第五百二十八話 人それをフラグと呼ぶ
さあ事情を聞こうと前のめりになったポセイドンだったが、鈴音と茨木童子が立ちっ放しなのを見て思案顔になる。
やはり神と同じソファには座れないか、と納得し、ふたり用に簡素な椅子を作ってやった。
「そこに座るといいぞ」
「ありがとうございます!……うわー、お金持ちのお屋敷の食堂とかにありそうな椅子や」
「ありがとうございます!……クッソ長いテーブルとセットになってるあれっすよね」
深々とお辞儀し、コソコソと会話しながら腰を下ろすふたり。
ポセイドン的には簡素な椅子も、人からすれば豪華な代物だった。高位の神だからなのか、有名な神だからなのか、何にせよ物の価値に関する感覚はかなりズレているようだ。
因みに虎吉は鈴音の膝の上が定位置なので、椅子の良し悪しは気にしない。
こうして皆が落ち着いた所で、改めて今回ここを訪れた理由が語られる。
まずはワタツミが話す横から鈴音が所々を補足する形で、『異世界より逃亡してきた罪人の魂が、人の影を操っているらしい』事をポセイドンに説明した。
「ふむ。自らが人の影に入り込み、その人物になりすまして、高位の妖怪すら惑わせる澱とやらをばら蒔いているのか」
ソファの背もたれに身体を預け、腕組みをして唸るポセイドンへ、鈴音は真剣な顔で頷く。
「罪人を追っている異世界の神使が持つ過去視の力で、澱を手にした人が影から現れて影へ消えて行く所を見ました」
「ほう、過去視!それはまた、かなり高位の神に仕える者だな。手合わせ……」
「しません。骸骨さんは争い事が大嫌いな、ホンマ穏やかな性格の神使なんです。神の暴力ダメ絶対」
「うぐ。分かった」
半眼の鈴音にじっとりと見つめられ、ポセイドンは残念そうにしながらも引き下がった。
実際の骸骨は、穏やかな性格ながらやる時はやる大層強い神使だが、そんな事を言ったら『手合わせだ!連れてこい!』となるに決まっているので、教えるつもりはない。
「あー、それで、何だった?」
「はい、過去視で影から影へ消える人を見たんです」
そうだった、と頷いたポセイドンに鈴音は続ける。
「私らには何が起きてるんか謎やったんですが、『人の影を切り取って罪人の魂がその中に入り込んだ』と教えてくれたのが魔王……えーと、サタンで」
「ハハハ、サラッと魔王の名前出たな。それも一番ヤバい奴の。猫神の眷属とはいえ、悪魔の王と接触して大丈夫なのか」
そうポセイドンに問われ、ワタツミはあっけらかんと頷いた。
「攻撃してきた魔王の魔力を奪い取る図太い魂の持ち主だから、全く問題ない。まあ、あっちが鈴音をナメて掛かってくれたお陰だな。流石にいきなり本気でこられてたらマズかっただろうけど」
からからと笑うワタツミと困り顔で笑う鈴音を眺め、ポセイドンは目をぱちくりとさせる。
「魔力を奪い取るとか意味が分からんぞ?俺も迂闊に接触していたら何か奪われていたのか?蹴った時には何も感じなかったけど、もう何か奪われた……?」
引き気味の表情で筋肉自慢の身体をペタペタ触るポセイドンへ、ワタツミは違う違うと手を振った。
「こちらから神力や魔力を流し込むと、それを自分の力にするんだ。けど、どうも与えた以上の能力を得るみたいでなー?海を操れる力をやったつもりが、手から真水と塩に分けて出された時はどうしようかと思ったなー」
半笑いでちょっと遠い目になる偉大な海の神。自分には出来ないのがよっぽど悔しかったらしい。
「真水と塩?」
なんだそれはと驚いたポセイドンも試したが、やはりそこは海の神、澄み切った美しい海水が大きな両手から溢れるだけだった。
「ぐぬぬ。ま、まあ俺の力が奪われたのでないなら構わない。……で、何の話だった?」
「魔王から、罪人の魂が人の影に入り込む事でその影の持ち主に化けられる、と教わった所まで話しました」
ちっとも進まない話に内心で溜息を吐きつつ、鈴音は営業用スマイルで答える。
「そうか、それは厄介だな。この男、この女を追え!という訳にはいかなくなる」
「はい。運良く誰かに化けてる最中に出会えれば、違和感に気付く事もあるかもしれませんけど……日本の人口、大人だけでも1億人超えなんですよね」
