第五百三十二話 敏腕マネージャー虎吉
話を聞き終えたヘカテは、呆れ顔で溜息を吐く。
「異世界での神殺しが、巡り巡ってそんな騒ぎを引き起こすとはな」
「そうなんですよ。早い事なんとかせな、人口が桁違いの国に逃げられたら、もう手が付けられへんいうか」
「確かに。ただそうなると、疑問が出て来るのだ。何故、我に頼る?そなたの国にも闇を司る神は居ろう」
不思議そうなヘカテへ、はい御尤もとばかり頷き、鈴音は申し訳なさそうな顔をした。
「実は、先程お話し致しました通り、私はイザナミ様に可愛がって頂いているんですが……」
無意識に虎吉を撫でつつ、日本の神々の複雑な事情を説明する。
幸か不幸か、ギリシャの神々も色々とややこしいので、その辺りはすんなり理解して貰えた。
「何と言うべきか……、どこも似たようなものだな」
遠い目をするヘカテ。
「あははー、私からは神様も大変ですねとしか」
夫婦喧嘩や親子喧嘩のとばっちりを受けて面倒臭い、と思ってはいるが言えない鈴音は、笑って誤魔化すしかない。
「ふーむ、そういった事情ならば協力するのは吝かでない……と言いたいが、流石にこのまま我が出向くのは問題がある」
横にお座りしているメランを撫でながらヘカテが渋い顔をし、鈴音もやっぱりかと頷いて顎に手をやった。
「日本の神様の入国許可が必要ですか?」
「そうだ。そちらの、死の神、闇の神、夜の神、月の神、豊穣の神の許しがなければ、我がそなたの国に降りる事は出来ない」
うっかり『司るもの多過ぎィ!』と言いかけ慌てて呑み込んでから、鈴音は唸る。
「んー、ちょっと落とし物したから探しに来たよー、みたいなノリではアカンのですか?」
鞍馬天狗の提案をそのまま口にしてみるが、ヘカテは微妙な表情だ。
「一度切り、ほんの僅かの時間なら、そちらの神々も気にはせぬだろうが……。その一瞬で狡賢い魂を確実に拘束出来るのか?」
「それは……。そうですね、当たりを付けた場所が違てたりズレてたりしたら、幾ら私や骸骨さんが素早いいうても、逃げられる可能性はありますね」
「だろう?そして、影の中に居ても見つかる場合があると知った敵は、何としてでももっと広く、建物や人の多い場所へ、と即座に国外を目指し動き出す筈だ。そうなったとしても、落とし物なり忘れ物なりを取りに来ただけの我は、見ている事しか出来ない」
冷静なヘカテの意見を脳内で映像化した鈴音は、もし初手でしくじっても、二手目で追い詰める事は可能なのではと思い尋ねてみる。
「……あの、ヘカテ様の御力で、隠れてた魂が影から飛び出しますよね?その時に捕まえ損ねたら、奴は急いで近くの影に逃げ込む。でも影はどっかで途切れるから、移動する為にはいずれ外に出て、別の影に入り直さなアカン。なので、逃げ込んだ影の周りを囲んで、昼になるのを待てば……」
鈴音の話を頷きながら聞いていたヘカテが、途中できょとんとし、徐々に何かを理解したような表情へと変わって行った。
「鈴音。そなたが今『昼を待つ』と言った通り、我が協力するなら事を起こすのは夜だな。なにせ我は夜の神だ」
「はい」
急にどうしたんだろう、と首を傾げた鈴音を見やり、ヘカテは困り顔になる。
「夜というのは、影だ。地球自身の。つまり影に潜めるモノは、夜ならばどこまででも潜行出来る」
落ち着いた声による講義を受け、鈴音の脳裏をよぎるのは小学校で習う地球の自転。
くるくると回る地球儀を思い浮かべつつ、顔を引き攣らせた。
「潜ったまま移動?えーと、そうなると、あのー、夜に出来る影には潜らない……?」
動揺の激しい鈴音に対し、ヘカテは飽くまでも落ち着いている。
「月の光や電灯による影にか?潜るだろう。あれらの影と夜との差は、潜れる深度だな」
「深いか浅いか」
「そうだ。濃い色の影ほど深く潜れて、気配を隠し易い。夜というのは確かに影ではあるが、月に反射して太陽の光も届いている分、色は薄い。だから浅くしか潜れず、気配を悟られ易い。その程度の差だな」
