第四百五十七話 ダメ!
迷い家の結界内へ戻った河童は鈴音にペンダントを返し、報告がてらお茶を飲もうと文机がある部屋の奥を指す。
頷いた鈴音は、皆と裏庭で遊んでいるらしい座敷童子に見つからぬよう、コソコソと河童の後に続いた。
文机の横に向かい合って座った鈴音と河童は、どこからともなく出て来た麦茶入りガラスコップをありがたく受け取り、事の顛末を小声で伝える。
河童がアリス本人から、母親が離婚裁判で勝つ為に、自分が何をされたのか他人に話さなければならない、と聞いて怒った事を知り、そういう事かと鈴音は納得した。
「お前が見たいう挙動不審な俺は、アリスの気配漂わしとるオッサンのとこへ繋いでくれ、て迷い家に頼んだ後のあれやな」
「それやね。でも義理の父親やのに、アリスさんの気配とかするもんなん?」
「賭けやったけどな、アリスの部屋なり母親の部屋なりに入ってコソ泥みたいな真似でもしとったら、なんぞ纏わり付くもんもあるんちゃうか思て」
そう言われ、鈴音はアリスの母親から出ていた負の感情の黒い靄を思い出す。家中に漂う程ではなかったが、彼女の部屋になら溜まっていたかもしれない。
「そうや、私と茨木がここに呼ばれたんも、アリスさんのお母ちゃんの靄が引っ付いてたからや。同じ感じのオッサン探したらええわけやから、迷い家としては簡単な頼みやったんやろなー」
鈴音が推察すると、文机上の白い紙に『そのとおり』と流れるような平仮名が浮かび上がった。
茨木童子が居ないので、鈴音や河童でも読めるよう平仮名にしてくれたようだ。
「ほんでヤツんとこ行った俺は、オイこらワレて文句言うとった訳やけども。お前は様子のおかしい俺が消えたから、ただ事やない思て追い掛けてったんか」
肝心な部分をシレッと誤魔化した河童に問われ、鈴音はうんうんと頷く。
「子供らを安心させる為に、ひょうきんな河童さんを演じて……んのか素ぅなんか知らんけど、何せニコニコ楽しい雰囲気作ってるあんたがよ?ああ、人を水ん中へ引き込んで殺すて騒がれる河童はこっちや、いう顔してスーッと居らんようになったからさぁ」
こんな顔、と冷たい無表情を作る鈴音を見て、河童は自身の顔をペタペタと触った。
「そんな恐ろしい顔しとったか」
「あ、殺る気やこの妖怪。と思う程度には怖い顔やったよ」
殺気まで出ていたかと項垂れてから、頭の皿をペシペシ叩きつつ顔を上げる。
「けど、俺らが水に引き込むヤツは、子殺しを俺らのせいにする親が殆どやってんで」
「へぇ!そうやったん?通り魔的犯行ちゃうんや」
「ちゃうちゃう。昔は食い詰めると子供間引いたりしよったやろ?直接手ぇ下すんが怖かったり忍びなかったりする親が、川によう来よったんや」
一見すると緩そう、しかし真ん中で急に深くなる川へ来た親は、向こう岸を指して言うのだそうな。『あっちに咲いている花を摘んできておくれ』と。
幼い子供は親を疑う事なく川へ入り、深みに落ちて流され溺れる。
「俺らが川に居る時にそんな喧しい音したら、見に行くやんか?ほんで溺れとったら助けるやんか?せやのに『河童がうちの子をー!』とか言い出しよるんよ。行かしたんそっちやろ、どういうつもりやワレ。ちょっとこっち来いや、て引っ張り込んでもしゃあない思わへんか?」
「思う」
渋い顔で言う河童に、鈴音も似たような表情を見せて頷いた。
「な?せやけど、コイツ居らんようになったら子供らが路頭に迷うんか……思たら殺されへんのや。しゃあないから逃したるやろ?ほな村へ戻って『川で河童に殺されかけたー!』や」
「うわムカつく。私やったら次に大人見掛けたら、子供居るか?て確認して、居らへん言われたら、ほなこっち来いやー!てやってまいそう。いや、やる」
鈴音の八つ当たり発言に、河童は引くどころか曖昧な笑みを浮かべている。
「あー……、もう既に実践済みで?」
尋ねた鈴音へ、ウンと頷く河童。
「間引きに来た親は怖がらすだけやけど、ホンマに河童なんか居てんのか?とか言いながら川に石投げるようなヤツは、まああれや、な?」
「そらしゃあないね、自業自得いうやつやわ。そんなアンポンタンな大人はどうでもええけど、間引かれそうになった子供らはどないなったん?」
親の言葉を信じて、河童達が自分を殺そうとしたと思うのだろうか。
そんなのは嫌だなあと思う鈴音に、河童はあっけらかんと答えた。
