第三百六十二話 どうしたものか
5分程経過した頃、絶え間なく聞こえていた絶叫が小さくなり始める。
愛する人を絶望へ突き落とした宿敵の断末魔を、ペドラはただ無表情に見つめ続けた。
茨木童子は老神術士がまた風を起こして逃げようとしないか注視していたが、因縁があるらしいカルテロと張り合うのに忙しくそれどころではないようだ。
そこから更に2分ばかりが経つと、痙攣するように動いていた皇子の手足が動きを止め、呼吸音が聞こえなくなり、辺りに静けさが満ちる。
親の権力を傘に着て自らの欲望を満たしていた醜い男は、誰に惜しまれる事もなく冷たい死を迎えた。
「終わったで鈴音」
虎吉が前足で脛を叩くと、鈴音が下を向いて薄っすらと目を開ける。
「虎ちゃん、前見て大丈夫かな。全身から血ぃ噴き出したりしてへん?」
そんな大量出血の匂いはしないが念の為にと尋ねる鈴音へ、死体の様子を確認した虎吉は首を傾げた。
「五体満足やし血ぃも最初に刺されたとこしか出てへんけど、表情はあれやな、鬼に責められとる最中の地獄の亡者みたいやな。知らんけど」
「うへぇ。取り敢えずえげつない顔やいう事やね。ほな隠しとこ」
言うが早いか魔力でブルーシートを作り出すと、死体がある辺りへ落とす。
「ズレとるズレとる」
「げ、ホンマ?どっちに動かすか指示して」
「右や。行き過ぎた、ちょい左や。ほんで前や」
虎吉の誘導に従って念動力でシートを動かし、死体の上にきっちりと被せた。
「よっしゃ、やっと前見られるわ。ペドラさんひとまずお疲れ様です」
鈴音が虎吉を抱き上げながら声を掛けると、ペドラは微笑んで会釈する。
「ありがとうございます。やっとひとり片付きました」
「次はどないします?そこに居る無駄に顔だけええ偉そうなオッサンにします?それとも先に側近探します?」
皇帝をチラリと見てから、鈴音はカルテロへ向け神術を撃ちまくっている老神術士を魔力で作った縄で拘束した。
「な、縄が勝手に……!?」
「凄いな、あの青い布といい何がどうなってるんだ」
慌てふためく老神術士と、謎の神術に目を奪われるカルテロ。
ペドラは神術に興味がないので特に反応は示さなかった。興味があるのは壁際に立つ皇帝だけだ。
「出来れば側近を同じように始末し、皇帝により多くの恐怖を与えたいんですが……。別行動しているという事は、他の城に出向いているかまた誰かに毒を飲ませに行っているか、何にせよ近くには居ないのではないかと」
「ほなもう皇帝やっときますか?」
「そうですね。下手に後回しにして逃げられたり自害されても困りますし」
頷き合うペドラと鈴音を、皇帝は黙って見ている。
その三者を見比べた虹男が首を傾げた。
「汚い生き物を作った罪じゃなくて、別の罪で裁くの?ナントカ責任?」
「うん。ペドラさんの奥さんに毒を飲ました罪。実際に飲ましたんは皇帝の子分やねんけど、あの人が命令せんかったら子分はそんな事せぇへんかったんよ。せやから、命令した奴も実行した奴と同じだけ悪い、いう事やね」
「あー、そういう事かー」
納得した虹男に微笑む鈴音と頷くペドラへ、皇帝が冷笑しながら口を開く。
「皇帝……いや、神にでもなったつもりか?誰がお前達如きに人を裁く権限を与えたというのだ」
どこまでも尊大な皇帝の態度に、何か奥の手を隠し持っているんだろうな、と鈴音も茨木童子も一応警戒した。
その辺の事は皆に任せ、ペドラは皇帝を真っ直ぐ見つめて微笑みながら質問に答える。
「私は只の復讐者ですので。権限なんて必要ないんです。憎い仇を殺す、それだけですよ。でも……、そちらの御方は違うと思いますよ?どちらかと言うと権限を与える側ではないでしょうか」
畏敬の念が籠もったペドラの視線を受け、虹男はにっこりと笑う。
「ありがとー。でもこの世界だと僕にその権利は無いんだ。たぶん、何しても叱られないのは鈴音だよ。あと虎吉」
皇帝には虹男が言う事の意味などさっぱり分からないが、ペドラは少し驚いた様子で鈴音を見ていた。
「え……っ、でも彼女は魔剣に相応しい禍々しい“魔力”持ちだとエザルタートが……。それなのに神の怒りに触れない存在……?」
皇子の部屋での一件以来虹男を神に連なる存在だと考えていたペドラは、禍々しい力を持った鈴音をそばに置いて監視しているのではなかったのか、と目をぱちくりとさせている。
