第四百九十九話 隠し事禁止
特に気にする様子も見せず、マホンは頷く。
「弟は、シンザは悪霊になっていました」
「……それはまた、何とも」
不死者になるよりはハードルが低いとはいえ、悪霊にだって簡単にはなれないだろう。死んだら魂はシオンの許へ行く、という決まりを捻じ曲げてこちら側へ残るのだ。ただ単に死にたくないと願うだけで、どうにかなるとも思えない。
一体どれ程の未練があったのか。
そう考えた鈴音の曖昧な反応を見て、慌てたようにマホンが手を振る。
「違うんですよ?誰かに殺された恨みとかじゃなくて、レオーアがそう思い込みそうだって心配した結果なんです」
シンザは婚約者の性格をよく分かっているので、『自分が疑わしい死に方をしたせいで彼女が暴走し、無関係な人の命が危険に晒されるのでは!?』と心の底から不安になったそうな。
「そう思うならレオーアの所へ行って、自分の口で『誤解するなよ』と言えばいいのに、なんで俺の所に?って思いました。亡くなってから2ヶ月近く経ってましたし。そしたら……」
シンザが滑落したのは、崖の足場からギリギリ届く壁面に赤い宝石の原石を見つけ、無理に採ろうとしたから。
赤はレオーアの好きな色なので、どうしても手に入れたかった。けれどこれが彼女に伝わると、『自分のせいで』等と言い出しかねない。
誤魔化そうにも、悪霊になると嘘が吐けないのか、口から出るのは事実ばかりだ。彼女の所になどとてもじゃないが行けない。どうにか滑落の原因を隠した上で只の事故だったのだと伝えたいので、協力して欲しい。
「……と、言われまして。でもその時にはもう、レオーアは復讐目的でジガンテに向かった後だったんです。シンザは悪霊になった当初激しく混乱し、暫く地下迷宮を彷徨っていたので、そんなに時間が経っていたとは知らなかったと悔やんでいましたね。因みにレオーアがジガンテを選んだのは、シンザやジャヴァリ達と『いつか皆で攻略しよう』と約束していたからだそうで」
「シンザさんとの約束を果たしたい、とか言うて誘い易いし、魔物が強いからみんなの隙も生まれ易いし?」
「あ、まさにそうです。シンザが亡くなった迷宮に誘ったんじゃ、警戒されそうだって。レオーアは強いですが、ジャヴァリもかなりの実力者らしいので、普通にやり合うとやはり女性の方が不利になるみたいで」
シンザ殺害の実行犯ジャヴァリを確実に仕留める為、連携の乱れが死に繋がるこの地下迷宮を選んだらしい、と言うマホンに鈴音は頷く。
「そないなると、弟さんは只の事故で亡くなったのに、仲良しのジャヴァリさんに殺された、て嘘吐いたんですね、情報提供者の男は」
「はい。直情型のレオーアにそんな事を言ったらどうなるか、何度も一緒に探索していた仲間なら分かってる筈です」
「つまりソイツは、ジャヴァリさんとレオーアさんの両方が消えたらええ思てるんですね」
鈴音が嘘吐きな情報提供者の動機を挙げると、マホンはきょとんとした。
「両方、ですか?てっきりレオーアにジャヴァリを殺して欲しいんだとばっかり」
「んー、それはそうなんやと思います。ただ、首尾よく運んでも、地下迷宮を出る時の探索許可証の確認で引っ掛かりますからねぇ。ちょっと前から、罪を犯すと許可証へ即反映されるように、仕様が変わりましたから。人殺しの赤が光ったらその場で取り押さえられて、殺人罪で服役です。罪を償っても、許可証が青く光る事はもうないんで、探索者として生きるのは難しいでしょうね。仲間が集まらへんやろし。監獄に入った後は普通の身分証にも反映されるから、社会的にも厳しいかと。つまりレオーアさんも生きたまま死ぬ」
