第四十二話 女神様は結婚しています
まんまと青い光に乗ったシェーモは、その身体が光の中で浮き上がった事に驚きつつも勝ち誇った笑みを見せる。
大神殿へ飛ばしてくれるかもしれない、という部分だけを聞き取り、この場から逃げる事しか考えず動いたのだろう。
シェーモの本能的な動きが読めず不覚を取ったコラードが、血相を変えて追って来た。
そのまま、躊躇う事無く光へ突入しようとする。
それに気付いた鈴音は、空いている右腕を遮断機のように伸ばした。
「大丈夫ですよ団長さん。あの男はもう捕まってますから」
そう言って、コラードが足を止めたのを確認し腕を下ろす。
驚いて鈴音へ顔を向けていたコラードは、言葉の意味を考えながら視線をシェーモへ移した。
視界に映るのは、身体が浮いて何処へも行けず、何も起こらない事に焦り始めた愚かな男の姿だった。
「アンタさぁ……自分で神様が怒る原因作っといてやで?神様に仕える人が跪く謎の光に、よう迷わず飛び込んだよね。フツーは避ける思うねんけど」
呆れた様子の鈴音に同意しながら、全員がジタバタと藻掻くシェーモを見つめる。
「あれやなー、こういう奴が注意書きも読まんとお客様サポートにクレーム入れよるんやろなー。自分に都合のええトコだけ、自分に都合のええように勝手に解釈する奴」
全員、鈴音の発言の前半部分に関しては理解不能だったが、後半部分には思い切り頷いていた。
「ところで、この男はどうなるのです?」
神官長に尋ねられ、首を傾げた鈴音は虹男を見る。
「どうなりそう?」
鈴音に問われて虹男も首を傾げる。
「どうなるんだろう?鈴音だったらどうする?」
「私?んー……無人島送りにするかな。何も無い誰も居ない島で、英雄としてどうぞご自由に新しい国をお作り下さい、言うて」
あはは、と鈴音が笑うと同時に、光の中からシェーモの姿が消えた。
「え」
全員の目が点になり、その視線が鈴音に集中する。
「いやいや、いやいやいやいやそんな。偶然です偶然。偶ぅぅぅ然、神様がどっかへ飛ばしたんと、私の発言が重なっただけ。だけですってば。いやー偶然てコワイデスネー」
笑いながらそんな事を言っている鈴音だが、十中八九シェーモは無人島に飛ばされたと思っている。
恐らくサファイアも、木っ端微塵にすべき相手は他に居ると理解した。
けれどあの男も到底許し難いと考える。
どんな厳しい罰を与えてくれようか、と悩んでいた所へ、運の良し悪しによって生死が決まる無人島案が提示された。
耳にした瞬間、あら素敵ねそれ採用、となったのだろう。
そうでなければ、シェーモが光に飛び込んだ時点で見るも無残な死体になっていた筈だ。
「スプラッタホラー見る羽目にならんで良かった……」
胸に手を当て息をついた鈴音は、改めて神官長達を見る。
「どうやら上に乗るのがあの光の正しい使い方みたいなんで、私らも乗りましょか」
「そ、そうですな」
目の前で人一人が消えたので、流石の神官長も緊張を隠せない様子だが、それでも鈴音に頷き返して見せた。
そんな神官長の背中に、国王が声を掛ける。
「気を付けろよ」
随分と砕けた口調に、振り向いた神官長は穏やかな笑みを浮かべた。
「勿論だ。そちらも気を付けろ。まだ不埒な輩が潜んでいるやもしれん」
「そうだな。騎士団長に頑張って貰おう」
ふふ、と笑い合う二人の様子に、立場がほぼ対等以上の関係を見た鈴音は目を瞬かせて考える。
「ご学友、ご親戚、実はご兄弟?」
さあどれだ、というところまでうっかり声に出ていたようで、神官長と国王が楽しげに笑った。
「学友ですな」
「悪さをした仲間です」
「あはは、そうなんですね、失礼しました」
慌てて頭を下げる鈴音に、二人はいやいや、と手を振る。
「国王などという肩書きを持つと、腹を割って話せる相手などほぼ居りません。わたくしにとって彼は本当に貴重な存在なのです」
だからどうか無茶はさせないでくれ、鈴音には国王がそう頼んでいるように聞こえた。
「それは私にとっても同じ事。国王陛下を頼んだぞ騎士団長殿」
声を掛けられたコラードは、背筋を伸ばして敬礼する。
「向こうに何が待ってるか分かりませんけど、こっちには神の御使いがいますから、ね」
心配御無用と国王に微笑みかけて、今度こそ青い光へと向かう。
「はい、みんな行きますよー、乗って乗って」
