第四百四話 心の準備をしよう
ステージ上の職員が、手にしたメモを読み上げる。
「次の品はアートロ鉱山産、闇舞鳥。出品者、探検家の鈴音。氷魔法の使用により最高品質が保たれている為、大金貨10枚から始めます」
日本円にして100万前後からのスタートだが、殆どの参加者が挙手した。
そこから大金貨11枚12枚と、規定通り職員が金額を上げて行く。
普段ならこのまま静かに職員の声だけが響き、参加者は手を挙げ続けるだけ。
しかし今日は参加者達の熱量が違った。
「大金貨50枚!ウチが大金貨50枚で買う!」
まどろっこしい、とばかり斜め前に思い切り手を突き出し、恰幅の良い男性が声を張り上げる。
すると、少し離れた席に座る細身の男性が腰を浮かせ、恰幅の良い男性を睨んでから、ステージ上の職員に視線を移した。
「ならばこちらは55枚出そう!」
「へ?あの」
不測の事態に職員は狼狽えるばかり。誰も止めないので、出遅れてなるものかと慌てた他の参加者達も巻き込み、大金を使ったバトルが勃発する。
「何を勝手な!56枚!」
「60枚!」
「ええい65!」
乱れ飛ぶ数字に収拾がつかなくなる中、ひときわ大きな声が響き渡った。
「夜の自信の為に!100枚!」
どーん、と仁王立ちしているのは、精力剤で有名な薬屋の主人である。
これには男性参加者達がハッとして黙り、女性参加者達も夫の事を思ってか大人しくなった。
「あはははは……、あのプテラノドンもどき、マムシ的なあれやったんかー」
鈴音が零した乾いた笑いは、勢いに呑まれた職員が落札を宣言した事により沸き起こった、参加者達の拍手で掻き消される。
「それにしても、ついで狩りした魔物であの値段て。えらいこっちゃー……」
値上がりしているという流血樹や黒殻虫ではないのに、大金貨100枚にもなってしまった。
この調子で行くと、本命が出た時には恐らく桁が変わる。
現実感のない金額が飛び交うと予想されるが、プローデは大丈夫だろうかと鈴音は心配になった。
「凄いですね鈴音さん!最高品質だとか言ってましたよ?そりゃあ高く売れますよね。魔法使いはカッコイイなぁ」
無邪気に喜んでいるプローデを見て、余計な事を言うのはやめようと決めた鈴音は、微笑んで礼を述べ成り行きに任せる。
既に大金貨160枚は手にしている訳だし、免疫が出来ているかもしれないのだ。子供ではないのだから、心配し過ぎはよくない。
「……とか思っていた時が私にもありました。おーい、しっかり、気を確かにー」
プローデの名で出品された素材もまた、大金貨20枚、30枚といった具合で売れて行き、流血樹を残した状態で既に合計300枚強に化けていた。
最初は『ええ!?』『そんなに?』と驚いていたプローデが、途中からやけに静かになったなと思ったら、目を開けたまま意識を飛ばしていると判明。
大笑いする虎吉を抱えたまま、鈴音はプローデの顔の前で手を振っている。
「アカン、再起動待ちやわ。どないしよ、あの流血樹やともっと凄い事なるのに」
「うはははは!意識戻ったら億万長者や、魂抜けてまうんちゃうか」
「ふーむ、突如大金を手にすると人が変わったようになり、転落人生を歩み始めるなんてよく聞くけれど、彼の場合その心配はなさそうだね」
「命に別条がないなら問題はないな」
プローデの顔を順番に覗き込み、思い思いに喋る一行。骸骨も手を振ってから肩をすくめた。
「しゃあない。このままにしといて、後で心の準備さしてから、競りの結果伝える方向で行くしかないか」
鈴音の案に骸骨が頷く。
そのころ1階では、鈴音達から買い取った黒殻虫の一部が組合の名で出品され、大変な騒ぎになっていた。
参加者が口々に叫ぶ金額は、最終的に1体で大金貨50枚にまで跳ね上がり、職員は口元に浮かぶ笑みを隠し切れず困っている。
いかんいかんと言うように頬を叩いて、どうにかこうにか表情を誤魔化した職員が、まだ黒殻虫争奪戦の余韻が残る場内へ向け声を張り上げた。
「お静かにー!それでは本日最後の品です。……と言いましても、実は3体出品されておりまして。後から出された物の方が良かった、なんて事になるとややこしいので、先に全てお見せします。その後、それぞれ1体ずつ競りにかけますね」
