第四百五十四話 さあ移動しよう
アニメの話で盛り上がる子供達のそばで、鈴音は智と共に偽掲示板のへの書き込みをチェックしている。
「あー、成る程、“どうやって死ぬか”で2つのグループが出来た事にしたんかぁ」
「はい。最初は集合場所と家との距離にしよか言うてたんですけど、逆のグループの集合場所の方が近い子も居てて。それやとおかしいんで、死に方で分ける事にしたんです」
「練炭組と飛び降り組か……。これが作り話やて分かってても、何やこう……心臓か胃ぃか知らんけどギューッとなるわ」
「分かります。実際、もう死のうて思てた子も居る訳やから、完全な嘘とも言い切られへんのが辛い」
智の言う通りだ。
子供達に優しい妖怪のお陰で、今はこうして楽しげに笑っているが、彼らを苦しめる原因を取り除かなければ、最悪これが実行に移されかねない。
「虐待の方は警察と児相に頑張って貰うとして、問題はイジメの方や。あれって発覚しても、加害者側が認める事って殆ど無いやん?」
小声で言う鈴音に智は頷く。
「加害者本人は勿論、親までウチの子は悪ないて吠えるケース、多いですよね。保護者説明会の音声とかネットに上がってるけど、酷いもんですよ」
「あの親にしてこの子ありの典型やな。ホンマやったら親も頭下げて、加害者がキッチリ反省して、被害者が赦せるようになるのが一番やん?」
「まあ、理想ですよね」
皮肉っぽく口角を少し上げた智の顔は、まず実現しない理想だと告げていた。鈴音もそう思う。
「理想通り、被害者が赦せる状況になったらええけど。そうでない場合、物理的に加害者を遠ざけるしかあらへんよね?」
「大体は被害者が転校しますね。それはおかしい、加害者が出ていけ、て散々言われてますけど、特に何も変わってへん思います」
「うんうん。そういう現状を踏まえて、今回は加害者側に自主的に出て行って貰お思うねん」
悪い笑顔の鈴音を、智は訝しげに見つめた。
「座敷童子と迷い家の力で爆上がりした運が、加害者を遠ざけてくれる……いう感じちゃいますよね今の言い方やと」
「そうやね。不思議パワーがクズをどっかやってくれたら最高やけど、そうなるか分からへんやん?宝くじが当たるとか、事故で九死に一生とか、そっち方面に働くかもしらんし」
これが聞こえたら子供達が迷い家から出なくなるかもしれないので、殊更ヒソヒソと話す。
「まあ確かに幸運にも色々ありますけど。ほな、夏梅さんが何か仕掛けるいう事ですか?」
「うん。偶然にも丁度ええ協力者が見つかったし」
智はハッと眼鏡の奥の目を見開いた。
「サトリ」
「そう、アイツ。見た目は黒いモジャモジャの猿っぽいねんけど、私と身長変わらんから動物にしては大きいし、住宅街で出くわしたら熊ぐらい怖い思うわ。おまけにこっちが心で思た事を、しゃがれ声で言い当ててくんねん」
「怖ッ」
「よっしゃ、河童と烏天狗見ても冷静やった智君が怖いいう事は、かなり効果ある筈。自分が悪い思てへん子は、サトリとのお喋りタイム楽しんで貰お」
鼻歌が聞こえそうな笑顔の鈴音を見やり、智はブルッと震える。本当に味方で良かった、と。
その後、子供達を迷い家へ戻した鈴音は、『掲示板でのやり取りはこれでお願いします』と安全対策課へ連絡を入れた。
内容を精査した安全対策課が本物の掲示板に忍び込ませ、元からあったスレッドかのように偽装し、警察庁の専門機関へ通知する。
念の為ここでも内容を調べ、問題がなければ各警察本部に紛れている繋ぎ役へ指示が飛び、同じ要領で所轄署に情報を下ろして、『なあ、この書き込み気にならないか?』とすっとぼけた演技をして貰う。
その間に、姿隠しのペンダントを身に着けた安全対策課職員が、掲示板に書かれていた物件で子供達が生活していたように見せ掛ける為、片方だけに食料などの物資を運び込む。
そこへ今回戻る子供達を移動させ、もう片方はもぬけの殻とする事になっている。まだ迷い家から出るつもりのない子供達が、どこか別の場所へ移ったと思わせる為だ。
