第五百二十四話 傍目八目
ポカンと開いてしまった口を閉じる事も忘れ、鞍馬天狗は思う。
5月の初旬に呼び出しを掛け、いつの間にやら7月も半ばを過ぎて。
あまりに音沙汰がないので、もしや異世界からの逃亡魂に何かされたかと気を揉んだり、護衛艦に乗って海に出てしまったようだと聞いて、無事なら良しと安心したり。
船に乗ったのは好みの男達の姿を覗き見る為、等というトンデモ話を大人しく聞いたのも。
全て全て、影女なら影を操るモノの弱点、即ち、潜伏している場所から炙り出す方法を知っているだろう、と思っての事だったのに。
「弱点は無い、とな?」
そんな馬鹿な話があってたまるか。
何かあるだろう、何か。こう、『その手があったか!』と膝を打ちたくなるような何かが。
目を見開き聞き直す鞍馬天狗の、薄っすら怒りを含んだ声で我に返った鈴音は、慌ててポンと手を打つ。
「弱点いうてもほら、意味は色々ある訳やし?影とか暗がりとかに居ったら無敵やけど、明るいとこやとイマイチ実力が出ぇへんねん、みたいなんでもええんですよ?」
大妖怪がお怒りだと怯える影女は、鈴音が差し出した救いの手に飛び付いた。
「た、確かに明るい所は苦手です。私は障子や磨り硝子に姿を映して、誰か居る?と怖がらせるのだけが取り柄ですから、丸見えになってしまうと情緒も風情もあったもんじゃないっていうか……」
「あー、そら丸見えでもビックリはされるやろけど、驚きの種類が変わってまいますねぇ」
「そうなんですよ。やっぱり暗がりのドキドキ感がないとダメです」
話の分かる神使にホッとしかけた影女だったが、相変わらず苛々している鞍馬天狗に気付いて固まる。
助けて、と鈴音を見れば腕組みをして唸っていた。
「んー、暗がりかぁ。逃亡魂は影に潜んでるだけで影そのものではないから、怪しい場所に人が作り出せるレベルの光当てても、逆にそれに紛れて逃げそうやしなー……」
「それにその、人の影に隠れているとしたら、何の関係もない誰かに無理やり強い光を当てる事になります」
「それ。人権侵害で訴えられますよねぇ」
影女からの尤もな指摘を受け、鈴音は幾度も頷き同意を示す。
すると。
「いっそ、夜に探す方がいいかもしれませんね」
「え?」
「例えば神使様から猫神様に事情をお話して、猫神様から夜の神様にご協力をお願いするとか。夜の神様が夜の影を探るなら、強い光は必要ないですもんね」
小首を傾げる影女と、目をぱちくりとさせた鈴音及び鞍馬天狗。
「そっか神頼みや。向こうではしょっちゅうやるのに、思い付かんかった。……夜の神様かぁ」
「火の玉であるから、夜は目立って仕方がないゆえ、十中八九影に潜んでおろうな」
「そうですよね」
頷いた鈴音は、夜を司る神様って誰だろうと考え、重大な事実に気付いた。
「あのー、物凄く基本的な事や思うんですけど」
「うむ」
「昼を司る神様ってどなたですか」
鈴音の質問に、鞍馬天狗は怪訝な顔をする。
「言うまでもなかろう。日の本の最高神、天照大御神ぞ」
「うわー、やっぱり……。それってつまり、夜の神様も同レベルいうか、日本で2番目ぐらいに偉い神様やいう事ですよね」
顔色を悪くしている鈴音を見やり、何が言いたいのか漸く分かった鞍馬天狗は自身の掌を扇子で叩く。
「そうか、格の違いか」
「ええ。猫神様は可愛さでは地球でも異世界でも最高最強の神様ですけど、それとこれとは話が別いうか……。流石に最高神とほぼ同格の神様に直接お声を掛けられる程、位は高ないと思うんですよね」
白猫の縄張りは異世界の創造神で溢れ返っているが、あれは特殊な例なので参考にならない。