なんじゃそりゃあ、という顔で固まった鈴音へ、ポンと手を打って続けるヘカテ。
「新月は別だぞ。あの日は影に潜むモノ達が浮かれてお祭り騒ぎをするくらい、夜の色が濃くなる」
「へぇー……」
丁寧な説明を聞いた鈴音は、『思てたんと全然ちゃう!』と大混乱中だ。
鈴音がぼんやり考えていた流れはと言うと。
逃亡魂の潜伏場所がある程度絞れた時点で、ヘカテに影からスポーンと追い出して貰い。骸骨もしくは、見張っていた自分がガッチリ捕まえる、という単純なものだった。
もし捕まえ損ねても夜の火の玉は目立つ為、どの影へ逃げ込んだかは烏天狗を含めた誰かが確実に見ている。そこを取り囲んで待ち続ければ、太陽が天高く昇る頃には影も小さくなり、隠れていられなくなるのでは。
なんて思っていたのだ。
ところがどっこい、である。
「うわー、どないしましょ。一発勝負なんて危ないマネ出来ませんし。私らだけやと夜は分が悪過ぎますね……」
眉根を寄せ虎吉の頭に鼻を埋めた鈴音に、ヘカテは目を丸くした。
「猫だとあんな事も出来るのか」
動じる様子もなく吸われている虎吉を見つめ呟くと、垂れ耳をピクリと動かしたメランが、『えっ』とヘカテを見上げる。そしてグイグイと頭を押し付け始めた。
「ん?何だ、どうしたメラン?」
「俺を嗅いだらいいぞヘカテ様。猫よりいい匂いだ」
「くッ……、可愛い……!」
ヘカテは、抱いている猫と顔を密着させる、という行為が興味深かっただけで、別に匂いを嗅ぎたかった訳ではない。けれど、メランの勘違いから来る嫉妬が可愛過ぎたので、そういう事にしておいた。
「後で思い切り嗅がせてくれ」
デレデレしながら頭を撫でるとメランはご機嫌になり、ヘカテもまた幸せな気分になる。
そんなやり取りをじっと見ていた虎吉が、鈴音の鼻を頭に引っ付けたまま口を開いた。
「なあ、昼に来るんは無理なんか?」
「うん?昼か?行くのは問題ないが、影から魂を追い出す際に放出する神力の量が増えるぞ?」
猫も可愛いなと心の中で呟きながら、ヘカテが答える。
虎吉は好意的な視線に目を細め、メランはじっと、じーっと主を見つめた。
「どのぐらい増えるんや?家の壁にヒビ入るか?」
「んん?そうだな、そのくらいかもしれない」
何故に心の中での呟きがバレたのだろう、とメランからの圧力を感じ困り顔のヘカテ。
女神のピンチなぞお構い無しで虎吉は続ける。
「そら昼に来て貰うんもアカンな。けど他に頼れる神さん居らへんし」
「そうだろうな。闇だの夜だのの神は、大抵どこも位も気位も高い。我のように、幾度となく人界へ降りている神も珍しかろう」
「魔女達に大人気だからな!ヘカテ様は!」
ドヤ、と胸を張るメランを見やり、虎吉は成る程と頷いた。
「魔女と交流があるんやったら丁度ええわ。提案があるんやけどな?鈴音にちゃんとした闇の力与えたってくれへんか?」
「うん?どの辺りが丁度いいのか、さっぱり分からないぞ?」
「猫神の眷属なのに、ヘカテ様の加護が欲しいのか?」
虎吉は普段通りだが、ヘカテとメランは揃って首を傾げ、鈴音は『何ちゅう事を言い出すんよ』とばかり目をまん丸にしている。
まあ任せろ、と伝えるように鈴音の手を尻尾で叩いてから、虎吉はニコニコと目を細めた。
「鈴音な、他の神さんから色んな力を貰てんねん。猫神さんの眷属で神使やのに、火水風土雷氷の魔法が使えんねんで」
「それが事実ならとんでもないな」
「ホンマやて。おまけに魔王の魔力も取り込んどるから、イザナミの闇と合わして影を操ってる風には見せられるねん」
「そろそろ何を言っているのか分からなくなってきた」
あまりに荒唐無稽な話を聞かされ、ヘカテもメランも訝しげな表情になっている。
すると、虎吉を嘘吐きにする訳にはいかない鈴音が、申し訳なさそうな顔で地面から漆黒の手を生やした。
「……な、何だそれは」
「黒魔術!?ダメだぞ危ないぞ!」
驚くヘカテと立ち上がって大騒ぎするメランへ、どうか落ち着いて、と鈴音は漆黒の手で犬の影絵を作る。
