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第五百二十九話 ナントカ島

 廊下を進むと、玄関に開いた神々の縄張り同士を繋ぐ通路が見える。

 楕円形の通路の向こう側には、つややかなブラックタンの短毛を持つ、垂れ耳で筋肉質な凛々しい顔立ちの大型犬が座っていた。


「ご苦労。待ち合わせ場所の伝言か?」

 犬の前で立ち止まり、ポセイドンが威厳たっぷりに問い掛ける。

 座ったままの犬は尻尾を振るでも愛嬌を振りまくでもなく、真顔で頷いてから鈴音を見た。

「ヘカテ様が、夜にナクソス島のデメテル神殿で会おうと仰せだ」

 低い声で物凄く流暢に喋りかけられ、鈴音は目をぱちくりとさせる。

「初めまして。人の言葉を話す犬て、犬神様の神使しか知らんのですけど、あなたの主はヘカテ様ですよね?」

「そうだ。ヘカテ様に拾われ育てられた。その間ずっとヘカテ様の御力を浴びていたから、喋れるし死ななくなった」

 鈴音の問いに淡々と答えてから、ハッと目を見張る犬。

「初めまして」

 ペコリと会釈された。

 挨拶を返し忘れていたと気付いたらしい。

 不思議なタイミングの挨拶につい笑ってしまいそうになるが、多分拗ねるだろうなと思い鈴音は全力で我慢した。

 ふと見れば、男性陣は全員歯を食いしばって身体を小さく震わせている。愉快で可愛らしい律儀さに心を撃ち抜かれたようだ。


「コホン。ご丁寧にありがとうございます。ほんで、えーと、待ち合わせ場所。そのナントカ島のナントカ神殿て、どこにあるんですか?」

 咳払いで空気を変えてから、鈴音は尋ねた。

 その質問に驚いたのは犬だ。

「えっ。ナントカ島のナントカ神殿ではなく、ナクソス島のデメテル神殿だ。ナしか合ってないぞしっかりしろ」

 ポカンと口を半開きにした犬にツッコまれ、今度こそ鈴音は笑ってしまう。

「ぶふッ、す、すんません、初めて聞いた名前やったもんで」

「笑い事ではないぞ、お前がナントカ島とやらに行ってしまったら、ヘカテ様が困るじゃないか。ナクソス島だぞ?覚えたか?」

 小首を傾げて念を押す犬に鈴音は幾度も頷いた。

「おぼ、覚えました、ふふ、ナクソス島ですね、ふふふ」

「よし。夜になったらちゃんと来るように。ではまた後で」

 伝えるべき事は伝えたとばかりに犬は回れ右して駆け出し、それと同時に通路が閉じる。

 神殿の場所は結局分からず仕舞いだが、今はそれどころではない。


「ま、真面目可愛い!飼い主大好きな忠犬丸出し!」

「おう、黒花に近いもんがあったな」

 鈴音が笑い虎吉が同意する横では、茨木童子が『犬飼いたなってった』とこれまた楽しげだ。

 冥府の臭いが届かない位置から見ていたワタツミも、愉快そうに声を出して笑っていた。

「ハハハ!無愛想な奴かと思ったら、随分と面白い奴だったな!犬は飼い主に似るらしいが、ヘカテという女神もあんななのか」

 ポセイドンもまた笑っていたが、問われた内容には『いいや』と首を振る。

「ヘカテにあんな隙はない。無表情が標準装備だからな。けど、あの犬も無表情で無愛想が標準装備なんだぞ?よっぽどナントカ島のナントカ神殿が衝撃的だったんだろうな」

 悪戯っぽい笑みを向けられ、鈴音は照れたように頭を掻いた。


「日本語の地名とか名前やったら覚えられるんですけど、外国語は苦手なんですよねー。異世界でもスッと入る時と全くアカン時とに別れるんですよ」

「でも日本語なのに日本の神の名前は苦手だよな」

 口を尖らせたワタツミにツッコまれ、鈴音はスンッと真顔になる。

「神様の名前、漢字20文字とかですよ?何の文章やろか読み難いから平仮名も混ぜたらええのに、思てたら名前やとかビックリしますわ。カタカナ表記になったらなったで謎の呪文みたいやし。目ぇ滑らすな言う方が無理です」