ただ、本来なら会話どころか近くに寄る事さえ叶わぬ相手ばかりだ、というのは分かる。
同じ理屈で、夜の神から声を掛けてくる分には問題ないが、こちらから頼み事をするのは宜しくないのでは、と考えた。
その鈴音の考えに鞍馬天狗も頷く。
「月読命は気難しいと聞くしの、もう少し高位の神の力を借りた方が良いやもしれぬ」
「難しい方なんですか。んー、猫神様より上となると、ワタツミ様かナミ様かぁ。異世界の創造神様やと、話がややこしなりそうですよね」
「うむ、この世界の神に仕えておるのに他所の世界の創造神を頼るのか、と不興を買う恐れがあるな。それと……」
ご尤も、と頷いていた鈴音は、何やら渋い顔をする鞍馬天狗に首を傾げた。
「まだ何か問題がありそうですか?」
「うむ。天照大御神にしろ月読命にしろ、伊邪那岐命が黄泉の国から逃げ帰った後に生み出した神であるからして……。まあそのぅ、伊邪那美命やら大綿津見神とは折り合いが悪そうだと思うてな」
「うわホンマや。ある種クソ……イザナギ様の分身みたいな神々でしたそういえば」
当然イザナミとの相性は最悪だろうし、愛する母との間に生まれた自分達ではなく、己が単体で生み出した神々を重用する父イザナギを、ワタツミは良く思っていないだろう。
「あぁそうや、お父ちゃんには思う所もある、てワタツミ様言うてはったわ。アマテラス様のお名前を口にしたりはしてはったから、話題にしただけでキレる事はなさそうですけど。でも『ツクヨミ様のお力をお借りしたいんです』とかはダメっぽいですよねー」
「機嫌を損ねる程度で済めばよし。もし怒りを買うような事になれば、列島は海に沈むであろうの」
「ひー、絶対アカンやつ。ツクヨミ様にお願いはせぇへん方向で。ワタツミ様のご機嫌優先で」
頭を抱えた鈴音へ、そうしておけと鞍馬天狗が頷く。
夜の神に頼るという案自体は悪くなかったのだが、残念ながら日本の神々の事情が複雑過ぎた。
これでまた振り出しか、と鈴音や鞍馬天狗は勿論、影女も茨木童子も沈んだ空気に包まれる。
そんな中、右へ左へ首を傾げつつ不思議そうに嘴を開いたのは、入口付近に控える烏天狗だ。
「日本がダメなら、別の国の夜の神に頼めばいいんじゃないか?縄張り荒らしみたいになるからダメなのか?」
その素朴な疑問に鈴音と鞍馬天狗が声を揃える。
「その手があったか!」
「クァッ!?」
カッと目を見開いたふたりの迫力に怯え、烏天狗は円座で頭をガードしながら屏風の陰に半分だけ隠れた。
「夜か影を司る神様を紹介して欲しい、ならワタツミ様に言うても怒られませんよね!?」
「うむ!まず浮かぶのは月読命であろうが、即座に打ち消し別の神の名を口になさるのではないか?」
「ですよね!もしご存知なかったら、神様数珠繋ぎ作戦を提案してみます」
「それが良いそれが良い。縄張り荒らしに関しては、うっかり落とし物をしたので探している、とでも言えばよかろう」
あっという間に纏まって行く話に、烏天狗も影女も只々驚き声もない。
茨木童子は『流石は姐さんや』と深く頷いていた。
「よっしゃ、ちょっとだけ希望の光が見えてった。ありがとう影女さん」
鈴音に笑顔で礼を言われた影女は、両手と首を忙しなく振る。
「わわわ私は何も」
「いえ、私らだけやと神頼みするにしろ、光を司る神様を探してた思います。相手は影に潜んでんねんから、人では出されへんような強い光で影を消さなアカンよね?とか思て」
「そうよの。夜にも影は出ると分かっておるのに、そちらへは目が向かん」
自嘲気味に笑った鞍馬天狗は、屏風から顔半分だけ覗かせている烏天狗を見た。