「……っちゅう訳で、こっちに残る組の子にも、いっぺんだけ集合場所にした物件に行って貰わなアカンねん。私の仲間が車で迎えにきてくれるって。ほら、皆が集まった筈の場所に、指紋や足跡のひとつも付いてへんのは流石に変やん?」
刑事ドラマでお馴染みの、鑑識が指紋を採取する仕草をして笑う鈴音。
それを見て、成る程と頷いてはいるものの、残る組の全員が虐待を受けている子供達なので、出来れば行きたくないと顔に書いてある。
「んー……、そらそうやんなー、うっかり何かの弾みで見つかって送り返されたらどないすんねん、て思うわなー」
本来最も安全な筈の親元が、彼らにとっては最も危険な場所なのだ。結界から出ての長距離移動には抵抗があるだろう。
なぜ思い至らなかったのかと唸りながら頭を掻く鈴音に、子供達は申し訳なさそうな表情を見せた。
「あ、いやいや、ええねん。キミらは何も悪ないから。こっちの作戦が甘かった」
問題ないから気にするなと言いつつ、これといった案が浮かばない。結局の所、自分が抱えて何度か往復するしかないか、に落ち着いてしまう。
皆へ姿隠しのペンダントの存在を明かすのは有りだろうか、と悩む鈴音のもとへ、裏庭を駆け回っていた座敷童子と虎吉がやってきた。
「何や鈴音、しっぶい顔してどないした」
座敷童子に抱えられた虎吉を見やり、その可愛さに一瞬で目尻を下げた鈴音は、発生した問題を伝える。
話を聞いた虎吉は座敷童子の腕から飛び降り、鈴音の足を尻尾で叩いた。
「俺を誰や思てんねん。猫と神使が居る場所、神使が行った事ある場所には通路開けられるやろが」
「あ」
「ほれ、さっさとその物件とやらに行かんかい」
「イエッサー!」
目を輝かせ敬礼した鈴音は大喜びで駆け出し、あっという間に結界の外へ消える。
水遊びから勇斗の手を引いて戻ってきた河童達が、何事だと目を丸くしていた。
綱木に、虎吉が通路を開け子供達を送ってくれると連絡し、姿隠しのペンダントを着けた鈴音は山を下り屋根の上を疾走する。
2分ばかり走り、雑木林の中に建つ古びた空き家へやってくると、周囲に人の気配が無い事を確認してペンダントを外した。
「虎ちゃーん、着いたよー」
そう呼び掛けるや否や、目の前の空間が歪み迷い家の結界の外へと繋がる。
「うわ、何やこれ!?」
「違う景色が見えてんで!?」
虎吉の後ろに立つ子供達から、驚きの声が上がった。怖くないよ、と鈴音は笑顔で手を振る。
「あれよ、どこにでも繋がるドア的な」
雑だが分かり易い説明に子供達も納得。
「猫やから」
「でも青ちゃうで?」
「妹は黄色いやん」
脱線し始めたので虎吉が急かす。
「早よ行かんかいな」
結界から出ている子供達には、『ニャー』としか聞こえなかったが、何となく意味は通じた。
おっかなびっくり通路を潜って、鈴音が居る空き家へ向かう。
「おぉー、凄い」
「ええなー、ヤバい時すぐ逃げられるやん」
「ホンマや」
「帰るなら猫の妖怪と一緒がええな」
「可愛いし」
空き家前に来た子供達は少し興奮気味に会話し、はたと気付いて鈴音を見た。
「騒いでごめんなさい」
「ええよ、人の気配ないし。さ、軽く探検してきて?指紋と足跡つけたら戻ろ」
「はーい」
素直に返事をした子供達は、鍵の壊れたドアを開けて空き家へ入って行く。
窓ガラスも割れていて室内は荒れ放題なので、躊躇いがちに土足のまま上がり、1階を見て回った。
「ここで暮らすんは無理っぽい」
「外からやと分かり難いけど、中はエグいな」
「ソッコーで、別んとこ行こ!てなるよね」
きっと警察も納得するだろう、と結論付けて、子供達は虎吉の通路で迷い家へ戻る。
鈴音はペンダントを装着し、もうひとつの物件に向かった。
こちらは、定休日でもないのに閉じたままの商店街。
薄暗く人通りもなく、犯罪の温床になりそうな条件が整っているものの、そんな気配は微塵もない。
理由は簡単、そもそも人の往来がないからだ。
真っ昼間でも、第一町人発見に至るまで結構な時間が掛かりそうな、寂れた田舎町。
住民達が買い物をしたり、数少ない若者が遊びに行くのは、隣町にある巨大ショッピングモールだ。
