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第四百三話 競りを見に行こう

 宿へ戻るとちょうど夕食の提供が始まっており、食堂には宿泊客の姿がちらほら見える。

 鈴音達もこのまま夕食にしようという話になり、不死人(しなずびと)のプリムスと人前で飲食が出来ない骸骨は、先に部屋へ戻る事にした。

 骸骨に申し訳なく思いつつ、鈴音は男達を引き連れ食堂へ入る。席は決まっていないとの事なので、入ってすぐのテーブルに落ち着いた。


 プローデは女神様の剣をどうしようか悩み、ここなら安全だろうと魔法の鞄に仕舞う。テーブルに立て掛けて、もし誰かの足の上に倒れでもしたら取り返しがつかない、と考えたのだ。

「よし、これで大丈夫」

 一安心、といった様子で座るプローデを、鈴音もディナトも温かく見守っていた。鈴音など、『こんだけ気配りが出来る優しい人を傷付ける村の権力者、やっぱりどないかしてボコられへんやろか』と笑顔の下で考えていたりする。

 膝の上の虎吉も、髭がブワッと前を向いているので、似たような事を考えているのかもしれない。

 そんな和やかに見えて物騒な空気も、料理が運ばれて来た事で霧散する。


「うわ美味しそう。これ何ていうお魚ですか?」

 皿の上では、皮までこんがりバター焼きにされた白身魚が、ホカホカと湯気を立てて良い香りを漂わせていた。

 目を輝かせる鈴音と虎吉に、従業員は笑って答える。

「サモネさ。近くの川で獲れるから新鮮で美味いんだ」

「これがサモネかぁ。味わって食べますね、ありがとう」

「ごゆっくりー」

 従業員を見送り、膝から下りた虎吉の為にテーブル下にお膳を拵え、そこに皿を載せた。風の魔法で冷ましてやりながら、椅子に戻った鈴音はディナトが食べ始めるのを待ち、自身の分を口に運ぶ。


「いただきます。……んー、んま。名前も似てるけど味も鮭っぽい」

 鈴音の呟きが聞こえたプローデが、『さけ?』と首を傾げた。

「故郷の島で取れる魚です。よう似てるなぁ思て」

「へぇー!僕の村は川魚も取れなくはないですけど、やっぱり肉が基本なので、味比べは出来ないなぁ。島だと魚は沢山取れますか?」

「そらもう、生で食べられるぐらい新鮮なんが、ドッサリ取れますよ」

「ええー?生で食べるんですか?お腹が心配です」

 プローデと一緒に驚きかけたディナトだったが、鈴音と同郷という設定を思い出しどうにか堪える。

「ふふ、生でも大丈夫なんとアカンのがあるんで、そこは職人さんにお任せして、私らは安全なんを頂くんです」

「へぇー。怖いけど、ちょっと興味は湧きますね」

 ほのぼのとした会話を聞きながら、ディナトは『魚に火を通さないとは、鈴音の故郷は食文化が発展していないのか』と気の毒に思っていた。生肉を食べる地域もある、等と教えたら誤解が更に進みそうだ。



