第四百二十四話 エスカレーター
プリムスに急かされるようにして、一行は鈍色熊の縄張りに入る。
そう簡単に出くわす相手ではないが、もし遭遇した際は刺激しないよう静かにして、絶対に戦ってはいけない、とアーリアから教わった。
熊が強いからではなく、希少性の問題らしい。毎年出産して増える種ではないので、下手に倒すと生態系に影響が出てしまう。依って、山の主だから狩ってはいけないと言い伝え、誰も手出し出来ないよう守っているのだそうな。
ついこの間、熊というか熊の妖怪をぶん殴ってしまった鈴音は真顔になり、『山の主大切、殴るダメ絶対』と呪文のように唱えている。
そうして、先程の階段から黙々と歩くこと15分ばかり。
幸いにも熊とは出会わず、アーリアが見つけた大きな階段がある場所へ辿り着けた。
聞いていた通り、崖崩れした斜面の下に土石流の跡があり、それに押されて移動した岩も確認できる。
「あの奥に階段があるのだね」
岩がなくなった事でぽっかりと開いた隙間を見やり、そのまま近付こうとするプリムス。
不死人なので毒ガスにやられる心配はないが、見るからに不安定な崖から岩が降ってきたら、クシャリと潰されて終わりである。
気持ちが先走り過ぎて、視界が狭くなっている様子の大賢者様を止めるべく、鈴音は素早く前方へ回り込んだ。
「はい、そこの慌てん坊な大賢者サマ、ちょっと落ち着こかー」
「うわあ!きゅ、急に何かね!?」
いきなり目の前に来られて飛び上がるほど驚くプリムスと、瞬間移動にしか見えない速さにポカンとするアーリア。
「今の、魔法?」
「うん。でも只の身体強化らしいよ?」
「強化だけであの速さになるの?」
「そうみたい。魔法使いって凄いよね」
「凄いねぇ、いいなー」
アーリアとプローデの会話を、骸骨とディナトはほのぼのと聞いていた。
「私も、あのくらい素直に思った事を口にすれば、妻は笑ってくれるだろうか」
内容にもよる。と思った骸骨だが、それを絵にするのも読み解くのも難易度が高い。なので、沢山会話をしてニコニコと幸せそうな夫婦を描いた。相互理解の大切さを説いたつもりだ。
「そうか。喋った方がいいか。よし、褒め言葉しか出てこない気もするが、飽きられないよう努力しよう」
伝わったような、そうでもないような。どっちにしろ、またしても火の女神の体温が急上昇する事が確定してしまった。
大好きな夫から獲物を追うように見つめられ続け、延々と褒め言葉を垂れ流されて、果たして彼女は無事で済むのか。
自分のアドバイスが夫婦のバカップル度を上げる等とは思いもせず、努力するのはいい事だと骸骨は親指を立てた。
一方プリムスの前に仁王立ちした鈴音は、よく見なさいと岩を指差している。
「いつあんなんが降ってくるか分からへんのに、対策もせんと行ったらアカンて。岩なんか当たったら潰れてまうやろ?」
「……確かに」
視線を地面に転がっている大岩へ移し、冷静さを取り戻したプリムスは頷いた。
それを見てプローデ達がホッと胸を撫で下ろし、鈴音は微笑む。
「分かったなら宜しい。ほな崩れへんように固めとくわ。あとは泥水か。線路が何ともなかったから、もう排水されてるかな?毒ガスもなかったけど、湿った空気は嫌やから風も送り込んどこか」
階段の方へ向き直り顎に手をやった鈴音は、喋りながら既に土魔法で崖を固めていた。次いで水が溜まっている気配はないと確認し、入口の穴から強い風を送り込む。
轟々と音を立てて吹き込んだ風は、跳ね返されるような事もなく流れて行った。
「風が抜けたな……。生きてる通風口があるんか、どっか他にも地上に通じてる出入口があるんか。何にせよ空気の薄さで死ぬ心配はないみたいやね。よっしゃ、準備完了。いつでもどうぞ」
右手でうやうやしく入口を示す鈴音に、プリムスは首を傾げる。
「もう岩は降ってこないのかね?」
「うん。間違い探しみたいやけど、よう見たら一枚岩になってるやろ?」
そう言われ、そっと斜面へ近付いたプリムスが見たものは、溶接されたようにくっついている岩だった。