異例の措置に参加者達がどよめく。
流血樹もまた余す事なく使い切れる魔物だし、粉々でも構わないのだから、あっちの方が良かったなんて事にはならないだろう、と不思議そうだ。
だがそれも、3体が運び込まれた途端、成る程という納得に変わる。
1体は、最近お目に掛かれていないものの、見慣れた流血樹だ。
しかし残る2体は、ベテラン商人でも初めて見る大きさだった。
切られて並べられている根から枝までを頭の中で繋ぎ、2倍程の大きさだと理解した参加者達は一斉に、どうするのが一番得か、周りがどう動きそうか、顔には出さず全力で計算し始める。
「うわー、急に静かなったやん。めっちゃ考えてるやん」
「そりゃあ損はしたくないから、懐に余裕があっても悩むだろうさ」
「どっちも確実に高値になるけど、通常種の値段によっては、変異種に行かれへん人も出るかもしらんね。こら通常種も白熱しそうやなー」
鈴音とプリムスの会話にディナトが首を傾げた。
「変異種の大きさは2倍なのだから、金額も通常種の2倍にして、先程のように叫べばいいのではないのか?」
「や、それやとアカンのですよ。みんな大きさ2倍のもんを1.5倍、最悪でも1.8倍ぐらいまでの値段で買いたいんです。それに、2倍の値段いきなり言うてまうと、何が何でも落札したい人が他にもおった場合、そっから更に吊り上がってまうんで大損になります」
「他の参加者達からの評判も悪くなるね」
「成る程そういう事か。うーむ、競りというか、商売というのは中々に難しいのだな」
力の神にこの手の知識は必要ないので、新鮮な驚きだったようだ。
そんな風にディナトも競りの難しさを理解した所で、1階ではまず通常種の争奪戦が始まった。
懐事情により、変異種のバトルには参戦出来ないと判断した参加者達が、ここで負ける訳にはいかないと目の色を変えて戦う。
もし負けても普段なら、『落札価格に色を付けて買うから、ウチの店の為に狩ってきて欲しい』と出品者へ直接依頼する事も出来た。
しかし今回の出品者達にそれは言えないと、皆揃って諦めている。
何故なら彼らは、今朝の新聞を読むまでもなく、女神様の剣士の名を知っていたから。
工房前での騒ぎは暇潰しに最適な面白情報として、昨日の内に街全体へ広まっていたのだ。
その結果、出品者は女神様の剣士プローデとその仲間では、と気付いてしまい、依頼など出来る訳がないと諦める事になった。
なので、家族の為にも店の為にも、この戦いには絶対に勝たなければならない。
それぞれがそれぞれに覚悟を決めて、1枚、また1枚と値段を上げて行く。
本当はギリギリでも、まだまだ余裕ですが何か、という涼しい顔で繰り広げられる熱い戦いを、鈴音達も手に汗握りながら見守った。
数分後。
最後に笑ったのは、いかにも百戦錬磨な老齢の商人だ。
「950枚」
このコールで相手が椅子へ崩れ落ち、彼の勝利が決まった。
拍手に手を挙げて応える商人を見ながら、鈴音とプリムスは素早く計算する。
「1700枚辺りが上限かな。できれば1500ぐらいで決着したいやんね」
「そうだね。果たして周りの体力がどこまで残っているかの読み合いだ。大店は他の素材も結構落としていたしね。変異種が2体あるというのもややこしい。1体目で突っ込むか、2体目に賭けるか。でも2体目となるともう後がないわけで。いやあ大変だね!」
野次馬根性丸出しの鈴音達が見つめる中、プローデの名で出品している変異種の競りが始まる。早速『追い詰められる前に勝負』とばかり、若い参加者がスタートの950枚から一気に1200枚まで引き上げた。
しかしこの程度は想定内なので、誰も脱落しない。
「ここから刻むと時間が掛かるからな、上げるぞ。1350枚」
別の参加者が更に引き上げ、この辺りから本格的な戦いに突入。1枚2枚と細かく刻み、1450枚を超えると脱落者が一気に増えた。
出来れば決めたい1500枚も超え、やはり資金が潤沢な、全国展開している薬屋同士の一騎打ちとなる。
「うわー、あるとこにはあるんやなぁ」
