第三百六十一話 流れるような口撃
「要するに地下通路やら地下室やらの天井取っ払ったんは虹男様で、姐さんは行方不明の虹男様を回収しに来たら虎吉様を侮辱するアホに遭遇したからシメとったと」
話を聞いて纏めた茨木童子に鈴音と虹男が頷き、虎吉は目を細める。
「毛繕いは欠かした事ないのにやな、汚れとる言われたら腹立つで。鈴音が蹴り飛ばしてくれてスッとしたわ」
「虎ちゃんは可愛くて綺麗で可愛くてツヤツヤで可愛くてモフモフで可愛いのに、それが分からんアホなんか豆腐の角に頭ぶつけたらええねん」
フンッと鼻から勢い良く息を吐く鈴音と、豆腐の角ではなく壁に叩き付けられて失神している騎士達を見比べ、茨木童子は半笑いだ。
「ほんでそっちはどないしたん?初めましての人は仲間かな?割りとボコられてるそれは?」
虎吉を撫でながら尋ねた鈴音に頷いて、茨木童子はまずカルテロを紹介する。
「転移が使える神術士のカルテロっす。ペドラの復讐の手伝いっすね。元はそこに居る皇帝に仕えとったとか」
目礼するカルテロに鈴音も会釈を返してから、皇帝と老神術士を見た。
華奢な女性に屈強な近衛騎士が蹴散らされるという悪夢のような現実にばかり気を取られ、2人共ここまでペドラやカルテロと皇子の存在に気付いていなかったらしい。
皇帝は無表情を保っているが、老神術士は顔色を青から赤へ一瞬で変化させた。
「おのれ宝石商にカルテロ……陛下の御前ぞ!頭が高い!」
「まずそっちなんか。てっきり皇子の心配する思たけどな。っちゅうワケで、このクソがペドラのヨメの仇っす」
喚く老神術士に呆れつつ、茨木童子は皇子を指差す。
それにより、両膝をついて悔しげな表情を浮かべている皇子に全員の視線が集まった。
「腫れてるからハッキリせぇへんけど、目元が皇帝と似てるからホンマは整ってるんやろな、顔」
鈴音が言うと、皇子は籠絡のチャンスと思ったか顔を上げて見つめる。
「俺につけ、女!毎日、可愛がってやるし、服も宝石も、好きなだけ、買ってやろう!」
まだ自分が上の立場だと思っているのか、と驚いた茨木童子がチラリと見てみれば、鈴音はオモチャを前にした猫のような顔で笑っていた。
「怖ッ」
カルテロとペドラを庇うように立ちながらも一歩下がった茨木童子とは反対に、口角を吊り上げた鈴音は一歩前へ出る。
「毎日可愛がるとかどんだけ体力あり余らしてんの?ヒマなん?皇子のクセに仕事してへんの?皇族やら王族やらいうたら普通は分刻みで予定詰まってて毎日ヘトヘトやで?お世継ぎ作らなアカンから夜の予定がある日ぃは多少公務も控えめか知らんけどそれでも今日はもう何もせんと寝たい!いうぐらい疲れてるんが当たり前や思うねんけど?もしかして仕事ないの?さして貰われへんの?ポンコツ過ぎて?それでヒマ持て余して他所の奥さんに手ぇ出して殺したん?もしかせんでも終わってへん?人として終わってへん?大丈夫?アンタ何の為に存在してんの?」
息継ぎ無しの口撃は、皇子が持つ処理能力の容量を大幅に超えてしまったようだ。理解に随分と時間がかかっている。
皇帝と老神術士も、ここまでストレートに誰かを扱き下ろす様を見るのは立場的に初めてだったのだろう。何が起きたのかという顔で只々呆然としていた。
そんな中とても楽しげに微笑んでいるのはペドラだ。
妻の尊厳を踏みにじった男が女性に嘲笑われている姿は実に心地良い、と言わんばかりの笑みである。
そこからたっぷり数秒の間を置いて、ようやっと皇子が怒りで顔を真っ赤にした。
「お……女の分際で、この俺に、皇子である、俺に」
「せやから皇子として何してんねんな。そもそも皇子がええ歳こいてお父ちゃんと一緒に住んでるてどないなん。普通はとうに結婚してどっかの領地治めてるやろ。ひっっっろい広い帝国のほんの一角も任して貰われへんとかやっぱり無能か。帝国の穀潰しやな。国民が知ったら反乱起きるで」
殴りかかった拳が当たる前に百発殴り返されるような勢いで反撃され、皇子は声もなく口を開閉させるばかり。
ケッと見下してから鈴音は茨木童子へ視線を移した。
「で、この無能は何でここに?茨木がおったらボコボコにした後でトドメ刺せたやろに」
鈴音の疑問に答えたのはペドラだ。
