第四百五話 旅の前の買い出し
応接室のソファに座った鈴音達は、プローデが現実逃避しないよう細心の注意を払いながら、競りの結果について説明中だ。
鉱山産の魔物だけで大金貨300枚を超えた事、変異種の流血樹が大金貨1605枚に化けた事。
話の中に数字が出るたび『はい鼻から息吸うてー、口から吐いてー』と鈴音が深呼吸を促し、骸骨が背中をさすった。
それでも、今までの生活なら一生かかっても稼げない額が自分の物になると知り、プローデの顔は青褪め引き攣っている。
庶民な鈴音と骸骨は、嫌という程気持ちが分かるだけにどう声を掛けていいか分からないし、神であるディナトや虎吉は反対に全く気持ちが分からず、声の掛けようがない。
そんな緊張と戸惑いに満ちた空気を吹っ飛ばしたのは、自身の肩書きがもたらす効果を誰よりも知っているプリムスだ。
「いいかねプローデ君。キミ、伝説の大賢者と仲良くなった上に、女神様に剣士として選ばれているのだよ?これ以上の驚きがあるのかね?」
「あっ……」
目をぱちくりとさせたプローデへ、プリムスは更にもうひと押し。
「私からすれば、英雄にさえ抜けなかった剣を引き抜き、それを光らせて見せたキミの方が、よっぽど驚きの存在なのだけれどね」
肩をすくめるプリムスを見て、眉を下げたプローデが笑う。
「本当ですね、改めてそう言われてみると、僕……とんでもないですね?」
「その通りさ。たかだか2000枚少々の大金貨を手にしたくらいで、現実から逃げている場合ではないのだよ。女神様の御用が何なのか調べなければならないし、大好きな恋人に結婚も申し込まなくてはならないのに」
やれやれ、というように首を振られ、プローデの頬が赤くなった。
「おー、流石は大賢者様。これで担当の人が金貨ジャラジャラいわしながら来ても、もう大丈夫そう」
「おう、鈴音の方が変な汗掻きそうやな」
ツッコむ虎吉の頬をムニムニ揉みつつ鈴音が笑い、プリムスは得意げに胸を張る。
「そう!私が!大賢者様!」
「ぶふふ、骸骨さんと間違われたん根に持ってる。あ、それよりあんた、生前は物凄い大金持ちやった?それか生まれが豪商の家とか?」
鈴音の問い掛けにプリムスは首を傾げた。
「よく分かったね?生家が手広く商売をしていたよ」
「やっぱりか。商人やのうて商売人言うたり、大金貨2000枚を“たかだか”言うからそうちゃうか思たわ」
「商売人……そうか、父が自身の事を『商売人だから損得でしか物を考えないのさ』なんて言っていたから、ごく自然と出てしまった」
「うん。そんな風に、商人さん本人が言わはるか、上から物言う系の人が『商売人が偉そうに』とか吐き捨てる時に使われる感じが私はするねん」
商人も商売人も意味は同じなのだろうが、受ける印象が違うという鈴音の意見に、言わんとする事は分かるとプリムスが頷く。
「私は商いをしていないのだから、気を付けるとするよ」
「まあ、特に気にせぇへん人の方が多い思うけどね。でも何でお父ちゃんの後継がへんかったん?本が好き過ぎて?長男ちゃうから?」
「フフ、鈴音嬢。最も根本的な部分を忘れているよ、実に簡単な事さ。私には、全く以て!これっぽっちも!商才がなかったんだね!因みに長男だよ!」
「……そうか、ゴメンな……いらん事言うて」
お手上げポーズのプリムスに、鈴音は神妙な面持ちで素直に謝った。
「待ちたまえ、真面目に受け止めてどうするのかね。大賢者と呼ばれるようになるほど、本を読んで覚える才能があったのだから良いではないかね。何故に憐れみの目を向けているのかねーッ!?」
目元を押さえる仕草でふざける鈴音と、ジタバタ暴れるプリムスを見て、楽しく笑ったプローデはすっかりリラックスモードになっている。
そこへ、タイミング良くノックの音が響いた。
「お待たせして申し訳ありません」
大きな袋が2つ載った木製の台車を押しつつ、職員が部屋へ入ってくる。
あの中に金貨がどっさり、と想像した鈴音は慌てて『金貨ちゃう金メダルや金メダル』と脳内で叫んだ。
