第四百四十一話 怒ると怖い
肉と魚を焼いても火事になる心配のない平原があればいいが、もし無かったら海の上で調理しようと考えつつ屋根を走る鈴音。
そんな彼女の耳に、どこかで聞いたような聞かなかったような、薄っすら記憶の端を掠める声が届いた。
右手を挙げて後ろへ合図し、足を止める。
そうして下を覗くと、4人組の男達が飲食店のテラス席で店員と揉めており、内3人の顔に見覚えがあった。
「あいつら、アルティエーレの街でプローデさんに縁切りされた、謝りも出来ひんクズ共やんね?」
「おう、そうやそうや。仲間に入れたる振りして、嫌がらせしとった輩やな」
鈴音と虎吉がそう言えば、骸骨とディナトも『居たなそんな奴らも』と思い出す。
「1人多いんは何やろ?雰囲気からして、プローデさんみたいな被害者ではなさそう」
全員こちらへ背を向けている為、表情は見えない。なので、会話を聞こうと耳を澄ませた。
「だぁーから、この御方は女神様の剣士だっつってんだろ。金取ろうっての?」
「おっそろしい魔物から世界を守ってくれる、女神様の剣士から?」
「うわー、凄ぇなー、偉いんだなーこの店ってー」
「いや、でも、証拠が」
「はあぁぁぁあ!?証拠ぉぉぉお!?」
「誰がどう見ても顔に傷のある若い男でしょうが!」
「女神様の剣士でしょうがー!」
大声を聞きつけた人々により、テラス席を遠巻きに囲むような人垣が出来始め、真ん中の空間に4人の男達と共に取り残されてしまった店員が、助けを求めるように視線を彷徨わせている。
鈴音は迷わず、4人の周りに細い雷を落とした。
「ギャーッ!!」
「なんッ、何だ!?」
「雷!?」
「こ、これ、ヤバくねぇか?」
慌てふためく4人から走って距離を取った店員は、店の入口から顔だけ覗かせて様子を見ている。
4人は引き攣った顔で周囲を見回し、誰もが腰を抜かす勢いで驚いている事を確認した。
「魔法使いの仕業じゃねえのか……。晴れてんのに雷とか、何の冗談だよ」
額の冷や汗を拭ってそう呟いた男の耳に、聞き覚えのある声が届く。
「冗談やのうて、天罰なんちゃうー?」
背後の人垣が割れ、その間を通って鈴音達が姿を見せると、振り返った4人の内3人が分かり易く顔を顰めた。
「テメェ……あん時の……!」
「え、誰だよ、ヤベェ奴か?」
初めましてな男は事情が分からず、仲間と鈴音達とを見比べている。
その男の右頬には、一本の傷跡があった。
「右ねぇ……。なあアンタ、女神様の剣士なんやろー?私らを知らんのはマズいんちゃうー?」
目を爛々とさせながら口角を上げた鈴音の迫力に、傷の男も3人の男達も思わず後退る。
事の成り行きを眺めていた野次馬達は、謎の男女及び不死人を改めてしっかりと観察し、漸くその正体に気付いて『あっ!』と声を上げた。
「新聞に載ってた!縞模様の魔獣を抱いた美女だ!」
「王族だと思われる大男!」
「もうひとりの不死人!」
「女神様の剣士の仲間達だ!」
本物だ本物だと騒ぐ野次馬達。
「いや本物て。肝心の女神様の剣士が居らへんのに」
小声で鈴音がツッコめば、虎吉が『ホンマやな』と楽しげに笑う。
このままではマズいと顔色を悪くした小悪党達は、無い知恵を必死に絞った。
そして彼らも気付く。プローデが居ないという事実に。
「ハハハハハ!なぁーにが本物だ馬鹿馬鹿しい!ソイツらはクビになったんだよ役に立たねぇからってな!女神様の剣士が俺らと一緒に居るのが何よりの証拠だろうが!」
1人が鈴音達を指差してそう言えば、ハッとした仲間達もそうだそうだと尻馬に乗り、傷の男も慌てて頷く。
野次馬達が疑わしげにヒソヒソやる中、勝ち誇っていた男は鈴音の顔を見てギョッとした。
それはもう、ビックリするほど見事な嘲笑が浮かんでいたのだ。
「そうなぁーん?クビかぁー、クビねぇー。私らはともかく、あの大賢者様をクビにするとか、凄いなぁー?」
「へっ?」
「あんな動いて喋る図書館みたいな御方をクビとか、どんだけ頭ええんやろ皆さんはぁー。私やったら絶対無理ぃー」
思い切り馬鹿にした口調で指摘して笑い、『ねーっ?』と野次馬達を煽る。
プリムスは身分問わず全世界の人々に大人気なので、鈴音に同意を求められた野次馬達は当然のように頷いた。
「そうだった!女神様の剣士といえば大賢者様!」
「保証人みたいなもんだよな!女神様の剣士と大賢者様は一緒に居るに決まってる!」
「クビとか有り得ないよねー!」
「女神様の剣士はそんな馬鹿な事しねぇよ」
