第四百十三話 おばちゃんとお喋りしよう
宿の部屋へ戻ると、首を傾げたプリムスが視界に入る。
「一瞬消えて、すぐにまた現れた。この、ほんの少し消えている間に、女神様のおそばへ行っていたという事かね?」
物凄く不思議そうな様子に、そんな反応になるよねと思いつつ鈴音は頷いた。
「そういう事やねん。神様の世界の常識とこっちの常識はちゃうから、説明してくれ言われても無理なんが申し訳ないけど」
「成る程……ふーむ……魔法の鞄の原理……いや違う……区切られていない空間を平面的に……では時間経過は……」
「あ、何や変なスイッチ押してしもたっぽい」
鈴音に負けず劣らずの独り言を呟き始めたプリムスに、虎吉が笑い骸骨は肩を揺らす。
「好きなだけ考えさしたったらええがな。考えた上で、分からへん、いうんもまた答えや」
「そっか。知識欲の塊に、気にするな考えても無駄や、言う方が無駄なんやね」
納得した鈴音は取り敢えずプリムスを放っておく事にして、椅子に腰を下ろしディナトの手元を見た。
ダイヤのような宝石を抱かせたパーツが後ひとつ、細いチェーンにくっつけば完成である。小さな金具を宝石パーツの穴とチェーンとに通し、外れないようペンチで隙間を閉じるだけだ。
しかしその簡単な作業も、ディナトの大きな手と強過ぎる力でやろうとすると、難易度が一気に跳ね上がる。
ここまできてチェーンを切ったり変形させたくない為か、慎重になる、小さな金具が落ちて慌てる、どうにか呼吸を整える、という流れを繰り返すディナトを、鈴音も骸骨も辛抱強く見守った。
そのまま、プローデが迎えに来るまでに終わるかな、と心配しつつ励ますこと暫し。
6時半を回った頃、ついに最後のパーツがチェーンに付き、繊細で美しいネックレスが出来上がった。
「おお、出来たぞ」
そうっとテーブルに置いて大きく息を吐いたディナトへ、鈴音も骸骨も拍手を送る。
「綺麗ですねー、これは奥様も喜ばれますよ」
「そうか、よかった」
安心したように微笑んで、ディナトはネックレスを見えない空間へ仕舞った。
「鈴音や骸骨のお陰だ、ありがとう。プリムスも……うむ、聞こえないか」
まだブツブツ神界と人界の違いについて考えているプリムスを見て、小さく笑ったディナトは大きく伸びをする。
「この後は、食堂で朝食だったか?」
「はい。そろそろプローデさんが迎えに来てくれる筈なんで、下へ行っときましょか」
頷いた鈴音はプリムスの顔の前で手を振って思考を中断させ、皆で仲良く1階へ下りる。
既に起きて掃除をしていた女将に挨拶をし、玄関先で待つ事にした。
改めて、朝食も用意出来ずにごめんなさいねと謝る女将に、遅い時間だったんだから気にしないでと伝え、話題を変えようと鈴音はプローデの名前を出す。
「ホンマこの村の方はプローデさんを筆頭に、ええ人ばっかりですね。あ、そうやない人も若干名おるらしいですけど」
冗談めかして笑った鈴音へ、箒を動かす手を止め女将は大きく頷いた。
「そうなのよねぇ。なぁんでこんな田舎で育って、あんな風になっちゃうんだか。お嬢様にも困ったもんよ。親も甘やかし過ぎよねぇ」
「あー、子供の頃プローデさんに助けて貰たのに、お礼も言わんかったらしいですね?」
お喋りしたそうな女将へ水を向けてみると、狙い通りの反応が返ってくる。
「お礼言わないどころか、『なに余計な事してんのよ!アンタのせいで台無しよ!』って言ったのよ、怪我してるあの子に向かって」
「ん?余計で台無し?えーとプローデさんは確か、誰かを助ける為に、熊を自分へ引き付ける囮になったんですよね?」
顎に手をやり首を傾げる鈴音へ、女将は手で何かを招くようなオバチャン特有の仕草をした。