「何かゴメン」

 ワタツミは何ひとつ悪くないのにうっかり謝ってしまうほど、鈴音の目ヂカラは凄かった。きっと勉強中、何度も何度も同じ行を読み直す羽目になったのだろう。

 最終的に、異世界の大賢者に本を読ませ内容を教わる、という暴挙に出たのもそのせいだと思われる。

「まあ、私のフルネームを述べよ!とか言い出す意地悪な神様と出くわしたら困るんで、ボチボチ頑張ります」

「そうだな、頑張れ」

 鈴音の緩い決意に頷いて、ワタツミはポセイドンへ視線を移した。


「それで、待ち合わせ場所のナントカ島はどこにあるんだ?」

「ナクソス島な。エーゲ海にあるぞ。神殿も海から近いし直ぐに分かる筈だ」

 答えたポセイドンの表情がほんの僅か曇っているのは何故だろうと思いつつ、鈴音は気になっていた事を尋ねる。

「指定された神殿の名前、“ヘカテ神殿”やなかったんですけど、別名か何かですか?」

「あー……、気付いたか。あれはヘカテと仲の良い女神の名前だな。ついでに言うと俺の姉だ」

 腕組みをして答えるポセイドン。

「へぇー、お姉様」

「むちゃくちゃ嫌われてるけどな、俺。だから彼女の神殿には近寄れない。そこを待ち合わせ場所にする辺り、ヘカテは鈴音から俺を遠ざけておきたいんだろう」

「何をやらかしはったんですか」

 悪いのは多分あなただろう、という顔をしている鈴音から目を逸らし、ポセイドンは遠くを見た。

「世の中にはな、聞かない方がいい事もあるんだ」

「ま、ギリシャ神話なんかちょっと検索すりゃ直ぐ出てくるけどなー」

「ワーターツーミー!違うからな鈴音!神話は面白おかしく脚色されている!俺はデメテルが姉だなんて知らなかったんだ!そこだけは覚えておけ!」

 このやりとりだけで何となく事情を察した鈴音は、虎吉を抱え直し『そういや神様て性に緩かったな』と呆れ顔だ。


「神々のいざこざに首突っ込むほど命知らずやないんで、ご心配には及びませんよポセイドン様」

 ワタツミの友で世話になった神を変態呼ばわりする訳にもいかないし、と考え鈴音が微笑むと、ポセイドンは目に見えてホッとした。

「賢い選択だ。ヘカテも本気で俺が猫神の眷属に手を出すとは思っていないだろうし、女同士の会合に男が出しゃばるなと言いたいだけだろう」

「ははあ、女子会について行きたがる彼氏的な扱いか」

 ワタツミの例え話に笑ったのは鈴音と茨木童子で、虎吉は興味なし、ポセイドンはきょとんである。

 こういう所で、常に日本の海をパトロールしているワタツミと、面倒臭がって滅多な事では人界に降りなくなったポセイドンの違いが出易いようだ。


「分からん。人界に染まり過ぎてないかワタツミ」

「面白いんだから仕方ないだろ。夏の海なんか人の欲望がギラギラだぞ?いろーんな話が聞こえてきて気になる。雑な出会いを目撃したり、パラソルの下で同性同士が零す愚痴なんか聞いてると、神議(かむはか)りで誰かがいい加減な仕事したとしか思えなくて余計気になる」

