第三百七十三話 山の主
城から逃げるように自宅へ戻った鈴音は、猫達と遊んでいた骸骨に事の顛末を聞かせている。
「……っちゅう訳で、どうにかこうにか乗り切ってんけどな、いつ祟られるか思てハラハラしたわ」
話を聞いて成る程とばかり手を打った骸骨が反射する祟りを石板に描き、鈴音は思い切り頷いた。
「それ。築城以来何百年か知らんけど、ずーっとお城を守ってくれた神様をさぁ、うっかり祟り返して黄泉の国送りにしてしもたら……」
ブルッと震えた鈴音へ猫達がスリスリと体を擦り付ける。
「ふっひゃっひゃ、慰めてくれるんー?やさしー、かわいー、もふー」
順番に猫達を撫でてデレデレしていると、スマートフォンにメッセージが届いた。
「んー、綱木さんからや。長壁姫どうやった?明日は臨時休業になったから直行直帰でよろしく、やて。どっか行かはるんかな」
骸骨に話したのと同じ内容を返信し、よくできましたのスタンプを貰って楽しげに笑う。
その後しばらく骸骨と猫達と遊び、神との対話で緊張し疲れた精神を回復させてから眠りについた。
翌朝、シャッターが下りたままの骨董屋前で茨木童子と合流した鈴音は、綱木が今日はどこかへ出掛けているらしいと教えてから澱掃除へ。
「ええ天気やし浜側から始めよか」
「そっすね」
梅雨の晴れ間を楽しみつつ、屋根を跳んで海岸方面へと向かった。
一方その頃、関東のとある山を目指す車中に綱木は居た。
「いやー、わざわざ来て貰って悪いねえ」
「すみませんホントに。我々だけで対処出来ると言ったんですが、課長がどうしてもって」
「かまへんよ、ホンマに昔かかわった相手やとしたら気になるし」
車を運転しているのはストーカー天狗事件の際に共闘した佐藤。
助手席で悪びれる様子もなく笑っているのは安全対策課課長の大嶽。
綱木は後部座席にひとりで座っている。
佐藤が運転する車の後ろからは、これまたストーカー天狗と戦った小林と紅一点の高橋が乗る車がついてきていた。
「それにしても、こんな山ん中にホテルなんか建てて採算取れるんやろか」
舗装された国道を外れ、細い山道を走り始めた車内で綱木は首を傾げる。
今回の件は、リゾートホテルの建設予定地を調査しにきた開発会社の職員が『巨大な熊を見た』と言い出した事で始まった。
巨大といった所で本州に生息しているのはツキノワグマなので、体長は2メートルに届かない程度だ。
熊を見慣れていない人からすると、恐怖のあまり実際より大きく見えてしまうのだろうと思いながら、連絡を受けた市職員は地元猟友会に調査を依頼した。人里に出てきた訳ではないので、もし居ても建設予定地に近付かないよう脅かすだけでよいと付け加えて。
そうして待つこと一週間。
建設予定地付近に熊は居ないとの報告がもたらされた。
ただ、何となく嫌な感じがするのと、熊を恐れない犬達が何かの気配に怯えた様子を見せていた、という内容も同時に伝えられ市職員は悩む。
どうしたものかと上司に相談した所、国にこの手の微妙な案件を調査する機関があると教えて貰い、厚労省生活健全局調査課へ連絡を取った。
依頼を受け、悪霊でも出たかそれとも今流行りの謎の澱かと調査課が乗り込んだ結果、とんでもない妖力が漂っている事が判明。
急ぎ『人体に有害なガスが出ている可能性があるので環境省と協力して調べる』と大嘘を吐いて山を立入禁止にした上で、安全対策課へ出動を要請した。
安全対策課安全対策研究室は、巨大な熊という情報と山の位置から、30年程前にゴルフ場の建設現場となった山から引っ越して貰った妖怪ではないか、と過去の資料を引っ張り出しあたりをつける。
当時の職員の殆どが定年退職していたものの、最も積極的に妖怪の説得に当たった綱木が現役で残っていると聞いた大嶽が、周りの制止を無視して『山の主がまた暴れてるっぽいから助けてー』と呼び掛けた。
送られてきた事件概要を読み、本省勤務だった頃のあれかと懐かしんだ綱木が『ビール1杯で手ぇ打ったろ』と応じ、現在に至る。
「何か温泉と星空を売りにしてリバウンド……じゃないやなんだっけ?」