「器用だな」
「犬だ!面白いぞ!」
幾らか警戒が解けた所を狙い、小さな火球と水球と雷球を宙空に浮かべ、土で椅子を作りそれを氷の花で飾った。
未だ残る昼の熱を払うようにそよ風を吹かせ、魔法使い鈴音がぎこちなく微笑む。
「これに加えて、魔力で簡単な物なら作れますし、念動力もあります。見たものや記憶を写真にしたり、動画にして再生も出来ます」
動画って、とヘカテが額に手を当てた。
「猫神の要素が見当たらない。なにがどうしたらそうなる」
「いやー、これも発端は異世界の神殺しなんですよねぇ」
ぎこちない笑みのまま鈴音が語るのは、我が身に降ってきた不運と幸せな出会い。
大好きな白猫の為にお使いを頑張り、他所の神の依頼をこなした結果、お礼が積もり積もってこうなったのだと説明した。
「因みに魔王は私の魂が食べたいみたいで、勝手に魔力を流し込んできたんですよ。操る気で。その結果、私の不思議な魂に力を吸い取られて、こうなりました」
そう言いながら魔力で黄色いボールを作り出し、メランの向こう側へ下手投げで緩く放る。
大喜びで取りに行ったメランは、投げた鈴音ではなく主へ渡し、褒められるのを待った。
受け取ったボールを、握ったり角度を変えて見てみたりしたヘカテは、これが何の変哲もないボールだと確認し、感心しながら愛犬の頭を撫でる。
「よく出来ているな。これだけ様々な力を巧みに操れるのなら、我の力も使いこなせるか」
「せやろ?別に神さんみたいに、日本全土の影を一気に探れるようになりたい訳ちゃうし。この辺が怪しいなあ、いうとこを狙い撃ち出来たらええんやから、問題ないやろ?」
鈴音を売り込む虎吉のセールストークに笑い、ヘカテは頷いた。
「確かにそうだ。鈴音が使うなら、昼も夜も気にする必要がないのも魅力だな。寧ろ昼の方が捕まえ易いだろう」
すっかり力を授ける方向で話が纏まりそうな様子に、責任重大だと鈴音はまた虎吉に鼻を引っ付ける。
「よし。力を渡すから、こちらへ」
女神の決断は早かった。
心の準備が、と思いつつ差し出された手の方へ向かおうとした鈴音は、一旦立ち止まりその場に虎吉を下ろす。
「ここで待っててな」
「おう、がっつり貰てこいよ」
「あはは、がっつりて」
笑った事で緊張が解け、足取りも軽くヘカテの前へ進んだ。
「我の手を取れ」
夜の神殿跡で、松明のような炎に彩られた黒尽くめの女神が、真っ白な手をそっと差し伸べる、というお伽噺のような状況に、『いつもの雰囲気と全ッッッ然ちゃう』と鈴音は菩薩顔になる。
普段はお伽噺どころか神話の世界に居るというのに、ご褒美だと力をくれる創造神達のノリがとても軽い為、こういったドキドキ感はない。
この手のいかにもなやり取りは、ゲームのイベントっぽいと陽彦が喜びそうだ。
鈴音も嫌いではないので、出来るだけ真剣な表情を作ってヘカテの手を取った。
すると、重なった手からゆっくりゆっくり、何だか複雑な神力が流れ込んでくる。
どうやら闇の力だけでなく、器用な女神の色々な力が流れてきているようだ。
「んー……、枯れ果てた麦畑で、皺っ皺のお年寄りが笑てる」
鈴音が、力が流れ込む際に見えたものをそのまま呟くと、ヘカテは目をぱちくりとさせた。
「はて?年寄りは死の暗示だろうが、それが笑う意味も麦が枯れる意味も分からん」
「あ、すみません。今まで何回か変な感覚になりましたけど、特に意味はなかったんで今回もそうや思います」
「そうか、なら気にする必要はないな」
顔を見合わせ納得した所で、ヘカテは重ねていた手を引っ込める。
「さあどうだ?見える景色は変わったか?」
心配そうな視線を受け、どういう事だと鈴音が振り返ってみると。
「えー?何や影が凹んで見える。あと、向こうの影の中に弱々しい何かが居るんが見える。なにこれー」
驚くと同時に楽しそうな鈴音を見てホッとしたヘカテは、丁度いいのでその影に潜むモノを使って、力の扱い方を教えることにした。