「気絶しとる隙に、化け狐やら化け狸やらに預けたで?場所によっては天狗に預けたいう仲間も居ったな」
「化け狐と化け狸!モッフモフ!見てみたいわー。けど、目ぇ覚ました時に人に化けた妖怪んとこ居ったら、助けてくれたんは河童やて分からへんのと違う?」
「せやろな。まあ子供にとって別に重要な事でもないし、気にせんでええんちゃうか?大事なんは、自分を拾てくれた大人が、メシ食わしてくれる大人かどうかだけやろ」
何とも男前な考え方の河童へ、鈴音は尊敬の眼差しを向ける。
「承認欲求の塊みたいな奴らに聞かしてやりたいわ。でもいつかは命の恩人……恩妖怪が河童やて知って欲しいなぁ。狐と狸は教えへんのやろか」
腕組みして口を尖らせた鈴音は、そこではたと思い当たった。
「いや、教えたんかも。教えたから、河童は理不尽に人を襲う妖怪やないて知ってる人が世間に紛れて、可愛らしかったりオモロかったりするイメージへ変えてったんかも。それまでは水に引き込んで尻子玉抜くおっそろしいイメージしか……て、あのさ、尻子玉てなに?」
大きい独り言に続いて出た質問に、目をぱちくりとさせてから河童は首を振る。
「知らん。内臓らしいけど、人にそんなん無いて智が言うてたしな。そもそも俺ら人なんか食わへんから、内臓引っこ抜く意味あらへんし」
主食は魚でキュウリはオヤツだと教わり、尻子玉云々はどうやら人による創作らしいと鈴音は理解した。
「はー、心が疲れてる時にこんな面倒見のええ妖怪に出会うとか、智君てかなり凄い運の持ち主やなぁ」
「いや、運が良かったんは俺やで。河童見て逃げる奴やったら、暫く腕折れたまんまやったし」
右肩を回してニカッと笑う河童を見やり、鈴音はちょっと眩しそうな顔をする。
「その内、キュウリ持ってくるわ。あんたは勿論、ここの河童軍団に行き渡るぐらい」
「おお?何や知らんけどありがとう!」
喜ぶ河童と一緒に笑っていると、茨木童子に肩車された座敷童子が、子供達を引き連れ戻って来た。
縁側へ降ろされた座敷童子は、鈴音をロックオンし駆け寄って来る。
「虎吉!虎吉と遊ぶ!」
「あー、虎ちゃん今日はお休みの日で」
「えー!?」
「明日やったら遊べるかも?」
首を傾げる鈴音へ、座敷童子は拗ねたような顔を向けた。
「今は遊べない?」
「はい。寝てるとこ起こしたら可哀相でしょ?」
「うー……、分かった」
下唇が突き出て不満を表してはいるものの、仲良しになった虎吉の為に我慢してくれるようだ。
「ありがとうございます。ほな明日に備えて私らは帰りますね」
自然な形で暇を告げた鈴音が立ち上がると、縁側に並んで麦茶を飲んでいた子供達から、『俺もええ加減……帰らなアカンなぁ』『ホンマやな』等と聞こえてきた。
むむ、と反応した座敷童子がすっ飛んで行き、『やだ』と引き留めている。
「残って妖怪みたいに生きるんやなく、しんどい事が分かってても、帰る方向に傾いとるみたいっすね」
小声で言う茨木童子に頷いて、靴を履き終えた鈴音は皆に手を振った。
「また明日」
「おお、またな」
明日は勇斗を連れ出す日だと分かっている河童と智が軽く手を挙げて応え、他の子供達は座敷童子の擽り攻撃にきゃあきゃあ騒ぎながら手を振る。
あの調子で皆に座敷童子の気を逸らして貰えば、特に問題なく任務遂行できそうだと鈴音は考えていた。
ところが。
「ダメ!」
翌日、まだ薄暗い早朝に訪れたにも拘わらず、座敷童子は起きて縁側で仁王立ち。
「ほれほれ、こっちで俺らと遊ぼ」
「やだ」
河童達が誘ってもプイと横を向き、また鈴音と茨木童子を見据える。
騒ぎに気付き、屋敷の奥から寝癖満開で起きてきた智が、あくびを噛み殺しつつ座敷童子の隣にしゃがんだ。
「どないしたん?」
目線を合わせ優しく問い掛ける智へ、座敷童子はブンブンと首を振る。
「勇斗、連れてっちゃダメ」
「あれ?」
なぜ連れ出す事がバレているのか、と智が鈴音達や河童達を見るも、揃って怪訝な顔をしていた。
誰かがうっかり口を滑らせた訳ではないらしい。
何にせよ、こうなってしまった以上仕方がないので、事情を話して説得する方へ切り替えた。
「聞いてくれ座敷童子。勇斗君はまだ小さいから、ここに残るんがどういう意味か、どないなるんか分かってへんねん。せやから帰って……」
「ダメ!」
「いやほら、今までのクソ親とは違う、まともな大人と暮らすから……」
「ダメ!」
聞く耳を持たないとはまさにこの事だな、と観察していた鈴音は、何度目かの『ダメ!』でふと気付く。
