第三百七十六話 神様も色々と大変だ
翌朝、綱木がいつも通り開けた骨董屋へ、鈴音と茨木童子が出勤してくる。
「おはようございまーす」
「はい、おはよう」
元気な鈴音と会釈する茨木童子へ挨拶を返し、綱木はパソコンを開いた。
そこへ鈴音が近付いてくる。
「どないでしたか、あの後。ちゃんと物理攻撃に対抗する手段は編み出されましたか」
「ん?おお、何やあれは特殊な状況やったらしいてね」
綱木は昨日の安全対策課でのやりとりを話した。
ふんふんと頷きながら聞いていた鈴音だが、最終的には首を傾げる。
「えーと?動物が積極的に受け入れたら簡単には妖力を消し去られへん、いうのは分かったんですけど」
「うん」
「結局、現場行ってその危険な状態やて気付く前に襲われたら終わりですよね?課長が本気出せば勝てる言うたって、その前に猪が突進して熊が殴りかかったらアウトですやん」
「……確かに」
目をぱちくりとさせて頷く綱木に鈴音は呆れ顔だ。
「しっかりして下さいよ、もー」
「何で気付かへんかったんやて自分に驚いてるとこや」
「皆さんの課長への信頼度が高過ぎて、本気出したら大丈夫なんや良かったーで納得してもうたんちゃいます?」
そうかもしれない、と思い返し渋い顔で綱木は凹む。
「まあ今までそんな事故が起きてへんのやから、動物が味方するような妖怪が暴れるなんて滅多にない事なんでしょうけども。それでも万が一は想定しといた方がええ思うんです。山へ入る前にまずドカンと霊力ぶっ放してみて、何の反応もなかったら問答無用で本気出すとか」
鈴音の攻撃的な案に綱木はうーんと唸った。
「それやと説得が出来んようになってまうんよ。凶悪な妖怪ならともかく、動物が味方するような妖怪は本来おとなしいし、人と敵対するような奴らやないねん」
綱木の話に茨木童子が頷く。
「人に害をなす妖怪は討伐されたり魔界へ逃げ込んだりで、殆どこっちには残ってへんっすね」
「そうなんや。んー、ほんならもう、人側が防御力上げるしかないですね。物理攻撃に耐えられる結界を自分の周りに張るとか」
異世界の魔法使い達がよく見せる“魔力で作った障壁”をイメージして提案する鈴音に対し、綱木は腕組みして眉根を寄せ唸った。
「うーん、神力は知らんけど、霊力でそれは中々に難しそうやなぁ」
「難しそういう事は、やって出来ん事もないかもしらん、いう事ですね?」
鈴音がキラリと目を光らせると、綱木の目が泳ぐ。
「いや、うん、まあ、そうやねぇ、でも難しいで多分」
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり、ですよ?」
「うぐ。確かにそうやねんけど」
偉人の名言を持ち出され言葉に詰まる綱木。
もうひと押しだなと鈴音は顎に手をやった。
「綱木さんの霊力は万能型やし、他の人より成功率高そうな気ぃしますけどねぇ。大事なんはイメージや思いますよ?動物の攻撃受けても壊れへんもん想像しながらやってみたら、案外ラクに出来るかも」
「簡単に言うけどやね」
「魔法もそうでしたもん。どない扱うてええんか謎でしかなかったですけど、とある創造神様と骸骨さんに頭ん中に描くイメージが大事やて教えて貰て。それなら得意かも思て、アニメとかゲームで見た魔法思い浮かべながらやったら、スッと出来ましたもん」
自身の経験を具体的に話す鈴音を見て、綱木は少し興味を持ったようだ。
「ゲームはせぇへんけど、アニメか。チビの頃は何を見とったかいな……」
暫し考え込んだ綱木だったが、段々何とも言えない顔になっていく。
「アライグマしか出て来ぇへん」
「うーん微妙。息子さんが子供の頃に一緒に見たアニメとかヒーローとか」
「ああ、そうやね」
今度こそ、と考え込んだ綱木は、何故かちょっと疲れた様子になった。
「毎年新しいもんが出る変身用のオモチャ買うんが大変やったなぁ……いう記憶しかあらへん」
クリスマス商戦に巻き込まれ、ヘトヘトになったお父さんの1人だったのだろう。
「あぁ……うちも私と弟の2人分欲しいてゴネて困らせましたねそういえば」
お父ちゃんごめんなさい、とあの世の父に謝る鈴音を見ながら、手本となる映像が浮かばなかった綱木は諦め気味だ。
「やっぱりまず若い子に……」
「あ!あれどないですか、筆箱!」
綱木の声を遮り、何かを思い付いたらしい鈴音がパッと顔を輝かせる。