「つーか、1人で平気ですとか言われても、大賢者様ならコッソリついて行きそう」
「うんうん、女神様の剣士が偽物扱いされそうになったら、カッコよく出てきてくれそう」
「……カッコよく……?」
随分と男前な感じに思われているんだなあ、と皆のプリムスに対するイメージに驚く鈴音。
現実を知る者としては、格好良く出て来ようとして失敗し、『こんな所に!なぜ小石が!酷い酷い!』とジタバタしている姿しか浮かばず、笑いを堪えるのが大変だった。
そんな余裕綽々な鈴音とは対照的に、もう後に引けない男達は必死だ。
「だっ、大賢者様は、あー……用事……そう!用事があるってんで、一旦離れてんだよ!」
「お、おお!そうだそうだ!クビにする訳ねぇし!」
「だな!役立たずのお前らと一緒にすんな!」
「そ、その通りだ!」
大根役者達による下手糞な寸劇を眺め、鈴音はうんざりした表情になる。
「フーン。ほな次はどこで落ち合うん?」
「は?えー……都?」
「そうだ、都だ」
「へー。いつ?」
「いつ、って、あし、明日?」
「バカお前、1日じゃ都に着かねぇし!」
「げっ」
お互いをチラチラ見ながら探り探り答えた結果、鈴音が指摘するまでもなくボロが出た。
焦った男達は結局、只々開き直る。
「クッソ!でもだから何だってんだよ!大賢者様が居ないから女神様の剣士じゃねえとはならんだろうが!」
「あはは、アホのくせによう気付いたな、その通りやで」
そう言いながらも余裕な鈴音を見やり、原因は何だと考えた男達は、『アレか!』と視線を交わし先手を打った。
「女神様の剣を光らせろってんなら、お断りだからな!あれは意味もなく見せびらかすもんじゃねえんだ」
「そうそう。神聖な光だからな」
「見せもんじゃねーの」
「その通りだ」
傷の男が腰に下げた剣の柄に触れ、尤もらしく頷く。
どう切り返すのだろう、という野次馬達の期待に満ちた視線を浴びつつ、鈴音は楽しげに微笑んだ。
「ええよ別に、光らせんでも」
「へ?」
思っていたのと違う答えに男達が戸惑う中、鈴音は笑みを浮かべたまま地面を指差す。
「女神様の剣、置いて?持ち上がるか試すから」
野次馬達から『そうか!』と納得の声が上がり、男達も鍛冶屋での一連の騒動を思い出した。
愚かな貴族も自分達も、地面に転がった剣を持ち上げられなかったのだ。唯一、プローデだけが軽々と扱っていた、悪夢のような光景が脳裏をよぎる。
「しっ、神聖な剣を地面に置く?有り得ねぇわ!」
「そうだぞ!女神様が選んだ男以外が触るなんて、畏れ多いだろうが!」
「汚れたらどうすんだ!馬鹿か!」
「俺の剣だぞ!他の奴には触らせん!」
騒ぐ男達を囲むように、前触れも無く複数の細い雷が落ちた。
「ギャーッ!?」
悲鳴を上げ身を寄せ合う形になった男達へ、一度空を見た鈴音が気の毒そうな目を向ける。
「女神様がお怒りや。そらそうやんね、あの剣はそもそも鍛冶屋さんとこの床に刺さってたんやし、何百人が引っこ抜こうとしたか分からん代物や。今更、地面に置かれへんやの汚れるやの選ばれたもん以外が触るのは不敬やの、頭悪いにも程があるでしかし!て雷落としたくもなるよ」
緩く首を振ってから、真顔で男達を見つめた。
「さ、どないする?何かの間違いが起きて剣が重たなるのに賭ける?素直に偽物やて認める?」
鈴音と虎吉の鋭い眼光に加え、ディナトの冷ややかな目、骸骨の暗い眼窩。
晴れた空からは雷が降り、野次馬達も敬愛する女神様や大賢者様を侮辱した悪党を睨んでいる。
明らかに男達は追い詰められ、逃げ場は無い。
だがここで大人しく罪を認められる心の持ち主など、彼らの中には居なかった。
「女神様がお怒りだぁ?何でオマエみたいなのにそれが分かんだよ。どーせ魔法だろ?幻を見せる魔法に決まってんだよあんなもんは!」
リーダー格が吠えながら剣を抜けば、残る男達も続く。
野次馬達はどよめいた。しかし鈴音達があまりにも悠然と構えているので、『大丈夫なのかな?』と怖い物見たさな野次馬根性が先に立ち、逃げ出す者はいない。
そんな大勢の視線を気にせず最初に動いたのは、呆れ顔のディナトだ。
「やれやれ。鍛冶屋の一件で少しは懲りたかと思ったのだが。鈴音、ここは私が行こう」
「えぇー、そんな勿体ない」
慌てる鈴音をディナトは軽く手を挙げ制する。
「私が大恩を受けた女神ノッテを、此奴らは軽んじた。女神が選んだプローデを虐げただけでは飽き足らず、その名を騙るなど以ての外。二度と愚かな考えを抱かぬよう、罰を与えねば」