一瞬の迷いも見せずに光の中へ入り、皆を呼び込む鈴音。
同じく躊躇せず入った虹男共々、シェーモと違って浮き上がったりはせず、光に包まれて立っている。
その姿を見て安心したのか、神官長も神官も光の中へ入って来た。
「入りましたね?よし、それでは国王様、行って参ります」
お辞儀をする鈴音と、胸に手を当てて頭を下げる二人と、笑顔で手を振る虹男。
国王が頷き、皆が顔を上げたところで、青い光が柱のように勢い良く伸び、視界が白一色に染まった。
光が消え視界が元に戻ると、そこはどこかの町外れと思しき場所だった。
神官長と神官は、周囲を見回し驚いている。
二人に異変が無い事を確認した鈴音は、道の脇にポツポツと建つ小屋を辿った先にある、巨大な都市へと視線を注ぐ。
「あれが、大神殿のある街ですか?」
鈴音の問い掛けに、我に返った神官長が頷いた。
「はい。議事堂と呼ばれる大きな建物のそばに、大神殿がこざいます。ほぼ街の中央辺りですな」
「ありがとうございます。もう一つ、大神殿で一番偉いのが、大神官様ですか?」
「はい。我々神官の頂点に立たれるお方です。現在の大神官様は、神のお声をお聞きになった事があるとか」
「え?そうなんですか?」
驚きの情報に目を見張り、確認の為に虹男を見やる。
「神様って、人に話し掛けたりするん?あー、向こう側から」
そう言って空を指す鈴音に、虹男は首を振った。
「しないよ?そんな事したら、世界中に響いてうるさいよきっと」
確かに、人を選んでコソコソと話せるなら、サファイアが無言で様々な支援を行うのはおかしい。
納得した鈴音が視線を戻すと、神官長と神官が衝撃を受け固まっている。
それはそうだろう。
虹男には嘘をつく理由などないのだから、必然的に大神官が嘘をついている事になる。
「そん……な筈は……いやしかし……」
「大神官様が……何故そんな……」
神官長も神官も、神に仕える自分達のトップが、神の声を聞いた等という嘘をつく理由が解らないようだ。
「んー、お二人にとって最悪の展開が待ってそうやなぁ。やっぱり置いてきた方が良かったかなぁ」
溜息と共に小さく小さく呟き、改めて二人に向き直る。
「お二人共、約束は覚えてはりますか?」
鈴音の声に、二人は揃って我に返った。
「は、はい。何があろうと口を挟まず、邪魔をしないと神に誓っております」
神官長の言葉に神官も頷く。
「そうです、それを絶対に守って下さい。例え信じられない物を見たとしても。では今から大神殿に……」
大神殿に向かうと宣言しかけた鈴音は、虹男が金髪のままだと今更ながら気付き慌てた。
「化けて虹男、化けて。あ!あと虎ちゃんどないしょ、こんな可愛過ぎる生き物注目の的になってまうやん」
黒髪黒目になる為に集中する虹男から、腕の中でスヤスヤ眠る虎吉へ視線を移す。
「顔が見えなければいいんじゃない?」
すっかり慣れて素早く変身完了した虹男の提案に、なるほどと頷いた鈴音はそっと虎吉に声を掛けた。
「虎ちゃん、とーらーちゃん?」
「んん?んなぁーーーんや?んむんむ」
返事と欠伸と伸びを一遍にこなした虎吉に、目尻を下げ口角を上げた鈴音がプルプルと震えている。
「か、可愛いぃぃぃ。叫びたいけど叫ばれへん辛さ……!あ、それでな虎ちゃん」
はっきりと目を覚ました虎吉に、これまでの経緯を説明した。
「そうか、神の庭の生き物がこんなトコにおったらアカンのか」
「そうやねん。ほんで、顔見えんかったらバレへんかな言うててんけど……」
語尾に被るようにして、虎吉は尻尾を体に巻き付け、頭を鈴音の脇に押し付ける。
「あ、何かの包みみたいに見えるかも」
虹男の声を聞いた虎吉はスポッと顔を上げた。
「それじゃアカンな、中はなんや見してみぃ言われたら終わりや」
尤もな指摘に困り果てる鈴音を見て、虎吉は再度大欠伸をする。
「別に一旦縄張りへ帰って、後でもっかい来てもええねんけどな、せっかくここまで退屈なん我慢して付き合うてん。おもろい事もしたいやんか。……いうわけで、別行動や」
ふんふん、と頷いていた鈴音が、最後の部分を耳にするや目玉が転げ落ちそうな勢いで目を見開き、必死に首を振った。
「虎ちゃんに何かあったらどないしょ思たら生きた心地がせぇへんし無理。絶対無理。無理無理無理!!」
虎吉が銃撃された瞬間を思い出したのか、魂の光が不安定になる鈴音。