「烏も、よう異国の神を思い出してくれたな」
「クァー……、主様に褒められたー」
それはそれは嬉しそうな烏天狗を見やり、鈴音も思い切り頷く。
「地球には同じものを司る神様が複数居てはる、て忘れてたから、言うてくれて助かったわ」
「異世界には居ないのか?」
「うん。創造神様だけのとこも多いし、分担しとっても国ごとに別の神様が居ったりはせぇへん。まあ探せばそんな世界もあるかもしらんけど、極々少数や思う」
「へぇー、そうなのかー」
鈴音と素直に驚く烏天狗の会話を聞きながら、鞍馬天狗もこっそり『そういうものか』と感心していた。
「ほな早速、海でワタツミ様にお伺いしてみます」
会話が一段落した所で鈴音はそう告げ、茨木童子共々お辞儀する。
鷹揚に頷いてから、鞍馬天狗はニヤリと口角を上げた。
「うむ、夜の神の力を借りられるかはともかくとして、何らかの助言は得られるであろうから、逃亡魂がどう出るか楽しみよの」
「いやー、ヤケになって暴れられる前に、骸骨さんにサクッと狩って貰わな」
澱を作る能力は厄介だと眉根を寄せた鈴音に、悪い笑顔のまま鞍馬天狗は首を振る。
「何を言う、狩るのは無様な姿を堪能してからぞ。誰の庭で勝手をしたか思い知らせねば」
「あ、それはそうですね。散々この日本でいらん事してくれたんやし、ボッコボコのベッキベキにしてからの引き渡しで」
「うむうむ」
大妖怪と神使のにこやかな会話を耳にして、免疫のない影女は震え上がった。犬神の神使が恐ろしいとは聞いていたが、猫神の神使もなのかと。
優しそうに見えていた分、余計に怖い。もし何か頼まれたら、『はい!』か『喜んで!』の2択だと心に決めた。
憐れな妖怪へトラウマを植え付けた鈴音は、そんな事とは知らぬまま改めて礼を言い、烏天狗の先導で屋敷を後にする。
「ほな何かお昼ごはん買うて、お土産届けがてら迷い家で食べさして貰おか」
「お、ええっすやん。海の神は昼休憩の後っすね」
「そ。こっちではご飯食べなお腹空くからねー」
靴を履きながらの会話に、烏天狗は嘴パカーだ。
「猫の使い、お前あれなの、迷い家に行けるの」
「ん?うん」
振り向いた鈴音が当たり前のように頷くと、また嘴が開いた。
「なんで?」
「え?んー、仲良うなったから?座敷童子と」
「へー、そっか座敷童子。……座敷童子!?」
目をまん丸にし、嘴をパカーと開け、羽もバッサーと開いて驚愕を表現する烏天狗。
鈴音も茨木童子も笑いを堪えるのが大変だ。
「道々話したるから、ほれ、行こ行こ」
「あ、そだな、行こう」
どうにか頷いた烏天狗が歩きだし、鈴音達も続く。
道すがら、河童とエリート烏天狗の相撲から始まった、子供達と迷い家や座敷童子の関係を聞き、お喋り烏天狗は呆れたり感心したりと忙しかった。
「人の子も色々大変なんだなー。それにしても、河童に相撲で勝つ天狗ってどうなの」
「ぶふッ。どうなの、言われても。エリートの中のエリートやったんちゃう?将来は大天狗になるような」
「そうなのか?だったら今の内に仲良くしとかないと。あ、仲良くっていったら、座敷童子に気に入られるとか凄いな。俺なんか会った事もないぞ?」
羨ましそうな烏天狗を見やりつつ、鈴音は顎に手をやる。
「天狗は人を争わせて遊ぶ種族やから、平和な悪戯しかせぇへん座敷童子とは合わへんのかな?けど、あんたやったらええオモチャ……遊び相手になりそうな気もする」
「グァ!?オモチャって言った!オモチャって言ったよね今!?烏をオモチャにするなんて、座敷童子って悪い子!?」
「悪くはないで。悪戯っ子なだけや」
