第三百七十五話 安全対策課の人々
帰りの車内は鈴音の話で持ち切りだ。
「確か、雷を使うのと水を自在に操るらしいっていうのは聞いてたんだよ。後はなんだっけ」
「氷です。小天狗の足を凍らせればいいと言ったり、警護対象を氷の壁で囲ってましたね」
「そうだったね、うんうん。でも今日は風も吹かせてたね?」
運転中の佐藤と会話しつつ助手席から後部座席を覗き込む大嶽に、綱木は頭痛を我慢しているような顔を向けた。
「風も使えるようになったんやろな」
「確認してないのかい?」
直属の上司なのに、と言いたげな表情へ恨めしげな目で応える。
「ええか、ほんの数日や。ほんの数日で次から次からパワーアップしよるねん。分かるか、まだ鈴音さんと会うて2ヶ月やぞ。その間に何回『あれ?また強なった?』てビックリさせられた思てんねん。もうな、いちいち確認なんかしとれるかい!」
座りまくった目で訴えられ、大嶽はまるで関係ない方向を見ながら『へー』と言うしかなかった。
「伊邪那美やら火之迦具土やら大綿津見やらビッグネーム連発したか思たら今度は魔王や!誰かさんがサタンの対処丸投げしてくれたお陰で魔王の力まで手に入れとるし!」
「あー、うん、そうだったけっけねえ」
「おまけに異世界の創造神は一柱やのうて何柱か味方についとるらしいし!」
実際は“何柱か”なんて可愛いものではないが、知らない方が幸せな事もある。
「そうか思たら今度は茨木童子や!何がどないなったら酒呑童子の右腕が子分になんねん!千年間誰にも捕まらんかった伝説やぞ!!」
「うんうん私達でも監視がやっとだったのにねえ」
「そんな!無茶苦茶な存在が!部下やぞ!万が一暴れ出しても俺じゃ話にならん存在が!部下!」
「大丈夫だよ暴れ出した彼女を止められる人なんて地球上に存在しないから」
「それは大丈夫言わんのじゃボケーーー!!」
他人事丸出しの大嶽にお怒りの綱木。
佐藤は『ストレス溜まってたんだな……』と気の毒そうに頷いている。
ふー、と大きく息を吐いた綱木を見やり大嶽は笑った。
「でも悪い子じゃないよね」
ちらりと大嶽を見てから綱木は再度深い溜息を吐く。
「そうやねん。仕事は真面目やし、生まれてからずっと見たこともなかった筈の悪霊やら妖怪やらにも慌てへんし。何ならさっきみたいに情け掛けてやりよる。助けてくれ言うたらすっ飛んで来てくれるし」
ハンドルを切りつつ佐藤も『有名女優相手でも動じなかったな』と思い出し頷いていた。
「猫が絡むとデレッデレなるか不動明王みたいになるんと、やたらと異世界に行きがちなんを除けば至って普通いうか、よう出来たお嬢さんやねん」
「うんうん、分かる分かる」
ミラーに映る綱木と笑いながら頷く大嶽をチラリと見て、佐藤は『常識人かと思ってたけど綱木さんもかなりズレてるな』と遠い目になる。
普通の人は、猫絡みで不動明王みたいになったりやたらと異世界に行くお嬢さんを、“至って普通”とは言わない。
大嶽は論外だがまさか綱木もズレているとは思ってもみなかったので、せめて自分だけでも一般的な感覚をなくさないようにしなければ、と佐藤は決意を新たにした。
一行が霞が関に帰り着いたのは午後4時頃だ。
綱木は更に、新幹線で2時間40分ばかりかけて地元まで戻らねばならない。
「駅まで送りますよ」
佐藤がそう申し出ると、綱木はありがたそうにしながらも庁舎を指す。
「ありがとうな。でも息子の顔見て帰ろ思てるから、気持ちだけ貰とくわ」
安全対策課安全対策研究室に、息子の信孝が勤務しているのだ。
「あ、そりゃそうですよね。朝は早かったから会えてませんもんね」
納得した佐藤と大嶽、後続車から降りてきた小林や高橋と共に綱木は合同庁舎へ入った。
エレベーターに乗り込むや、小林が大嶽に尋ねる。
「ミーティングするんですか?」
鈴音に叱られて『会議します』と言っていたので、本当にやるのかと気になったのだ。
高橋が『ばか!忘れてたかもしれないのに!』と非難の目を小林に向けている。
