第四百七十三話 ここはどこですか?
神の島を後にして海へ出た鈴音達は、ひたすら南を目指している。
海の魔物の出現を警戒したが、鈴音達が速すぎて影すら捉えられないのか、何も襲って来ない。
拍子抜けしつつ船との衝突にだけは注意して、大波小波を飛んで蹴って突き破って進むこと凡そ30分。
「着いた着いた、エテラ大陸や」
前方に陸地が広がり、鈴音がホッとした笑みを見せる。
ただ、近付くにつれ視界いっぱいに断崖絶壁が迫ってくるので、前回飛龍が着陸した、帝国の玄関口に当たるエントラーダの街付近ではないと分かった。
「船も見当たらへんなぁ」
大波が岩や断崖にぶつかっては砕け散る荒々しい場所なので、船はこの辺りを避けて通るのかもしれない。
目の前にドンとそびえる、20階建てのビル程もありそうな崖を見上げてから、鈴音は骸骨に視線を移す。
「玄関口の街は役人さんも居って面倒臭いし、こっから上がる?」
そうしよう、と骸骨が頷き、虎吉もウトウトしながら耳を動かした。
茨木童子は異次元のスピードで運ばれ緊張のあまり固まっている為、地面に降り立つまで意見を求めても無駄だ。
「よっしゃ、満場一致いう事で。行こ!」
皆と頷き合った鈴音は、とう、と変身ヒーロー風の掛け声を口にして海を蹴る。
骸骨共々何事もなく降り立った崖の上は、芝生のような丈の短い草に覆われた平原で、50メートル程先には森が広がっていた。
海からの風は強めではあるが、立っていられない程でもないので、ここを整備すれば飛龍の離着陸に使えるのでは、と鈴音は思う。
思ってから、何か大事な情報を忘れているような、と顎に手をやった。
茨木童子を地面に降ろした骸骨も、飛龍便がエントラーダにしか行かないのは何故だったか、と首を傾げている。
すると、答えを思い出させてやると言わんばかりに、前方の森から鳩の群れが一斉に羽ばたくような音が聞こえてきた。
「あ、そうか。大陸の東側は気流が乱れがちで、安定してる場所は鳥の魔物の縄張りになってるから、飛龍は飛ばれへん。ほんで飛龍が飛べる西側は全部帝国の支配地域で、帝国が外国の飛龍の離着陸を許してんのがエントラーダだけなんやで、て教えて貰たわ前回」
つまり、飛龍の離着陸に良さそうな場所が放置されている時点で、ここはエテラ大陸の東側だと考えるべきだろう。
そして、帝国領内なのか別の国なのかはまだ分からないが、何にせよ目の前に広がる森が、あの飛龍さえ嫌がる厄介な魔物のねぐらである事は疑いようもない。
「うわ、何やあれ。えげつない群れがうねっとるやないっすか」
地面に足が着いてすっかり復活した茨木童子が、空を見上げて愕然としている。
彼の言う通り、森から羽ばたいた魔物達がまるでムクドリの群れのように、上空で統制の取れた集団飛行を見せていた。
本来小さな鳥がこうして群れるのは、天敵を惑わせ逃げ延びる為という防御の意味合いが強いが、ここの魔物達は違うようだ。
「殺気ごっついな、殺る気満々やん。鳩ぐらいの大きさらしいけど、猛禽類系なんかな?」
鈴音の呟きを耳にした虎吉の瞳孔が、一瞬で最大になる。
「猛禽類ちゃうかっても、カラスみたいに嘴も爪も強い系かな?」
続く呟きで耳が後ろへ反り返った。
「おうおうおう、どっちにしろ猫の敵やないか、ええ度胸やな」
空で長くなったり丸くなったり形を変える群れを睨み、虎吉が怒りを露わにする。
実に喧嘩番長らしい反応だが、魔物の縄張りに無断で侵入したのはこちらなので、向こうからすると『勝手に来て何でキレてんの!?』だろう。
それにもし猛禽類が相手だった場合、敵は敵でも天敵だ。虎吉も、巨大な鷲のような姿をした風の精霊王の事は怖がっていた為、この強気は今回の相手が小さいからこそだと思われる。
このまま気持ち良く暴れさせてやりたい所だが、流石に魔物達が気の毒だと考え、鈴音は手加減を頼む事にした。
「あんな、虎ちゃん。あの鳥の魔物らは益獣的な面もあるから、やっつけたらアカンねんて」
「なんやと!?」
フレーメン反応のようにポカンと口を開け、虎吉が驚く。
「ぶふッ、可愛ッ。いやほら、こないだ飛龍便に乗してくれた大商人のリーキさんが、この魔物が虫を食べてくれるから人の生活が助かってたりもする、みたいな事を言うてたよなぁ思て」
「あー……、何や聞いたような気ぃするなあ……」
そんな会話の最中、空では魔物達が丸い塊になって旋回していた。
「姐さーん、来るっすよー?」
そんな、嫌そうな顔をした茨木童子の声が合図だったかのように、一際大きく旋回した魔物達は勢いを付けて真っ直ぐ突っ込んで来る。