「筆箱?」
「ほら、象がギューっと踏むやつ。懐かしCMか何かの番組で見ましたよ?」
足で踏み付ける鈴音の仕草を見て、綱木はポンと手を打った。
「はいはい、強度が自慢のプラスチックのやつな」
確かにそれなら自分も見たことがある、と綱木も頷く。
「象の攻撃に耐えられたら、日本におる動物の攻撃はまず通らへん思いますよ」
「そらそうやね。これはあれかな、周りに色の付いたプラスチックの壁を立てるイメージがええんかな」
そう言いながら座ったままビー玉を頭上に浮べ、霊力を出し始めた。
少し様子をみて鈴音が指先で突付いてみると、それっぽくはなっているものの強度がまるで足りていないのが分かる。
「んー、筆箱の中に入るイメージはどうですか?強い強い筆箱の中に自分が小っちゃなって入る感じで」
鈴音のアドバイスに感心した綱木は、両手を動かし筆箱の形をイメージしてから目を閉じ、今度は右手を少しずつ握って自身が小さくなる様子をイメージした。
象に踏まれても形を保ち続ける透明な箱。その中に居て守られている自分。
すると、綱木の周りを囲む霊力が明確な想像図に従い強度を変える。
「お、良さげ?どれどれー?」
鈴音が指で突付くとしっかりとした硬さがあった。
次いでノックしてみてもびくともしない。
では、と遠慮なく拳を叩きつけると、微かな抵抗を残し砕け散った。
そこでハッと綱木が我に返る。
「あー、アカンかったか」
鈴音が何をしたか見ていない綱木が残念そうに笑うと、茨木童子が物凄い勢いでイヤイヤと手を振った。
「姐さんの右拳をほんの一瞬やけど受け止めたっすよ!?神力出さんでも神使は馬鹿ぢか……熊より腕っぷし強いねんから、充分っすよ!」
誰が馬鹿力だと隣から睨まれながらも、茨木童子は綱木の結界を称賛する。
「え、ホンマに?」
驚く綱木へ鈴音も拍手を送った。
「ホンマです。しっかり抵抗ありました。これが歩きながらでも出せるようになったら、熊の大群に囲まれても大丈夫ですね」
「いや熊の大群は遠慮したいけど、そうか……出来とったんか。為せば成るやねホンマに。ただ、無意識でも出せるようになるには時間掛かりそうや」
嬉しそうな綱木の様子に鈴音と茨木童子は微笑む。
「そこは継続は力なりで頑張って貰て。取り敢えず、現場で妖怪と顔合わせる立場の人らに教えたげて下さい」
「そうやね、そないするわ」
笑顔で頷いた綱木がこの後すぐに本省へ事の次第を話した結果、生活健全局では“誰が最も早く無意識下で物理攻撃無効の結界を出せるようになるか競争”が始まった。
調査課に負けてたまるか、と安全対策課の鼻息が荒いらしい。
密かに局長も練習しているとかいないとかで、ここから暫く新たな結界作りは大きな盛り上がりをみせた。
夕刻。
そんな騒ぎなぞ露知らず、澱掃除を終え帰宅した鈴音は愛猫達の世話をしてから風呂に入り、自室で再び外出着に着替えている。
ちょうど帰ってきた骸骨が、どこかへ出掛けるのかと首を傾げた。
「前に話したビダちゃんいう女神様の世界で、マント注文しててん。それがもう出来上がってるやろから取りに行こ思て」
笑う鈴音に成る程と頷いた骸骨は、自分も神界に行きたいと石板に描いて見せる。
「うん、勿論ええよー」
ありがとうとお辞儀してから、骸骨はせっせと絵を描き犬神に会いたいのだと鈴音に伝えた。
シオンの世界へ行く前に犬神に貰った毛玉ペンダントの効果で、犬に吠えられる事がなくなり物凄く仕事がやり易くなった、と改めてお礼が言いたかったのだ。
「え、そうやったん?そんなんもっと早よ言うてくれたらよかったのにー」
驚いた鈴音にそう言われたが、特に返事はせず緩く揺れて誤魔化した。
何故なら今日まで言えなかった理由が、『おやつタイムの鈴音は部屋着で神界へ行くので、犬神様の縄張りに案内して欲しいとは言い出し難かった』というものだからである。
正直に話せば鈴音が気を使うのは分かり切っているので、ただユラユラするに留めたのだ。
そうとは知らない鈴音は、何か理由があったのかなと首を傾げつつ虎吉に声を掛ける。
「虎ちゃーん」
即座に神界への通路が開き、まあ言いたくない理由があるのかもしれないしどっちみち今日会えるのだからいいか、と納得した鈴音が先に潜った。次いで上手く誤魔化せてホッとした骸骨が続く。
揃って神界に出ると、今日も今日とてお茶会が開かれており、その中に目的の存在を見つけた。