 皆で美味しく料理を平らげ、もし余裕があればと従業員に頼んで白猫の分を大皿に貰い、お礼に金貨を渡しておく。

 思わぬ臨時収入で笑顔満開の従業員に見送られながら、一行は部屋へ戻った。

 さあアクセサリー作りの再開だ、とディナトは気合十分だが、デザインを出し尽くしてしまったプリムスは暇そうである。

 食事も睡眠も不要なので、このままでは只々ディナトの悪戦苦闘っぷりを眺めているしかない。

 何か暇潰しになるような物はないかと考え、鈴音はいい事を思い付いた。


「えーと、川へ洗濯、山へ柴刈り……」

 脳内で物語をしっかり思い出し、子供の頃に読んだ物をイメージする。

 フルカラー、厚手の丈夫な紙、そして何より日本語。

 きっちりと頭の中で再現し、掌に魔力を集中させた。


「……よし、取り敢えず見た目は上手い事いった。中身はどうやろか」

 膝に乗せた虎吉の前にそれを広げれば、顔をこちらへ向けたプリムスが凝視していると分かる。

「キミ、それは何かね?」

「おっ、桃太郎やな」

「もも……何かね?」

「ちゃんと出来てるっぽいね」

「何……」

「うはは、犬が犬神さんによう似とる」

「あれ?子供の頃の記憶引っ張り出したのになー」

「鈴音嬢!?それは何かねーーーッ!?」

 興奮し過ぎたのか、ホラーが苦手な人なら心臓が止まりそうな勢いで、カクカクカクカク不気味に迫るプリムス。

「あはは、ごめんごめん。絵本いうて、私の住んでる世界にある子供向けの本。これで幼児が言葉とか字ぃとか覚えんねん。暇潰しにどうかな思て。はい、どうぞ」

 笑った鈴音が桃太郎の絵本を差し出すと、どうにかこうにか魔力を調整し動きを戻したプリムスが、手を震わせながら受け取る。


「ありがとう!……ほ、ほほぉぉぉ……!」

 表紙、背表紙、裏表紙、と確かめて感嘆の声を零し、そうっと本を開いた。

「ほぁッ!なんと!読めない……!」

 日本語表記なので当然である。

 意地悪をした訳ではない、と説明しかけた鈴音だが、全く以て心配無用だった。

「読めない、読めないぞ、この私が!素晴らしい!未知の文字!未知の物語!くうぅぅぅ……ッ!」

 絵本を掲げ、未知との出会いに狂喜している。

「あー……、知識欲の塊と書いてヘンタイと読むんやね」

 猫達から、急に鼻を引っ付けてスースーしてくるヘンタイ、と思われている鈴音からヘンタイ呼ばわりされてもまるで気にせず、プリムスは早速絵本に目を通す。

「字は全く読めないが……成る程、絵があるお陰で物語は何となく分かる。しかし、尻を連想させる物体から人が生まれる世界とは、男女が存在する意味はどこに……?」

「げ。何か変な誤解生んだ」

「うはは!そらそないなるやろ」

 話のチョイスを間違えた、と思ったものの、鈴音が覚えている限り、荒唐無稽でない昔話などひとつも存在しなかった。



 その後の鈴音は大忙し。

「鈴音嬢、字の読み方を教えてくれたまえ」

「ぬぉ、すまん鈴音、壊した」

「ひらがな、かたかな、かんじ?ほほぅほほぅ」

「いかん、おかしな所が曲がった」

「読める……読めるぞ!」

「あっ、しまった」

 ディナトが破壊神にジョブチェンジしかけたり、プリムスが天空の城に辿り着いた大佐みたいになったりする中、鈴音はせっせとお世話を続けた。

 勿論、虎吉を捏ねる事も忘れない。

 そこへ控え目なノックの音が響き、骸骨が顔を覗かせる。


「あれ?もしかして、そっちは終わった?」

 頷く骸骨から窓へ視線を移すと、向かいの宿の灯りは消えていた。すっかり夜が更けていたらしい。

「ディナト様、今日はここまでにしましょう。細かい作業で目ぇも指先も疲れたでしょうし、休んで下さい。続きはまた明日いう事で」

 鈴音に言われ顔を上げたディナトは、頷いて何度か瞬きを繰り返す。

「確かに疲れたな。大人しく休むとしよう」

「はい。明日は競りの結果を聞きに卸売組合へ行かなあきませんし、その後はプローデさんの村に出発かな?忙しなりますよー」

「分かった。朝の迎えを頼む」

「承りました。ほな……、て、プリムス?あんたも部屋に帰らな」

