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第五話 音の速さとロケット

 通路を抜けた先は、例のもこもこの雲のようなもので出来たドームだった。

 もこもこ雲ドームは、観客席を備えた体育館を二つ三つ軽く覆える程の広さと、巨大化した白猫が後足で立ち上がっても全く問題無さそうな天井の高さがある。

 家具が一切置かれていないので、ひたすらにだだっ広い。

 そんな広い広い部屋というか広間というかの隅っこに、丸い湯船か鍋のように形作られた場所があった。

 その鍋型もこもこ雲の中に、大型虎サイズの白猫がみっちりと収まっている。

 頭だけ持ち上げ、何やら不安そうに瞳孔を開き耳を伏せていた。

「えー、虎吉センセー虎吉センセー、あの顔は『わあ、来ちゃった。怒ってないかなあ?』で合うてますか?」

「はい正解。鈴音に嫌われてへんか、えらい心配しとったからなぁ。にしても、よう見えるな。目ぇエエねんな」

「ふふん、両目共2.0やで。ちょっと可哀相やけど、ああいうショボン顔も可愛いよなぁぁ」


 通路を出るなり始まった会話に、伏せられていた白猫の耳がピンと立って前を向く。 

「ぷくく。聞こえたやろ猫神さん。鈴音が猫を嫌いになるわけがないんや」

「ホンマですよー、ちょっとビックリしただけで。あと、変なコスプレみたいなったらどないしよ、いう盛大な勘違いがありまして、ええ」

 虎吉に先導されながら、鈴音はゆっくりと白猫へ近付いて行った。

「見た目このままで猫みたいに動けるなら、使い所は限られるにしても、きっと便利ですよね。有り難いです、ホンマに」

 にっこり笑ってお辞儀をすると、それを見た白猫はおもむろに立ち上がり、天井へ向けた尻尾を小刻みに震わせ目をキラキラ輝かせつつ、いそいそと鈴音へ近寄る。

 グルルゴロロと喉を鳴らし、撫でろとばかり頭を差し出した。

「うひひひー、かわいッ、可ぁ愛い、たーまらんー」

 胸の位置にある大きな頭を遠慮なくワシワシと撫で、涎を垂らしかねない顔でリクエストに応える鈴音と、それはそれは幸せそうに撫でられている白猫を、虎吉はまたしてもどこかの高原にいるスナギツネのような顔で眺めるしかない。

「ぅおーい、そろそろええかなー?ここへ来た目的思い出してんかー」

 虎吉の声に、鈴音と白猫は漸く我に返った。


「そうや、今度また色々用意して来ます、とか言いながら、当日に手ぶらで、しかもこんな格好でまた来てもうた理由がありまして」

「練習ですわ、練習。鈴音は猫みたいにはよ走ったり、たこう跳んだりに慣れてないから」

 鈴音と虎吉の説明に、ふんふんと頷く白猫。

「そやから、高さ測る木ぃの代わりに、猫神さん大きなったってんか」

「ちょ、虎ちゃん」

 流石にまずいのでは、と鈴音は慌てたが、あっさり了承した白猫は鼻先でドームの出入り口を示し歩いて行く。

「ここやと高さ足らへんからな。外出るで」

「あ、そうなんや。……ええんや、木の代わりで」

 神様の器の大きさを思い知りつつ、先を行く猫達の後を追った。


 ドームの外は、昼間に訪れた時と同じ、どこまでも続くもこもこの世界だ。

「ジャンプの前に取り敢えず、思い切り走ってみたらどや?比べる相手は俺でええやろ」

「虎ちゃんが一緒に走ってくれるん?」

「おう。まずは一回見とき」

 自信満々の顔を見せてから、虎吉が駆け出す。

 走ったな、と思った2秒ほど後にはもう、遥か向こうで小さな影になっていた。

「……え?うそ、ええ!?」

 正確な秒数も距離も判らないので計算は出来ないが、高速道路を走る車の数倍の速度が出ていたのは確かだ。

 トップスピード時なら、レーシングマシンにさえ圧勝するのではないか。

「ウチの猫達も運動会してる時めっちゃ速いけど、比べもんにならんかったわ」

 戻って来た虎吉へ、尊敬の眼差しを向け、拍手を送った。

 褒められて嬉しそうな虎吉だが、白猫と鈴音を交互に見やって小さく首を振る。

「ま、そこいらの猫よりは速い自信あるけどな、鈴音には負けるかもしらん」

「そ、そう?あれより速よ走って、私の脚いうか身体いうか、大丈夫なんかな」

 100メートル走世界最速の男が、瞬間的とはいえ時速45キロ前後を叩き出した、とは聞いた事があった。

 そう、世界最速、オリンピアンの次元での話だ。

 鈴音はマラソンを趣味とするだけあって、身体は鍛えている方だが、あくまでも一般人レベルに過ぎない。

 人類最速で45キロだというのに、車が出すようなスピードの更に上、なんてものを自分が出せたとして、いくら神の力を得ていると言われても、無事で済むのか不安になって当然だろう。

