第五百二十六話 以前より危険度アップ
どちらのコロッセオですか、と問いたくなる形に変わった室内を見やり、やっぱり神様って何でもありだなあと現実逃避する鈴音。
ポセイドンはお構いなしで、ウキウキと闘技場の真ん中へ歩いて行く。
「さあ来い猫神の眷属!」
くるりと振り返って逞しい両腕を広げ、ワクワクが止まらないと言いたげな笑みを浮かべた。
それを眺める鈴音の目は、死んだ魚のそれだ。
「あの……、私は猫神様から御力を頂くまで、至って普通の社会人やったんです。格闘技で記録打ち立てたとか、先祖が鬼やとか、そんな特殊設定一切ナシの一般人です。せやから、かの有名なポセイドン様の御期待に応えられるような強さはありません」
実際は光り輝く特殊な魂持ちだが、期待されている攻撃力とは無関係なので伝えなかった。
するとポセイドンは目をぱちくりとさせ、本当かと尋ねるようにワタツミを見る。
「ああ事実だ。今は人類最強になってるけどな」
ワタツミが頷いた途端がっかりしかけたポセイドンだが、最強と聞いて分かり易く復活した。
「いいじゃないか人類最強!さあかかってこい!この俺に一撃でも入れられたら、何でも望みを聞いてやろう!」
両手を腰に当て踏ん反り返る神を前に、鈴音はこっそり溜息を吐く。
人類皆殺しを企てた猫神が選んだ人物だから、とか言っていたのに、今聞いた感じだと強ければ何でもいいような。
世界に名が轟く高位の神だが、中身はやはり白猫の縄張りで寛ぐ創造神達同様、かなり大雑把らしい。
「なんやろなー、位が高い神様ほどテキトーいうか……あんまり後先考えてへんいうか……」
何かとんでもない間違いでも起きない限り、人が高位の神相手に一撃入れるなど不可能、というか掠りもしないだろう事は分かっている。
分かってはいるが、世の中には奇跡という言葉が存在しており、時に誰も予想し得なかった結果を招く事もあるのだ。
だというのに、上手く行ったら望みを何でも聞いてやる等と言っていいのか。
考え込んだ鈴音を、ポセイドンが心配そうに見やる。
「どうした?俺は基本的には手を出さない。な、怖くないだろ?」
「いえいえ、恐ろしいですよ。人である私には、神様に殴り掛かる度胸なんかありませんもん」
人として当たり前の答えを返す鈴音へ、半眼になって緩く首を振るポセイドン。
「嘘つけー、あの猫神の眷属のクセにー」
「そら猫神様は、自分の大事なもん守る為なら創造神様相手でも喧嘩しはりますけど。私は猫神様やのうて、只の人なんです」
とにかく人である事を強調する鈴音を眺め、茨木童子は『いや、人かどうかは怪しいっすよ』と心の中でツッコんでいる。
そんな茨木童子の心の声が聞こえた訳ではなかろうが、ポセイドンも微妙な表情だ。
「神の眷属を人と言い切っていいかは議論の余地がある気がする。けど今はどうでもいいな。どうやったらやる気になるのかが問題だ。あれか、お前が戦わなきゃ俺が猫神の縄張りへ攻め込む、って言えばいいか?」
これは、本来ならば焦って止めなければならない類の挑発である。高位の神の後先考えない性格からして、脅しで済まない可能性があるからだ。
ただ、鈴音は焦る事も引き止める事もせず、顎に手をやり唸る。
「うーーーん、ポセイドン様が消滅してしもたら、誰がギリシャやイタリアの海を治めるんやろ?近場の海の神様同士で分けるんやろか」
鈴音の大きい独り言を耳にして、ポセイドンは訝しげな顔をした。
「俺が消滅?」
「ん?あ、また心の声が全部出てましたか。いえね、猫神様とポセイドン様の一騎打ちなら、ポセイドン様の圧勝や思いますよ?けど、猫神様の縄張りは猫神様信者の溜まり場になってるんで、一騎打ちやのうて、ポセイドン様対異世界の創造神軍団になります」
「異世界の創造神が軍団組める勢いで溜まってる縄張りってどんなだよ怖すぎるだろう」
目を丸くして一息に言ってのけたポセイドンへ、鈴音は『愛ですよねー』と笑って誤魔化す。
「まったく。俺の武力が脅しに使えないなんて初めてだ。おいワタツミ、お前が説得しろ」
フン、と鼻から息を吐いたポセイドンに指名され、ワタツミはやれやれと笑った。
「鈴音、ポセイドンは言い出したら聞かないぞ?諦めて戦え。あの猫神の眷属なんだから仕方ない、あれだ、有名税だ。怪我はしないと思うけど、もしもの時は万能薬で治してやるから」
