第五百八話 夜だけど移動
報告書用の聞き取りに掛かった時間は30分程。
ジガンテ最下層までに見掛けた魔物の情報を鈴音達が語り、職員がせっせと書き留めた。
ただ、見掛けただけで交戦していない魔物が殆どなので、鈴音達は姿形と色くらいしか話せる事がない。数少ない戦闘では、物理耐性持ちを殴る蹴るで瀕死にしたり、耐性や属性を無視して氷漬けにしたりしている為、一般的には全く参考にならないと思われる。
それでも職員からすれば、知っている魔物の大きさがおかしかったり、変わった色をしていたり、新種らしきものが居るらしいと分かって、とても興味深い内容だったらしい。
「いやー、助かる。今後は神術士を1人しか連れてない奴らに、氷以外の神術全てが使えないと死ぬぞって助言してやれるな」
帳面を閉じて笑った職員に、鈴音達は首を傾げる。
「組合側からそういう情報出す事もあるんですね」
「ん?ああ、詳しい道順なんかを教えたりはしねえけど、明らかに死にそうな時はちょっとな。探索者同士で情報交換してるから、虫除けの香とか毒消しが必須なのは知ってても、神術の事は知らんだろうし」
虫除けの香、と聞いて鈴音達は顔を見合わせた。
「虫てアレですか、ゴツい顎した触覚の長い……」
巨大なスズメバチ顔のカミキリムシを思い出しつつ、手振りを加えて説明する鈴音に、職員は頷く。
「ああ、ブツ切り虫だ」
「名前こわッ!そらあの顎やったら人なんかブツ切りやろうけど。そのまんま過ぎや怖い怖い」
「さっさとブン投げといて良かったっすね」
うっかり人が臍辺りで噛み切られる所を想像し、虎吉の頭に鼻先を埋める鈴音と、あっけらかんと言って笑う茨木童子。
職員は目が点である。
「ブン投げた……。見掛けただけじゃなく、あれと接触して無事だったのか。流石は神託の巫女の友人と言うべきだな」
「ん?そんな危ない虫やったんですか、アレ」
「そりゃあな。単体の攻撃力が高い上に、仲間を呼ぶというか、集まって来るからタチが悪い」
集まると聞いて、スズメバチの巣を撤去する際の映像を思い出し、鈴音は顔を顰めた。
「確かに、あんなデッカい虫に集団で囲まれたら、なんぼ経験豊富で強い探索者でも危険ですね」
「そうなんだよ。火の神術が有効だけど、全部纏めて焼き払えるような術を使える術士なんて、そうそう居ねえしなあ」
「せやから遭遇せんように、虫除けを焚いとくんですね」
「そういう事だ。こんな基本中の基本も知らずに入って無傷で戻ってくるとか、ホント規格外だな神託の巫女の友人」
改めて呆れられ、『それ程でもあります』とドヤっておいた。
職員と共に応接室を出ると、1人だけ残っていた査定担当が近付いてくる。
「すみません、査定にはもう暫く……少なくとも明日の昼過ぎまでは掛かるかと。各地に問い合わせが必要なもので」
申し訳なさそうな顔をされ、鈴音は慌てて手を振った。
「大丈夫ですよ、珍しいもんばっかりやいう自覚はありますんで。イスカルトゥ攻略した時も、確か3日は掛かる言われましたし」
「良かった、ありがとうございます。……って、イスカルトゥ?あそこ攻略したのも皆さんだったんですか!?」
査定担当の職員が目を丸くし、報告書担当の職員も唖然としている。
「あはは、そうなんですよ。倍の人数でしたけど。あっちでは片っ端から魔物捕まえて持って帰ったんで、報告書用の質問とかされませんでしたね」
「見たら分かるし、それどころちゃうかったんすよ多分。数が多過ぎて死にそうな顔しとったし」
「あー、そうやったね、金貨6000枚弱に化けたもんね。あれは悪い事したなー」
鈴音と茨木童子の会話を聞いた報告書担当が、唸りながら眉間を揉んだ。
「魔物本体があったとしても、どこの階層で出たのかとか、弱点はとか、聞くべき事はあるんだけどな本来は。けど、金貨6000枚弱?そんな規模の持ち込みされたら職員総出になるだろうし、俺も『まあいいか今回は』ってなるわ」
頭なんか回らん、と断言されて、『ホンマすんません』と一行は頭を下げる。
マホンも釣られて頭を下げつつ、『やっぱりとんでもない人達だ』と遠い目をしていた。
「ほな、明日の昼過ぎにまた来ます」
「はい、お待ちしています」
職員達に会釈して外へ出ると、一行はまた屋根の上へ。