「そう!当時10歳のお嬢様が、1人で山の鈍色熊が出る区域に入ってった、って取り巻きの子達が教えに来てね。村長と、寄宿舎から里帰り中だった坊っちゃんが、大慌てで村中に助けを求めたのよ。それで大人達は勿論、子供だけどすばしっこさじゃ村一番のプローデや、動物や魔物の気配を察知するのが得意なアーリアも加わって、大捜索になってね」
「アーリア?」
「あらやだ、肉屋の看板娘よ。プローデの2つ年下の。今じゃ自分で獲物を仕留めてくる腕利きでね」
「へぇー、その子も含めみんなで一緒に山を捜索した結果、熊に襲われかけてるお嬢様を見つけた?」
「そうそう、坊っちゃんとプローデが、鈍色熊の近くで動けなくなってるお嬢様を見つけたのよ。ただ、鈍色熊はこっちが刺激しない限り滅多に襲ってはこないから、坊っちゃんが大人達に手で合図して、お嬢様にもそーっとこっちへ来いって言ったらしいんだけど」
そこで女将は顔を顰めて溜息を吐いた。
「お嬢様が『リッコ様は!?』って大声出したらしくてねぇ」
「リッコさま」
「あ、坊っちゃんの学友で、村長の屋敷に泊りがけで遊びに来てたお金持ちの息子さんよ。お嬢様ってばこの、5つ上の都会的なお兄さんにメロメロだったみたいで。『リッコ様が迎えに来てくれなきゃ帰らない!』って喚いたそうなのよ」
「うわー、喚いたりしたら熊が」
「そう!当然ビックリして興奮状態よ。キーキーうるさい小娘に攻撃しようとするわよね。そこでプローデが咄嗟に、もっと大きな声で叫んで鈍色熊の気を引いたんですって!」
村の大人達が怯む中、こっちだと大声を出しながらお嬢様とは反対の方へ走るプローデ。
鈍色熊は目標を喧しい少年に変え、誘われるまま山の奥へと追って行く。
騒ぐお嬢様を保護し坊っちゃんと共に帰らせ、山奥へ向かおうとした大人達のもとへ、程なくしてプローデは戻ってきた。
左頬に出来た恐ろしい引っ掻き傷から、沢山の血を流しながら。
「男達が運んできたプローデを見て、私達も動転しちゃってねぇ。こんな田舎の村に薬師なんていないし、街まで連れて行こうかどうしようかって騒いでる間に、アーリアが山で取ってきたっていう葉っぱをすり潰して傷の手当てしてたわよ。血止めと消毒になるから、痛いけど我慢ねとか言って。プローデも素直に頷いて我慢して。なんだかもう、子供の方が肝っ玉が据わってるっていうか、私達ってダメねえって感じよ」
話を聞きながら、きっとそのアーリアがプローデの想い人だな、と考えた鈴音は、同じように思ったらしい骸骨やプリムスと頷き合う。
「そんな風に頑張ったプローデさんへ、憧れのお兄さんに構て貰われへんかった、いう八つ当たりでお嬢様は暴言吐きよったんですか」
「その通りよ。お嬢様の中では、山で危ない目に遭ってる自分を、憧れの彼がおとぎ話の英雄みたいに助けてくれる予定だったらしいわ。お客として来てる都会っ子に、山狩りなんかさせる訳ないのに」
「ははぁー……、成る程ねぇー」
まあ、女児が考えそうなストーリーではある。謎の全能感に身を任せ、無茶をやらかすのも子供だ。しかし。
「それを聞いて彼女の親は、村長は何してたんですか?キツぅに叱らんかったんですか。何も分からん幼児ちゃうのに。下手したら、本人含め誰か死んでもおかしなかったですよね」
やってしまった事はもうどうしようもない。だからこそ二度と同じ事をしないように、自分が一体何を仕出かしたのか、きっちり理解させなければならない。それが親の役割だ。
「はぁー、そこよねぇー。村長も奥様も、叱るには叱ったみたいだけど、無事でよかったって方が大きかったみたいよ?現場を見てた坊っちゃんはプローデへ直接謝罪に来てたけど、村長夫妻は村人全員集めてお礼言って終わりだったからねぇ」
