第四十話 すっっっごい怒ってるよ?
呆れ顔をした鈴音の指摘を、エーデラは鼻で笑う。
「わたくしは王女なのだから、問題ないわ。どのみち国王などという立場はなくなるのだし、細かい事にこだわるだけ無駄というもの」
つまらないプライドの為に秘密の暴露を行ってしまったエーデラへ、その場に居る者達は困惑を隠せない。
唯一、国王だけが、先程までとは違った色の悲しみをその目に滲ませていた。
ふんぞり返り醜い笑みを浮かべるエーデラの中に、幼い頃の可愛らしい姿でも探したのか、どこか懐かしそうな寂しそうな表情をする。
暫しそうして見つめた後ゆっくりと目を閉じ、ひと呼吸置いて再び目を開いた時、そこに娘を思う父はもう居なかった。
虹男へ深々と礼をしてから立ち上がり、兵士達に命じる。
「近衛兵。あの者を捕らえよ。逆賊である」
静かな、けれどよく通る国王の声に反応した兵士達は、その視線の先に居る人物を確認するや一斉に抜剣して走る。
複数の兵に取り囲まれ剣を突き付けられたエーデラは、何が起きたのか解らなかったのだろう、正に鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
「な、な、なんの真似ですの!?下がりなさい無礼者!!」
二、三度瞬きして漸く事態を把握したエーデラが喚いても、兵士達は眉一つ動かさない。
「お父様!!」
ヒステリックな声を上げながら国王を見たエーデラは、生まれて初めて見る冷たく鋭い視線に射抜かれ、たじろいだ。
「父と呼べば余が甘い顔をすると……そう思うのか。余を愚者と呼び、亡きものにしようとする者を許すと」
感情が全く読めない顔と声、そして全身から溢れ出る威圧感。
これが絶対王政のトップか、と現代日本人の鈴音は小さな感動を覚えた。
さっきまで泣いていた憐れな父親は、言語道断な娘の行いを知り消滅したらしい。
その事実に気付かないのは、自らの言動が何を意味するのか理解していないエーデラだけだった。
「亡きものだなんて、とんでもない!!ただその座から退いていただくだけですわ!!」
「廃位の憂き目にあった君主が生かされた例など、余の記憶には無い。簒奪者どもが新たなる支配者であると国民に認めさせるには、皆の前で国王を処刑するのが最も解り易いのだから当然の事であろう」
単純明快だ、と皮肉な笑みを浮かべる国王に、鈴音は大きく頷く。
「確かにねぇ。生かしとっても火種にしかならんし。新しい政権に不満が出たら、元の王様担ぎ出して権力奪い返そうて考える奴もおるよねぇ。それでいくと、王様に連なる血も邪魔やな。むしろ王様本人より、か弱そうな王子やお姫様の方が、悲劇の王子!とか言うて民衆の同情は集めやすいし……うん、私がこの国乗っ取るなら、王族は皆殺しやね」
頷き合う国王と鈴音、自身を囲む兵士達の剣、それらを見たエーデラは慌ててシェーモに向き直った。
「シェーモ!!何をしているの!!わたくし達の作る新しい国はそんな野蛮なものではないと説明なさい!!早く!!」
英雄だと持ち上げていた相手にこの言い草。
固まったまま動かないシェーモを見ながら、エーデラの教育係にも問題がありそうだと鈴音は呆れる。
「現在の国王が人々を騙して甘い汁を吸うとるとか、世界の危機と英雄と聖剣とか、自分達の新しい国を作るとか……。国王様には申し訳無いですけど、この頭ん中がお花畑みたいなお姫様と、頭の造りが簡単そうな元騎士にはピッタリのお話いいますか……」
「子供騙しの作り話で、そそのかした者がいる。そこの騎士崩れはともかく、王女の場合は特に身近に、というわけか。ああ、王女ではない、元王女であった」
鈴音が纏めた話に頷きながら、国王がさらりと訂正した部分に当然エーデラが目を見開く。
「元王女!?まだ王政を打倒したわけではないのだから、わたくしは王女のままでしょう!!」
「王政の打倒か、なるほど。敵の姿が見えて来たな。今お前が言った通り、王政は健在だ。つまり、余の命令は絶対である。お前は最早、余の娘でもなんでもない。只の賊だ」
驚きの余り口をパクパクと動かすだけで声も無いエーデラに、国王はより一層厳しい顔を向けた。
「王の刻印のある命令書により、多数の者達が命の危険に晒されたのだ。御使い様がその気なら、彼らはもう死んでいたのだぞ。その意味が解っているのか」
「世界の危機を救う為なら喜んで身を捧げるべきですわ!!それが兵士という者でしょう!!」
目を剥いて吠えるエーデラと向き合う国王から、『もしかしたら話が通じるのでは』という微かな望みが失われたのが見て取れる。
「兵士達が守るのは国だ。そして、彼らに命じてよいのは国王である余だけだ」
