第三十七話 魔剣使いvs神官長と神の御使いと神使と猫
男にとって必殺の一撃だったのだろう。
完璧に読んでいた神官長が横へ躱した時の、何が起きたのか解らないという顔がそれを物語っていた。
だが腐っても班ひとつを任される騎士、どうにか踏みとどまって、神官長が繰り出す中段からの斬撃を剣を立てて受け止める。
そこで気付いた。
神官長の長剣が淡く光っている事に。
「な、なんだ!?」
男が怯んだ隙に神官長は剣を押し上げ、一気に引いて体勢を立て直す。
我に返った男も中段に構え直したが、視界に入った自身の剣が大きく欠けている事に愕然とした。
刃こぼれというより欠けている、いやむしろ抉れている。
何が起きた、と気を逸らすその一瞬が大きな隙となり、猛然と突っ込んでくる神官長を呼び込む形となった。
叩き付け、突き放して薙ぎ、蹴り飛ばして振り下ろし、距離を取ったかと思えば踏み込んで刺突。
剣の重さを無視した怒涛の連撃。それを受ける度に男の剣は欠け、神官長の剣が僅かに掠るだけで身体からは赤い物が流れた。
そしてついに男の剣は、振り下ろされた神官長の剣により、真っ二つに折れる。
「ぐッ……グァアッ!!」
防ぎ切れなかった刃先が腕を掠め、男は折れた剣を落とし傷口を押さえて思わず屈み込んだ。
その目の前の床に、淡く光る神官長の長剣が突き立てられた。
床は、石で出来ている。
その床に深々と剣が突き刺さっているのだ。
それを見た男は、認めたくない事実を認めるしか無くなった。
手加減されていた、という屈辱の事実を。
「これが本物の聖剣だ」
低く落ち着いた神官長の声が、男の自尊心を更に傷付ける。
あれだけの連撃を叩き込んでおきながら、息一つ乱れていないではないか。
自身の親より年上に見える爺さんが、だ。
もし最初のあの一撃が本気だったなら、真っ二つになって床に転がっていたのは自身ではなかったか。
まともな者ならば、ここで潔く完敗を認め膝を突くだろう。
しかし男は違った。
立ち上がりざま聖剣を引き抜いて奪い、振り回して神官長を牽制するや、鈴音達が通って来た大扉へ向けて駆け出した。
「なんと愚かな」
唖然とした神官長のそばでは、鈴音が虹男に指示を出している。
「虹男、目ぇと髪、元の色に戻して、あの大きい扉の前で通せんぼして」
「通せんぼ?いいよー」
笑顔で頷いた虹男が、金髪と色を変える目に戻り、大扉の前へ飛んで行った。
あと一歩で大扉に手が届くという所で、男の前に誰かが滑り込んだ。
反射的に立ち止まった男の目に映るのは、そこに居る筈のない者の姿。
「通せんぼだから。通ったら駄目だからね」
宙に浮いたまま両腕を広げるそれは亡霊等ではなく、影もあるはっきりとした実体だ。
「そ、そん、そんな、そんな馬鹿な事があるか!!」
喚く男とは違った意味で、後ろから来ていた兵士達も驚いていた。
伝説に出て来る通りの、金の髪虹の目の美しい男が突然現れたのだ。しかも宙に浮いているではないか。これに驚かずして何に驚けというのか。
逃亡者を取り押さえる、という役目も忘れ、兵士達はただ呆然と立ち尽くした。
「こ、この……化け物がぁぁあああ!!」
絶叫しながら男が聖剣で虹男に斬り掛かる。
「あ、ごめんね、効かないんだよコレ」
片手ながらも全力で打ち込まれた聖剣を、玩具か何かのように素手で受け止める虹男。
軽く剣身を握っただけで、全く動かなくなる。
「くッ、くそ……、クソォォオオ!!」
どうにか聖剣を取り戻そうと男は足掻いたが、無駄な努力だと悟るや否や、その身ひとつで別の扉へ向け逃げ出した。
「あれ?いらないの?」
手元に残った聖剣を持ち直し、男へと視線をやった虹男は、虎吉を抱いた鈴音が扉方向へのんびりと移動しているのを確認する。
勿論のんびりに見えるのは虹男だけで、残る人々からすれば瞬間移動だと思い込む速度だ。
気の毒そうに虹男が見つめる中、男は必死に自身が連れて来られた扉を目指していた。
男が虹男の前から逃げ出したと同時に、扉前へ移動していた鈴音は、既に拳を握って待ち構えている。
虹男や神官長ならともかく、女が相手なら無警戒にかかってくるだろうと踏んだのだ。
案の定、いきなり現れた鈴音にギョッとしてはいたが、男は速度を落とさなかった。
「そこをどけ女ァ!!」
「お断りや!」
ビシ、と言い放ってから、最小限の力を入れた拳で、男の腹をちょんと触る。
「ガは!!ぶェッフォ!!っぐフ」
本当にそっと触れる程度だったにも拘らず、まるで車と衝突したかのような勢いで、男は床をバウンドして転がった。