鈴音の動揺は今のところ表に出ていないので、職員は怪訝な顔をする事もなく、2つの袋をローテーブルに載せ向かいの席に腰を下ろす。
「いやー、凄い事になりましたよ。過去最高額を大幅に更新しましたね。需要がこれでもかと高まっている所にあの巨大流血樹ですから、無理もありませんが」
興奮を隠し切れない様子の職員は、落札価格が記された明細書をそれぞれの袋の上に置き、掌で示して笑った。
「どうぞご確認下さい」
「ありがとうございます、では失礼して」
会釈して明細書の数字へ目を走らせ、鈴音もプローデも袋の口を開ける。
「うわー、まーぶしー」
「い、いっぱいだ……」
2人揃ってド迫力の輝きに圧倒され遠い目になるも、皆に手伝って貰いどうにか大量の大金貨を数え始めた。
数分後。
「ふー。きっちり明細書通りの数でした」
「こっちもです」
数を誤魔化されない為の監視役でもあった職員は、手際の良かった一行に拍手を送る。
「お疲れ様でした。これで暫くは女神様の御用に専念ですかね?」
彼もまた新聞をチェック済みのようで、先程までの真剣な表情はどこへやら、子供のように目をキラキラさせていた。
「えっ……と、そうですね。色々と、調べてみようと思います」
女神様の夢も見なければ御告げもない、とも言えず、プローデは曖昧に微笑む。
「どうかお身体にはお気を付け下さいね。大賢者様、お会い出来た事は一生の記念にします」
笑顔でプローデに会釈した職員は、骸骨へ視線を移しそう言った。
「きっ、キミもかねーーーッ!?」
「ああっ、そちらでしたか大賢者様!」
頭を抱えたプリムスを見る職員は明らかに笑っているので、恐らく受付の坊主頭氏に話を聞いた上での悪戯だ。
「伝説をからかうとか、心臓強い人やね」
感心する鈴音に虎吉と骸骨とディナトが頷き、プローデはキーキー騒ぐ大賢者様を頑張って宥めていた。
応接室から出ると、2億円相当の大金貨が入った魔法の鞄を何度となく見て、触って、と落ち着かないプローデに、見送りに出てくれた職員共々『貴重品入りなのが丸バレだ』と注意して、一行は卸売組合を後にする。
ちょうど昼時になっていたので、魔獣も入れる食堂へ向かう事にした。
食堂では各々好きな物を頼み、鈴音と虎吉は店主オススメだという肉料理を選んでいる。当然白猫の分も含めて頼み、骸骨用に肉団子のフライも頼んでおいた。
「さて、この後はちょっと買い物してから、鹿肉を買う為にプローデさんの村へ行こ思てるんですけど、ええですか?」
ローストビーフのような肉をナイフで切りつつ鈴音が尋ねると、皆は問題ないと頷く。
具沢山のサンドイッチを飲み込んだプローデは、嬉しそうな顔で胸を叩いた。
「道案内は任せて下さい」
「頼もしいー。お願いしますね」
笑顔で拝む鈴音の足を、虎吉が前足でチョイチョイと掻く。
「可愛ッ!どないしたん?」
「肉がもう無いんや」
どうやら、ローストビーフっぽい肉がお気に召したらしい。じーっと見上げられて目尻が下がりまくりの鈴音は、自身の皿から虎吉の皿に半分程を移した。
それを見ていたプローデが、鈴音が腹ペコになってしまうのではと心配して、サンドイッチを分けようとする。
すると鈴音もただ貰うのは悪いので、と肉を差し出して交換となり、2人共大金持ちなのにやる事が庶民的過ぎるとプリムスに笑われた。
昼食を終えて一行が最初に向かったのは、鈴音のリクエストで酒屋。
人前で飲み食い出来ないせいで、骸骨はまだこの世界の酒を味わえていない。そろそろ我慢の限界だろうと考え、プローデが寝ている間に飲む用の酒を仕入れに来たのである。
思った通り、店に着くなり骸骨はウッキウキで物色し始めた。
「生前はお酒好きだったんですか?」
「そうなんですよ。味にも拘ってたんで、選んで貰うと美味しいお酒が手に入るんです」
浮かれまくりの骸骨を物珍しそうに眺めるプローデに、鈴音は尤もらしい嘘を返す。美味い酒が手に入るのは事実なので、特に問題はないだろう。