そこまで言った国王は項垂れて大きな息を吐き、首を振った。
「神よ、愚かな者を育ててしまったわたくしの罪を認めます。わたくしに罰を、そしてどうか、世界に許しを」
震える程きつく両の拳を握り締める国王は、神の御使いに対する愚行と世界に起きている異常とを結びつけているようだ。
そんな国王の様子に、神官長も神官も兵士達も心を痛めたが、原因の元王女には全く通じていなかった。
「愚かなのはお前よ!!私利私欲に生きておきながら今更神に詫びる振りをしたって遅いわ!!何を偉そうに!!お前の声など神に届くものですか!!」
喚き散らすエーデラ。
その時、空に光が走った。
聞くに耐えない女の声をかき消すかの如く、凄まじい轟音と共に雷が落ちる。
謁見の間の窓を揺らした雷は、庭の地面を抉っていた。
黒雲も何も無い空から突然、雷が落とされたのである。
正に青天の霹靂。
皆が呆然とし、静まり返る謁見の間に、呑気な声が響いた。
「すっっっごい怒ってるよ?大丈夫かな」
木っ端微塵にされた事を思い出したのか、ちょっと嫌そうな虹男が鈴音を見る。
「たぶん、そこの女うるさい黙れ、の意味やと思うから大丈夫ちゃう?」
「俺もそう思う。神さんに謝っとるヤツにちゃちゃ入れたら、そら怒るやろー」
鈴音と虎吉の予想に、虹男は一瞬にして笑顔になった。
「なぁんだ、また僕が何かやらかしたのかと思っちゃった。あの子が黒焦げにされるだけなら、別に大丈夫だね、良かったあ」
その発言でエーデラを囲む兵士達に緊張が走る。
「あー……、またナチュラルに人をビビらした。兵隊さん達、別に今すぐそこに雷が落ちるとかではないんで、怖がらんといて下さいね」
鈴音の説明で、一人を除いた皆の肩から力が抜けた。
一人とは勿論、エーデラの事だ。
緊張で硬直したまま、虹男と鈴音を交互に見ている。
エーデラの視線に気付いてはいたが、別に答えてやる義理はないので無視した鈴音は、シェーモを見やる。
新しい国を作る英雄とやらはいつの間にか、半分になった剣を放り出し、頭を抱えて蹲っている。
「あのー、国王様。話ならこっちから聞けそうです。神様もその方がお怒りにならないかと」
「か、神は我らをご覧に……?」
余程驚いたのだろう。胸に手を添えて呼吸を整えている国王へ、大きく頷いた鈴音は微笑んだ。
「ここに御使いが居てますからね。要するに……」
言いながらシェーモへ光る聖剣を向ける。
「嘘ついたらどうなるか、解るやんな?」
のろのろと身体を起こしたシェーモは、未だ呆然とした表情のまま頷いた。
それを見た国王はひとつ咳払いをし、兵士達に命じる。
「その女を牢へ。他の賊と同様の扱いをせよ。更に、その者の教育係も引っ立てよ。乳母では無く、大神殿の推薦で来た女が居たであろう、あれだ。元王女に何を吹き込んだのか、誰の差し金か吐かせるのだ」
「……大神殿」
緊張し何度も頭上へ視線をやるエーデラが、キビキビ動く兵士達に連行される。
それを眺めつつ呟いた鈴音が神官長を見ると、神官長も深刻な顔で鈴音を見ていた。
「さて、そこな国賊。お前があの偽の聖剣を手に、神の山へ向かうに至った経緯、全て話せ」
兵士達が出て行ってしまったので、広い広い謁見の間にたったの六人。
声が実によく響く。
国王に促されたシェーモは、へたり込んだまま話し始めた。
酒場で同僚と飲んでいる時、何か大きな手柄を立てて手っ取り早く昇進出来ないかと話していた事。
同僚が先に帰ってから、大神殿の神官を名乗る者が近付いて来て、ローブの下の法衣とブローチから、本物だと信じた事。
その神官から、魔の山に蔓延る魔獣が増え、下界を襲おうとしているという話と、それを打ち滅ぼす為の聖剣を作ろうとしている話を聞いた事。
聖剣を作る為の材料費が高騰しており、その原因が王国による買い占めにあると聞いた事。
材料費の一部を納めれば聖剣を授けられると言われたので、払った事。
勿論魔獣を滅ぼして名を挙げる為だったが、一人では無理だと相談すると、城に協力者が居るから頼れと言われた事。
それらをボソボソと話し、後はエーデラが話した通りだ、と結んで項垂れた。
「……聖剣の材料は知らぬが、我が国が何かを買い占めたなどという事実は無い」
国王の声に頷くシェーモだが、どこか視線が落ち着かない。
「そもそも、聖剣作ってたわけやないし。魔剣やし。魔剣の材料て……人の命ですもんね?」
確認する鈴音に神官長が頷く。
「そうです。魔剣は剣と人の命、聖剣は剣と神の御力があれば作れますな」