表情も口調も大変穏やかだが、怒っている、それもかなり激しく怒っていると、その場に居る全員に伝わった。何しろ、ディナトの全身から恐ろしい程の怒気が迸っているのだ。
「ひー、神罰や。怖っ」
「さっさと認めて謝らへんからや」
鈴音は虎吉の頭に鼻先を埋め、骸骨はその背に引っ付くようにして顔だけそろりと覗かせている。
それを見た野次馬達は、『あの王族風の大男、そんなヤバいの!?』とそれぞれに身構えた。
4人で掛かれば流石に勝てるだろうと踏んでいた男達も、目の前まで来たディナトの迫力にこの段階でもう後悔している。
後悔はしているが、今更どうする事も出来ないので、カタカタと小刻みに震える剣先を突き付けるしかなかった。
「ま、丸腰じゃねぇか、死にてぇのかよ、アァ!?」
声が引っ繰り返らなくてヨカッタね、と思う鈴音の視界で、ディナトが素早く動く。
突き付けられている剣を両手で掴み、真ん中からバキッと音を立てて圧し折った。
鈴音が素早いと思うのだから、普通の人々には当然見えない。
なので野次馬達と男達には、いきなり剣が折れてその半分をディナトが持っている、という結果だけが映った。
「お、何、折れ……ッ?」
真ん中から先がなくなった剣を見つめ混乱する男の足もとへ、圧し折った半分をポイと放り投げたディナトは、傷の男へ向き直る。
「そなたのそれが、女神が鍛治師に打たせた聖剣だと言うのだな?」
高い位置から冷たく見下され、傷の男は震えながらへっぴり腰で後退った。
「く、来るな!来るなー!」
型も何もなく闇雲に振り回される剣を目で追うディナトの左右から、男が2人、同時に斬り掛かる。
「隙だらけだ!」
「貰った!」
片方は上段からの振り下ろし、片方は全力の突き。
身体強化を掛けているようで、スピードはそれなりにある。
だがそれでも、力の神には全く届かない。
あっさりと素手で左右両方の剣を掴んだディナトは、目は傷の男を見据えたまま、2人の男をグイと押し返した。
「グァッ!!」
「ギャッ!!」
吹っ飛んだ2人は地面に叩き付けられ、野次馬達の前に転がる。
身体強化のお陰でさほど痛みは無いが、怒らせた相手が化け物だったという精神的ダメージは大きい。
逃げるなら距離が出来た今だが、野次馬が邪魔だ。
「ん?野次馬?」
「野次馬……、ふ、ハハハハハ!」
反対方向に吹っ飛んでおきながらも、流石は小悪党、考える事は同じだった。
「キャーーー!」
「むう、ワシとした事が」
若い女性と年配の男性を人質に取り、剣を首元へ近付け凄む。
「おらおら化け物!大人しくしねぇとオネーチャンがどうなっても知らねーぞー?」
「このジジイ殺されたくなきゃ動くな!」
「おぉ、やるなお前ら」
剣を折られた男も復活し、揃ってニヤニヤいやらしく笑った。
形勢逆転かと安心しかけた傷の男は、ディナトが自分から目を逸らさない事に気付き苛立つ。
「おい!人質がどうなってもいいのか!」
凄んでみるも、状況は変わらない。
「……それが、女神に選ばれた者の言う事か?」
それどころか、悪化したように思えた。怒気が殺気に変化した気がする。
王族だから、平民がどうなろうと知った事ではないのか、と仲間達の方へ視線をやれば、いつの間にか人質の前に女と不死人がそれぞれ移動していた。
「ディナトさまー、殺したら駄目ですよー!殺人未遂と詐欺行為で警備隊に引き渡して、女神様の剣士を騙った阿呆として晒し者にせなあきませんからー!」
そう注意しつつ、鈴音は女性の首元に当てられていた剣を素手で掴んでいる。
骸骨も同じく剣を掴み、老人の首から遠ざけていた。
目を丸くする人質達と、剣がびくともしない事に青褪める男達。
急ぎ剣を手放し、腕で首を絞めようと動くも、遅かった。
「いっ、痛だだだだだだ!」
「ギャァア!やめろ!折れる!」
何が起きたのか、男達には分からない。今の今まで剣を掴んでいた手が、己の手首を握り締めているのだ。
すかさず人質達は逃げ、男2人は1人立つ仲間のもとへぶん投げられた。
3人の男達は呆然と顔を見合わせ、自分達がとんでもない考え違いをしていたと思い知る。
4人掛かりで大男1人を倒せば勝てる、わけではなかった。
あのプローデの仲間全員が、化け物だったのである。
では、化け物達が恐れる化け物の標的となった、傷の男はどうなるのか。
「ちゃんと聞こえとったやろか、ディナト様」
「まあ大丈夫やろ」
また鼻で虎吉を吸い、背中に骸骨をくっつけながら鈴音が心配する中。
ディナトは傷の男の剣を圧し折った。