「座敷童子、智君が帰るんは?」
そう尋ねられた座敷童子は鈴音の方へ顔を向け、下唇を突き出し答えた。
「やだ」
ふむふむ、と頷いた鈴音は更に問い掛ける。
「勇斗君は?」
「ダメ!」
キッ、と表情が鋭くなった。
「他のみんなは?」
「やだ」
下唇が突き出る。
「勇斗君は?」
「ダメ!」
ここで智や河童達、茨木童子も気付いた。
「みんなが帰るんは嫌やけどしゃあない、でも勇斗君だけは絶対アカン……?」
呟くように言いながらこちらを見た智に、鈴音は大きく頷く。
「私にもそう聞こえた。誰も言うてへんのに、この時間に連れ出すん知ってたり、それを絶対阻止やて頑張ってみたり……。予知みたいな力ある?座敷童子て」
見上げられた茨木童子は首を傾げ、河童はウーンと唸った。
「予知かどうか知らんけど、勘が鋭いとこはあるで。だいぶ昔やけど、俺が他所の地域の群れへ遊びに行こ思た時、ヒョコっと顔見せた座敷童子に『行っちゃダメ!』言われてな。ほなやめとこかいうて、後で聞いたらそこの川に悪霊が出て、お前らみたいな奴やら黄泉醜女やら来て大騒ぎやったらしい」
河童の思い出話を聞き、鈴音は成る程と納得する。
「ツシコさん大雑把やから、巻き込まれたら大怪我で済まへんかも。行かんで正解やったね」
「ツシコさん?」
全員に首を傾げられ、ああ、と鈴音は笑った。
「黄泉醜女のツシコさん。あだ名あだ名」
あだ名の付け方独特やな、と心の中でツッコんでおき、智は座敷童子に向き直る。
「もしかして、帰ったら勇斗君に何か悪い事が起きるんかな」
「うん。死んじゃう」
真顔でサラッと恐ろしい事を言われ、智は絶句し鈴音は背筋が寒くなった。
これが本当なら連れ帰るべきではない。
「それは、いつどんな形で?帰ったら直ぐ危ない気がします?」
思わず腕を擦りながら尋ねると、座敷童子は小首を傾げた。
「直ぐ?うーーーん、直ぐ……?」
「1日ぐらいなら酷い目に遭わなそうですか?」
「うん」
児相職員に引き渡した直後ではなさそうだ、と顎に手をやる鈴音へ、座敷童子は更なる爆弾を投下。
「次の家族がダメ」
「え?次の家族?あ、施設で暮らすんやなく、引き取る親族が居るんか。ん?つまり元の両親は当然ダメで、新しい家族もダメいう事……?」
険しい顔で悩む鈴音へ、茨木童子が声を掛ける。
「けど今になって中止にすんの無理ちゃうんすか?偉いさんが裏で動いたんすよね?表向きは虐待してへん事になっとる両親にだけは返されへんように、手ぇ回した言うてましたやん」
「それなー。どのレベルの偉いさんか知らんけど、恥掻かす訳にはいかへんし。けど勇斗君の命より大事なもんはない。次の家族がダメいう言い方と、1日では死なへんいう事からして、また虐待なんかもしらん……」
鈴音は脳をフル回転させながら、じっとこちらを見つめる座敷童子へ向き直った。
「よし、こうなったらもうしゃあない。勇斗君にはまた神隠しに遭うて貰いましょ、次の家族が虐待するようなら。丸くは収まらんけど、これしか思い付かへん」
この提案を聞き、それでは一旦連れ出す事になるから『ダメ!』なのでは、と慌てる皆をよそに座敷童子は元気に頷く。
「分かった!」
「ええんかい!」
河童のみならず智までがコケる中、鈴音は座敷童子に近付き、内緒話をする風にしながら実際は迷い家に計画を聞いて貰った。
「……とまあ、こんな感じで。大事なんはタイミングかと。ほな時間もないんで、勇斗君連れてきますね」
「うん!」
帰って来ると分かったからか、今度は邪魔されずに部屋へ上がる事を許される。
奥の部屋へ行き、まだ寝ている勇斗を抱っこしてそそくさと戻った。
「ではでは、内緒の作戦通りにお願いしますよ?」
「分かった!行こ!」
キュッと鈴音の夏物ジャケットの裾を掴む座敷童子を見て、智や河童達は目が点になる。
「行く?座敷童子も?」
「護衛するんか?」
「うん!」
ニコニコの座敷童子と眠る勇斗を連れ、鈴音は皆へ頷いた。
「何もなさそうなら座敷童子の珍しい勘違いでヨシ。何かあったら……サクッと没落して貰いましょ」
座敷童子をくっつけているとは思えぬ程の悪い笑みを浮かべ、鈴音は会釈し結界から出て行く。
「……あんな、俺より遥かに怖いんは姐さんやからな。怒らすなよ?絶対」
足を止め振り向いた茨木童子が情けない顔で告げると、智も河童達も思い切り頷いた。