「うーん、魔剣を聖剣やと偽って、お金騙し取るんが目的か思てたんですけどねぇ。神の山に向かわせるんは、騙した相手に死んで貰て、魔剣の事が表に出ぇへんようにする為かと。でもそれやったら、本物の魔剣作る必要は無いか……。この国に対して敵愾心持たせるような言い方もおかしいしなぁ」
「それに関しては思う所がございます」
唸る鈴音に国王が申し出る。
「私に敬語は要りませんよ?それで、何か心当たりがお有りなんですね?」
「はい。大神殿のある国の代表と、少々揉めた事がございまして」
変わらず敬語で話す国王に、それ以上何も言わず鈴音は頷いた。
「かの国は国民の投票によって代表が決まるという、一風変わった制度を採用しております。その投票で選ばれる為には手段を選ばぬ者も多く、わたくしにも贈り物の類が届く始末」
「民主主義の国あったんや。そして既に腐っとるー……。国王様に贈り物するのは、向こうの国民に『この人ええ人やで、仲良しやねん』て推薦みたいな事して欲しいからですか?」
「そうとしか思えませんので、全てそのまま送り返してやりました。他国の王に物を贈ってまで人気取りをしようとする者が、人の上に立つに相応しい人物でありましょうか?あちらの国民が憐れでなりません。その旨伝えて以降、貿易面での圧力が中々。塩をかの国からの輸入に頼っておったのですが、値を倍以上に吊り上げられました」
あんまりな仕打ちに、鈴音だけでなくその場に居る全員が唖然とする。
「きょ、協定みたいなん結んでないんですか、世界の国々で。塩は無かったら生きて行けませんやん」
「ごもっとも。結んでおくべきでした。幸いにして、古くから付き合いのある国々が手を差し伸べてくれましたので、事なきを得ましたが」
それを聞いて皆胸を撫で下ろした。
「そうなると、聖剣詐欺の神官やら、お姫様の教育係やら、その国の息がかかってるいう事ですか」
「はい。神官長の前で言い難い事ですが、嘘はつけません。……大神殿の中にも、贈り物を受け取って利益を得ている者がいるかと。聖剣の神官は知りませんが、王女の教育係などは身元を念入りに調べます。その結果がこれという事は、大神殿側に権力者と結託している者がいると見て間違いありません」
言い切った国王に、一応神官長が反論を試みる。
「大神殿の神官達に、投票権は無いと聞いておりますが。贈り物をして結託して、何の役に立ちましょうか」
「大神殿を訪れる者や出会った人々へ、世間話を装って良い話や悪い噂など、幾らでも吹き込めるだろう。神官は信用があるから、特定の人物の評価を上げる事も下げる事も思いのままだ」
「おお……神官にそのような力が」
辛そうではあるが、神官長はある程度覚悟していたのだろう。どこか納得しているようにも見える。
だが、まだ若い神官は違った。目に涙をためて首を振る。
「そんな、そんな筈はありません!神に仕える身でありながら、そのような汚い事……!汚れた心で神の御力に触れるなど、出来る筈がありません!」
神官長に宥められながら涙を拭う神官を、やりきれない思いで鈴音は見つめる。
「こんな純粋な人と、汚れ切ったヤツらが同罪ですか?」
堪らず呟いていた。
直ぐに虎吉がグリグリと頭を擦り付け、慰めてくれる。
鈴音は目尻を下げて顎を撫で返した。
そこへ、大扉の向こうから声が掛かる。
「騎士団長コラード!国王陛下へご注進に及ばんと参上仕りました!」
その声に、何故かシェーモがギクリと身を震わせ、縮こまっている。
「構わぬ、こちらへ参れ!」
兵士達も従者も居ないので、国王自ら大声で応えた。
ゆっくりと大扉が開き、筋骨隆々の大男が入室して来る。
視線だけで全員を確認し、鈴音と目が合うとニヤリと笑った。
「先程は失礼した。けれど、止めたからにはいつ入れば良いか、頃合いを教えてくれねば」
言いながら国王の前に跪く。
「あー、報告あったんですか。いや、国王様を守るために突入しようとしてるだけかと」
何の話だ、と皆に見つめられて鈴音は笑う。
「さっき魔剣持ってった時、あっちとあっちに居る人らと、この方が入って来そうな雰囲気やったんで止めたんです」
玉座付近や壁にしか見えない部分を指して言う鈴音に、国王も神官長も目を丸くしていた。
「そんな事までお見通しとは……」
「けど、ご注進言う割にのんびりしてはったんですね?」
「だから、すっかり入る機を逃したのだと言っている」
半眼で抗議され、鈴音は曖昧な笑みで誤魔化す。
フスンっと鼻から息を吐いたコラードは、跪いたまま改めて国王へ向き直り、野太い声で報告した。
「謀反人共の鎮圧、完了致しました」
そう言ってから、ギロリとシェーモを睨む。
「大儀であった」
国王の声を聞きながら、目を逸らしたシェーモはただただ小さくなっていた。