 絵本とにらめっこなプリムスに声を掛けると、ハッと我に返った様子で辺りを見回している。

「ああ、すまないね。すっかり夢中になっていた」

 知識欲が満たされる喜びに、時間を忘れていたようだ。

「このまま貸しておいて貰えると……」

「勿論。その為に作ったんやし」

「おお!ありがとう!ところで、どんぶらことは何を意味するのかね?お供は魔獣かね?」

「あ、やっぱりそこ気になるかー」

 そんな会話をしながら、ディナトに挨拶して各々の部屋へ戻る。

 部屋では、鈴音が朝食の際に買っておいたチーズフライを無限袋から出し、骸骨もやっと肉以外の物を味わう事が出来た。



 さて翌朝。

 宿の食堂には、デニッシュのような食感の甘いパンと、カフェラテのような甘い飲み物という朝食の、甘い甘い香りが漂っている。

 因みに宿泊客全員同じメニューだが、魔獣扱いの虎吉だけは焼いた肉の塊が提供され、『ここはええ宿やな』とご満悦だ。

 虎吉の美味しい笑顔に目尻を下げつつ、昼までの時間をどう潰そうか、と鈴音は思考を巡らせる。

 一番簡単なのは観光だが、すっかり噂が広まった街でプローデが目立ってしまいそうなのが問題だ。

 何しろ今朝の新聞の一面にデカデカと、“女神様の剣士誕生!その名はプローデ!顔に傷を持つ心優しき男!”などと書かれてしまった。

 ご丁寧に、“同行していた始まりの不死人(しなずびと)、大賢者サペーレが認める!”とも書いてある。

 そのお陰で先程から、他の宿泊客達にチラチラと見られているのだ。


「ふーむ、私と骸骨は部屋で待機すべきだったか」

 いちいち部屋まで呼びに戻るのは面倒だろうと、プリムスと骸骨も同席した結果、誰がどう見ても噂の剣士御一行様になってしまった。

 失敗だと反省したプリムスに、鈴音は気にするなと首を振る。

「いや、プローデさん1人やったとしても注目はされるよ。しゃあないしゃあない」

 昨日フェッロ親方の工房へ行く途中、擦れ違う人々の視線を集めたのがその証拠だ。寧ろこのくらいの遠慮がちな視線なら、プローデが慣れるのに丁度いいかもしれない。

 プローデ本人もそう考えたようで、強張りがちではあるものの微笑んでいる。

「女神様の剣士なんて聞いたら、そりゃ気になっちゃいますよね。やっぱり恥ずかしいのは恥ずかしいですけど、離れた所から見られるくらいは平気にならないと」

 そう言ってぎこちない動きでカップを傾ける様子に、『健気だな』と皆は目を細めた。

 鈴音も『頑張り屋やな』と感心しつつ、肉を食べ終え膝に上ってきた虎吉を撫で、顎に手をやる。


「さっきから考えとったんですけど。普通の人は、女神様と大賢者いう単語にビビり倒して、今みたいに遠巻きに見るだけや思うんですよ。それが観光地に行くと、“旅の恥は掻き捨て”やないですけど、距離感おかしなる人が出る思うんですよね」

「旅の恥は掻き捨て?おお、島のことわざかね?成る程、そんな輩はよく見かけるね。上手いこと言うものだ」

 感心するプリムスに笑って頷き、鈴音は続けた。

「いずれはそんなんも捌けるようになるやろけど、今はまだ刺激が強過ぎるんで、観光地は避けて通りたい。となると、昼まで何しよかなぁ……て」

 うーんと唸る鈴音を見やり、プリムスがポンと手を叩く。

「ならいっそ、競りを見に行くのはどうかね」

「え、あれってホンマに見られんの?昨日はゲス野郎ら黙らす為にテキトーに言うてんけど」

 プローデは単独で流血樹を狩れる、疑うなら卸売組合の競りを見に行け、と啖呵を切ったのは鈴音だ。

 それを覚えているプリムスは笑った。


「見られるのだよ本当に。流石に近くへは行けないけれど、2階辺りに見学出来る空間があった筈さ」

「へぇー!あ、でもそれこそ観光客でいっぱいになってへんかな?」

 鈴音が想像したのは日本に於けるマグロの競りだ。

 しかしプリムスは心配ないと首を振る。

「競りといっても凡その相場は決まっているから、粛々と進んで何の面白みもないのだよ。卸売組合はどこにでもあるしね。まあ、昨日のキミの発言で気になった者も居たかもしれないが、剣が光った事や大賢者が現れた事で、綺麗に忘れてしまったと思うよ」

