第四百九十三話 谷底の街、ヴァレ
このままダンジョンがある谷底の街へ行く、と告げられた茨木童子は、テーマパークへ連れて行ってやると言われた子供のように、それはそれは嬉しそうな笑顔を見せた。
「やっと暴れられる!」
両拳を突き上げて喜ぶ茨木童子を眺め、『ワシを拉致した時のあれは暴れた内に入らんのか』と団長は遠い目だ。
そんな団長へ茨木童子の視線が刺さる。
「コイツらはどないするんすか?シバかんでええんすか、ガキ……子供らが死にかけた原因っすけど」
問い掛けに対し鈴音は営業用スマイルを浮かべた。
「ああ、もうええねん。放っとく。街の人らの邪魔だけはせんようにねー」
「こ、心得ました」
笑っているのに何か怖い、と怯える団長になど構わず、鈴音が顔を向けたのは西の方角。
「帝都のずーーーっと南や言うてたから、まずは帝都へ行こか。下手にショートカットして南西なんか目指したら、迷いそうやもんね」
「気ぃついたら通り越してた、とかありそうっすね確かに」
堅実に行こうと皆で頷き合い、団長を放置して塔から屋根へ跳ぶ。
途端に街の人々から歓声が上がった。
「げ。めっちゃ注目されてるやん」
考えるまでもなく、魂の光の消し忘れが原因だ。
目立つのが嫌いな鈴音は直ぐに消そうかと思ったが、“神の使い”を見上げて大喜びする人々を眺めると、何とも言えない表情になり光ったまま屋根を行く。
「うはは、お人好しやな」
「しゃあないやん、酷い目に遭わされてヘロヘロな人らが、あんな幸せそうに笑てんねんし」
みんなが喜ぶのは嬉しい、でも自分が注目されるのは嫌、という複雑な感情を小声に乗せつつ、一瞬で通り過ぎてガッカリさせぬよう普段よりゆっくり走る鈴音に、やっぱりお人好しだと虎吉は目を細めた。
そうして感謝の声に送られながら西側の城壁へ辿り着き、盛大な拍手に戸惑いながらも手を振って、一行はセレアレスの街を後にする。
街の外に出てしまえば、もう遠慮はいらないとばかり街道脇を疾走。茨木童子は骸骨に持ち上げられるスタイルだ。
数キロほど走った所で、異様に速い馬に乗った一団と擦れ違う。
帝国軍の軍服を着た少数部隊なので、恐らく近くの砦なり街なりから、反乱軍の動きを偵察しに向かっているのだと思われた。馬が時速100キロを軽く超えていそうなのは、強化の神術によるものだろう。
「今、何かと擦れ違わなかったか?」
「そうか?何も見当たらないぞ?」
そんな風に訝しむ声を背中に聞きながら、鈴音は笑う。
抵抗する意思のない人々を苦しめた事へのお仕置きが、直ぐそこに迫っているぞ団長、と。
それ以降は誰とも出会う事なく、帝都を囲む高い城壁の前へ辿り着いた。
「えーと、行き先はダンジョン攻略の為に出来た街やねんから、何か買い忘れがあっても大丈夫やんね?」
「そっすね。必要なもんは何でも揃いそうっすね」
鈴音と茨木童子の会話に骸骨も頷いている。
「別に飲まず食わずでも平気やけど、攻略し始めて何十年も経ってんのに、誰も最下層へ行かれへんぐらい広いみたいやから、休憩用のおやつとかお茶は欲しいよね」
即座に石板が顔の前へ差し出され、描かれている絵に鈴音は笑った。
「そうやね、お酒も欲しいよね」
「ええっすね、またダンジョンで宴会しましょ」
「ほな肉も買うてくれ、肉」
「お肉ね、りょーかいりょーかい」
もし他の探索者が聞いていたら何を馬鹿なと笑うだろうが、彼らは既に前回、北の大陸にある地下迷宮イスカルトゥ内で、お茶会からのバーベキューという荒業をやってのけている。
なので、やると言ったらやるのだ。
「今回のダンジョンは蒸し暑いみたいやし、冷やして美味しいお酒なんかあったらええよねぇ」
「うわ、焼いた肉と冷たい酒とかヤバいっすね」
それぞれ、香ばしく焼けた肉とビールやら冷酒やらを思い浮かべつつ、ウキウキで南門付近までやってきた。
「よし、ほんなら日が暮れる前に着けるように、気合い入れて走るでー!」
