第五百三話 悪気はなかってんで
トロッコの中で震え上がる探索者達とは対照的に、茨木童子はこの上なく楽しそうな顔で走龍に飛び掛かる。
ワニっぽい見た目の通り、走龍の主な攻撃は巨大な口による噛み付きと、太く強靭な尾による薙ぎ払いだ。ただ、20メートルもある巨体からは想像出来ない素早さで動く為、回避するのは中々に難しい。
どうにか攻撃を躱して近付いたとしても、鱗が剣や槍を簡単には通さない硬さを誇る。
正解は神術による遠隔攻撃なのだろうが、素早さに加え土の魔術で対抗してくるので、これまた簡単には当てられない。
唯一の救いは、飛龍のような息吹を持たない事か。
というような内容を、他所の探索者パーティから聞いたのだとジャヴァリが皆に解説している。
そいつらはどうなったと仲間に問われ、全く歯が立たないから大怪我を覚悟で風の神術に乗って逃げたそうだ、とジャヴァリが苦笑いし皆が納得した。
それが普通だよな、と頷きながら視線を前方へ戻した彼らは、理解に苦しむ光景を目の当たりにして固まる。
茨木童子が走龍の尾を担ぎ、えいやと背負い投げをきめていたのだ。
ゴツゴツの背中を地面に叩きつけられた走龍は、ジタバタ暴れて四つ這いに戻り、茨木童子へ向き直って怒りの声を上げる。
この様子を眺め鈴音が感心した。
「あんまり効いてへんみたいやね。物理耐性持ち?鱗の下に緩衝材でも入ってんのかな」
「ホンマやな。割と強めにシバかなアカンな」
鈴音と虎吉が呑気な会話をし、骸骨がウンウンと頷いて、ここだけ安全な観覧席風の空気が流れている。
後ろに居る探索者達は、『いやいやいや』『待って』『違う違う』と全員が心の中でツッコんだ。
攻撃が効いている効いていない以前に、いくら強化神術がかかっているとはいえ、人が1人であの巨体をぶん投げるのはおかしい。まずそこを指摘しようよ、と鈴音の背中を見つめる。
見つめるだけで、実際に口に出して言える猛者は居なかった。
するとこのタイミングで、茨木童子に噛み付こうと動き回っていた走龍が目の前で止まる。
素早く背を向けるや、鈴音達とトロッコを纏めて薙ぎ払うよう、強く尾を振った。
強化神術の効果により、その動き自体は見える探索者達が、『あ、終わった』と人生終了を覚悟する。
ところが。
「え、何してんの?アンタ茨木と勝負してる最中やろ?いらん事してる暇あるん?」
軽い扉でも押さえるかのように右手だけで尾を止めた鈴音が、不思議そうに問い掛けた。
この時ばかりは、探索者達と走龍の心が通じ合う。
何してんの、はこっちのセリフだ、と。
有り得ない事態にちょっと焦ったらしい走龍が、今度は逆側から尾を薙いだ。
左手は塞がっているからいける、と思ったのかもしれないが、残念ながらそっちには骸骨が。
当然、全く同じ目に遭った。
片手で尾を止めた骸骨は、虎吉に当たったらどうしてくれるとばかりプンスカ怒り、掴んだ尾をパリパリと凍らせてゆく。
慌てたのは走龍だけでなく、茨木童子もである。
「あー!アカンアカン!骸骨さんアカンっすよ!?コイツ俺の獲物っすからね!?尻尾動かんようになったらおもんないやないすか!」
頭を抱えて訴える茨木童子を見やり、やれやれというように肩をすくめた骸骨は、仕方なく尾を解凍してやった。
「おぉ、良かった。あざーっす!」
満面の笑みを浮かべる茨木童子と、物凄い勢いで鈴音と骸骨から離れる走龍。
一連の流れを見ていた探索者達は、只々唖然とするばかり。
唯一、伯爵だけが拳を握り締めワナワナと震えている。