「よし、取り敢えず帝都まで戻って、そっからアズルやね」
「そっすね」
夜の街を見下ろしながら、軽やかに屋根を駆け抜け、真っ暗な谷底に出る。
出入り自由な街とは言え、暗くなってから訪れる者はいない。
人っ子ひとり居ない谷底を機嫌良く走り、つづら折りの斜面をヒョイヒョイと跳んで、帝都へ続く街道に上がった。
「さて、こんな時間に旅する人も商人さんも居らんやろし、遠慮なく飛ばしたいよね」
「うっす」
「っちゅう訳でマホンさん、はい」
どこからともなく出て来た座席付きの箱を勧められ、マホンは菩薩顔になる。
そりゃコレに乗れば、背負われる気恥ずかしさや申し訳なさはなくなるし、振動もなくなるしでいい事尽くめだ。分かっている。分かってはいるが、怖いものは怖い。
しかし拒否権なぞ無い事も分かっているので、『関節錆び付いとるんか?』と虎吉が小首を傾げるぎこちない動きで、どうにかこうにか座席に収まった。
「手すり掴んで立ってるより、座ってる方が安心でしょ?これでガンガン走れるでー」
鈴音は気を使ったつもりらしいが、実際は地面に近い方が体感速度は上がる。そんな事は綺麗に忘れ、肘掛けをガッチリ掴んだマホン入りの箱を浮かせた。
「ほなしゅっぱーつ」
掛け声と共に走り出す鈴音。
奥歯に力の入ったマホンが、動き出した箱の中から横を窺えば、何と骸骨が大男の茨木を持ち上げて飛行しているではないか。
どれだけ馬鹿力なんだとか、契約もしていないのに運んでやるのかだとか、疑問は色々浮かんだが、それら全てを吹っ飛ばしたのが運ばれている男の表情だ。
無。光の聖石が照らし出す、何かの境地に至ったようなその顔を見て、マホンは悟る。
ジガンテで乗った箱は遊びだったのだと。
あの恐怖を上回る速度とは一体、と前を向いた瞬間、光に浮かぶ景色と地面が幻と化した。
「ひいぃぃぃゃぁぁぁあーーー!!」
夜道に悲鳴を響かせながら、一行は飛龍を遥かに凌ぐ速度で進む。
叫び疲れてマホンがグッタリした頃、帝都の高い城壁が見えてきた。
「一旦休憩にしよか」
コクリと頷いた骸骨と共に減速し、近くの木のそばで止まる。
骸骨が茨木童子を下ろし、鈴音も箱を着地させた。
「はいお水」
無限袋から出した木製コップに水を入れて渡すと、震える手で受け取ったマホンは喉を鳴らして飲み干す。
「何か食べます?」
「い……いえ、食欲がちょっとどこかへ」
背もたれに寄り掛かって息を吐く様子を眺め、フムと頷いた鈴音は無限袋を探った。
「ほな飴ちゃんでも」
包装を剥いてマホンの掌に載せ、どうぞと勧めつつコップに水を満たす。
黄色く透き通ったレモンキャンディを、マホンは目をぱちくりとさせながら見つめた。
「まるで宝石のように見えますけど、これは?」
「口の中で舐めて溶かすお菓子ですよ、どうぞ」
この世界に飴はなかっただろうかと首を傾げる鈴音に、骸骨が『コレかも?』というように石板を指差す。
「あ、透き通ってへんタイプね、そうかも」
コソコソ会話するふたりを横目に、恐る恐る飴を口に入れたマホンは、直ぐさま広がる仄かな酸味と柔らかな甘味、鼻へ抜ける爽やかな香りに驚いた。
「これはまた……なんとも……」
カラカラコロコロと口内で飴を転がし、目を輝かせている。
「気に入って貰えて良かったです。ほんで、宝石みたいで思い出しましたけど、弟さんが見つけたんは何ていう石なんですか?」
茨木童子にも水を渡しつつ鈴音が尋ねると、マホンはポンと腿を叩いた。
「あ、そうか、赤い石としか言ってませんでしたね。シャーマという石なんです」
「シャーマ」
「はい。赤い宝石というと、東のアガリ大陸で採れるマソホが有名ですけど、このシャーマもそれに次ぐ人気があるらしくて」
「高値で取り引きされるんですね」
「ええ」
成る程と頷いた鈴音は顎に手をやる。
「そんな価値がある石やったら、職人さんらの間で噂になってるかな?あの工房にシャーマが持ち込まれたらしいぞ、とか」
「あ、クズ野郎がどこに頼んだんか探るんすね」
復活した茨木童子が水を飲みながら会話に参加すると、鈴音が悪い笑みを浮かべ、マホンは幾度か頷いた。
「私らと一緒で、安心の職人さん数珠繋ぎをやる筈。貴重な宝石にダサい細工されたら嫌でしょ?」