「ほんとに!?」
そんな風にギャアギャアと賑やかな烏天狗を、からかったり宥めたりしながら、一行は仲良く出口までやってきた。
「ほんなら次は、神様へのお願いがどうなったか結果報告にくるから、また結界開けてなー」
「分かった!ちゃんと呼べよ!突付くなよ!」
「はいはーい」
「軽い!嘘かも!?」
心配性な烏天狗に『ちゃんとするから』と笑い、鈴音と茨木童子は天狗の国を後にする。
弁当屋で昼食を買い、鈴音と茨木童子がやってきたのは田舎の小さな川だ。
人目があると河童は出て来られないので、昼休みの今は田舎まで足を延ばさねばならなかった。
「よし、誰も居らへんね?」
「うっす」
「ほな河童釣ろかー」
そう言って鈴音が無限袋から取り出したのは、シオンの世界で買った直径10センチ、長さ50センチ超えのキュウリだ。
巨大なそれを振り振り、川へ声を掛ける。
「おーい、河童やーい」
すると、川の中にトンネルの出口のような物が現れ、そこから河童がスルリと出て来た。
「呼んだかー?て、何やそのキュウリ!?」
頭だけを水面から出した河童が、目を見開いて鈴音の差し出すキュウリを見ている。
「異世界のキュウリやで。味見したから間違いないよ」
食べ掛けのキュウリも出して見せると、納得したらしい河童が目をキラキラと輝かせた。
「凄いな、河童の夢を現実にしたみたいなキュウリやないか。そんなんホンマにあるんやなあ」
「ふふふ、良かったやん。ほな、迷い家に案内してくれる?別に用事はないねんけど、お土産があんねん。河童に魚と、座敷童子と勇斗君にお菓子」
鈴音から巨大キュウリを1本受け取った河童は、よし任せろとトンネルへ姿を消し、すぐに戻ってくる。
「その辺の角を曲がったら入れるで。俺は先に行っとくわな」
「分かった、ありがとう」
河童に手を振ってから、言われた通り近くの曲がり角を目指した。
2分程歩き茨木童子と共に田んぼのあぜ道を曲がると、突如景色が変わって立派な土塀の前に出る。
すっかり見慣れた迷い家に到着だ。
「お邪魔しまーす」
「ちわっす」
挨拶しながら庭へ入ると、縁側に居る座敷童子が骸骨人形の手を振っていた。
隣の勇斗も同じ動きをしているので、どうやら小さな人形レベルなら骸骨に慣れたようだ。
「こんにちは。ふふふ、骸骨フィギュア作戦成功。ほな次はもうちょい大きいやつにしましょか、はいコレどうぞ」
今度は赤ちゃん人形サイズの骸骨を作って渡すと、座敷童子は大喜びで受け取った。即座に小さい方を勇斗に差し出す。
勇斗は戸惑いながらも受け取り、小さな骸骨を触って確かめ始めた。
「ふふ。あ、そうそう今日は異世界のお菓子を持ってきたんですけど、お昼ごはんはもう食べました?」
「今から!」
元気に答えた座敷童子に微笑み、鈴音は弁当を指す。
「一緒に食べてええですか?」
「いいよ!」
ニコニコの座敷童子と勇斗が広間へ入って、お膳の前で『早く早く』と呼んだ。
河童が持ってきたザルにイワシっぽい魚を出しながら、すぐ行きますと鈴音が笑う。
平和やな、とお土産に喜びつつほのぼのする河童は、まだ知らなかった。
昼食を取りながらの会話にワタツミの名前が出てきたり、『ツクヨミ様の所にイザナギ様が逃げ込んでたら、ナミ様がガッと襲い掛かって日本が終わるから、ワタツミ様のご機嫌以前にそもそもアカンかった』とかいう寿命が縮みそうな事を聞かされるなんて。
すっとぼけたお喋り烏天狗に興味津々な座敷童子と勇斗をよそに、『やっぱり火之迦具土の名前は聞き間違いちゃうかってんな』と河童が遠い目になるのはもうすぐだ。