 それを聞いて安心すると同時に、微妙な表情になる鈴音。

「プローデさんが人に囲まれる心配はないんやね。けど、何の面白みもないもん見てもなぁ……」

「ふふん。面白くないのは普段通りだった場合の話さ。今日の競りには、普段お目に掛かれない貴重な素材が、これでもかと大量に出品されるのでは?」

 言われてみれば、と鈴音も皆も納得する。

「さあ、商売人の本気を見に行こう」

 人の姿をしていれば、ニヤリと悪い笑みを浮かべているだろうプリムスに、鈴音も悪ガキのような笑みで応えた。




 宿を後にして、プリムスの案内で街を行くこと暫し。道の先に劇場のような箱型の2階建てが見えてきた。

 もう競りは始まっているのか、外に人の姿はない。

 プリムスは躊躇なく入口を潜り、管理人室のような所で中の人物と話しだす。

 そして直ぐに、入口前で待つ鈴音達を手招きした。

「みんな、身分証を見せてくれるかい?今日も当然見学者なんて居ないから、歓迎してくれるそうだよ」

 管理人室へ近付いた鈴音達が言われた通り身分証を提示すると、『競りの邪魔にならないよう静かに見てね』という注意だけ受けて入場を許可される。

 こんな簡単でいいのかと心配になりつつ、プリムスに続いて2階への階段を上った。



 扉を開けて中へ入ると、そこはベランダのようなスペースになっており、柵のそばには見学者用の椅子が並んでいる。

 1階からは淡々と素材名を読み上げる声だけが響き、果たして参加者は居るのかと不安になる静けさだった。

 どうなっているのだろう、と興味が湧いた一行は静かに柵へ近寄り、階下を覗いてみる。

 すると、本当に劇場のステージのようになっている広い場所で、キャスター付きの台に載せられた素材が組合職員によって紹介されていた。

 驚くべきはステージの向かい、階段状に設置された200席はあろうかという椅子だ。なんと、全て埋まっていた上に、立ち見まで居たのである。

 そんな大人数が恐ろしく静かなのは、プリムスが教えてくれたように相場も買い手も普段通り、何の変化もない状態だからだろう。

 そして何より、参加者が金額を叫ぶ競りではなく、職員が読み上げた額に挙手で応える競りなのが大きい。


 これはこのまま見ていても退屈だろうな、と鈴音達が半眼になった時、新たに運び込まれた素材を前に参加者達がどよめいた。

 何事かとステージを見てみれば、鈴音が夜の鉱山で狩った空飛ぶ魔物が、解体もされずそのまま出品されている。

 プリムスによれば、骨まで余す事なく使える魔物なので、そのまま競りにかけるのが普通らしい。

「ほなそれなりにええ値段で売れそうやね」

 そうコソコソ囁いた鈴音は知らなかった。

 職人にしろ商人にしろ薬師にしろ、魔物素材を使った商品を扱う者達は本当に、本当に本当に物凄く、鉱山産の魔物の出品を待ち焦がれていたのだという事を。

 先程のどよめきは驚きではなく、やっと来たという歓喜と、絶対に落とすというやる気が漏れ出てしまったものだという事を。

 本気が見られるのは流血樹と黒殻虫の争奪戦だろう、と呑気に構える一行は、参加者の目の色が既に変わっている事に、まだ気付いていなかった。

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