「インバウンドですね」
「それを当てにしたホテルにするらしいよ?」
大嶽の曖昧な記憶を佐藤がカバーして教えてくれた。
「ははあ、そんな感じで成功しとる高級リゾートホテルのパクリいうわけやな」
成る程と頷いた綱木はかつて相対した山の主を思う。
ゴルフ場の次はリゾートホテル。自分の居場所ばかりが狙われているなんて考えていなければいいが、と。
そうこうしている内に車は、実際に環境省と口裏を合わせ立ち入り禁止にしてある山へ入った。
途端に全員が刺々しい妖力を感じ取る。
「あららー、こりゃ怒ってるねえ」
「まだ開発が始まってもない、職員が調査に来ただけでこれですか。かなり攻撃的ですね?」
「そら2度目やしなぁ。引っ越してんか言うから引っ越したったのに、その先でまた開発てどういうつもりやねんナメとんか、てなるやろ」
笑う大嶽、驚く佐藤、遠い目の綱木。
反応はそれぞれだが、揃って『説得は難しそうだな』と考えている。
「やっぱり綱木が関わった奴なんだね?」
「おう、懐かしいわ。熊みたいいうか熊の意識の集合体や。昔は立ち上がって3メートルぐらいやったけど、今はどうやろな。もっとデカなっとるかもしらん」
「3メートル超えてたらそりゃ巨大だね。調査員は正しかったんだ」
いわゆる霊感持ちだと思われる職員はさぞかし恐ろしかったろう、と大嶽は緩く首を振った。
「まあとにかくその熊ちゃんと接触して、ホテル建設の邪魔をしないように頼もう」
「そうですね」
頷いた佐藤が慎重に車を進め、もう少し上にあると教わった駐車スペースを目指す。
林業が行われていた頃の名残りらしき広場に辿り着いた一行は車を並べて停め、伸びをしたり腰を叩いたりしながら周囲を見回した。
辺りに漂う妖力は強さを増しており、そう遠くない場所に熊の妖怪が居ると分かる。
「森に入るのは自殺行為だから、ここへ来て貰おうか」
肩を回しながら大嶽がそう言うと、皆それぞれ戦闘になった場合に備えてから頷いた。
直後、右手にビー玉を握り込んだ綱木が見つめる先で大嶽が霊力を出し始める。
「まずは緩くね」
いきなり伝説の悪鬼大嶽丸を思わせる力を見せては逃げられると考え、徐々に強くしていく大嶽。
一般的な霊能力者より強い力になったあたりで、森の中にゆらりと揺らめく黒い影が現れた。
体長5メートルはありそうな厚みのある影が、木々の間から一行の様子を窺っている。
ただ、広場に出てこようとはしない。
「やあ初めまして山の主。話がしたいからこっちへ来てくれないかな?」
大嶽がにこやかに声を掛けるも影は応えなかった。
困った大嶽が振り向くと、影を見つめていた綱木が首を傾げる。
「これ、この辺の山の主ちゃうか?妖力は混じり合うててよう分からんけど、シルエットが熊とちゃうで」
「え?ああそうか、この辺りの山の主が受け入れてくれる事になって、あっちの山の主が引っ越したんだっけね?」
「そうや。こっちの山の主を先輩が説得してくれて、俺が熊を説得してん」
おじさん達の会話を聞き、若手3人は顔を引き攣らせた。
「まずいですね、この辺りの主が敵対しているっていう情報はなかったですよ?」
佐藤が言えば小林も頷く。
「山の主2体同時に相手するとかヤバくないですか」
「そこに課長の本気も加わるんでしょ?無理かも」
高橋は青い顔をしながらいつでも結界が張れるよう準備していた。しかし山の主2体と大嶽丸級の力を抑え込む自信はない。
「うーん、敵対してるのかい?山の主。そうなると私も手加減は出来なくなるなあ」
柔和な表情の大嶽から出る霊力が強さを増す。
「待て、その主から殺気は感じひん。友好的な雰囲気ではないけど手ぇ出すんは早い。それより確実にキレとる筈の熊や。アイツどこ行った?」
綱木はビー玉を空へ放り投げ、広い円を作って微弱な霊力を降らせ大きな妖力を探し始めた。
するとあっけないほど簡単にみつかる。
「山の天辺や。物凄い殺気やぞ」
鬱蒼とした森が続く斜面を見上げて綱木が告げると、大嶽の周りに霊力で出来た3本の剣が浮かんだ。