運頼みでどうにかなる数字ではない。
「理解ある大妖怪から配下を大勢借りて、罪人が設置した澱を片っ端から消す形で煽って貰てますけど、まだこれといった成果は上がって来ぇへんのです」
もどかしい、と書いてある鈴音の顔を見やり、成る程なとポセイドンは納得した。
「それで、影自体に影響を及ぼせる神の力を借りたいという訳か」
「仰る通りです。自分が置いた澱が消えてんのに、暴れる奴が出ぇへんのは何でや?て確認に来る可能性があるので、その周辺の影を探って頂けたらなあと。勿論、現場との調整はこちらでしますし」
膝で丸くなっている虎吉を撫でつつ鈴音が言えば、ワタツミがいかにも深刻そうな顔を作って続ける。
「日本は狭い島国だから、まだ捜索は容易な方だと思うんだ。それでもこれだけ梃子摺ってる。もし取り逃がして大陸に渡られたら、もう見つけるのは不可能じゃないか?」
「確かにな。地続きで様々な国が存在しているから、澱とやらに惑わされた者の暴れ方によっては、大きな争いに発展するかもしれない。防げるものなら防ぎたい所だ」
一触即発とまでは行かなくとも、それなりの緊張状態にある国や地域、民族は多い。
普段なら、もし彼らが開戦へと舵を切り始めても神々はただ見守るだけだが、異世界から勝手に入り込んだ罪人に引っ掻き回されてそうなるとすれば、話は違ってくるようだ。
「俺が治める海で、異世界から入り込んだ罪人如きにつまらん真似をされたら、頭にきて大暴れしてしまいそうだしな」
「それが何より恐ろしいんですが」
震え上がる鈴音と茨木童子を見て、ポセイドンは愉快そうに笑う。
「ハッハッハ!冗談だ!」
嘘吐け、と鈴音も茨木童子も心の中でツッコんだが、怖いから口には出さない。
「俺だけじゃなく兄貴だって同じように思うだろうから、猫神の眷属……名前はなんだった?」
「鈴音と申します」
「うむ、鈴音に協力してくれる神を探すよう頼んでみよう」
「ありがとうございます」
「悪いな」
深々とお辞儀する鈴音と茨木童子、申し訳なさそうなワタツミ、それぞれを見やりポセイドンは微笑む。
「構わんさ。よし、忘れん内にとっとと行ってくるとしよう!ちょっと待ってろ」
思い立ったら即行動。言うが早いか通路を開いたポセイドンが、どこかへ消えた。
鈴音と茨木童子は顔を見合わせ驚き、ワタツミに尋ねる。
「メッチャありがたいですけど、どこ行かはったんですか?お兄様は冥府の王や言うてはりましたよね?ポセイドン様、冥界に入れるんですか?」
「あれっすよね、入るのは入れても出られへんのが冥界っすよね」
あのイザナギでさえ命からがら逃げ帰るのがやっとだった、と言いかけ茨木童子は口を噤んだ。目の前に居るのは、イザナギとの関係が今ひとつなワタツミである。
茨木童子の正しい判断により、ワタツミは機嫌を損ねる事なく笑顔で頷いた。
「あいつの兄は冥府を治める神で、名をハデス。当然ポセイドンはハデスの縄張りに入れないから、入口で繋ぎ役の眷属に伝言を頼むんだろうな」
「あ、そういう事ですか。ありがとうございます。ビックリしたー」
「国によって冥界のルール変わるんか思たっすよね」
黄泉の国が特別厳しい訳ではないようだ、と納得したふたりへ、『オルフェウスの話は聞いた事ないか?』とワタツミが有名な話を語って聞かせる。
つい『うわー!後ちょっとやのにアホー!』と叫びたくなるオチまで聞いた所で、見るなと言われたら見たくなってしまうのは、人も神も一緒なんだなあという感想を抱き、うっかり声にしかけ慌てて誤魔化す鈴音。
ワタツミも父母の話を重ね似たような事を思っているのかもしれないが、敢えて言う必要はないだろう。
切ない結末ですね、と無難な感想を述べた所で、ポセイドンが帰ってきた。
「兄貴に頼んできたぞ!早速ヘカテに話をしてくれるそうだ」
ソファへ腰を下ろしながらのポセイドンから出た名前に、鈴音は一瞬目を泳がせる。
「ありがとうございますポセイドン様」
笑顔で頭を下げつつも、ヘカテ様ってどちら様、と心の中では大量の冷や汗を掻いていた。