「落ち着け鈴音。別行動言うたかて、どっかへフラフラ遊びに行くんちゃうで?お前さんのそばをチョロチョロすんねやんか。要するに、人の目に留まらんかったらええんやろ?」
そんな鈴音を宥める虎吉。
その様子を神官長達が驚いた様子で見ている。
「あの方にも弱点があったのですね……」
「そのようだな……」
二人の会話など耳に入らない鈴音は、虎吉の言葉を反芻して首を傾げた。
「目に留まらんように、私の周りをチョロチョロ?……あ、めっちゃ素早く動くいう事!?」
「はい正解。フツーの奴に俺の動きは見えへんやろ?堂々と足元通って頭の上飛び越えたるわ。うはは」
悪い顔をして笑う虎吉へ思わず頬擦りしながら、鈴音も楽しげに笑った。
「虎ちゃんかっこいー!!よし、その作戦で行こう!」
すっかり調子を取り戻した鈴音は魂の光を消し、神官長達にお辞儀する。
「お騒がせしました。今度こそ大神殿へ向かいましょう」
「はい。街に入りましたら、道案内致しますので」
「お願いします」
頷き合って、漸く広い街道を歩き出した。
「そ、そういえば、あの……。か、神はどんなお方なのですか……?」
道中、チラチラと鈴音と虹男を見ていた神官が、思い切った様子で口を開いた。
ギョッとした神官長が慌てて諭す。
「これ、神にも御使い様にも何と無礼な」
「いいよー、怒らないよそんな事で。ねっ」
笑顔で許す虹男から何故か同意を求められ、仕方無く鈴音は頷いた。
「問題無い思います。ちなみに神官さんは、どんな神様やと思てはります?」
質問返しを食らった神官は、困るどころか実に幸せそうな笑みを浮かべる。
「とてもお優しい方だと思います。神殿での治療の際に触れる御力が、本当に本当に優しいんです。熱に苦しむ者の額に触れる、少しひんやりとした手のような、寒い冬に頬や手を包んでくれる温かな手のような、そんな御力なんです」
そこまで幸せそうに話してから、はたと気付いたようで、ゆっくりと俯いて行く。
「ああでも、そんなお優しい神が失望しお怒りになるような事を……してしまったんですよね」
一人だけどんよりとした空気を纏い始めた神官に、小さく息をついた鈴音が笑い掛けた。
「女神様ですよ、あなた方の神様は」
その言葉に顔を上げた神官の表情が、みるみる明るくなって行く。
「やはり、やはりそうなのですか!」
「はい。でも神官さんの想像やと、優しいお母さんみたいな感じですが、実際はもうビッッックリするぐらいの美女です」
「ええ!?そそそそうなのですね」
「けど旦那さん居てはりますから期待したら駄目です」
「めめめ滅相も無い!!そんなつもりは微塵も……え、旦那さん?神の伴侶ということは……神?」
ポカンとした神官が、神官長を見やる。
目が合った神官長もまた同じような顔で、瞬きを繰り返していた。
「うーん、何やそんな気はしとったけど、サファイア様が唯一神や思われてる?」
妻が褒められてご機嫌さんな虹男は、特に気にした様子も無く頷く。
「そうなんじゃない?いいよ別になんでも」
妻と動物以外に興味の無い虹男らしい返事に、鈴音は呆れたような感心したような笑みを浮かべた。
「ま、うっかり虹男の正体なんか明かしたら、この二人の心臓が持たへんやろし黙っとくわ」
そう言って二人の顔の前で手を振り、意識を呼び戻す。
「あの、旦那さんも神様ですけど、この世界に深く関わっとるわけやないので、気にせんでええみたいですよ」
鈴音の説明に小さく頷いた二人は、心臓の辺りを押さえて遠い目をする。
大神官の嘘に続いて、神がもう一柱居るという衝撃の事実。
「まだ街に着いてもおらぬうちから……これでは身が持たない」
「これ以上の驚きは無いと思いたいです……」
鈴音の気遣いも虚しく、既に二人は相当なダメージを受けているようだ。
大丈夫かな、と心配している間に街へ足を踏み入れていた。
「ほな、適当にチョロチョロしとくわ」
人影が見え始めたので、虎吉が腕から飛び降り、鈴音の目の届く範囲で動き回って遊んでいる。
「気を付けてね虎ちゃん。間違うて人蹴り飛ばさんように。ほな神官長様、道案内お願いします」
呼び掛けられて顔を上げた神官長が、慌てて頷いた。
「お任せ下さい。こちらです」
神官長と神官が急いで前へ回り、鈴音と虹男がその後ろに続く。
虎吉は道を高速移動したり屋根に飛び乗ったりと、好き放題動き回っていた。