「くそー、しゃあないな」
悔しそうに唸った虎吉は、不本意だと丸わかりの表情をしながら地面に降り立ち、『はぁ』と溜息を吐いた。
そして顔を上げ、間近に迫った魔物を視界に捉えると、別の意味で目をまん丸にする。
「は、鳩やないかーーーッ!!」
猛禽類をギャフンと言わせるつもりだった為、平和の象徴そっくりな魔物に物凄く驚いたようだ。
もうちょっと格好良い事を叫ぶつもりが、まさかの『鳩やないか』で神力を出してしまい、群れ丸ごとへの軽い威嚇に成功。
魔物達は初めて感じる神力に慌てに慌て、陣形を乱しつつどうにかこうにか森へ逃げ込んだ。
言葉が分かるなら、『ハトって何だ!?』とちょっとした騒ぎになっているかもしれない。
「お見事!」
1羽も消し飛ばす事なく群れ全体を回れ右させた威嚇に、鈴音が笑顔で拍手を送る。
だが振り返った虎吉は、納得のいっていない恨めしそうな顔だ。
「鈴音が猛禽類かカラスか言うからやなあ……」
「いやー、まさか鳩っぽい奴からあんな殺気出るとは思わへんやん?」
「そらまあそうやけども」
「あはは、ごめんごめん。でも今のでビビり倒してるから、私らが森に入っても何もして来ぇへんやろし、虎ちゃん様々、完璧やで」
これに骸骨が全力で同意し、茨木童子が『軽い威嚇であの威力』と遠い目をしている事で、虎吉のご機嫌はすっかり回復した。
「せやな。鳩のクセに俺を敵に回してあの程度で済んだ事、感謝して貰わなアカンな」
そう言って自信満々の顔で胸に飛び込んで来た虎吉を抱え、鈴音がデレデレと目尻を下げ、骸骨はくるくると回る。
「ホンマホンマ、虎ちゃんは凄いなー、可愛いだけちゃうもんなー、ええ猫やぁー」
褒めて撫でてご機嫌を取りながら、行くぞと視線だけで茨木童子を促して、鈴音達は森へ向かった。
電柱程の高さの木々が乱立する薄暗い森は、鳩っぽい魔物が大量に潜んでいる筈なのに、生き物など何も居ないかのように静まり返っている。
枝という枝にズラリと並んで止まっているのは見えるので、やはり虎吉に怯え必死に気配を消していると考えていいだろう。
「この森にはあの鳩しか住んでへんのかな?」
「確かに、他の動物の気配はないっすね」
茨木童子が周囲を見回しつつ頷き、骸骨は石板に飛龍を撃退する鳩の群れを描いた。
「あー、そうか。縄張り意識が強いから、魔物だけやのうて他の動物も追い出してまうんか」
成る程と皆で納得して、静かな森を駆ける。
「因みにこれ、どっか目指してんすか?」
「いや、何となくで動いてる。魔物のせいで人も近寄らんのやろね、足音も匂いも何もせぇへんし」
鈴音の返答に目が点になる茨木童子だったが、はたと何かを思い出したような顔になった。
「前みたいに、ジャンプして上から見てみたら……」
と視線を空へ向けて気付く。
「ああ、アカンのか」
「そうなんよ。絶対アイツらビビって、大パニックなるやん?せっかく大人しなってんのに、それもどうかと思て」
枝の上で身を寄せ合いじっとしている魔物を、これ以上驚かせるのは可哀相だ。
「ま、何となくいうても、潮の香りから遠ざかる方へ動いてるから、その内どっかで道に出るんちゃう?」
森はどこかで途切れる筈だと笑う鈴音を見て、それもそうかと茨木童子も頷いた。
それから数分、このメンバーの中ではゆっくりに分類される速さで木々の間を走っていると、徐々に魔物の姿が減り、段々と木漏れ日が差すようになってくる。
古い切り株がちらほらと目につく頃には、小さな馬車や荷車なら通れそうな、細い林道へ出た。
「よし、こっからは人の生活圏や」
「っちゅう事は、戦の真っ只中でもおかしないんすね」
「それ。一応まだ何も聞こえへんし匂わへんけど、この先はどうか分からへんよね」
鈴音と茨木童子の会話に骸骨が頷き、虎吉は耳を澄ます。
「……この方向に馬が居るな。いななきがした」
全員が木々しか見えないそちらへ顔を向け、流石だなと感心した。
「虎ちゃんにしか聞こえへんいう事は、まだかなり先やね。警戒しながら行ってみよか」
「そっすね。ここがどこなんか聞けるっすもんね」
頷き合った一行はさっそく林道を横切り、虎吉が示した方へ向かう。
暫く行くと、鈴音の耳でも生活音が拾えるようになってきた。
「もうちょい先。人の数は少ないわ」
「木こりの村っすかね?」
「争いに巻き込まれてる気配はないし、聞いてみよか」
「もし喋り掛けられたら、何の振りしといたらええっすか?」
「そのまんま、私の弟分でええよ」
「うっす」