「あー、そういやそうだったね。確かにちょっと気になったし、今からみんなの意見を聞いてみようか」
頷く大嶽と、先輩達からじっとりとした視線を浴び『やっちまった』と居心地の悪そうな小林。
その様子に小さく笑いつつ、エレベーターを降りた綱木は首を傾げる。
「気になったいうんは、割と強めの霊力出したのに動物が逃げへんかった事か?」
「それそれ。全力出したら山の主にもダメージがあるかなあと思って、それなりに手加減はしたけどさ。小鳥しか逃げないような弱さじゃなかった筈なんだよねえ。妖力が強かったのか私の力が落ちてるのか……」
歩きながら大嶽もまた首を傾げた。
今までは“勘が鋭い野生動物は強い霊力を感じると本能的に逃げる”という習性を利用し、それで充分に対処出来ていたのだ。
なので、いくら妖力で操られていたとは言え、神使達に次ぐ強さを持つ大嶽が攻撃態勢に入っている時に動物が近付いてくる事自体がおかしいし、威嚇を受けても逃げ出さないなど彼らの常識からすると有り得ない。
「課長の霊力が落ちてる感じはなかったですよ?」
佐藤が言えば普段から接している高橋と小林も頷き、付き合いの長い綱木も同意する。
「威嚇としては充分やったし、三明の剣もちゃんと出てたしなぁ」
「そう?じゃあ、あの熊の妖怪の妖力が物凄く強かったって事になるよねえ」
確かに強かったがそこまでではなかったのに、と全員で不思議がりつつ安全対策課のプレートが貼られた部屋へ入った。
パソコンの載った机がズラリと並ぶ広い室内はパーテーションにより真ん中で区切られ、手前が安全対策指導室、奥が安全対策研究室となっている。
指導室の職員は澱掃除に出ているのでガランとしており、奥の研究室からはキーボードを叩く音と指示を出す声がしていた。
大嶽は迷わず奥へ向かう。
「ただいまー」
手を振る大嶽に職員達は会釈を返すだけで仕事を続けたが、窓を背にして皆を見守るような位置に座る人物だけが顔を上げしっかり視線を合わせた。
「おかえりなさい課長。大変でしたね」
そう言って笑うのは佐藤より少し若い、30代前半に見える男性だ。
体力にはあまり自信がなさそうな細身の体型に、日本人らしい平たく薄い顔。濃紺のスーツも相まってどこにでも居るサラリーマンにしか見えないが、目の色だけが特徴的だった。黒色でも茶色でもなく、殆ど琥珀色に近い。
その目を見返して大嶽も笑う。
「もしかして見てたのかな?だったら話が早いんだけど、何で私の霊力は熊の妖怪の妖力に勝てなかったか分かるかい?」
問われた男性はどこか楽しげというか、誇らしげな表情になった。
「それは、妖力に動物達の意思が重なったからですよ」
「わー、何で遠見君が得意げなんだろう」
悔しげな顔を向けられた綱木はハイハイと宥めながら、遠見と呼ばれた男性に続きを促す。
「詳しぃに頼むわ」
「はい。熊の妖怪は主なのに住んでいた山から追い出されているので、動物達は同情的だった訳です。彼ら野生動物も人は嫌いだし、そういう共通の敵がいれば当然仲良くなるのも早いですよね」
「ははあ、そんな人嫌いで仲良しな妖怪と動物達が住む場所へ、のこのこ出向いたのが私達だったって事かい」
大嶽がとても嫌そうに溜息を吐くと、遠見は笑顔で頷いた。
「きっと熊の妖怪を虐めに来たんだ、邪魔をしなくちゃ!と動物達が一致団結し、妖力を強化してしまったんです」
「成る程ねえ。いかにもありそうな事だけど、動物達は喋れないし確かめようがないね?」
首を傾げる大嶽に綱木も佐藤達も頷く。
だが遠見は自信に満ちた様子で笑った。
「ウチの父が野犬の、祖父は猿の群れで同じような状況を見ています。ボス代わりの妖怪を守ろうと、自分達から人に近付いて行く様子を。資料を探せば先祖も色々と見ていると思いますよ」
「うわ、一気に信憑性が増したね」
「野犬を従える妖怪の討伐に行ったのは大上さんと黒花なので、確かめてみるのもいいかもしれませんよ?」
遠見が大上さんと呼んだのは、陽彦の父である朔彦の事だ。
「あっ、大上君から犬達の話を聞いてたのかい!?」