「取り敢えず、妖力を削いで弱らせてからじゃないと話は聞いて貰えそうにないね」
「やり方としては最悪やけど、しゃあないな。今は聞く耳持たんやろし」
大嶽と綱木が山の頂上付近を見やる間、若手3人は森の中から出て来ない主を警戒している。
今の所、山の主から攻撃を仕掛ける気はないようだ。
「んじゃ、行くよー」
そんな中、のんびりした大嶽の声と共に3本の剣が空高く舞い上がる。
流石に熊が攻撃されたら怒るかもしれないと、綱木も視線を主へ戻した。
すると、予想もしていなかったもの達が広場の周りに集まり、すっかり囲まれている事に気付く。
「ちょ、大嶽!動物!野生動物!」
「え?」
慌てる綱木の声が気になって剣の動きを止め、大嶽も周囲へ目を向けた。
「ええー?」
薄暗い森の中に、丸みを帯びた鹿の角が幾つも見える。
藪をガサガサと揺らしているのはツキノワグマと猪のようだ。木の上には猿の姿もある。
草木で見えないだけで他にも狸や狐も居るかもしれない。
「お友達になりましょーって感じじゃないよね」
少し余裕がなくなったように見える大嶽に、綱木は渋い顔をして頷く。
「熊の差し金やろ。妖力の攻撃は霊力に阻まれそうやから……」
「物理?牙と爪を使えば勝てるって事かい?」
「多分な。まあ実際その通りやし」
大嶽は霊力は強く豊富だが、格闘となるとからっきしだ。体力も運動不足のおじさん丸出しである。
対する綱木は物理的な攻撃力もそれなりにあるものの、相手が野生動物では話にならない。若手3人も同じだろう。
「これは困った。是非ともお帰り頂きたい」
眉を下げて情けない顔をしてから、大嶽は大量の霊力を解放し動物達を威嚇した。
風のように駆け抜ける霊力に驚き、木々から小鳥がパタパタと羽音を立てて飛び立つ。
しかしそれだけだった。
肝心の熊と猪はびくともせず、鹿も猿も変わらず一行を見つめている。
「嘘でしょ、逃げないんだけど。熊の妖力で操られてんのかねえ。大ピンチだねえ」
のんびりした口調とは裏腹に顔には冷や汗が伝っていた。
「こうなったら熊へ全力で攻撃するしかないかな」
大嶽のそんな言葉が聞こえたのか、猪が1頭真っ直ぐ彼目掛け突っ込んでくる。
気付いた綱木が間一髪で大嶽に体当たりし、どうにか命に関わる大怪我はせずに済んだ。
「いてて」
地面に倒れ込んだ大嶽が身体を起こすと、動物達の視線が突き刺さる。
余計な事をしたら今度は一斉に攻撃して来そうだ。
「うわあ、どうしようか綱木」
そろりと立ち上がった大嶽が尋ねると、綱木は頂上を見つめて唸った。
「これはあれか、上まで来いいう事か?うーん、それは無理があるで熊よ」
下からは簡単に辿り着けそうに見えても、実際は簡単に遭難出来てしまうのが山である。
「しゃあない、根比べや熊。俺は動かへんぞ。お前が下りてこい!」
頂上へそう宣言してから、綱木は素早くスマートフォンを出して弄りだした。
「良かった、繋がるわ」
という呟きが何を意味するのか分からない大嶽達は、じり、と僅かずつ近付いてくる動物の姿に焦燥を募らせる。
「武器がないと人ってホント無力なんだねえ」
「武器があっても恐らく負けますよ」
「数が違いますもんね」
「その数を減らせないか、もう一回、今度は皆で霊力合わせてみません?」
大嶽と佐藤と小林を順に見て、最後に綱木を見て高橋が提案した。
「ああ、そうやね、やれるだけの事はやっとこか」
同意した綱木が霊力を出し、大嶽達も続く。
後は息を合わせて周囲に広げるだけ、となった所で空に異変が起きた。
「おや?何か……流れ星?」
この真っ昼間に何を言っているんだ、と大嶽の視線を辿った佐藤達は唖然とする。
「彗星?隕石?え、この辺に落ちそうですよ!?」
慌てふためく佐藤達や大嶽とは違い、綱木の顔に浮かぶのは安堵の笑み。
「来た……!」
青い空を突っ切って真っ直ぐにこちらへ降ってくるこの彗星こそ、現状を打破する為の切り札。
その期待に応えるように、光の筋を残し音も無く広場の真上へやってきた輝きから、圧倒的な神力が迸った。