「うわ!ちょっと当てただけやで!?そんななる!?嘘やろ!?」
自らの拳と転がった男を交互に見ながら、鈴音は大変驚き嫌そうな表情だ。
自分でやっておきながらドン引きするという鈴音の鬼畜っぷりに、何が起きたのかは解らぬものの周囲の人々は皆青褪める。
「でも死んでないから平気じゃない?」
「あ、そうなん?生きてんねや良かったー……。殺人犯になったか思てパニクったわ。せっかく神官長様が殺さんといてくれたのに、危なかった……」
「人って脆いのか丈夫なのかよく分かんないね。もうこっから動いてもいい?」
「ええよー」
人ひとりぶっ飛ばしておいて、この呑気な会話である。
伝説に出て来る神の御使いと、おそらく御使いが守る庭に生息する動物と、それを抱き御使いに指示を出す謎の女。
これは何なのか、どういう状況なのか、混乱する国王と兵士達だったが、戻って来た御使いに跪く神官長と神官の姿を見て、一瞬で我に返った。
そうだ、相手は神の御使いなのだ。何を悩む必要があったのか、と。
床に転がったままの男へ近寄った鈴音は、虹男を前にした皆が跪くのを目の当たりにして、今更ながら感心する。
「虹男はああ見えてやっぱり神様なんやなぁ」
「今は神使や思われとるみたいやけどな」
「ホンマは神様で、皆が信仰しとる神様の旦那さんやで、て知ったらどないなるやろ」
「特にコイツなー。けどアホっぽいから開き直りよるかもしらんで」
鈴音の足元で伸びている男を、虎吉は呆れた様子で見下ろす。
それを聞いた鈴音の脳裏に過るのは、最後まで自らの罪を認めなかった猫殺しの悪霊の姿だ。
「うーわー、メンドクサイ。情報だけ引き出して、とっととおさらばが正解やね」
「それやねんけど、コイツが神殺しやろ?女神さんにコイツ突き出したらええんちゃうんか?」
虎吉の言葉に鈴音が目を泳がせる。
「いやほら、話聞いた限りでは、そそのかした奴がおるやん?偶々コイツの時に神殺しになっただけで、今までも何回もあったし、魔剣拵えて売りつけとる奴が悪の元締めみたいなもんで、そこまで辿った方がサファイア様もスッキリしはるんちゃうかなー思て」
やたらと早口な鈴音をチラリと見た虎吉は、あえて追求せず鼻から小さく息を吐いて頷いた。
「せやな、その方がええな」
「うんうん。よし、さっさと起こして話を……て、なんや騒がしいな?」
頷き返した鈴音がしゃがもうとした時、大扉の方から何やら揉めている声が聞こえて来た。
やがて大扉がゆっくりと開き、小柄な女性が飛び込んで来る。
何事かと顔を上げた国王は、それが自身の娘だと気付いて驚いた。
「エーデラ、何をしている!」
父である国王の問い掛けには答えず、エーデラは辺りを見回すと、転がっている男を見つけ悲鳴を上げた。
「きゃああ!!シェーモ!!どうして!!」
“悲鳴を上げるお姫様の見本”か何かのように、両頬へ手を当て首を振る姿に鈴音の目は点である。
その後エーデラは、ワンピースの裾をつまみながら駆け寄り、男を抱き起こそうとして動きを止める。
汚いのだ、誰かさんが腹を殴り飛ばしたお陰様で、色々と。
そこでエーデラは、触るのをやめて傍らに寄り添い、語り掛ける事にしたようだ。
「ああシェーモ、どういう事なの!あなたの崇高な戦いはこんな所で終わってしまうの!?」
自分と同年代に見える女性の芝居がかった所作に、どこからツッコんでいいのか分からず鈴音は黙って国王を見た。
国王は、娘とどうやらシェーモとかいう名前らしい魔剣使いの男との関係が分からないのか、怪訝な顔で固まっている。
残念ながら国王には頼れないようなので、鈴音自身がこのお姫様と関わるしかないようだ。
物凄く嫌そうな顔で、鈴音はエーデラに声を掛ける。
「えーと、お姫様で?」
その声に顔を上げたエーデラが答えるより早く、離れた位置にいる国王から答えが返ってきた。
「第三王女のエーデラでございます!わたくしが至らぬばかりに、我儘で世間知らずに育ち、自分が今何をしでかしておるかなど解ってはおりませぬ!どうか、どうか御容赦の程を!!」
一人称からして変わってしまっている国王に、何があったんだろうと虎吉も虹男も不思議そうな顔をする。
鈴音は一応理解出来た。屈強な騎士をぶっ飛ばした謎の女の前に娘が飛び出したら、そりゃあ親は生きた心地がしないだろう、と。
だが父親決死の助け舟も虚しく、お姫様は不愉快そうに顔を顰める。
「わたくしが何を知らないと仰るの?世間知らずはそちらではなくて?世の危機に立ち上がろうともせず、王の座にしがみついているだけの愚者の分際で偉そうに」