「オー!て、姐さんが気合い入れて走るんやったら、俺また骸骨さんのお世話にならなあきませんやん」
愕然とする茨木童子へ、気にしないでと親指を立て、骸骨が背後から抱える。
「骸骨さんも抱えるんやったら猫がええやろに、毎度こんなデカい鬼でホンマすんません」
それこそ母猫に首筋を咥えられた子猫のように大人しくなりつつ言われ、骸骨は愉快そうに肩を揺らした。
「ん?ほな骸骨さんが虎ちゃん抱っこして、私が茨木をおんぶして走ろか?もしくは姫抱っこ?」
ニヤリと笑う鈴音へ、茨木童子は全力で首を振る。
「俺の中の何かが音を立てて死にそうなんで、それだけは勘弁で!」
「あはは、お断りされた!ま、茨木らしい反応やね」
世の中には女性に抱っこして貰っても平気な男性も居るが、やはり茨木童子は当て嵌まらないようだ。
「ほなこのままの組み合わせいう事で。目標は谷底の街、取り敢えず街道沿いを真っ直ぐ南へ。行くでー!」
掛け声と共に走り出した鈴音を、茨木童子の重さなぞ感じさせない滑らかさで骸骨が追う。
まだこの近辺で隊商などと擦れ違う時間ではないのをいい事に、鈴音と骸骨は景気よく街道脇を飛ばした。
以前ピクニックをした平原や、エスピリトゥが虹色玉を手に潜伏していた森を横目に見ながら、只ひたすら南へ走る。
街道を行く者は強いと刷り込まれているのか、それとも昼間だからか、魔物が待ち構えている気配もない。
まあ待ち伏せした所で、鈴音と骸骨の姿を捉えられる魔物がいるのかは謎だが。
寧ろ鈴音達が気を付けているのは、時折擦れ違い始めた隊商や旅人達である。
今は丁度、夕暮れ時には帝都に着ける辺りを走っているので、結構な数の擦れ違いが発生しているのだ。
隊商はきっちり街道の上を行くので問題ないが、旅人は道から外れて目についた草を採取していたり、虫を追っていたり、中々自由な動きをするので、吹っ飛ばしてしまわぬよう細心の注意が必要である。
その後、どうにか1人もシオンのもとへ送る事なく、帝都へ向かう組はやり過ごせた。
次はもう少し先で、自分達と同じく谷底の街へ向かう組だな、と鈴音も骸骨も気合を入れ直す。
束の間の無人空間を気持ち良く飛ばし、前に隊商が見えた所で速度を落とすと、鈴音と骸骨は『安全第一』と頷き合った。
暫くすると、単独だったり団体だったり、旅人の姿もチラホラ。
強化の神術があるとはいえ、徒歩の旅人がいるという事は街が近いのかな、それにしてはまだ日が高いなと思いながら、ふらりと街道を外れ目の前に現れる自由人達を華麗に躱し、一行は進む。
すると程なくして、大地の裂け目が街道を寸断した。
「え、道なくなってる?」
一気にスピードダウンして人の速さになり、鈴音が不思議そうに呟くと、茨木童子を降ろした骸骨も首を傾げる。
前を行く人々は、特に困る様子もなく街道の端へ向かい、その先へ進んだ。
「ん?道ある?」
飛び降りたのではなく歩いている音が、猫の耳に伝わってきた。
大人しく皆について行くと、底へ向かってV字型になっている斜面を削って造られた、幅の広いスロープが見えてくる。
可能な限り緩やかにしたと思われる傾斜が長く長く続き、何度も何度も折り返しては、下へ下へと向かっていた。
道幅からすると小振りな馬車なら擦れ違えない事もないが、無理をして落ちたら大惨事を引き起こすので、恐らく時間帯を区切っての一方通行だと思われる。今は下りのみ通行が許されているのだろう。
「そっか、人も馬車もこの坂を下るから、時間に余裕を持ってここまで来るんや」
「かなり長いっすもんね」
「そうやね、何百メートル……いや、もっとありそう」
そう言いながら、一行の目は坂ではなく、深さ1500メートル級の谷底を見ている。
確かに急な斜面を下りる為の知恵は素晴らしいし、底まで続くつづら折りは美しいが、お茶と菓子と酒と肉を手に入れたい鈴音達には長過ぎた。
「みんなの後ついてのんびり歩いてたら、着く頃には店全部閉まってまうよね?」
「せやな」