「あはは、私を魔剣呼び寄せる為の餌か何かや思いました?」
「はい。てっきり、あなたでカーモスを釣って神の御力で消し去るのだとばかり。エザルタートは彼を只の貴族だとしか思っていませんから、まんまと騙されてしまったのだと」
素直に頷くペドラへ鈴音は楽しげな笑みをみせた。
「そんなまどろっこしい事せんでも、この世界には聖騎士が居りますやん」
「ですが、聖騎士ではカーモスを完全に消し去る事は出来ませんし」
「神の御力でも出来ませんよ?何せあの魔剣は人の悪意が作り出す存在ですから、人がこの世界に生きてる限り何遍でも復活します」
はっきりと言い切られ、ペドラだけでなくカルテロも皇帝も老神術士もポカンとする。
「それではカーモスを消し去る為には、人を消し去るしかないという事でしょうか……?」
「そういう事です。せやから神はこの世界に魔剣が存在するのを許してるんです。まあ、あまりにも魔剣の信者が増え過ぎたらその時はあれですけど」
あれって何だ、と聞き返す者は居ない。
「魔剣に乗っ取られた人でも心の有りようによっては助かるそうですし、結構な御慈悲を下さってる思うんですけどねぇ。思い通りに行かんのを神のせいにしたがる人がそんだけ多いいう事ですかね、魔剣信者が増えるんは」
呆れたように言ってから、鈴音はひんやりとした目で皇帝を見やる。
「まぁこんな、人を人とも思わん奴が憚りまくっとったら、神様なんでですのん?て聞きたなる気持ちも分からんでもないですけど」
「フン。まるで神の御心が分かるとでも言わんばかりだな」
負けず劣らずの冷たい視線を返してくる皇帝に、鈴音は綺麗な笑みを向けた。
「御心は分からへんけど実際に仰ってたから」
その語尾に被せ、随分と暗くなった空へ雨雲も無いのに稲妻が走る。
「ほらね?」
笑う鈴音と、驚愕する皇帝。
「アンタの事は魔剣手に入れたどさくさで捕まえるつもりやってんけど、これはこれで好都合や。ペドラさんには復讐を果たして貰て、後は事が済むまで神術士さんと一緒に大人しぃしてて貰お」
サラッとこの後の計画を喋る鈴音に、ペドラとカルテロが困ったような顔をみせる。
「それは今の話を我々がエザルタートにするとマズいからですか」
ペドラの質問に鈴音は頷いた。
「そうです。神の関係者やて早い段階でバレると、信者らが目ぇ覚ましてくれへん思うんで」
「信者の目を覚ます……ですか」
「はい。別に神の事を嫌いなんはええんです。魔剣を崇めるんがアカンのですよ。自分らにとって都合のええように夢見てるみたいですけど、アレは悪意の塊ですから。まず間違いなく、自分が裏切って絶望した人の顔見ながらゲラゲラ笑う性癖の持ち主です。悪党以外、そんな奴の餌食になって欲しないんで」
まるで知り合いかのような詳しさに、ペドラもカルテロも納得してしまう。
「分かりました。では皇帝を片付け次第、我々をどこかに閉じ込めて下さい。別にご一緒しても喋りませんけど、そんな事を言っても信じて貰えませんもんね?」
「んん?」
ペドラが見せる指で頬を掻きながらの柔らかな笑みに、鈴音は思い切り首を傾げた。
「あの、姐さん。言い忘れとったんすけど、ペドラとカルテロは魔剣信者でもないし、神を殺したいとも思てないっす」
恐る恐る口を挟んだ茨木童子を、ゆっくりと振り向いた鈴音の視線が捉える。
「何でそんな大事な話を言い忘れるかな」
「ひー。なんやそんな雰囲気ちゃうかったんで」
「どんな雰囲気やった?」
「す、直ぐにクソをボコる雰囲気……?」
目を泳がせる茨木童子と、そういえばそうだったかなと顎に手をやる鈴音。
「まあええわ。要するにこの2人からしたら、もし私らが神の使いやったとしても何の問題もないいう事やね」
「あ、でもエザルタートに恩はあるみたいっすよ?カルテロなんか自由になれたんアイツのお陰やし、ペドラかてこないして復讐出来てる訳やし」
茨木童子が見れば2人はその通りだと頷いた。
「成る程。それやったら余計に魔剣から引き離したらなアカンね。何をどう頑張っても、人の力で神を殺すんは無理やから」
極々稀に例外はあるけど、と心の中で続け虹男を一瞬見てから、鈴音はペドラとカルテロに向き直る。
「ホンマに邪魔せぇへんのやったら、一緒に来て貰てもええですよ。エザルタートさんを守る人も必要かもしれませんし」
「本当ですか!」
「おお、ありがたい」
但し、と喜ぶ2人へ鈴音は釘を刺した。