吐き捨てるような物言いに、反抗期に素行不良男子とつるむ女子中高生が鈴音の脳裏を過ぎったが、どう見てもこの姫は20代半ばだ。
国王の言う通り箱入りの世間知らず故に、阿呆な男の大言壮語に心酔してしまったのだろうか。
鈴音が視線を固定したまま考え込んでいると、エーデラが顔を上げてキッと睨む。
「大体お前は何者?何故シェーモの手当もせず、偉そうにわたくしを睨み付けているのかしら」
「え?ああ、ソレぶっ飛ばしたん私なんで、叩き起こして事情聴取しよ思て」
さすがの鈴音も“お前”呼ばわりにはカチンと来た。
「すんませんね国王様。あなたの娘さんこの阿呆の関係者みたいなんで、阿呆と一緒に事情聞かなあきませんわ」
仁王立ちで見下してくる鈴音に、状況がまるで理解出来ていないエーデラが小馬鹿にしたような視線を返す。
「頭は大丈夫?お前のような女が、騎士であるシェーモを倒せるわけが無いでしょう。ほら、近衛兵達!何をしているの!?この無礼者を捕らえなさい!!」
この発言に、跪いていた国王は顔から血の気を失って座り込み、兵士達は改めて虹男を拝む事で拒否の姿勢を示した。
「んな、何をしているの!?わたくしにそんな態度を取って……」
「いや、見えへんのアンタ。あのキラキラした金髪が」
虹男を手で示しながらの鈴音に割り込まれ、今にも癇癪を起こしそうなエーデラの横で、丁度魔剣使いの男シェーモが息を吹き返す。
「ぶっは!!ぅぐ……っ!こ、ここは……姫……?」
「まあ!気付いたのねシェーモ!」
目を開け、エーデラの姿を認め上体を起こしたシェーモは、すぐに視界の先の虹男と自らの真横の鈴音に気付き、それはもう情けない顔になった。
「ひ、ひいいぃぃぃいい!!」
腹の痛みも忘れ両手と尻でずりずりと後退る。
呆気にとられたエーデラが慌てて追い、再び傍らへ寄り添った。
「どうしたのシェーモ!」
「どうしただと?見えないのかあの化け物が!俺が殺した筈の化け物がここに居るではないか!!」
こちらもまた一人称に変化が見られる。多分こっちが素だな、と鈴音は頷いた。
「おまけにその女!俺に何をした!!この俺が、この俺が女相手に不覚を取るなど有り得ん!!」
「ふーん?ほんならもっかい……殴っとこか?」
グッと拳を握った鈴音が凄むと、シェーモの顔色が一段と青くなる。
「な、なんて野蛮な女なの!!何故お前のような者が城に居るの!!どういう事!!お父様!!」
娘が喋れば喋る程、項垂れるしかない国王の顔が床へ近付いて行った。最終的には虹男に土下座するような形になりそうだ、と鈴音は気の毒そうな視線を送る。
虹男も気の毒に思ったのか、国王へ声を掛けた。
「まあ、あの子の他にも子供居るんでしょ?一人ぐらい減っても大丈夫じゃない?」
ズレまくりの神様視点による、トドメ。
国王は正に土下座状態となり、小さく肩を震わせ始める。
「虹男、こら!どんな阿呆の子でも我が子は可愛い、いうんが親っちゅうもんらしいねんから。そら虹男からしたら、人なんて同じようなんがウジャウジャおるだけやろけど、こう見えてひとりひとり違うねんで?虹男かて、アンタの庭似たような動物ばっかりやし、一匹ぐらい減っても平気やん?とか言われたら怒るやろ?」
助けに入ったのか傷口に塩を塗っているのか微妙な鈴音の発言だが、虹男にはしっかり伝わったようだ。
「そっか、酷い事言っちゃったね、ごめんね?あれ、でもこの人怒らないで泣いてるよ?」
「そらアンタ、神の御使いから娘が死刑宣告受けた思てはるから」
キョトンとした虹男は、鈴音を見、国王を見、また鈴音を見た。
「鈴音怒らせたら殴られて死んじゃうかなーと思って言っただけなんだけど」
国王の肩の揺れが大きくなる。
「まあ、鍛えた大の男があんだけ吹っ飛ぶねんから、女の人なんかまず助からんやろけど」
鈴音の答えで、ついに国王から嗚咽が漏れて来た。
「いや、もし当たったら、の話ですから。人殺しだけはするつもり無いですから、国王様そない泣かんといて下さいよ」
そんな物騒な会話が交わされている隙に、シェーモは四つん這いでコソコソと扉へ向かい、何故逃げるのか解らず不服そうなエーデラも、身を屈めつつそれに続いていた。
それに気付いた虎吉が鈴音の腕から飛び降り、扉の前へ先回りする。
急に目の前に現れた謎の獣に驚いたシェーモは、シッシと手で追い払う仕草をした。
小首を傾げた虎吉は前足を振り上げ、シェーモの顔を殴り飛ばす。
「ふごブッ!!」
「ギャッ!!」
巻き込まれたエーデラ諸共飛んで転がり、愚かなシェーモはまた鈴音のそばへ戻る事となった。