そう聞いてマホンは目を見張る。その目を見ながら鈴音は続けた。
「で、その許可証なんですけど。ジャヴァリさんがシンザさんを殺してたら、迷宮へ入る時の確認で赤く光るやないですか。でも殺してへんから光は青いまんま。レオーアさんはそこで『あれ?』てなってませんかね?」
「……ホントだ」
仮にレオーアが光を見逃したとしても、入口を固める職員達が黙っている筈はない。
何事もなく入れた時点で、無実は証明されているのだ。
「ひょっとすると、騙された事に気付いて復讐はやめてるかも?急に帰ったら変やから、行けるとこまで探索してるだけかもしれませんよ?」
「そう……ですね、そうだといいな」
そんな風に言いながら、マホンは腑に落ちないような微妙な表情をしている。
「今回の探索、レオーアさんに偽の情報伝えたヤツは参加してるんですか?」
「え?いえ、裏切り者だとバレて殺されるのは嫌だから、とか言って不参加だそうです」
「あー、確かにどっちに転んでも死ぬもんなぁ」
鈴音は呟いたつもりだったが、普段通り大きい独り言になっていた為、免疫のないマホンをギョッとさせた。
「どっちに転んでも?」
「げ。ゴホン。私がレオーアさんなら、自分がしくじっても大丈夫なように、神術士を消します。何人おるんか知らんけど、1人でも削っといたら大幅に戦力は落ちる。ほんならもし返り討ちにされても、ジャヴァリさんらは出口に辿り着けんと、ジガンテの餌食になるから」
「でもそんな事したら自分も帰れませんよ?」
「帰る気ないですもん。言うたでしょ?出口で捕まるて。社会的に抹殺されるの分かってて、ここから出る意味あります?家族に迷惑かかるし、こんな行動取ってまうぐらい好きになった人は、もう死んでしもてるのに」
自分も含め全滅すれば、罪は明るみに出ない。
「せやから、どっちに転んでもみんな死ぬ、と。嘘吐き情報提供者も同じように考えて、逃げたんでしょうね。まさか入口でバレるとは……」
そこまで言ってから、鈴音は『ん?』と怪訝な顔になる。大きな矛盾を見つけたのだ。
「おかしいな?ジャヴァリさんが人殺しやないのが入口でバレるなんて、探索者やったらもう常識やん。情報提供者は何でそんな嘘吐いた?その段階でレオーアさんは騙されたて気付いて、情報提供者をぶっ飛ばす方へ切り替える可能性もあるのに。お花畑脳で許可証の仕様変更を知らん?いやいやいや、それはないやろ」
根本から間違えているのでは、と眉根を寄せた鈴音は、疑いの眼差しをマホンへ向ける。
「何か隠してません?」
「う……」
目を泳がせたマホンは、観念したように口を開いた。
「実はその……、シンザはジャヴァリに止めを刺して貰ってるんです」
「え?」
「すすすすみません!滑落後にまだ息があって、でももう傷薬でどうにかなる状態じゃなくて。最期に薄ぼんやり見えたのは剣を構えた泣きそうなジャヴァリだった、って弟がっ」
「何でそんな大事な話を黙ってたはったんですか」
低い声で問うスナギツネに震え上がるマホン。
「おおお弟が感謝してて。罪には問われないだろうしジャヴァリが悪く思われないように隠してた方がいいのかなとか」
「ええ訳ないでしょうよ、もー。それがあるから、入口で無実やてバレへん……、いやいや、待って待っておかしいおかしい」
呆れ顔で溜息を吐いた鈴音だったが、またも矛盾にぶつかった。
「それで人殺し認定されて許可証が赤く光るんやったら、入口で捕まるやんか」
「あれ?ホントですね」