「まあ商品にして売るのは勿論、素材として他の薬屋や研究者に分けてやる事でも稼げる訳だから、出せるだけ出すだろうね」
プリムスの言う通り、両者強気に10枚ずつ上乗せして行き、互いに一歩も譲らない。
どこまでもこの調子が続くかと思われた矢先、片方が1枚ずつ刻み始めた。相手側は笑いながらそれに付き合ってやり、結局1605枚で余裕綽々の勝利。
負けた方は悔しがるかと思いきや、何故かこちらも余裕の笑みを浮かべている。
「あー、そうか。あの1枚刻み、ギリギリで相手とやり合うてたんやのうて、周りの反応見てたんや。どこが境界線か見極める為に」
勝った薬屋も気付いたらしく、『やられた!』と顔を顰めていた。
つまり。
「1604枚」
鈴音が出品した変異種は、開始早々この敗者だった筈の薬屋が一撃で落札。
「お見事。今日の勝者は彼だね」
「ホンマやね。うわー負けそう負けそう、みたいな顔して相手を気持ち良うさせといて、実は作戦でしたとか、ヌシも悪よのぅて言いたなるわ」
機会があったら真似しよう、と頷く鈴音に骸骨が肩を揺らし、プリムスはプローデの前で手を振る。
「プローデ君、終わったよ、後は組合でお金を受け取るだけさ。ほら行くよ」
中々現実へ帰って来ない事に痺れを切らし、プリムスはプローデの肩を掴んで揺さぶった。
すると漸く、パチパチと瞬きをしてプローデの表情が動く。
「ん?あれ?ここは……」
「道すがら説明してあげるから、取り敢えず行こうじゃないか。下の人々に見つかると面倒なのだよ」
「そうか、競りを見ていて……何でだろう、思い出さない方がいいような気がする」
「無視!?視界に入っていない!?こんなに目立つ私が!?酷い酷い!」
ジタバタするプリムスを見て、プローデの意識は完全に復活。
「あっ、すみません!何だか衝撃的な出来事があったみたいで、ちょっとぼんやりしてて」
「ちょっとではなかった気もするけれど、まあいいか。早く出よう」
既に階段へ通じる扉前で待っている鈴音達を小走りで追い、全員でその場を後にした。
卸売組合へ向かう途中、競りの様子を掻い摘んで説明して貰ったプローデは、他人事のように感心している。
「全部売れたんですか、それは凄いなぁ」
「どうやら分かっていない?これ、金額言っても大丈夫だと思うかね?」
呆れ気味のプリムス尋ねられ、鈴音はうーんと唸った。
「こんな道の端っこで気絶されても困るし、組合に着いてからにしよか?多分やけど別室に通される思うねん。職員さんには、心の準備が必要やから言うて待って貰てさ」
「それもそうだね、そうしよう」
外で金銭の話をして、悪党に目を付けられるのも馬鹿馬鹿しいし、とプリムスは頷く。
当事者のプローデは話が見えず、心の準備は何の為に必要なのだろうと不思議そうにしていた。
組合の立派な建物に到着すると、受付の厳つい坊主頭氏が一行に気付き、シャキンと音がしそうな勢いで立ち上がる。
「あはは、新聞読んだんですね」
愉快そうに笑う鈴音に対し、坊主頭氏は真顔で頷いた。
「女神様の剣士も凄いけど、やはり大賢者様が……。お会い出来るなんて思わないもんなぁ」
「まさかのプリムス推し」
この世界の住人にとって大賢者は、慣れ親しんだおとぎ話の主人公なので大人気だ。
踏ん反り返るプリムスに鈴音がイラッとしていると、目をぱちくりとさせた坊主頭氏が『あれ?そっちか』と呟いたのが聞こえる。
どうやら骸骨を大賢者様だと思っていたらしい。
「ムキャー!そっちとは!?どう見ても私!酷い酷い!」
「うわあ申し訳ありません大賢者様!」
駄々っ子丸出しな大賢者様に驚きつつ、坊主頭氏はひたすら謝った。
暫くして駄々っ子様が落ち着いたので、鈴音は競りの売り上げを受け取りに来たのだと伝える。
「ああ、そうだったね。まだ担当者が戻ってないから、そこの応接室で待っててくれるかい」
丁度いいではないか、と鈴音は笑顔で頷く。
「分かりました。心の準備して待っときます」
そう告げて会釈し、流石に何となく気付き始めたプローデが逃げ出さないよう全員で囲みつつ、一行は応接室へ入った。