幾度も頷く女将もまた、言いたい事は鈴音と同じなのだろう。
「その甘っちょろさが、傲慢な小娘を作り上げてるんちゃいますのん。未だにプローデさんを侮辱してる事に関しては?なんぞ言い訳してるんですか?」
「私が聞いたのは『年頃の娘だから、気持ちが落ち着かない日もあって、心にもない事を言ってしまう場合もあるだろう、赦してやっておくれ年頃の娘だから』だったかしらねー?とにかく年頃の娘を繰り返してたわ。もうとっくに落ち着くお年頃でしょうよ!って私達の間じゃ笑い草だけどね」
井戸端会議で、そんな事を言っているから行き遅れるんだ、等と笑われているのかもしれない。
「あー、あれですね、親子揃てダメダメですね」
「でしょう?甘やかし続ける親と、いい大人になってんのに言っていい事と悪い事の区別もつかない娘。どっちもどっちよねぇ」
呆れ笑いの女将に同意し、やはり親にもプローデがどれほど傷付いたのか思い知らせる必要がある、とプリムスを見やった。プリムスは、当然だというように頷きつつ口を開く。
「そんな風に甘い親と傲慢な娘なら、村内で行き遅れと笑われているのは悔しくて仕方がないだろうね?」
「そりゃそうよ。だから今回捕まえた男をどうにかモノにしようってんで、親子揃って必死なんじゃない?お嬢様お望みの、都会のお金持ちだし。でも私なんかからすると、どうにもあの男、胡散臭く見えるんだけど……僻みかしらねぇ」
頬に手を当て顔を顰める女将の勘に、プリムスは興味を示した。
「どの辺りが胡散臭いのかね?」
「それが、大店の主人だって言う割に、着てる物はともかく靴の底がやたらと減ってるのよ。私ら田舎者を下に見てる感じもするし。何を扱ってる店だか知らないけど、いつ誰が大金持ちになって上客になるか分かんないんだから、外では愛想良くしとくのが商人の鉄則だと思わない?もしかして、お貴族様専用の店なのかねぇ?うーん、でもそれだと靴が……」
困り顔で唸る女将の意見は、プリムスを大層喜ばせた。
「素晴らしい。そりゃあ世界は広いし国によっても違いはあるけれど、確かにやり手の商人の多くが身なりを気にするし、礼儀正しい傾向にあるね。少なくとも、対面した相手が『見下されている』等と感じるようなマネはしない。それで面倒な事になったら損するのは自分だもの」
「やっぱりそうでしょ?そうだよねぇ」
我が意を得たりと嬉しそうな女将に、プリムスは頷いてみせる。
「だから、その男はやはり怪しい。でも村長親子をギャフンと言わせるには丁度いい」
「うわー、悪い顔してそうやな今」
「ホントだ、不思議と分かるもんだねぇ」
ニヤリと口角を上げていそうなプリムスの様子に、鈴音と女将は顔を見合わせて笑った。
そこへ、朝日に照らされた道の向こうから、大きく手を振りつつプローデがやって来る。
「おはようございます!お待たせしてすみません」
元気な挨拶にディナトが微笑んだ。
「おはよう。我々は今しがた下りてきた所だ、気にする必要はない」
鈴音とプリムスも挨拶を返し骸骨共々頷くと、プローデはホッとしたような笑顔になる。
「ありがとうございます。それじゃあ早速ですけど、食堂で朝ごはんにしましょうか」
「あ、プローデ、私が礼を言ってたって伝えておくれ。お客さんを腹ペコで放り出さなくて済んで、本当に助かったって」
女将が朝食を用意してくれた食堂に感謝すると、『任せといて』とプローデが頷いた。
「私らこそ、遅い時間に来たのに泊めて貰えて助かりました」
女将に礼を言った鈴音達は、見送ってくれる姿に何度か振り返ってお辞儀しつつ、宿を後にする。