「えーーーと?まず、許可証が赤く光るのは絶対よね?青やとレオーアさんを騙されへん。で、赤く光るけど職員に捕まらへん、となると?」
「人を殺して監獄に行った過去がある……?」
呆然とした顔で言うマホンに、それだと鈴音は頷く。
「ジャヴァリさんに殺人の犯罪歴がある事は、彼の周りの人らは知ってた。せやから、アイツがお前の婚約者を殺したんや、とか言えるんやわ。彼の許可証は赤く光るから」
「でも犯罪歴がある人と、野放しになってる殺人犯は違いますよね。そうじゃなきゃジャヴァリは捕まるし」
「勿論、職員には見分けが付くようになってる筈ですよ。でも探索者はその辺を詳しくは知らんやろから、仕様変更直後でまだ混乱してて、犯罪歴がある人が新たに罪を犯しても反映されへんのか?もしくは職員が気付いてない?とか思うかも」
特に、復讐心に支配されているレオーアなどは、自身の都合のいいように解釈するだろう。
「……それって、レオーアは騙されたままで、復讐もするつもりだって事ですよね」
「そうですね。私の婚約者殺しといて、もう罪は償い終えてますーみたいな顔しやがってこの屑野郎、絶対許さん殺す!てなってるでしょうね」
鈴音が過激な表現でレオーアの心情を代弁すると、マホンの顔から血の気が引いていく。
「たっ、大変だ、こんな所で喋ってる場合じゃなかった!早く追い掛けないと取り返しのつかない事に!」
「いやー、もう手遅れかもしれませんよー?」
うたたねモードの虎吉を撫でながら、やる気がなさそうに言う鈴音。
「そんな……。でも行ってみないと分かりませんし、連れて行って貰えませんか!?」
懇願するマホンをちらりと見て、鈴音は不満気に口を尖らせた。
「隠し事するような人に協力して大丈夫ですかねぇ?」
「えっ!?」
目を見開いて固まるマホン。
「だってジャヴァリさんがシンザさんに止め刺した話、あれどう考えても大事でしょ」
「へ……?あ、ああ、そう……ですよね」
「見る人によっては人殺しの瞬間やないですか。宝石の原石盗んだ云々は置いといて、ジャヴァリさんがシンザさんを殺した、いうんは広い意味では嘘ではないし」
「すみません」
肩を落として項垂れるマホンに、鈴音は溜息を吐いた。
「もうないですね?言うとかなアカン事。もし全部が嘘で、連れてってみたらマホンさんらの方が悪者やった、みたいな笑われへん事態に陥ったら、纏めて消し炭にしますよ?」
エスピリトゥの真似をして無数の火球を周囲に浮かべて脅すと、マホンも彼の後ろで暇そうにしていた探索者達も突然の事に恐れ慄き、伯爵は顎が外れそうな程に口を開く。
死の恐怖を味わい、雨でも降ってきたかと錯覚しそうな量の冷や汗を掻きながら、それでもどうにかマホンは返事をした。
「なななないです、嘘とか吐いてないし、レオーアを止めたいだけです」
「はー、しゃーないなー。ほな連れて行きますけど、私らの速さにあなた方はついて来られへんので、神術で運ばして貰いますよ?」
言うが早いか火球を消し、マホン達を漆黒の手で掴む。
「ぎゃー!?」
伯爵を含めた全員が悲鳴を上げたが、鈴音は綺麗に無視した。
「うわ失神寸前やな。念動力やったらアカンのっすか?」
魔物を求めて周囲をウロウロしていた茨木童子が、悲鳴を聞いて隣へ戻り不思議そうに尋ねる。
「この方が見た事ない魔物に捕まってるっぽくて、ジガンテの魔物が寄ってくるんちゃうか思て」
「おおー!釣りっすね!流石は姐さんや!」
基本的に超高速移動なので、上ったり下りたりという減速ポイントでしか魔物の目に留まらないが、やらないよりはマシだろう。