「あの程度の事なら私にも出来る……!平民風情が調子づきおって……!」
恐らく睨んでいるのだろう眼窩の先には、虎吉に褒められてくるくる回っている骸骨が居た。
伯爵の独り言が聞こえた鈴音は、『不死者て木っ端微塵になったらどないなるんやろ』と小首を傾げる。勝手に破片が寄り集まるのか、粉々のまま存在し続けるのか。
「答えが知りたいから、尻尾に当たりに行って粉々んなってくれへんかなー。あーでも、やりたい事があるらしいマホンさんが困るか」
猫の耳専用の声量で中々に人でなしな発言をしつつ、茨木童子と走龍の戦いへ視線を戻す。
その腕の中、虎吉が大あくびをし鈴音を見上げた。
「鈴音、俺もちょっと遊びたいからな、さっきの脇道に行ってくるわ」
「あ、そうやね、虎ちゃんのストレス解消もせなアカンかった。取り敢えず、茨木とワニの勝負が終わったら帰ってってくれる?」
「ほな、こっちの音も聞きもって遊ぼか」
「そうしてくれると助かる。もし夢中になって忘れてたら呼びに行くし」
「おう、頼むわ。まあ蛇やの烏やのは居らんかったから、そない熱中する事もないやろ。また後でなー」
そう言って目を細めた虎吉は、鈴音の腕から下りて伸びをし、軽やかな足取りで広場から出て行く。
本当は心配で心配で仕方ない鈴音だが、現在この世界で最強なのは虎吉だし、何かあればシオンが介入する、と自身に言い聞かせ見送った。
大丈夫かと寄ってきた骸骨に、若干引き攣った笑みで頷く。
「虎ちゃんも、たまには異世界でひとりになりたいやろし。心配やけど。私らが飲みに行ってる間の留守番だけいうんも悪いし。心配やけど」
本音が漏れまくっている鈴音へ、ここには魔物しか居ないから猫攫いに遭う心配はない、と石板に描く骸骨。
「あーそうか、そうやね、そない思たらええんや。人が居らへんから銃で撃たれる心配もない……て、魔法は撃たれるやん!?」
即座に、虎吉にダメージを与えられる魔法があったら、この世界はとっくに滅んでいる、と正論が返された。
「あーそうか、そうやね、そんな力があるならシオン様が黙ってるわけないね」
いくらか落ち着いた鈴音を見て、骸骨がホッと胸を撫で下ろす。
そこへ、茨木童子の『しもたー!』という大声と共に、走龍が吹っ飛んできた。
どうやら尾を掴んでジャイアントスイングしている最中に、すっぽ抜けてしまったらしい。
ミサイルのように飛んできた走龍を、鈴音が念動力で止めようと試みる。
「おっ、止まった止まった。やったら出来るもんやねぇ。ほら、手で止めたら流石に首の骨が危ないか思て」
拍手しながら首を傾げる骸骨に説明すると、ビシと親指を立ててくれた。グッジョブと言いたいらしい。
「あはは、ありがとう」
笑う鈴音の耳に、茨木童子の声が届く。
「すんません姐さーん。スポーンいってもてー」
「ええよー、念動力の練習なったしー」
まるで、庭に入り込んだボールに関するご近所同士のやり取りのようだが、宙に浮いたままジタバタしているのは20メートルの龍だ。
恐ろし過ぎる光景に、こんなの命がいくつあっても足りない、と遠い目をした探索者達の後ろから、明らかに苛立った伯爵が出てくる。
「おのれ平民共。いつまで待たせるつもりだ!倒せんなら倒せんと言え阿呆が!」
鈴音が念動力を解いた途端、走龍はズシンと地面に着地して素早く離れて行った。
「え?倒せるよ?茨木は遊んでんねん。寧ろ殺さんように手加減すんの、大変やねんで?」
何言ってんだコイツ、な表情と気配を鈴音と骸骨から向けられ、伯爵は怒りを露わにする。