食堂では、朝採れ野菜のサラダや産みたて卵のオムレツ、むっちり食べごたえのあるパンと、店主自慢のソーセージに瑞々しい果物など、急遽作ってくれたとは思えぬご馳走でもてなされた。
その美味しさは、鈴音がソーセージをひとくちサイズに切っては皿の端に置き、女将やプローデの目を盗んで骸骨が素早く食べる、という連係プレーが生まれる程だ。
「あー、美味し。朝から食べ過ぎてまうわ」
「鈴音、腸詰めもうないか」
「あるよー」
「このパンと玉子料理がよく合うな」
「美味しいとか合うでは分からないじゃないか、味を教えたまえ味を。想像するから」
美味しい笑顔と賑やかなやり取りを楽しげに見ていたプローデが、『あっ』と声を上げて皆の視線を集める。
「わあ、すみません。あの、お肉屋さんが開くのはお昼前です、って伝え忘れてたのを思い出して」
慌てるプローデに鈴音は微笑んだ。
「そうなんですね、ほなそれまでは村を見て回ろかな?」
「あ、じゃあ案内を……、や、でも狩りが……」
「狩り?プローデさんがお肉とってきてくれるんですか?」
鈴音に尋ねられ、ハッとしたプローデが頷く。
「昨日、家に帰る途中お肉屋さんに会えたので、僕の知り合いが槍角鹿の肉を買いに来たよって教えたんです。そしたら、新鮮な肉を味わって欲しいから朝のうちに山に入るって言うんで、手伝う約束をしまして」
「それはありがたいなぁ。大物を楽しみにしときますね。村の中は、皆さんに声掛けながらのんびり見して貰うんで、私らだけで平気ですよ」
狩りという名のデートかな、と自分で獲物を仕留めるらしい看板娘を想像して鈴音達はニコニコだ。
「そ、そうですか?じゃあ、頑張って大きい槍角鹿をとってきますね!」
嬉しそうに気合を入れたプローデに皆で頷き、和やかに朝食を終えた。
昼前に村の真ん中にある時計塔で落ち合う約束をして、プローデとは一旦お別れ。
軽やかに走って行く姿を見送ってから、今この時間がチャンスだよね、と鈴音達は視線を交わした。
「どないする?村長ん家殴り込む?」
「そうだね、暴力を伴わない殴り込みをしようじゃないか」
まさか同意されるとは思わず、鈴音が目をぱちくりとさせる。
それを見たプリムスは腕組みをし、いかにも悪い笑みを浮かべていそうな雰囲気を作った。
「それにはキミに化けて貰う必要がある。アルティエーレで見たような、流行を取り入れた貴婦人風の服を着て、ばっちり化粧してくれるかね」
「ええけど、侍女やのうて貴婦人?」
「王族に仕える者は侍女でも位が高いのだよ。伯爵家のご令嬢あたりを意識して化けてくれたまえ」
「そんなん見た事ないがな。侯爵の娘さんと子爵の娘さんなら会うた事あるけど」
「その間だね!ちょうど真ん中!」
「中々の武闘派やったけどそれは」
「忘れよう!というかキミの周囲は血の気が多いね!?武闘派の侯爵家ご息女ってどんなだ」
愕然とするプリムスに笑いながら、皆で取り敢えず人目が避けられそうな木陰へ移動。
「王族に仕える侍女いう事は、ディナト様も巻き込むんかー。もうフィアンマの宝飾品が出来上がるまで一旦お帰り頂ける状況やのに、申し訳……」
「構わない。私も腹が立っている。このまま帰っては気になって仕方がないと思うから、役に立てるのなら本望だ」
謝る鈴音を遮って、ディナトは厳しい顔をする。
暫く一緒に過ごした事でプローデの性格を知り、肩入れしたくなったらしい。
「ありがとうございます。ほな、みんなで殴り込みましょか」
「暴力は抜きでね!」
すかさずツッコむプリムスに笑って頷き、鈴音は大きな木に隠れて美しき伯爵令嬢へ変身した。