「いや、知っていたよ?大きな地下施設をあっさり埋め戻せる力の持ち主だと。でも今は、喋りながら大した魔力も出さず、そこに立っていただけなのに……これかね?」
「これやね。私の場合、大事なんは想像力やから、大袈裟な身振り手振りも小難しい呪文も要らんのよ」
「それにしたって、もう少し魔力の流れがあってもいいと思うのだよ」
「魔法使い的には簡単なお仕事やから、しゃーない」
ふふん、と踏ん反り返る鈴音へ、プローデが尊敬の眼差しで拍手し、アーリアも倣う。
鈴音の正体を知るプリムスは、神の使いの実力を改めて思い知り、敵じゃなくて本当に良かったと女神様に感謝した。
「では調査に向かうとしようか」
「うん。今んとこ特に何の気配もないけど、万が一いう事もあるし私が先頭で行くわ」
「ありがとう、頼むよ」
宣言通り鈴音が先頭に立って入口へ向かい、プリムスの後にプローデとアーリア、その後ろにディナト、殿を骸骨が務める。
「……あ、そうや明かり明かり」
うっかりそのまま進みかけ、この先は真っ暗だと思い出した鈴音は、慌てて火球を複数飛ばした。一気に周囲が明るくなり、皆の目にも階段の様子が見えるようになる。
「ああ、やはり自動階段だね。色違いで段差の大きな階段と聞いて、そうだろうとは思っていたけれど」
幅の広い階段の端にあるエスカレーターを見て、プリムスが幾度も頷いた。それを聞いたプローデとアーリア、そしてディナトも『自動階段とは?』という顔をしている。
「ん?自動階段というのは、魔力を動力として自動的に上ったり下ったりする階段の事さ」
プリムスが説明するものの、階段が動くという概念が無い彼らにはピンとこない。
「動かそか?」
エスカレーターを見つめて尋ねた鈴音に、プリムスが慌てる。
「いや、どのみち使わない技術だし、知る必要はないのでは?それにきっと壊れているよ、大昔の物だし」
両手を振り振り言うプリムスを、『神使ナメたらアカンで』な顔で鈴音が見た。
「キミ、壊れた物まで動かせるのかね……?」
もはや引き気味のプリムスへ、鈴音は不敵な笑みを向ける。
「造りも分からんし、どこに魔力流したらええんかも謎やけど、あれがどう動くかは知ってるんよね。っちゅう訳で力技や」
言うが早いか念動力を使い、ステップ部分を強引に動かした。
すると、錆び付いた金属の音と、砂や埃を噛む音をさせながらも、エスカレーターが本来の動きを見せる。
「えぇ……」
「わあ凄い!」
「どうなってるの?」
「動く階段……成る程」
ポカンとするプリムスを他所に、プローデとアーリアとディナトが興味津々で見に行った。
「本当に階段が動いてる!」
「でもこれ、どうやって乗るのが正解かな」
「板状の際に乗れば良いのだろう……、む、目が回る」
乗ってみたいがタイミングが難しい、と足を出しては引っ込める様子に、鈴音は懐かしさでニヤニヤが止まらない。
「子供ん時の私とおんなじや」
「そうなんか」
「うん。親に手ぇ引いて貰て、どうにか乗んねん。けど今度は降りるんが大変やねん。ほんで自力で乗り降り出来るようになったら、まだ無理な弟にドヤりまくんねん。ふふふ、懐かしすぎやー」
練習は他人様の迷惑にならぬよう、後ろに人が居ない時限定だったな、等と思い出に浸り目を細める鈴音を、骸骨は愉快そうに肩を揺らして、プリムスは只々黙って見ていた。
その間に、プローデ達はよろけながら何とか乗る事に成功。
「凄い凄い!歩かなくても下に行ける!これ、爺さま婆さまは膝が痛くないって喜びそうだよね!」
「ホントだね、乗る時がちょっと大変だけど、慣れたら絶対に楽だよね」
無邪気な2人の会話を、やはりプリムスは黙って聞いている。
「む、いかん。先が吸い込まれているぞ」
「あっ、降りるのってどうすれば!?」
「えーっとえーっと、飛び降りちゃおう!」
ステップが平らになる前に、ピョンと跳んで床へ着地したプローデ達を見やり、鈴音は笑いを堪えるのに必死だ。
「き、気持ちが分かり過ぎて……!」
我慢し切れず声を殺してひとしきり笑い、落ち着いてからエスカレーター初体験組のもとへ向かった。