そしてその隣町へ続く道は、ここと正反対に位置する。
「うわー、こら出入りに気ぃつけて後は静かにしてたら、誰も気付かんパターンや」
飲み屋もコンビニエンスストアもなく、駅の近くでもないここなら、日が落ちた後に出歩く人は滅多に居ないだろう。
辺りを見回し納得した鈴音は商店街を進み、近くの町に住む同僚が準備してくれたらしい、偽の隠れ家へ向かった。
「虎ちゃん着いたー」
そうして先程と同じように通路を繋いで貰い、子供達を移動させる。
何やら涙目の子が多いのは、座敷童子や河童、仲間達との別れが寂しいからだろうか。
それでも皆、ありがとうございますと鈴音に会釈しながら中へ入って行く。
「凄ッ、漫画とかあるで」
「ラーメンとかお菓子も」
「こっちは寝る場所っぽいよ」
「メモや。あっちに井戸があんねんて」
空気を読み小声で会話する子供達を見守っていると、鈴音の隣にアリスが来た。
「私はお母さんと暮らす事になるから、もう迷い家には行かれへんのですよね?」
悪い状況が何も変わっていなければ迷い家が助けてくれる、という河童の言葉を思い出しているようだ。
「そうやね、お母さんも次はまともな旦那さん捕まえるやろし」
鈴音が笑って言うと、アリスは眉を下げる。
「ホンマにそうやったらええなぁ。ホンマのお父さんは酒乱、前の人はモラハラ、今回は性犯罪者」
「3人目やったんや、変態野郎」
「うん。変なんばっかり好きになるんです。お母さん、恋愛体質?恋愛脳?の持ち主みたいで」
「言い方悪いけど、男が居らなアカン……男性依存みたいな感じ?」
「あ、それや。クリスマスとかに彼氏が居てないのはアカン系の人です」
「ははは。クリスマス、恋人とイチャつく日ちゃうし」
イベント事は友達と楽しむ世代の鈴音やアリスには、どうにも理解出来ない心理だ。
「はー、男の人が居らな無理な体質はもう諦めるから、まともな人を好きになって欲しい。でもそうなったら座敷童子と河童さんに会われへんし……」
「座敷童子はともかく、河童は何とかなるんちゃう?智君は外で見掛けてんねんし。キュウリ持って川で声掛けたらええんちゃうかなぁ」
鈴音がそう告げると、ハッとしたアリスは振り返って通路に顔を突っ込む。
見送りに来ていた河童と話をしているようだ。
ややあって隣へ戻ったアリスは、とても嬉しそうな顔になっている。
「フフ、手土産はキュウリでええ言うてた?」
「はい!」
「そら良かった」
そんな会話をしている間に、隠れ家の探索を終えた子供達が鈴音の前に並んだ。
「どこに何があるか把握した?よっしゃ。ほなずっとここで生活してた体で、暫く待っとってくれる?その内パトカーに乗ったお巡りさんが来るわ」
「はい」
皆が真剣な顔で頷くのを見てから、鈴音は通路を手で示す。
「一応、お別れの挨拶しとく?」
そう言われるやクシャリと顔を歪めた子供達は、次々と通路の向こうへ行き、河童と握手したり座敷童子を抱きしめたり。
大人になって自分の家が出来たら、神棚を作って座敷童子と河童と迷い家を祀る、なんて言う子もいた。
涙涙の別れを終えて、虎吉がゆっくりと通路を閉じる。
最後の最後まで手を振った子供達は、のどかな景色が消えるや鼻をすすって顔を見合わせ、小さく笑った。
「ほんなら私も行くわ。もし何かあったら、すぐ迷い家に助け求めんねんで?」
「はい、ありがとうございました」
お辞儀する子供達に手を振り、鈴音はその場を後にする。勿論、姿を隠して見守る為だ。
そうとは知らない子供達は、鈴音が商店街から出て行ってから、ふと湧いた疑問を口にする。
「夏梅さん、どうやって先回りしたん?」
「あれ?ホンマや」
「猫にゃんの通路使わへんかったよね」
「他にもあんなワザ持ってる妖怪と仲間なんかな」
隠れ家に入り、ああでもないこうでもないと話す子供達の小声を聞き、鈴音は遠い目だ。
「なーんも考えてへんかった。虎ちゃんが妖怪扱いなら、私も妖怪でええかも?」
綱木が引っ繰り返りそうな事を呟きつつ、警官の到着を待った。