 すると、白猫が鈴音の背中を鼻先でチョンと突いた。

「大丈夫やて言うてはるで?」

 虎吉の通訳を聞き白猫を見た鈴音は、自らの両頬を軽く叩き、一度深呼吸してから覚悟を決めた顔で頷く。

「よし、猫神様が大丈夫言うんやから大丈夫。行きます!!」

「おっしゃ、その意気や」

 鈴音の宣言に、虎吉が隣へ並び、白猫は前へ出て座ると、右前足を顔の高さに上げた。スターターをやるらしい。

 鈴音と虎吉がきちんと並んだのを確認し、頷いた白猫が右前足を振り下ろす。

 両者揃ってスタート。

 一、二、三歩で共にトップスピードに乗った。


 直後、白猫と虎吉は我が目を疑う。

 視界から鈴音の姿が消えたのだ。


 そういえばゴールは何処だ、と足を止めた鈴音が振り返れば、虎吉どころか白猫の姿も見えない。

「えー!?虎ちゃーん!?猫神様、ドコー!?」

 愕然としながら周囲を見回す鈴音の目に、ニョキニョキと伸びる白い何かが映った。

「ね、猫神様やぁぁー!!」

 遥か遠くに小さく見えるその姿へ向かい、大慌てで駆け出す。


 ほんの一瞬で、巨大化した白猫の元へと辿り着いた。

「ビックリした、ビックリした、迷子なったかと」

 白猫の脚にしがみついて大きく息を吐く。

 そんな鈴音の足元に虎吉が寄って来た。

「並走の意味無かったな。三歩目ぐらいで前走られたわ。そっからは、あっという間に差ぁ開いて、俺の目ぇでは背中も見えんようになったから戻ってん。ほんで、猫神さんに大きなって、て頼んだんや。目印要るやろ?」

「ありがとう。けど、一声掛けてくれたらよかったのに」

「声掛ける間ぁなんかあるかいな。抜かれたな、思た後は一瞬や一瞬。さすがに音の速さは超えてないやろけども……いや、どうやろな」

 虎吉の言葉に鈴音は目を見張る。

「そんなレベル!?そら『私は猫や速よ走れるー』て心ん中で言い聞かせてはおったけど、フツーの短距離走の感覚で走っただけやで?やたら脚がはよ動くとかもなかったし」

「うん、神さんの力いうんはそういうモンやねん。人界の常識は通用せぇへん。無茶苦茶なんや。俺の速さが物語っとるやろ?……まあ、それにしたって鈴音は速過ぎやけど。やっぱり魂が影響しとるんかなぁ。神さんの力と光る魂は親和性が高いんやろか」