世間ではとても有名な神だった場合、知らないという事自体が失礼にあたるかもしれない。
かといって、対面してから『何の神様ですか』とやらかしたら、神罰を食らっても文句は言えないだろう。
やはりここは覚悟を決めてポセイドンに尋ねるのが正解だ、と口を開きかけたその時、横から呑気な声が上がった。
「ヘカテ……誰だっけ?」
「あれ?知らないか?あ、そうかお前冥界嫌いだもんな」
「嫌いっていうか苦手なんだ、死の臭いが」
「あー、確かに独特だよなー」
「だろー?」
ずっこけかけている鈴音をよそに、ワタツミとポセイドンが部活帰りの高校生のようなノリで会話を交わしている。
何にせよ、波風立てずに情報を得られそうだと胸を撫で下ろした。
「ヘカテは女神な。色々担当してるけど、有名なのは死とか夜とか闇とか月とかだな。格としては兄貴よりちょっと下。基本的に冥界から出て来ない兄貴と違って、割と人界に降臨してる」
「ほうほう」
「ただ、死は兄貴の方が有名だし、夜はニュクス、闇はエレボス、月はアルテミスが有名だろ?」
「何だろうな、器用貧乏?ちょっと違うか」
「一部熱狂的な信者が居るから微妙に違う気はするが、近い気もする。で、ちょいちょい人界に降りてる分、人には慣れてる筈だ」
「そうか、それなら鈴音達だけで大丈夫だな」
向かい合う海の神同士の会話を大人しく聞いていた鈴音は、『有名や言われた神様もほぼ分からへん。アルテミス様が月の女神いうんだけ薄っすらや……』と虎吉を撫でながら遠い目になっていた。
そこへ投下されたワタツミの、『鈴音達だけで』という爆弾発言。
「へ!?」
立場も忘れ思い切り声に出し驚いてしまった。
「ワタツミ様は一緒に来てくれはらへんのですか」
目をまん丸にしている鈴音へ、ワタツミは困り顔を向ける。
「ほら、俺は冥界関係がちょっとな?」
「そ、そうでした。ほなポセイドン様は……」
縋るような視線を受けたポセイドンは、どうにも渋い顔だ。
「兄貴からヘカテに『人界で猫神の眷属が待ってる』って伝えてくれるらしくてな?つまり待ち合わせ場所は人界って事だ。そこに付き添うとなると、俺も人界仕様になる必要があるだろ?疲れるんだよ神力抑えるの。ワタツミはよくやってるなあっていつも感心してるくらいだ」
早い話が面倒臭いと言いたいらしい。
「えぇー……。でも無理にお願いして、人界でうっかり神力解放なんて事になる方が怖いか……」
ポセイドンにそれをやられたら、天変地異が起きて最終的には人類が滅ぶ可能性もある。
「でも初めましての神様に、人と悪鬼だけでお目にかかるとか、やっぱりハードル高いですよ」
猫神ファン以外の高位の神に尻込みする鈴音を見て、ワタツミとポセイドンはどうしたものかと困惑した。
その微妙な空気を消し飛ばしたのは、鈴音の膝の上に座る虎吉だ。
「心配せんでも俺が一緒に居ったるがな。猫相手にゴチャゴチャぬかす神さんも居らへんやろ」
両前足を揃えたモデル座りで胸を張る虎吉に、パッと顔を輝かせた鈴音が後ろから抱き付き喜ぶ。
「ありがとう虎ちゃん!心強いわー。でも相手は死も司る神様みたいやけど、大丈夫?」
動物の本能が死を恐れる為、虎吉はイザナミの前では借りてきた猫だった。
それを思い出し気遣う鈴音へ、フスンと鼻から息を吐いた虎吉が不敵に笑う。
「イザナミより格下の神さんなんか怖い事あらへん」
「おおー!虎ちゃんカッコええ!」
目をキラキラさせる鈴音と、褒められ撫でられご満悦な虎吉を眺め、『ホンマかな』と首を傾げているのは茨木童子だ。
ポセイドンの兄よりちょっと下、という事は確かにイザナミよりは格下だろうが、猫神よりは上だと思われる。それでも本当に平気なのだろうか。
まあ、遥か格上のワタツミやポセイドン相手でも怯まないのだから、心配する必要はないのかな、と自分を納得させた。
海の神達も『流石はあの猫神の分身だ』と感心して和む中、玄関方向から犬の鳴き声が聞こえてくる。
「お、ヘカテの使いだ」
そう言って立ち上がったポセイドンが手招きし、虎吉を抱えた鈴音が茨木童子と共に続く。
ワタツミも距離を取りつつ皆の後についてきた。