「そっすね」
うん、と頷く骸骨。
「ほなもう、跳ぶ1択でよろしい?」
「よろしい」
「よろしいっす」
うん、と頷く骸骨。
「満場一致いう事で」
ビシ、と親指を立てた鈴音は、スロープの無い方へ移動する。
「では、谷底目指してー、とうッ!」
言うが早いか地面を蹴った鈴音の身体は斜め上へ飛び出し、谷底目掛けて足から真っ直ぐ落ちて行った。
茨木童子は若干体勢を崩しつつ落下して行き、骸骨だけは真ん中までフヨフヨと飛んでから、頭を下にした急降下をみせる。
鈴音がそのまま足から着地、茨木童子は空中で半回転して足から着地、骸骨は谷底スレスレで顔を上げ、何事もなかったかようにフワリと浮いた。
「うーん、骸骨さんカッコエエ」
「隼みたいやな」
鈴音と虎吉に褒められユラユラ照れまくる骸骨を眺めつつ、『この距離ブレんと真っ直ぐ落ちた姐さんも大概やで』と茨木童子は半笑いだ。
「ほんで、街はどこやろ?」
皆で広い広い谷底をキョロキョロ見回すと、スロープがある斜面のずっと向こうに、人々が連なっていると分かった。要するにここは坂の出口の反対側だ。
「遠っ。ま、あっちまで誰も居らへんし、ダッシュで!」
「うっす」
ダッシュといいつつ一応遠慮しながら走り、シレッと街へ向かう人々に交じる。
果たして谷底の街とはどんなものか、と思っていたら、何の前触れもなく建物が姿を現した。
斜面沿いではなく、谷底の真ん中に集まっている建物は、揃いも揃って木造高床式だ。これにより、今は涸れているが、雨が降るとここは川になるのだと分かる。
真ん中に集まっているのは、斜面から落石があるからだろう。
徐々に数が増えゴチャゴチャと入り組む街は、馬車が進める道、進めない道等の表記もあり、それ自体が迷路のようである。
「あーそうか、ダンジョンの周りから順番に建物が出来てったから、先へ進むにつれてゴチャゴチャ感が増すんや」
「成る程、この辺は割と新参者っちゅう事っすね」
一見すると似たりよったりで分かり難いが、住宅ではない建物には簡素な看板が下がっていた。
ただ、宿だの道具屋だのと書いてあるが、何だか造りも粗末で怪しげである。
「うーん……。ダンジョンに近いとこにある店は、多分長い事やってるから信用してええ筈」
「せやろな。要らん事しよったら、腕っぷし自慢らにブッ飛ばされとるわな」
地下迷宮攻略は命懸けなのだ、碌でもない店は直ぐに潰されるだろう。
それが証拠に、鈴音達と同じ初心者はキョロキョロしているが、何度もこの街を訪れているらしい人々は足早に奥へと進んで行く。
「私らも早よ行こ」
こういう怪しげな場所では、最近大人しくしている絡まれスキルが久々に発動するかもしれない。
とっとと通過するに限る、と鈴音は迷路の街の奥深くへ急いだ。
中心部へ近付くにつれ、建物に石造りのものが交ざり始め、道も平らに整備されていた。
この辺りから高床ではなく嵩上げに変わっており、馬車ごと預かってくれる大きな宿屋や、薬屋や道具屋がピカピカの看板を掲げている。
「おー、老舗感満載。でも私らが用事あんのは食料品店と酒屋やねんなー」
呟く鈴音の腕の中で、虎吉もフンフンと鼻を動かし肉の匂いを探っていた。
そんなやる気全開な神の分身が肉屋を探し当てるより早く、ガシッと鈴音の肩を掴んだのは骸骨だ。
あ、きたか。と思いながら鈴音が振り向けば、骸骨の親指が一軒の店を示している。
その飴色の木製看板には、渋く“酒”とだけ書かれていた。
「流石や骸骨さん。虎ちゃんの鼻に勝つとは」
「くそー。肉屋の匂いと飯屋の匂いが混ざっとるんや」
胸を張る骸骨と、悔しそうな虎吉を見比べ、茨木童子は『何や知らんけど次元が違う』と遠い目になる。
「よし、骸骨さんのお酒センサーが外れた事はないから、早速入ってみよか」
笑いながら鈴音が店へ向かい、くるくる回りながら骸骨がついて行くのを眺め、『何すかお酒センサーて』と心の中でツッコみつつ遠い目のまま茨木童子も続いた。