「あ、犬神様や。またファンの神様方から逃げて来はったんかな」
気に入らなければ創造神でもぶっ飛ばし無視する白猫とは違い、割と誰にでも優しい犬神は距離感を間違えているファンにもあまり強くは出ない為、偶に神付き合いに疲れてここへ避難してくる。
「可愛いー!とか言いながら勝手に他人様のワンコに触ろうとする人とか見た事ない?あんなんが犬神様ファンの神様にも居てるらしいわ」
あれか、と街中で見掛ける光景を思い出し骸骨は頷いた。
「ここにそんな困ったさんは居らへんから、犬神様はのびのび出来るみたい」
もしも無礼極まりない行動など取ろうものなら、白猫の機嫌を損ねたくない創造神軍団に吊し上げられるのは目に見えている。殆どが誰かからの紹介でここを訪れているので暗黙のルールは理解しており、高位の神を怒らせるような命知らずは居ない。
依って、犬神もまたのんびりと過ごせるのである。
「今はご機嫌さんみたいやから、ご挨拶するチャンスやで」
表情を読み取った鈴音が言うと、よし、と頷いた骸骨が犬神のもとへフヨフヨ飛んで行った。
それを見送った鈴音はテーブルで白猫と虎吉におやつを用意し、女神ビーダの世界に用があると告げてから探しに行く。
もこもこ雲の上には相変わらず大勢の神々が居るが、ビーダは服装が異質なので目立つ筈だ。案の定、女神達の輪の中に居るのがすぐにわかった。
「ビダちゃん皆様こんばんは。ちょっとええですか」
「いいよ」
今日はモノトーンのゴスロリワンピースに身を包んでいるビスクドールな女神が頷いたので、他の女神に会釈しつつ鈴音は注文していた品を取りに行きたい旨を伝える。
「ついでに犯罪王の様子をチラッと見て帰ってきます」
「分かった。可愛いのが出来てるといいね」
「そ……うですね」
ビーダの好みには全く合わないだろうな、と自分が頼んだ砂色のマントを思い浮かべて曖昧に笑い、開けて貰った通路を潜り鈴音は異世界へ。
一方、骸骨から石板を見せられた犬神は、頑張って内容を読み取りニコニコしていた。
「そうかそうか、犬達が友好的になったか。何よりだ」
どんなに嬉しかったかせっせと絵を描いては伝えてくれる骸骨に、犬神は大変癒やされている。
そんな時、沈んだ表情の男神がシオンに連れられ縄張りに入ってくるのが見えた。
「おや。あまり見ない顔だな?いや私もここに来る全ての神を把握している訳ではないが……」
犬神の呟きに骸骨も振り向き、確かに見た事がないなと首を傾げる。
表情はともかく顔の造りはシオンにも負けない男前っぷりで、筋骨隆々。いかにも武芸と関わりが深そうな神だ。
そんな神を連れたシオンがキョロキョロと辺りを見回し、誰かを探す仕草をみせている。
仲のいい犬神はやれやれと立ち上がり、骸骨と一緒に彼らの方へ歩いて行った。
「どうしたシオン殿。誰ぞ探しているのか?」
「おお、犬の神。鈴音は来ていないかい?あ、骸骨が居るって事は来ているね?」
シオンの視線を受け骸骨は頷く。
でも今は異世界に行っていますよ、と石板に描くも上手く伝わらなかった。
「うーん、取り敢えず今は外しているという事でいいのかな?」
「そのようだぞ。して、鈴音に何の用だ?」
チラチラとどんより顔の男神を見ながら尋ねる犬神に、シオンは困り顔で笑う。
「それがね、虹男がサファイアちゃんにあげた宝石がもとで、彼の奥さんがお怒りらしいんだ」
前回の冒険を見ていない犬神に細かい事は分からなかったが、宝石絡みのトラブルだという事は理解出来た。
「ふむ。それと鈴音に何の関係が?」
「特に関係はないけれど、彼を救う手伝いをして貰おうと思っていてね」
さらりと告げたシオンを犬神はじっと見つめる。
「鈴音は猫神の眷属だぞ?勝手に決めるのは良くない」
尤もな指摘にシオンが慌てた。
「いや勿論本人の意思は尊重するし、猫ちゃんに許可は取るとも」
そんなシオンの様子を見てどんより顔の男神が更に不安そうになった所で、ビーダの世界から鈴音が帰ってきた。
「あっ、鈴音、いい所に!」
大きな声を出すシオンに顔を顰め、ビーダにお辞儀した鈴音が小走りでやってくる。
「声が大きいですシオン様。……ん?こちらの方は?」
「ははは、すまないね。実は彼の事で相談があるんだよ、聞いてくれるかい?」
有無を言わさぬ迫力の笑顔を見やり、小さく溜息を吐いて鈴音は頷いた。