 首を傾げる虎吉と鈴音の前に、巨大な白猫の顔が下りてきた。構って欲しいようだ。

「わぁ、でっかい!!私なんか一口ひとくちでペロリやなー」

「何でそれを嬉しそうに言うんかが謎や。ほれ、次はジャンプを試すで?せっかく猫神さんが大きなってくれてんから」

 出会った時と同じ、五階建て建築物サイズの白猫の顎を、両腕まで使ってゴシゴシ擦ってから鈴音はお辞儀をする。

「お願いします」

 すると、ご機嫌さんになった白猫が、脚を揃えてきっちりお座りし、視線だけで虎吉を見た。

「おっしゃ、まず俺が跳ぶわな。俺の高さがだいたい十階のベランダな」


 了解と頷く鈴音の前で、前足を少し曲げて身を屈めた虎吉が、主に後足で地面を力強く蹴りほぼ垂直に跳び上がる。

 白猫の倍近い高さへ到達してから、暫し落下するに任せ、途中で身を捩って体を回転させると、見事に肉球から着地して見せた。

 高さは異常だが、やっている事は一般的な猫のそれだ。


「もはや見慣れた名人芸、いうか職人技いうか、ひたすらカッコカワイイだけで……人には無理な動きに見えるねんけど。あんな、くにゃーっと捻られへんで人の身体」

 上半身をひねったり横に倒してみたりしながら、どうにも違うと眉間に皺を寄せる鈴音に、虎吉は大丈夫だと笑う。

「走った時、たぶん時速何百キロて出てたけど、脚やら内蔵やら、どないも無かったやろ?」

「……確かに」

「せやから、自分の脚で跳んだ高さから落ちる分には、何も問題無いと思うで。ここなら地面柔らかいし、心配せんとやってみ?」

「……うん、解った。じゃあまずは、フツーのジャンプ」

 言いながらピョンと跳ぶ。数十センチ浮いて、すぐに地面の柔らかさを感じた。

 うんうん、と虎吉と白猫も頷く。

「次、猫のジャンプ」

 一度目を閉じ、先程の虎吉を思い浮かべ、両の脚に力を込めて屈む。目を開き、白猫の顔を見上げて意を決し、思い切り地面を蹴り飛ばした。


「ぅぅうううわあああぁぁぁーー……!?」


「……ロケット……言うんやったか?ああいう勢いでブッ飛んでく飛翔体」

 悲鳴を残し、もこもこの空へ消えて行く鈴音を、真顔で見送る虎吉と白猫。


 すぐさま我に返った白猫が、オロオロと空、虎吉、空、虎吉、と顔を動かす。大パニックだ。

「いやいや、慌て過ぎ。助けに行ったらアカンでしょ、練習なりませんやん。鈴音が自分の足でジャンプしただけやから、フツーに着地出来ますて。うん。まあ、あの走り見た段階で、猫神さんの高さも俺の手本も比較対象にならんやろ思たけど……それにしても跳んだなー」

 予想の遥か上を行かれた、と空を眺めた虎吉は、思い出したように白猫へ視線を移した。

「せや、アイツ戻ってきたら試したって欲しい事があったんや。ほれ、例のアレあるでしょ」

 続く虎吉の提案に、眉間に皺を寄せた白猫が尻尾でバフバフと地面を叩き抗議する。

「そんなん言うたかて、俺じゃパワーが足らへんし。俺の足や尻尾で出来るなら頼んだりしませんやん。うん、せやから、……いやいや、人界でこんなん出来しませんし。うん、大丈夫大丈夫。万がいち当たりそうな時は俺が助けるし。うん。鈴音はビックリするくらい猫が好きやから、俺や猫神さんがする事で怒ったりしませんて」

 自分達は勿論、子猫や飼い猫達への対応を見ていても解る、と言い切る虎吉に、白猫は渋々、本当に渋々といった様子で頷いた。


 一方、ロケット呼ばわりされた鈴音はと言えば。

「この空のもこもこ、届きそうで届かんのやなー。雲とはちゃうんやなぁやっぱり。綿飴やったりしてなーははははー」

 人界なら旅客機が飛んでいそうな高度で、現実逃避していた。

「どこまで上がるんやろ。なんかそろそろ勢い無くなって来た気ぃするなぁ……けど下見んの怖いわー。別に高いとこ苦手ちゃうけど、なんにでも限度ってあるやん?」

 独り言に応える声は当然無い。

 もうすぐ、パラシュート無しのスカイダイビングが始まる。

「えーと、どうすんのが正解やろ。ボーッとしとったら頭から落ちるんやろか。羽もムササビみたいなんも無いけど、大の字なっとく方がマシかな?」

 そう呟いたあたりで、身体が下へ引っ張られ始めた。

「ぎゃー、来たー!!今更やけど神界にも引力あるんやなー!!」

 叫びながら両手両足を広げ、うつ伏せ状態で落下開始。

 恐る恐る下を見るが、何しろ辺り一面乳白色のもこもこなので、距離感がさっぱり掴めなかった。

「うーん?あれ、あんまり怖無いかも。速さも感じひんなぁ。街並みとかが見えへんからかなぁ」

 流れる風の音で、どうにか落下中だと認識出来る程度だ。

 よかった大丈夫だ、とお気楽に落下していると、もこもこの中に一際白い点が小さく小さく見える。

「……猫神様?って事はもうすぐ地面!?」

 高さは勿論、風圧も酸素の薄さも寒さも気圧の変化も、何一つ感じる事の無い楽勝モードでうっかり忘れていた。

 大事なのは着地だ。

「えーと虎ちゃんはこう……て、しもた私二本足や!!着地に手ぇ使わへん!!」

 この期に及んで、猫と人との決定的違いに気付いた。

「ど、どないしよ、高いトコから落ちる人、高いトコから落ちる人、高いトコからー……」

 脳内に、高所から落下もしくは降下する人物を思い描くも、残念ながら皆パラシュートやロープを装備している。

「生身で落ちる勇者はおらんのかい!!」


 空を見上げる猫達の、まずは耳が反応した。

「なんや、一人で喋っとるな?」

 虎吉の声に白猫も耳を動かして同意する。

「やたらジタバタしとるし……」

 猫は素早く動く物体であれば、割と遠くにあっても見えるし、耳で距離を測るのも得意だ。

「まあ何にせよ、そろそろ降りて来るか。どの辺や」

 跳んだ地点から然程ずれはしないだろう、と位置を探り、その場所を空けて待機する。

 程なくして、両手で膝を抱えくるくると前方へ回転した鈴音が、両足揃えて金メダル級の着地を決めた。

「おお、やるやん」

 思わず虎吉も目を見張って感心する。

「出来たー!!ありがとう特撮ヒーロー達!!」

 しかし、体操選手の如く着地ポーズを決めながら放たれた言葉には、虎吉も白猫も只々首を傾げるばかりであった。

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