「ああ、お前らんとこは縁結びも神の仕事だっけ」

「そだぞー、その為だけに年に1回集まって会議だ。なのに失敗だらけ!毎年ずーっと残り続けてる名札とか色変わってきちゃってなあ、見てて切なくなるよ」

 肩をすくめたワタツミを眺め、『その失敗の中に私も含まれてますよ』と心の中で呟き半笑いの鈴音。

 ほんのり恨みがましい視線に気付いたワタツミが、一瞬目を逸らしてから妙にほがらかな笑みを浮かべ、やたらと明るい声で言う。

「そろそろ帰るか!せっかく玄関に居るし!」

「そうですね、せっかくですしね、うふふふふ」

 何だかヒンヤリとした空気に虎吉はミミズクのような顔で微動だにせず、茨木童子は菩薩顔で気配を消していた。

 ポセイドンも、何かを察した笑顔で見送り態勢に入っている。ここで余計な事を言わない程度の危機管理能力はあったらしい。



「お世話になりました、ポセイドン様。縄張りに穴空けたり、雷落としたりしてすみません」

 深々とお辞儀する鈴音へ、いやいやと首を振ってポセイドンは笑った。

「久々に楽しめたし気にしていないぞ。また新たな能力を身につけたら手合わせに来い」

「ありがとうございます。でももう新しい能力を頂く事はない思いますよ」

 カメラ機能まで手に入れてるし、と思いつつ微笑む鈴音を、ワタツミと茨木童子が疑わしげに見ている。

 それには気付かず、ポセイドンはちょっと残念そうな顔だ。

「何らかのパワーアップはあるかもしれないだろ?なくてもまあ、実戦感覚を忘れない為でもいいから、手合わせには来い」

 このとんでもない誘い文句に、鈴音は困り顔で笑った。

 神が戦闘訓練に付き合ってくれるなんて大変ありがたい話、と言いたい所だが、実際はそうでもないからだ。

 何しろ鈴音は人界に居る限り無敵。

 自殺願望はないから神界と冥界で暴れたりしないし、唯一厄介な魔王は天使達にお任せである。

 依って、鍛える意味なぞ殆どない。

 ただそれを馬鹿正直に言える筈もなく。

「分かりました、いずれまたお伺いします」

 笑顔でこう返すしかなかった。


 そんな鈴音を面白そうに眺めていたワタツミが、玄関先に通路を開く。

「じゃ、俺らは帰るわ。ありがとな。あ、いつ鈴音が来てもいいように、服脱ぐ時はちゃんと鍵掛けろよ」

 注意を受けたポセイドンが『そういえばそうだった』という顔をしているので、次に来た時は裸族と遭遇せずに済みそうだと鈴音は安堵した。

 入室許可が下りる前に扉を開けなければいいだけだろう、と茨木童子が呆れ笑いを浮かべている事には誰も気付いていない。

「それでは失礼します」

「ああ、またな」

 鈴音と茨木童子がお辞儀して通路へ消えるのを笑顔で見送り、ワタツミが軽く手を振って消えたのを見届けて、ポセイドンは充実の息を吐く。

「流石、猫神の眷属だった。着替える前だったら速さで負けていた気がする。あの雷撃もこの身体でなければ危なかったな。いやー、俺にここまで言わせるとは、実に鍛え甲斐のある逸材だ!ハハハハハ!」

 両腕に力瘤を作り高笑いを響かせながら、どこまでも楽しそうにポセイドンは部屋へ戻って行った。



「ハ……ハクション!」

「何や鈴音、猫毛でも吸い込んだんか?」

「いや虎ちゃん毛ぇ抜けへんやん。何か知らんけどブルッと来たわ」

 鈴音と虎吉の会話を耳にしたワタツミは、ポセイドンの独り言が聞こえた気がして密かに笑う。

 そんな一行が居るのは、港町の突堤だ。元の場所へ戻って来ている。

「そうや、ワタツミ様。ポセイドン様て髭モジャのオジサンちゃうんですね?彫刻のイメージあったからビックリしました」

 海に立つワタツミは、鈴音の感想を聞いて頷いた。

「衣替えしたばっかりだからな。ついこの間までジジイだったぞ?」

「あ、そういう事ですか。ほなその時のお姿の方が、あの有名なポセイドン様のイメージに近かったんですね」

 納得する鈴音を見やり、ワタツミは口を尖らせる。


「有名な、っていうなら俺も有名だろう、国内でなら。海のそばで育っておきながら、ポセイドン知ってて何で俺を知らなかったのか、不思議で仕方がない」

 初対面の際のやり取りを思い出したのか、とても不満そうな海の神。

 ライバル心を刺激してしまったか、と慌てた鈴音は取り繕うべく口を開く。

「すみません。まだ日本神話が今ひとつ頭に入ってなかったもんで」

「ギリシャ神話は有名やもんな」

 続いた虎吉の言葉で、ワタツミはジタジタバタバタ地団駄を踏んだ。

「ギリシャ神話“は”って言った!ギリシャ神話“は”って!猫神なんか神話にも出て来ないくせに!」

「ふふん。俺らは神話なんぞ()うても、どうっちゅう事あらへん」

「可愛いから世界中で愛されてるもんねー」

 デレッと目尻を下げた鈴音が得意げな虎吉を撫でると、ワタツミは動きを止めて首を傾げる。

「それ猫神じゃなくて猫の話だよな?」

「そうですけど、猫はみんな猫神様の子孫なんで、猫を褒めたら猫神様を褒めたんと一緒です。猫はみんな神の使いなんですフフフフフ」

「怖い怖い!怪しさしかない宗教みたいになってる!」

「ワタツミ様もいかがですか。ええですよぅ猫神教」

「神に宗教勧めるな!」

 海の神と漫才をする鈴音へ、茨木童子は尊敬の眼差しを向けていた。自分も、酒呑童子絡みの話はこのくらいの勢いで行かねば、と。


「……で、ワタツミ様。ポセイドン様て常にあんな好戦的いうか、手合わせ手合わせ仰る方なんですか」

 茨木童子が決意を新たにしている間に、話題はポセイドンの事へ戻っていたようだ。

「あいつは昔っからああだな。俺との初対面も殴り合いになったし」

 海の神同士の喧嘩、と青褪める鈴音へワタツミが笑う。

「神界でだぞ?こっちでやり合ったら世界が滅ぶ」

「び、ビックリした」

「だから、鈴音にも吹っ掛けるだろうなって思ってた。猫神の眷属なんて聞いて大人しくする訳ないし」

「えぇー……、先に言うといて下さいよー」

 会えば分かると言ってみたり、意味ありげに笑っていたのはそういう事だったのか、と今度は鈴音が拗ねた。

「ははは!いいだろ別に、何ともなかったんだし」

「まあ、そうですけど」

 鈴音とワタツミの会話に、『あれで何ともないとか意味分からん』と茨木童子が遠い目だ。

「それで?ナントカ島の場所調べなくていいのか?」

「あ、ホンマですね。……あれ?ナントカ島の名前」

「ん?あー……?よし、エーゲ海、デメテル神殿で検索しろ」

「御意ッ」

 ヘカテの飼い犬からあれだけ言われたのに忘れた鈴音は、取り出したスマートフォンでワタツミのアドバイス通りに検索を掛けた。





誤字報告ありがとうございます!助かります!

話変わってまうとこでした(イザナギとイザナミ間違えてた)

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