「ふふふ、実はそうです。ボスを守るという犬達の思いがとても強かったので、黒花が本気に近い威嚇をしなければならなかったと聞きました」
種明かしをした遠見に大嶽は軽く肩をすくめる。
「なあんだ、それじゃあ私が手加減した霊力が効かないのも当然って事だね」
謎は解けたという大嶽の顔を見て、会議はなくなったに違いないと佐藤達が小さくガッツポーズ。
笑いを噛み殺しつつ綱木が遠見へ声を掛けた。
「ところで遠見君、ウチの息子どこ行ったんやろ。自慢の千里眼でちょっと見てくれへんやろか」
「嫌ですよ、大きい方の真っ最中だったらお互い気まずいじゃないですか」
「ははは、そらそうか」
遠見と楽しげに笑い合う綱木の背後から大変不満そうな声が響く。
「こんな時間にウンコなんかせぇへんし」
ペットボトル片手に渋い顔をするのは、綱木によく似た20代半ばの背の高い青年だ。
精悍な顔立ちではあるが父より幾らか柔らかい印象のこの男前が、綱木の息子、信孝である。
振り返った綱木はスマンスマンと片手で拝む。
「お茶買いに行っとったんか」
「おう。そっちは無事終わったんやな?遠見さんに『あ、威嚇が効かない熊と猪に囲まれてる』て言われた時はもうアカンか思たけど」
眉を下げる息子に綱木は笑った。
「俺もアカンか思たで。まだアイツが冷静いうか様子見してくれたお陰で助かったけどな。あの瞬間に総攻撃されとったら今頃はもう、あの世で鬼さんに挨拶しとるわ」
「いやいや流石にそうなる前に全力出すよ!?」
大嶽がグッと拳を握ってファイティングポーズを取るも、圧倒的へなちょこ感に皆は大笑いだ。
「まあ課長が全力出したら山の主も妖怪も無事では済まんかったやろし、猫神様の神使が来てくれて良かったやん」
ウケたのに気をよくして他の職員にもファイティングポーズで絡んでは、気が散るからやめてくれと笑いながら叱られている大嶽を見やりつつ信孝が言えば、その通りだと綱木は頷く。
「もう神使いうより神降臨の勢いやったからな。なんぼ動物の意思が強うても本能でビビってまうよあれは。そのうち天気も操りだすんちゃうか思てハラハラするわ」
既に火水土風氷が操れるのでその気になれば雨雲だって作り出せるが、鈴音本人がまだそれに気付いていないだけである。
「いっぺん会うてみたいな。前に庁舎前まで来てたらしいけど、俺ちょうど外行っとってんなぁ」
「普通に会うても綺麗なお嬢さんやなで終わるだけやで。今ならもれなく茨木童子も付いてくるけど、あっちも一見ただの男前やしな」
父がちょっと遠い目になったのが気になるものの、信孝はまだ見ぬ新たな神使と伝説の悪鬼に思いを馳せた。
「美人な神の使いと男前な鬼の組み合わせとか、漫画なんかにありそうやんなぁ」
「え、いや、まあ、うーん」
息子の夢を木っ端微塵にして良いものかと悩んだ父は、いずれ現実を知るのだしと黙っておく事にする。
そこへ、澱掃除から帰ってきた指導室の面々の賑やかな声が響いた。
「あ、研究室入口に綱木父発見!ちーす!」
「因縁の妖怪と大バトルでしたっけ?」
「バトるだけなら課長で充分じゃん」
「説得要員兼課長のお目付け役」
「課長が大暴れする前提なの笑えるわー」
わらわらと指導室へ入る職員達を見ながら綱木は呆れ顔だ。
「なんで纏めて帰ってくんねんな。お前らだけ仲良うサボっとったんか?」
「うわ人聞き!人聞き悪いっすわー!」
「下で一緒になっただけですよ」
「こんな分かり易くやんないし」
「サボるなら他の人と組みます」
「もうちょい時間ずらすよねバレないようにさ」
口々に言いながら帰宅準備の手は止めない。
職員達の様子に『相変わらず癖が強いな』と笑った綱木は、時計を見てから息子と佐藤達に向き直る。
「俺もそろそろ帰るわ」
「おう、お疲れ」
「お疲れ様です。ご協力ありがとうございました」
「おつかれちゃーん、またねえ」
「はいはい、またな」
手を振る大嶽に軽く手を挙げて応え、指導室の職員達に絡まれながら綱木は部屋を後にした。