「確かに、競売で金持ちの目に留まらないと意味がないですもんね」
「ね。せやからまず、私らがサフィルスを磨いて貰た工房に行って、情報収集しよ思います」
それがいい、と流れで頷いたマホンだが、いや待て気になる単語があったぞ、と鈴音達を見る。
「サフィルス?磨いて貰った?」
「あー、ははは、そうなんですよ。イスカルトゥの最下層でデッカい原石拾て。磨きに出して宝飾品にして競売で売っ払って貰いました」
「おぉ、経験者がこんな所に。これは心強い」
デッカい原石、と聞いたマホンは幾らになったのか尋ねるのをやめた。大金になったに決まっている。
「競売で会えるかな、クズ野郎。どんな顔してるんでしょうね、拝めるのが楽しみです」
他人の大金より復讐相手の方が気になる、とばかり仄暗い笑みを浮かべるマホンに、鈴音は若干心配そうな顔をしつつ頷いた。
休憩を終えた一行は、アズルの街へと方向を変え再び走り出す。
飴ちゃん効果か単なる慣れか、真っ直ぐ走る分にはマホンが悲鳴を上げる事はなくなった。
そのお陰で機嫌良く飛ばせた為、日付けが変わる手前くらいにアズルの城壁前へ到着。鈴音と骸骨は楽しげにハイタッチした。
「流石に神官さんも寝てるやろし、今夜はここで野宿ですね」
そう言いながら鈴音がベッド付きテントを作っていると、箱から降りたマホンが不思議そうな顔をする。
「アズルの神官様とお知り合いなんですか」
「へ?ああ、そうなんですよ。もうちょい早よ着いてたら、神殿に泊めて貰えたんですけどね」
「今からでも、姐さんの頼みやったら聞くっすよあの神官」
「叩き起こすんは気の毒やから嫌。ここでも充分休める休める」
茨木童子の意見を退けた鈴音が手で示すのは、フカフカの布団が敷かれたベッドと、それを隠すテントだ。
「な、何でこんな所に寝台が!?」
愕然とするマホンを、『まあまあ、気にしない気にしない』と宥めてテントへ押し込む。
「見張りは私らがやるんで、安心して寝て下さい。肝心な時に眠気が来たり、力が出ぇへんかったら困るし」
こう言われてしまえば、確かに憎きコヴァルヂを前にフラフラしたくないな、とマホンも素直に頷けた。
「何から何まですみません。先に休ませて貰います。交代の時間がきたら起こして下さい」
「はいはい」
一行はニコニコしながら頷く。
「おやすみなさい、ごゆっくり」
「おやすみなさい」
挨拶を返し入口の布を下ろしたマホンは、恐る恐るベッドへ横になった。すると次の瞬間にはもう、瞼が落ちて夢の中へ。
ぐっすり眠る彼が次に目覚めたのは、東の空が白み始める頃だった。
「ハッ!いかん、物凄く寝た気がする!」
頭はスッキリ、身体は軽い。熟睡した証拠だと慌ててベッドから下りたマホンは、入口の布を持ち上げ半歩踏み出した状態で固まる。
「あ、おはようございまーす」
元気に挨拶する鈴音の後ろには、縛り上げられ転がされた人相の悪い男達の姿が。
「おはようございます、これは……?」
「おはよう。また強盗や。閉門時間に間に合わんかった旅人やら隊商やら専門の」
椅子に腰掛け優雅にお茶なぞ飲んでいる茨木童子に説明され、マホンは『へー』と間の抜けた声を返した。
強盗は10人も居るのに、自分はどうして襲撃に気付かなかったのかな、と遠い目だ。
普通なら鈴音達を口汚く罵るだろう強盗達が、妙に静かなのも気になる。
「また、あの黒い手で……?」
そう尋ねると、木の葉を飛ばして虎吉と遊んでいた鈴音が、眩い笑顔を見せた。
「ええ、口塞いで、腰から下を氷で覆ったったんです。その上で、周りに火の玉ブワーっと飛ばしたりました」
美しい朝日に照らされながら、爽やかに喋る姿は女神のようだが、内容がえげつない。
「流石です」
頷いてから強盗達に憐れみの目を向けたマホンは、もうこの程度でいちいち驚くのはやめよう、と心に誓った。
やたらと小さく椅子に収まっている骸骨も気になるけれど、これもきっと普通の事なのだ。
「気にしたら負け、身が持たない、普通普通」
そう呟いて椅子に腰掛けるマホンへ、強盗達が『この状況見ても平然としてるとかマジヤベー』『今頃起きてくるとかアイツが親分か、凄ぇな』と畏怖の目を向けている事には気付かなかった。