「つまらん言い訳はいい!私はもう飽きた!これ以上キサマら平民共の茶番に付き合うつもりはない!」
「うわー……お貴族様やのに、人を指差したらアカンて習わんかったんかいな。お里が知れるで」
呆れ返った鈴音の顔と声で、指差しポーズの伯爵は激怒した。
「キッ……キサマ平民の分際で我が伯爵家を愚弄するか!走龍の次に葬ってくれる!」
ワナワナ震えていた人差し指を、わざわざもう一度突き付けてから、伯爵は前へ出る。
「何やってるんだ伯爵!危ないから戻って!」
我に返ったマホンが必死に声を掛けるも、伯爵は聞く耳を持たない。
「私らと出くわしてから溜め込んだイライラが、ついに大爆発したいう感じやろか」
鈴音の小声に骸骨が頷く。
「いやー、悪気はなかってんけどなぁ」
すっとぼける鈴音を、骸骨がじーっと見つめた。
「あら嫌ですよ骸骨さん、何ですかその疑いの眼差し」
鈴音がウフフと作り笑いをし、肩をすくめて応えた骸骨が走龍の方へ視線を移す。
走龍は今まさに、伯爵からの攻撃を受けている真っ最中だった。
無数の小さな水弾を四方八方から撃ち込まれ、大きな傷こそ負っていないものの、どことなく嫌そうにしている。
ただ、巨体を引っ繰り返すべく起こされた突風に対しては無反応だったので、風の神術には耐性があるようだ。
「弱点は水なんかな?その割に殆ど効いてへんけど」
そんな鈴音の呟きが聞こえた訳ではないだろうが、伯爵はこちらを指差し『援護も出来んのか無能な平民め!』だとか吠えている。
自分が大技を使う為の時間稼ぎをしろ、という事だろうかと思いつつ、鈴音は聞こえない振りをした。骸骨は偉そうに見えるよう胸を張り、ツンと顔を背ける。茨木童子も様子見していた。
「自分がワニの次に殺すて暴言吐いた相手が、何で助けてくれる思うんやろ」
呆れる鈴音の視線の先で、走龍が素早く体の向きを変える。
「そもそも射程が短過ぎひん?あんな近付かな当たらへんもんなん?」
一応は走龍の攻撃範囲に入っていないが、あの動きの速さを考えると、どう考えても近付き過ぎだ。
本気で距離を詰められたら逃げられないぞ、と見つめる鈴音の予感は的中し、走龍が伯爵目掛けて突進した。
全く予想していなかったのか、探索者達の悲鳴を聞いて初めて、伯爵は走龍の接近に気付く。
鼻息がかかる近さに慌てて水弾を放つも、やはり嫌な顔をされただけだった。
「そんな筈はない!この私の神術だぞ!?」
ヒステリックな喚き声と撒き散らされる水弾が鬱陶しいようで、回れ右した走龍は床掃除でもするかのように尾を振る。
動きは見えているので、片手で止めようとする伯爵。
骸骨に出来るのだから、不死者なら誰にでも出来ると思ったようだ。
実に残念なその思い違いにより、当然ながら伯爵は吹っ飛ぶ。
鈴音が見てみたいと思っていた木っ端微塵状態ではないが、それでも中々のバラバラっぷりで地面に散乱した。
「うわあ、大惨事。骨だけやから平気やけど、そうちゃうかったら悲惨やで」
顔を顰めた鈴音とブルッと震えた骸骨は、トロッコの横にまで飛ばされた骨を見やる。
「ほんでこれ、まだ動けんの?浄化されたんとは違うから、魂がどっか行ったわけちゃうもんね?」
頭骨はどこだ、と探す面々に、右側から声が届いた。
「おのれトカゲの分際で……!何をしている平民共!さっさと私の体を集めろ!」
壁に跳ね返って、トロッコが陣取る広場への入口から少し離れた位置に落ちたらしい。
ホッと安堵の息を吐いたマホンが、手近の骨を拾おうとして固まる。
どうした、と視線を辿った探索者も固まる。