「時間掛かりそうな魔物は一旦置いといて、帰り道で遊ぼな?行きは人の命懸かったタイムアタックやから」
「了解っす!」
いい笑顔の茨木童子と、屈辱にカタカタ震える伯爵を見て肩を揺らしていた骸骨と頷き合い、鈴音はいつの間にやら熟睡中の虎吉に声を掛ける。
「とーらちゃん。虎ちゃーん。出発するから、また道案内お願いします。目指すは人の居る場所」
「んー?くぁぁぁーーーかふっ。んー。……おう、任しとけ任しとけ」
まだちょっと寝ぼけまなこな虎吉に、骸骨共々『ぎゃわいぃぃぃ』となりつつ、鈴音は漆黒の手で掴んだマホン一行を引き連れ走り出した。
「ぎゃぁぁぁあああーーー!!」
道の端を流れる川のせせらぎを掻き消し、側壁からダイナミックに流れ落ちる滝の音にも負けない、男達の野太い悲鳴。
声に気付いた頃には遙か先へ移動しているので、魔物達は何が起きたか分からないのかキョロキョロとするばかり。
「喧しいなホンマに。あ、次は右やで」
「はいよ。ごめんなー、固まるタイプやのうて叫び続けるタイプみたいやわ」
呆れる虎吉に謝りながら、人の匂いのする方へ下って行く。
暫くすると、鈴音にも分かるようになった。
「あ、知らん匂いが6人分?」
「はい正解。休憩中か?声は聞こえへんな」
やっぱり凄いな猫の能力、と骸骨や茨木童子が感心する中、鈴音はスピードを落とさず突っ走る。
当然、野太い悲鳴が辺りに響き渡るので、休憩中らしかった前方の人々が慌ただしく動く音が耳に届いた。
段差を跳んで狭いトンネルを抜けると、柱状になった幾つもの岩が天井部分と地面とを繋ぐ、まるで地下神殿のような広い場所に出る。
そこで足を止めると悲鳴も止んだ。
地面に降ろし漆黒の手を消すと、マホン一行はヘナヘナとへたり込む。
伯爵だけは偉そうに立っているが、物凄く歯を食いしばっていた。見なかった事にしてやるのが大人というものだろう。
「さてと、この先から人の気配がするんですけど、私らはレオーアさんを知らんのですよ」
鈴音に言われたマホンはフラフラと立ち上がり、辺りを見回す。
「あっちです、あっち」
ぼんやりと安全地帯らしき高台が見える場所を鈴音が指差すと、ふんふんと頷いたマホンは鈴音に会釈した。
「ありがとうございます、これで彼女を止められる」
「いやいや、まだレオーアさんかどうか分かりませんし」
「あ、そうか。つい気が逸ってしまって」
眉を下げて笑う情けない顔を見た鈴音は、何とも言えない気持ちになる。
「酒屋のマスターもこんな感じやったんかなぁ」
「え?」
「何でこんな性格良さそうな人が、不死者と契約なんかせなアカンのやろなぁて思ただけです」
「ああ、ははは!そりゃ、俺の言葉をすんなり信じてくれればいいけど、多分無理ですし。命懸けだって所を見せれば、信じてくれるかなって。それに、これとは別にやりたい事もあるんで、いい機会だったんですよ」
そう言われても、死んだ弟とその婚約者の為に、自らの命を差し出すその感覚は、やっぱり鈴音には分からなかった。
「仇討ちなら分かるけど……」
大きな独り言を聞いたマホンは、何も言わず目を伏せて微笑んだ。
そこへ、安全地帯側から声が飛んでくる。
「誰か居るのかー!?」
「生きているか!?」
「助けが要るなら返事しろー!」
こちらへ走りながら叫んでいるようだ。
「うーん、男の声ばっかりだなあ」
マホンが困り顔で呟いた時、警戒を促す声が響く。
「待て!オオサソリだ!」
「あ!レオーアの声です!」
小さくガッツポーズして目を輝かせるマホン。
一方のレオーアは、オオサソリなる魔物との戦闘に突入したようだ。