暫くして5本もの瓶を抱えてきた骸骨を見やり、そこまで我慢していたのかと申し訳なくなると同時に、『欲望に正直過ぎる……!』と鈴音は笑いを堪えるのが大変だった。
次に寄ったのは、旅や探検に役立つ物を扱う道具屋だ。
何に使うのかよく分からない物が並ぶ棚等を見回してから、鈴音はカウンターへ近付き店主に声を掛ける。
「すんません、魔法の鞄て売ってますか?」
「あるよ。見た目も何種類か揃えてある。でも高いぞ」
そう答えながら、店主はカウンターに鞄を並べた。
ポシェット型、ボディバッグ型、メッセンジャーバッグ型等々。鞄屋もびっくりの品揃えである。
「凄い、選び放題や。どれがええ?」
振り向いた鈴音に聞かれ、プリムスは周囲を見回し背後を確認してから、自らを指差し首を傾げた。
「あんた以外に誰が居んねんな。早よ選んで」
急かされるまま鈴音の横へ来るも、やっぱりプリムスには訳が分からない。
「どうして私が魔法の鞄を選ぶのかね?」
「そら自分の趣味に合う鞄の方が、持ち歩くん楽しいし」
当然の事のように言われ、最初の段階でズレてしまっていると気付いた。
「聞き方が悪かったね。何故、私に鞄を買ってやろうと思ったのか?そこが知りたいのだよ」
こう聞かれ、ようやっと鈴音も理由を言い忘れていたと気付く。
「ゴメンゴメン。あれやん、本を持ち運ぶのに、普通の鞄やったら重たなるやん。魔法の鞄やったら何冊入れても軽いまんまやろ?せやから魔法の鞄がええかな、思てん」
朝、暫く貸してくれと言っていた絵本を『仕舞う場所がないのを忘れていたよ』と残念そうに返され、その時に思い付いたのだ。
勿論、また読みたいと言われればいつでも出すが、いちいち頼むのも面倒だろう。
「そんな事……。高いのだよ?魔法の鞄」
何だかいつもの勢いがないプリムスに、遠慮という単語を知っていたのかと驚きつつ、鈴音は不敵に笑った。
「さっき何を数えたか、もう忘れたんかいな」
「あー……、そうだったね、言われてみれば」
大金持ちなのだ、何の心配もいらない。
金貨の山を思い出し幾度か頷いたプリムスは、漸く鞄を手に取り、どれにしようか悩み始めた。
「ふむ、これが一番しっくりくる」
3つ4つを取っ替え引っ替えした結果、プリムスが手にしたのはメッセンジャーバッグ型の魔法の鞄。
いかにも本や書類が沢山入りそうなデザインを選ぶあたり、らしいなと鈴音は楽しげだ。
「ほなこれ下さい」
「はいよ。大金貨10枚だね」
「え、そんなもんなん?」
そう呟いてから、ハッとして己にツッコむ。『100万円やぞ!』と。
ハイブランドのアレとかソレに比べればずっと安いが、庶民が簡単に買える代物でないのは確かだ。
値段を知って改めて、プローデは探検家として独りでやって行くため、物凄く頑張って貯金して買ったんだなあと感心する。
「……けど、機能から考えたらメッッッチャ安いな」
これも異世界ならでは、と無理矢理納得し、無限袋から大金貨を出した。
「はい確かに10枚。ありがとうよ」
店主が頷き、金貨と領収書を交換したので、もう鞄はプリムスの物だ。
「はい、これ」
鈴音は無限袋から絵本を出して渡す。
嬉しそうに受け取りさっそく鞄に仕舞うプリムスへ、鈴音は更にもう1冊、本を渡した。
「ななな何かね、これは、おおお文字がびっしり!」
文庫本の中身を見て大興奮のプリムスに笑い、店主に会釈して店を出る。
「暇な時にでも読もかなー?思て入れた本やねんけど、特に暇にならへんかってん」
鈴音の説明を聞いているのかいないのか、プリムスは文庫本に夢中だ。
「何が書かれているのだろうね?気になって仕方がないね?あああ読みたい、読みたいねえ」
「うん、完全にヤバい人やな。でももうちょい我慢やで、食料も買わなアカンから」
頬擦りしそうな勢いで文庫本を見つめる大賢者様から、どうにか食料品店の場所を聞き出しそちらへ向かう。
道中もずっと、宝物のように両手で本を持ったまま歩くプリムスを、一行は微笑ましく見守った。