そんな会話をしながら走り、村の手前で徒歩に切り替える。
現れたのは、柵などもなく、小さな家が数軒だけの村だ。
年老いた男性がひとり、家の前で薪割りをしている。
「すみませーん、少しお話を聞かせて頂けませんか」
村の入口で大きく手を振って声を掛け、返事がくる前に近付いた。
白髪なので老人で間違いはないのだろうが、近くで見るその男性は、筋肉がしっかり付いていて見るからに強そうな印象だ。
薪割りの手を止め一行を見て、骸骨の姿に驚いている。
「契約者連れがこんなとこに何の用だ?」
特に警戒はしていないようで、不思議そうな顔で問われた。
「いやー、戦争に駆り出されそうになって、逃げてる最中なんですよ。こっちはそんな事の為に契約してる訳やないんで」
鈴音が困り顔でそう言うと、男性は成る程と頷く。契約者連れは大抵が復讐者な上に死が確定しているので、戦争なぞに構っている暇はないだろうなと思ってくれたらしい。
「で?逃げたはいいが、戦場を避けて移動してる内に、訳の分からん場所に来ちまった、と?」
ナタを置いて向き直ってくれた男性に、その通りだと頷いた。
「あっちでもこっちでも戦ってるやないですか。避けて避けて夜中にコソコソ動いてたら、あれ?ここどこや?て」
「ああ、夜の移動は星が見えなきゃキツいな。ここんとこ天気悪かったし、運が悪かったな」
笑った男性に鈴音は肩を落としてみせる。
「それにしたって地図まで失くすなんて、ついてなさ過ぎですよ。そういう訳なんで、残念な人丸出しな質問しますけど、ここは帝国領ですか?」
「おうよ、一応な。外れも外れの僻地だけどな」
つまり東側の端だろうか、と鈴音は顎に手をやった。
「帝都はどっちですかね?」
「あの山の向こうだな」
男性が指差すのは、西に遥か遠く見える然程高くない山だ。
「ほなあっち方面を避けといたら、戦場に出くわさんで済みますね」
「いや、それがそうでもねえんだ。こっちの山の向こうが、今やりあってる最中でな」
今度はそこそこ近い南側の山を指し、男性は苦々しい顔をする。
虎吉が耳を澄まし、小さく頷いた。それらしき音を拾ったようだ。
「ありゃ、そしたら来た道を戻るしか……?」
「それかいっそ、そこの戦場突っ切って隣のボスケス王国へ逃げ込む。契約者が居りゃ何とかなるだろ」
冗談で言った訳ではなさそうなので、鈴音も真顔で幾度か頷く。
「確かに、戦場ひとつ突っ切るぐらいなら行けそうですね。隣国に逃げ込んだらええいう事は、国同士がやり合うてるんちゃういう事ですもんね?」
「ああ、王国は静観の構えだ。やり合ってんのは独立したい元小国の軍と帝国軍だから、王国に逃げ込みゃ追って来ねえよ」
「そうなんですね……貴重なお話をありがとうございます」
鈴音が会釈すると男性は笑った。
「大した事は言ってねえさ。何にせよ、その日まで死なねえように頑張んな」
本懐を遂げるにしろ失敗するにしろ、不死者と契約した者は期限が来れば確実に死ぬ。その前に戦場で散ったりするなよ、と男性は心配してくれたのだ。
「はい、アカン思たら逃げます。取り敢えずダメ元で行ってきますね。ありがとうございました!」
手を振る鈴音に軽く手を挙げて返し、男性は薪割りに戻る。
彼の視界から外れるまで、暫くは人の速度で進んだ。
村が小さく見えるようになった所で、山へ続く道を行き交う人が居ないのをいい事に、一斉にスピードアップ。坂を駆け上がる。
「それにしても、さっきの爺さんえらい情報通やったっすね?この山越える用事がありそうには見えへんかったっすけど」
回りくどい言い方をする茨木童子に、鈴音は悪い笑みを向けた。
「分かってるクセにー。どう見ても只のお爺ちゃんちゃうかったやん」
「そっすね。あれは軍人っすね」
うんうん、と骸骨も頷く。
「やっぱり?この先でやり合うてるいう、元小国の軍人さんかな?今仕掛けても勝たれへん、て反対して追い出されたとか?」
「あー、ありそうっすね。まともな奴ほど、こういう時は排除されがちやし」
「そうやんね。もし予想通りやったら、かなり一方的な戦場になってそうやなぁ」
男性の苦々しい表情を思い出し、鈴音は顔を顰めた。
「まあ、俺らは戦争しにきた訳やないし、さっさとエザルタートらを探して、居らんかったらとっとと逃げましょ。ほんでアズルの街に行って情報収集っすよ」
茨木童子の言う通りだ、と鈴音も骸骨も頷く。
「よし、まずは前線の場所確認して、そっから下がって行こか」
深呼吸した鈴音はもう少しスピードを上げ、山の向こうを目指した。