何とも気味の悪い事に、骨が自力で少しずつ動いていたからだ。
伯爵は集めろ集めろと騒ぐが、探索者達は気色悪いので触りたくない。
ひと仕事終えた走龍は置物のように動かず、成り行きを眺めている茨木童子も動かなかった。
そうなると、鬼対龍の異種格闘技戦が終了したと勘違いして、遊んでいた虎吉が帰ってくる。
入口手前で減速し、普通の猫のようにトコトコと歩いて広場へ入ってきた。
「ただいまー。て、何や?ワニが降参したんか?」
ざっと周囲を観察し、鈴音の方へ向かう。
その途中、落ちていた骨をうっかり踏んでしまった。
猫は慎重な生き物なので、本来そんな得体の知れない物は踏まない。
当然、虎吉も避けたのだ。
ところがこの骨、動くのである。
避けた虎吉の足が下ろされる場所へ勝手に移動し、そして踏まれた。
それがどんな結果を招くかといえば。
「ギィャァァァアアアーーーーーー!!」
これぞ断末魔という叫びと共に、伯爵が浄化される。
前触れ無しの凄まじい悲鳴に、探索者達は勿論、浄化した虎吉もそれはそれは驚いた。
ビョン、とその場で飛び上がり尻尾の先まで毛を逆立て、耳を伏せ瞳孔を全開にしたビビリ顔で突っ走り、鈴音の身体を駆け上がる。
「ななな何や!?」
すっぽりと腕に収まり、まん丸な目を向けてくる虎吉に、鈴音はデレデレ、骸骨はくるくるだ。
「可愛すぎる……!意識保てた自分を褒めたい!」
「お、おう、褒めとけ褒めとけ。ほんで何が起きた?」
仰天した虎吉が神速で動いた為、答えにあたる現象は今ちょうど目の前で起きていた。
伯爵の骨がボロボロと崩れ、形を保てず塵となる。
地面に残った豪華なローブだけが、そこに不死者が居たという痕跡になった。
「そ……そんな、何が起きたんだ!?」
マホンの叫びで瞬時に顔を引き締めた鈴音は、感心したかのように幾度か頷く。
「成る程ね、契約者が浄化されても、依頼した人は無事なんや」
この事実が広まれば、不死者を悪用する輩は必ず現れる為、誤魔化す必要が出てきた。
「虎ちゃん。虎ちゃんが浄化した事は黙っといてな。走龍の攻撃のせいかなー?て思わしとこ」
「おぉ?何や分からんけど分かった。黙っとくわ」
骸骨とも頷き合い、膨らんでいた虎吉の毛皮を撫で付けつつ、鈴音も驚いた風を装う。
「えー、なにこれ。不死者てバラバラなったら時間経過で消えてまうん?せやから集めろて慌ててたん?」
眉根を寄せ口元に手をやって塵を見つめる鈴音の声に、マホンも探索者達も『そういう事か……!』と同じように塵へ目を向けた。
「クソッ、何て事だ。気持ち悪がらずにさっさと集めればよかった」
後悔するマホンに、鈴音と虎吉は心の中で『嘘やねんゴメンやで』『悪気はなかってんで』と詫びる。
探索者達が気の毒そうに見守る中、レオーアだけは婚約者の兄が死なずに済む事を喜んでいるようだ。
思い出話したいもんね、と密かに微笑み、鈴音は茨木童子へ視線をやる。
「まあ何にせよ、そろそろ地上に戻りたいな。決着つけてー」
「了解っすー!ほな行くでワニ!遊びは終わりや」
充分暴れてスッキリな茨木童子が拳を握ると、走龍は何を偉そうにとばかり咆哮した。
しかし。
「よう見とけよ?ウルァ!!」
妖力を乗せた拳が振り抜かれた先は、飛龍の息吹すら受け止める壁。
土の神術を使った訳でもないのに、拳はその壁にめり込み、幾筋もの亀裂を走らせた。
「ふう。どや、まだやるか?」
いい笑顔の茨木童子が拳を突き出す。
それを見て、どこかの元貴族と違い実力の差を素直に認められる走龍は、自らその場で仰向けに転がった。