「ぐぬぬ、守ってやるとかいう約束はどこへ」
「そりゃコイツが本気出しそうになったら止めるけど。手合わせなんてじゃれ合いだから平気平気」
「くそー、猫神様が有名なんは嬉しいけど、こんな流れ弾が飛んで来ようとは」
物凄く迷惑そうに顔を顰めながらも、鈴音はポセイドンの方へ歩を進める。
よしよしと頷いたワタツミは茨木童子を促し、闘技場の観客席まで下がった。
「おお!やる気になったか猫神の眷属!流石だなワタツミ。よし、全力で来いよ?俺を殴り飛ばして、ハデス兄貴の所へ送り込むくらいのつもりで」
ドヤ顔全開で言われたので、ポセイドン的神様ジョークだと思われるが、鈴音にはハデスが誰だか分からない。ギリシャの神で分かるのは、ゼウス、ポセイドン、アポロン、ヘラクレスくらいのものである。
しかしここで質問すると何だか面倒な事になりそうだと考え、話の流れからして冥界の神だろうと判断して愛想笑いを返した。
今回の選択は間違っていなかったらしく、ジョークが決まったとポセイドンはご機嫌だ。
「ハハハ!さあ来い!いつでもいいぞ!」
「あ、はい。ほな失礼します」
深々と最敬礼してから、鈴音は床を蹴る。
一瞬で間合いを詰めて腹を狙ったが、軽く後退して躱された。
やはり掠らせる事すら出来そうにないな、と開始早々諦めたものの、一応は猫神の力を思い切り使いつつ攻撃する。
顔を狙うと見せ掛けて足払いしてみたり、腹へ視線を置きながら頭突きを仕掛けてみたり。
どれも当たらなかったが、ポセイドンがもういいと言うまでは、と動き回る鈴音。
「成る程、中々やるな」
全ての攻撃を躱しながら口角を上げたポセイドンは、鈴音の攻撃の的確さと無限の体力に感心していた。
猫の目と耳で位置を割り出しているのか、攻撃を躱し着地するとまるで待ち伏せしていたような速さで目の前に現れ、次の攻撃を仕掛けてくる。
そんな息つく間もない連続攻撃をしているにも拘らず、汗のひとつも掻かずに涼しい顔だ。
これは確かに神や魔王クラスでないと勝ち目はないな、と納得する。
「ここまでくると……」
どこまでこの体力が続くのか気になった。
よせばいいのに、思い付いたら試さずにはいられないポセイドン。
その結果、鈴音が懸念していた“とんでもない間違い”が起きてしまう。
キレのある動きで攻撃を躱していたポセイドンの顔から、余裕が消えたのは30分後の事だ。
呼吸を乱す程ではないが、そこそこ疲れてきた。
一方の鈴音はまだまだ何ともない。
しかし何ともないが故に、攻撃が流れ作業化して少しばかりぼんやりしていた。
そろそろ終わらせるか、と考えたポセイドンが、廻し蹴りを繰り出した鈴音の軸足を刈ろうと、足首近辺を狙った下段蹴りを放つ。
今日の晩ごはん何にしよう、等と考えていた鈴音は反応が遅れた。
そこへ、何の前触れもなく円形の通路がぽっかりと開き、縞模様の小さな獣がぴょんと飛び出る。
丁度、攻撃に気付いた鈴音と、脚を振り抜こうとしているポセイドンの間に。
「え」
コマ送りのような鈴音の視界に映るのは、無防備な猫、虎吉を蹴ろうとしているポセイドンの足だ。
勿論ポセイドンにとっては、貰い事故以外の何ものでもない。
動物を虐待して喜ぶ性癖はないし、そもそも何故こんな所に猫が、と大変驚いている。
このままでは蹴り殺してしまう、何でもっと上を狙わなかったんだと慌てても、至近距離の攻撃なので止めようがなかった。
だが幸いな事にこの猫、只の猫ではない。
「危な!」
すんでの所、まさに紙一重、もはや神業と言える身のこなしで、ポセイドンの蹴りを跳んで躱して見せた。
「何すんねん!危ないやないか!」
自分が勝手に出て来たにも拘らず、着地先の観客席で尻尾をブンブン振りながら怒る辺りはさすが猫。
言いがかりをつけられたポセイドンはしかし、怒るどころかああ良かったと安心している。
そうして安心したせいで、今どんな状況だったかをすっかり忘れていた。
「あ」
一瞬の後、自分の蹴りは鈴音の足を狙ったものだった、と思い出した頃には当然、彼女の足首にクリーンヒットしている。
手加減しているとはいえポセイドンの攻撃だし、狙われたのは軸足だしで、いくら鈴音でも堪え切れない。それはもう見事に床へ転がった。
痛がるかと思いきや声すら上げず、ゆらりと立ち上がる。