「くれぐれも、何の事情も知らんいう顔しとって下さいね?現場の状況によって臨機応変に行くんで、もし私や仲間が悪の帝王みたいな動きしたらそれはそれで怖がって下さいよ?神の関係者やし誰も殺さへんよね、みたいに余裕かまされると台無しなんで」
「えっ。悪の……」
「……帝王」
「要するに、私を魔剣の依り代やと思い込んでる人の演技して下さいいう事です」
キリッと凛々しい顔で言われ2人は小さく幾度も頷く。
「よっしゃ、ほんならサクッと皇帝片付けて魔剣のとこ行きましょ。因みにまたその短剣で?」
そうペドラに尋ねながら鈴音は皇帝の様子を横目で見ていた。
「はい。同じ苦痛を与えたいので」
ペドラがしっかりと答えても、皇帝にこれといった反応はない。
短剣を刺すべく至近距離にきたペドラへ何かするつもりかと思ったが違うようだ。
同じく警戒している茨木童子と視線を交わしつつ、まずは皇帝を捕らえようと鈴音は動く。
その頃、陽彦と合流した月子は城での出来事を語って聞かせていた。
骸骨の方へ視線を固定したまま、陽彦もここまでの流れを説明する。
「そっか、じゃあ今頃虹男様は鈴ねーさんに叱られてるのかな。カワイソー」
「ペドラさん自分で復讐しに行ったのか。凄いな」
それぞれ何があったのかを知って感想を呟き、この後の事を考えた。
「ねーさん達がいれば復讐は直ぐ終わるから、次は魔剣を手に入れるのかな?シンハさんとは話がついてるんだもんね」
「ん。魔剣が嫌がったってあの人達が本気出したら勝てる訳ねーから、無理矢理握って乗っ取られたフリして暴れるんじゃね?神に挑む気なんかねーわバーカとか言いながら」
「ありそうそれ。その後にシンハさんに来て貰って、魔剣がやっつけられて終わりかな」
きょうだいが頷き合っていると、黒花が鋭い声を上げる。
「骸骨殿に動きが!」
ハッとして2人が見上げた先では、獲物を見つけた隼よろしく骸骨が真っ直ぐに急降下していた。
「ハル、黒花、行こう!」
「ラジャ!」
月子が屋根を走りだし、陽彦と黒花も続く。
魔剣カーモスの動きを見張っていた骸骨は、広場に現れた人物に首を傾げた。
明らかに神官だと分かる若い男性。
本来なら魔剣と戦う側の彼を見ても、信者やエザルタートに警戒する様子はない。
それはつまり彼こそが、アズルの街の神殿で信者達に地下シェルターを開放していた神官なのではないか。
神官というのは人々の信頼も厚い立場であるから、それが悪事を働けば世間の混乱も激しく神殿への不信感にも繋がる。
いかにも性格の悪い魔剣が好みそうな依り代だ。
問題は彼らが神力と呼ぶ魔力の量が、魔剣にとって妥協出来る水準かどうか。
案の定、神官が前に来ると魔剣はニヤニヤしながら品定めを始めた。
困り顔のエザルタートが何か囁いているが聞くつもりはないようだ。
そしてついに、神官が魔剣へと手を伸ばす。
これは阻止せねばと骸骨は一気に地上へ向かった。
「よし、次の依り代はお前にしよう」
「わ、私ですか!?大変な名誉ですが、私で務まるでしょうか」
「なぁに、貴族のお嬢様の所へ行くまでの繋ぎだ。魔力もこの中じゃ多い方だし問題ねえよ」
「カーモス、あなたの依り代としては鈴音嬢が一番なんだけどね」
「あれとは相性が悪いっつってんだろ。ほれ神官、さっさとこの柄に手ぇ添えろ」
「は……、はい」
神官がおずおずと手を伸ばした瞬間、空から何かが降ってきてカーモスと引き離される。
「うぉお!?ビビっ……てねぇけど何が起きた!?」
神官を信者の人垣の中へ放り込んだ何者かが骸骨だと分かると、カーモスは目に見えて慌てた。
「おおおおおお前、何しに来やがった!」
「契約者?相棒の姿も無いのにどうやって」
驚くエザルタートを見ながら、骸骨は骸骨で困っている。
勢いで邪魔したものの、この後の事を考えていなかったぞ、と。
何しろ喋れないので、鈴音のように煽ってカーモスの失言を誘う事も出来ない。
どうしたものか、とローブから大鎌を取り出し恐ろしげな雰囲気を作って信者達を遠ざけた所で、救世主が現れる。
「何があったのー!?」
大上きょうだいと黒花の登場に、骸骨はホッと胸を撫で下ろした。
鈴「神を嫌いなんはええんです」
シ「良くないね!?良くないよ鈴音!何を言って……」
白「……ゥアォーゥ?」
シ「神を嫌いでも構わないさ!鈴音は流石だねえ!」




