めてまへんかー、て聞いたんですか?」
コテコテの関西弁でおどけた鈴音に、綱木は大きく頷いてみせる。
「まさにそんな感じの事を、向こうの事務所通して確認したんよ。けど、自分は睡蓮さんが初めての彼女やから、女性関係で揉めるとか有り得へん、いう答えが返ってってなあ」
「ん?ん?向こうの事務所?彼氏も芸能人なんですか?」
「あ、言うん忘れとった。えーと、ナントカいうバンドの……“思春期ハウリング”いうバンドのボーカルやねん」
スマートフォンを出して資料を確認した綱木が告げたバンド名に、鈴音は『あー、何か聞いた事ある』と呟き、茨木童子は『何やそのけったいな名前』と怪訝な顔だ。
とても薄い反応を見せたふたりの為に、黄泉醜女が解説を買って出た。
「名前の通り、青臭い感じのラブソングばっか歌ってるバンドらしいよぉ?んでぇ、ボーカルのコはボサッとした垢抜けない感じなんだけど、よく見たら割といい男でぇ、子犬系大型犬とか言われてるんだってさー」
「日本語の乱れが気になってしゃあないんですけど。なんや子犬系大型犬て意味わからん」
鈴音の眉間に皺が寄る。
「キャハハ!見た目モフッとした大型犬なのに、雰囲気が捨てられた子犬っぽいんだってよぉ?しかも、コミュ障だから彼女いない歴が年齢でぇ、ソッチの経験も無しって公言してたんだってぇー。因みに26歳ねぇー」
黄泉の国の女神様から芸能情報を教わるという不思議体験をした鈴音は、軽く頭を掻いてから溜息を吐いた。
「バンドやってる割といい男26歳が、彼女いない歴はともかく童貞な筈がないやないですか。世間はそれ信じてたりするんですか」
「若いファンは信じてるみたいよぉ?青い歌詞と彼女いない歴年齢なボーカルの合せ技でぇ、10代女子に大人気だって書いてあったしー」
そう言っている黄泉醜女はコーラを飲みつつ半笑いなので、全く信じていない事が分かる。
おじさん達も茨木童子も、『無理がある設定だな』という顔だ。まともな大人ばかりで鈴音はホッとする。
「ただ、1億総カメラマンな現代で、すっぱ抜かれたんが女優さんとの交際だけいう事は、分かり易くファンを食い散らかしたりはしてへんいう事ですね」
「そりゃ公式設定がソレなんだから、『彼といたしちゃったぁキャハ!』みたいに自慢しそうな子はダメだよねぇ」
となるとプロのお姉さん頼みが多そうだが、彼女達は生霊を出すほど客にのめり込まないので、今回の件に関しては除外していいだろう。
「んー、ここまでの話纏めた感じやと、女優さんが絞り出した『オーディションで蹴落とした人』の可能性もないとは言い切れませんけど、変な公式設定がある彼氏絡みの方が断然怪しい思いました」
渋い顔になった鈴音が意見を述べると、皆が大きく頷いて同意する。
「関係を持った素人の女性が居ったとしても、絶対バレる訳にはいかへんのやろね」
溜息交じりに綱木が言えば、黄泉醜女は笑った。
「キャハハ!そりゃさぁー、こっからガンガン売り出すつもりの女優に男が居ましたぁなんて事になって、睡蓮ちゃん側の事務所はイラッとしてんじゃん?でもまー、純朴な感じを売りにしてる男だしまだマシかぁ、って思いながらこの先の売り方とか考えてる時に?実はゲス野郎でした、なんてバレたら?ヤっバいよねぇー?」
ヤバい等と言いながらも、その顔は実に楽しそうだ。
本当にゴシップが好きなんだなあ、と鈴音は生温い目になりつつ、今後の方針を提案する。
「ま、取り敢えずライバル女優さん達の様子と、彼氏の女性関係を探りもって、生霊とも直接対決すんのが現実的ですかね?」
「そうやね。睡蓮さんは、マンスリーマンションから一時的にホテルへ移ってんねんけど、夜には鈴音さんが一緒に居れるように話してみよか」
神の使いだと言えば断らないだろう、とそこに関してだけ綱木は楽観的だ。
「はい、お願いします。ホテルに移動したんは、生霊の気配のせいですか?」
「うん。部屋に変なもんが憑いてんちゃうか、て疑うたらしい。結局はホテルでも気配感じたから、場所は無関係やて理解したみたいやけどね」
「生霊は攻撃対象を自動追尾するんですね、怖いやろなぁ。部屋で遭遇したらムカついてシバいてまいそうですけど、アカンのですよね?」
鈴音が拳を握ると、綱木も松本も目に見えて慌てた。
「シバいたら本体の命が危ないから、絶対アカン」
「穏便に穏便に」
「分かりました。触るんはオッケーですか?」
「触る……?」
何故に、とおじさん達はきょとんとし、黄泉醜女が助け舟を出す。
「フツーの人と同じだと思えばいいよぉ?フツーの人、殴ったら怪我したり死ぬじゃん?そんな感じー。だから触るだけならヘーキヘーキ」
「おー、分かり易い。ほな捕まえて、本体のとこまで案内して貰いますね」
何でもない事のように言った鈴音に目を見張り、綱木へと視線を向ける松本。
目が合った綱木は真顔で頷く。
「鈴音さんなら出来るかもしらん。いうより、鈴音さんに無理やったら、誰も本体には辿り着かれへんわ」
「そうなんですね、神使はあの距離を行けるんや」
興奮気味の松本を眺めつつ、何の話だろうなと首を傾げる鈴音。
その横では茨木童子が曲の入力端末を弄っており、『これか』と呟いて選曲した。
突如として流れ始めたミディアムテンポのポップな曲に、皆が何事かとモニターを見る。
画面には、チョコチップクッキーというタイトルと、作詞作曲・思春期ハウリングと映し出されていた。
公式プロモーションビデオが使われており、噂の子犬系大型犬が現れ歌い出す。
「……うわぁ。ボサボサヘアに見せかけた、緩いパーマかけて完璧にセットした頭や」
「ガタイもそこそこええっすね。モテ方知っとるやろ」
「服装に無頓着とか思わせといてぇ、ハイブランドのざっくりニット着こなしちゃうんだぁ」
鈴音と茨木童子と黄泉醜女が容赦なくツッコむので、綱木と松本にもボーカルの男が大変あざとく見えてきた。
「バンドメンバーも似たような格好やのに、彼だけ嘘臭ぁに思える」
「俺らこの一瞬で洗脳されましたね」
女神と神使と悪鬼が怖い、とおじさん達はわざとらしく怯えてみせる。
「えー?ホンマに怖いのは、彼女の危険を無視してまで嘘のキャラを守りに入ってる彼と、それをよしとしてる周りでしょ?私達怖クナイヨー」
最後が棒読みの鈴音に、おじさん達は怖い怖いと大騒ぎだ。
因みにここまで曲に関する感想がひとつもないのは、『キミが作るチョコが溶けて流れた残念なクッキーが恋しい』とかいう、クッキーを焼いた事がないと分かる上に何番煎じだか分からない表現の歌詞が胸に刺さるような、清らかな心の持ち主がひとりも居ないからである。
何はともあれ男の顔を覚えた鈴音は、こんなのに恋い焦がれて生霊出しちゃう人も居るんだな、とファンに聞かれたら刺されそうな感想を心の中で呟いていた。