プローデとアーリアは目を輝かせて『凄い凄い』と大喜びし、ディナトも『面白かった』と満足げだったので、動かした甲斐があったなあと鈴音は笑顔だ。
「ほな引き続き、この奥がどないなってるか見に行きましょ」
「はい!楽しみです」
元気に答えるプローデを見てから少し俯いたプリムスは、無言のまま鈴音の後をついて行く。その様子を気に掛けつつ、最後に骸骨も続いた。
階段下のスペースを抜けると、駅員の詰所らしき部屋や改札らしきゲートが現れる。
空港で見掛ける金属探知機のようなゲートには、携帯端末を翳したり切符を通したり出来そうな部分が無い。
「これ、どないして運賃払てたん?」
「うん?ああ、これだよ」
問われたプリムスは、胸元から身分証である金色の板を出した。
「ここに本人に関する情報は勿論、お金も入っているから、これを読み取るだけでいいのさ」
「んんー?運賃は後払いなん?」
「いや?先払いだよ?」
「行き先も分からへんのに?」
怪訝な顔をした鈴音に言われ、成る程そういう事かとプリムスは手を叩く。
「地下鉄の運賃は一律なんだよ。隣の駅で降りようが、終点まで乗ろうが、同じなのさ」
「え、そうなん?隣の駅とかめっちゃ損やん。歩くわ」
「フフ、そういう人も多かったようだね」
楽しげに笑ってから咳払いをしたプリムスは、早く行こうとばかり鈴音へゲートを潜るよう促した。
「この先に歩廊があるから、そこから線路へ下りて、先程の緊急避難用らしき階段と繋がっているか確認しよう」
「はいはい了解。ミサイ……誘導弾とか爆弾とかの攻撃にも耐えたみたいやし、途中で崩れて埋まってるいう事もなさそうやけどね」
埋まるどころかシェルターとして使われてもよさそうな耐久性に思えるが、鈴音が見る限り人が生活していた形跡はない。
別の避難所があったのかなと思いつつ、ゲートを潜った。
通路を進んで曲がると、転落防止扉がついたプラットフォームが見えてくる。
壁や天井には花の絵が描かれており、お洒落で落ち着いた雰囲気だった。
「開通間近のまま、結局は使われる事がなかった路線なん?人が行き交いまくってましたー!みたいな雰囲気がいっこもあらへん」
鈴音の問い掛けにプリムスは幾度か頷く。
「私も詳しく覚えてはいないけれど、多分そうだと思う。戦争が始まってしまって、それどころではなくなったんだろう」
「都会から田舎への避難に使たりせんかったんやね。まあこの辺りも爆撃されてるみたいやし、避難先には向いてなかったんかな」
「そうなんだと思うよ」
鈴音とプリムスの会話を、プローデとアーリアが興味深そうに聞いている。村やその周辺が爆撃されていた事など、知らなかったようだ。
その表情を見た鈴音は、安心させるように微笑む。
「今はもう、そんな恐ろしい兵器は無いから、村が危険に晒される事はないですよ。熊ちゃんを怒らせる方がよっぽど怖いでしょ」
「熊ちゃん……。そ、そうですよね」
「熊ちゃん……!」
鈴音による鈍色熊の熊ちゃん呼びが面白かったようで、我慢出来なくなった2人は声を上げて笑った。
「ぷっ、はははは!熊にちゃん付けると怖くなくなる……!」
「あはははは!凄く可愛い生き物みたい……!」
実に楽しそうな大笑いに、『ウケた』とガッツポーズした鈴音は、機嫌良く転落防止扉へ近付く。
「えーと、さっきの階段はー……、あっちやね」
「せやな」
氷筍に残しておいた微かな魔力を感じ取り、虎吉にも確認して貰ってから鈴音は振り返った。
「さっきの階段あっちやけど、どないする?みんなで行ってみる?まだ先もありそうやったし」
「……うん、そうしよう。出来れば端から端まで、おかしな物が無いか調べておきたい」
プリムスは頷いたが、アーリアが時間を気にするそぶりを見せる。
「あ、大丈夫ですよアーリアさん。私らの移動、冗談みたいに速いんで」
「えっ、そうなんですか?」
「びっくりするよきっと」
目をぱちくりとさせたアーリアへ、悪戯っ子の顔で笑うプローデ。
本来ここを走る予定だった列車より遥かに速いはず、と心の中で付け加えた鈴音は、骸骨と視線だけで会話し、プリムスとプローデを念動力で捕まえた。