何だか様子がおかしいぞ、頭でも打ったか、と神々と茨木童子が心配する中、鈴音は突如爆発的に発光した。
「まぶし……ッ、何だこれは!?」
「あ、言い忘れてた。鈴音の魂は光るんだ。けど、光り過ぎな気がするな?こんなんじゃなかった筈だぞ?」
眩しそうな顔のポセイドンと、呑気なワタツミ。茨木童子は危険を知らせる本能に従い、可能な限り観客席の上段へと退避する。
「虎吉様!姐さんが何やヤバいっす!」
「おお!?ホンマやな、キレとるがな。久々の10やないか。なんでや」
目を丸くしている虎吉の前で、床が凍り付き無数の漆黒の手が生えた。
「はあ!?」
眩しさに慣れたら今度は黒い物に囲まれ、ポセイドンは再度驚く。
捕まえようと襲い掛かってくる漆黒の手を手刀で切り裂きながら、鈴音へ問うた。
「猫神の眷属!お前、まさか手加減してたのか!?何だこの凄まじい力は!」
海を司る高位の神のプライドが許さないのか、その表情は険しい。
しかしあれだけ、神には勝てないとポセイドンを恐れていた筈の鈴音が、何を思ったか問い掛けを無視。
右掌に神力を集中させ、無表情に何かを作り出している。
「アカンぞ、あれイザナミの力や!」
「え、母上の!?それは当たったらマズいな!?」
「マズいどころちゃうわい、下手したら冥界行きや!」
「えー!?そんな力なら、死ななくても再生不可能な傷が残るんじゃないか!?アイツまだ着替えたばっかだし、スペアなんか創ってないぞきっと!マズいマズい!」
鈴音が作り出した黒い球に気付いた虎吉と、それが誰の力かを聞いたワタツミが慌てふためき、何としても止めなければと揃って観客席から跳んだ。
そして着地と同時にツルッと滑って転ぶ。
「うー、凍ってるの忘れてた」
「冷たい冷たい」
「こら、頭によじ登ろうとするな!」
「足が冷たいんや、しゃあないやないか」
神と神の分身がコントよろしく騒ぐ向こうでは、元々それほど気が長くないポセイドンもキレかけていた。
「そんな力を持っていながら出し惜しみ、今になってぶつけてくる意味は分からんが、俺に喧嘩を売っているのだけは理解出来た。受けて立ってやろう!」
海の神の宣言に合わせ、闘技場内に海水が湧き上がる。
ポセイドンはその上に立った為、氷による足場の悪さはなくなった。
「うわー、濡れる濡れる!」
「俺も海の神だ、濡れるわけないだろう」
同じく海面に立つワタツミと、ワタツミの両肩に後足で立ち、前足でショートボブの頭を抱え込んでいる虎吉。正気の鈴音が見たら召されかねない可愛さだ。
その鈴音もまた無表情のまま、闘技場に出現した海の上に立っている。
「……ワタツミ。お前俺に言い忘れてる事がまだあるだろう」
海を物ともしない鈴音を見つめつつのポセイドンに言われ、ワタツミはサッと目を逸らした。
「んー?俺の力が使えるって言ってなかったかー?」
「聞いてねえわ!俺の攻撃、物理以外まるで効かないって事じゃないか!」
「そうだな、って避けろ!」
完全にワタツミの方を向いていたポセイドンの隙を突き、鈴音が音もなく間合いに入っている。
気付いたワタツミが声を上げ、間一髪で攻撃を回避出来た。
「何だあの禍々しい黒いのは」
ワタツミと合流したポセイドンは、虎吉から説明を受け唖然とする。
「死そのものな女神の力って事は、あの黒いのも死って事か。掠るのも危ないじゃないか」
喋りながらも目は鈴音に固定。もう隙は見せない。
「ああ。鈴音を元に戻さないとどうにもならないし、更に状況が悪化しそうな気がする。幸い狙われてるのはお前だけだから、囮になれ」
さらりと酷い提案をしたワタツミを睨もうとして、やめた。
理性の光が消えた目でこちらを見つめ、鈴音が真っ直ぐ突っ込んできたからだ。
「俺が囮になれば解決するんだな!?」
逃げながら声を張ったポセイドンへ、ワタツミは自信満々に親指を立てる。
「虎吉次第だ!」
「それ大丈夫なのかーーー!?」
鈴音から距離を取りつつの叫びに、虎吉が半眼で溜息を吐いた。
「大丈夫かどうか知らんけど、やるしかないんや」
どうやら自分がここへ来たせいで、鈴音がああなっているようなので、責任は取らねばならない。
「ま、何とかなるやろ。よっしゃ行こ」
そう言った虎吉はまるで巨大ロボットのようにワタツミを乗りこなし、激怒中の鈴音へと近付いた。