「命乞いをされたんです。望みを叶えてやるから助けろって。父である皇帝に頼めば何でも出来るというから、私の妻と子を生き返らせてくれと願いました。神に等しい皇帝なら出来るそうなので、楽しみにして来たんですよ」
「えぇー……」
ペドラは薄笑いを浮かべて、鈴音は顔を顰めて皇子を見やる。
「足引っ張る系の無能か。自分が助かる為に皇帝巻き込むとかないわー。普通は皇帝を守る為に自分が罪を被る、やで。国のこと思たら。なんぼ皇太子がおっても急に皇帝が死んだら大混乱なるし」
不穏な発言に皇帝と老神術士は顔を強張らせつつ視線を交わした。どうにかしてここから脱出すべく何か企んでいるようだ。
鈴音も虎吉も茨木童子も気付いたが、特に問題はないので放置している。
気付いていない虹男はマイペースに口を開いた。
「ねーねー、死んだら生き返らないよ?世界をそういう風に創ってあるもん。生き返らせようとしたら世界を全部創り変えなきゃ無理だよ?」
ヒラヒラと鈴音の視線上で手を振りながら言う。
「そらそうやんね。神なら生き返らせる事が可能、とかいう条件付けてたら、何かの弾みでその力持った人が生まれたりするかもしらんし」
突然変異なんて言葉が存在するくらいだ。魔法がある世界では特に危険だろう。
そんな虹男と鈴音の会話を聞いていたペドラが、笑みを浮かべたまま皇子へ声を掛ける。
「出来ないらしいな、死人を生き返らせるなんて。さあどうしようか」
短剣の柄に右手を置くペドラを見て皇子は慌てた。
「ちちち父上!父上なら、出来るでしょう!」
俺の命が懸かっているのだ出来ると言え、そう目で語る息子を見た皇帝は呆れたように溜息を吐く。
精鋭中の精鋭である近衛騎士という盾を失い、味方は老神術士のみ。
己もそれなりに戦えはするが、敵は近衛騎士を軽くあしらった女に地下道の天井を消し去る謎の神術士、おまけに元首席神術士のカルテロまで居る。
誰が見ても圧倒的不利だ。
そんな状況で何故、どうやって嘘を吐けると思うのか。しかも誰もが嘘だと分かっている嘘をだ。
一体どんな育て方をすればここまでの阿呆が出来上がるのか、乳母や教育係を問い詰めたい。
思考があらぬ方へ飛びかけていた皇帝は、我に返って咳払いをする。
そして老神術士へボソボソと耳打ちした。
しっかりと頷いた老神術士が皇子へ向き直る。
「死人を蘇らせようとした事がないので分からぬ。そなたで試してみるゆえ、討たれるがよい」
他者の口から出た皇帝の言葉に皇子は愕然とし、身体の痛みを忘れたように激しく首を振った。
「何を、何を言っているんです父上!皇帝たるあなたの子が、下賤の者の手にかかるなど、あってはならない!」
やはり痛みはあったのか顔を顰め呼吸を乱しつつの抗議だが、それを見ても皇帝の表情は変わらない。
焦った皇子は虹男を指差す。
「あなただって、狙われているでしょう!他人事じゃ、ない筈だ!」
本人は、いかにも言ってやったぞという顔をしているが、周囲は皆ポカンである。
「えーと、そこのアンポンタン。よう聞きや?皇帝がお仕置きされそうになってたんは、アンタのせいや。アンタの教育がなってへんのは親の責任やいう事でシバき回されるとこやってん」
駄目な生き物へ向ける目で皇子を見ながら、鈴音は淡々と言って聞かせた。
「けど皇帝からしたら自分の手ぇで育てたんちゃうし、精々が教育係の任命責任ぐらいしか無い思てるわけよ。でもそれを言うた所で下々に通じるか謎やし。ほな息子の首くれてやったらどないや、て考えてみたら。罪を犯した子を裁いた親、いう事になって恐らく自分は助かる。復讐者も大人しなる。よし完璧やこれで行こ!となったんやね」
通じたかな、と一抹の不安を覚える鈴音へ先に声を掛けたのは虹男だ。
「皇帝が汚い生き物を作ったんじゃないの?」
「んー、あの手の偉い人は殆どが自分で子育てせぇへんねん。帝国の大きさと、皇女が8人以上皇子は2人以上て子供の数から考えても、教育係に丸投げや思う。仕事が忙し過ぎてそんな大勢の子供に構てられへんやろし。おまけにコレもう大人やん?親の責任とか言うんはどうかなとも思うよねぇ」
「そうなんだー。じゃあ汚い生き物を作った事ではお仕置き出来ないね」
小首を傾げる虹男へ鈴音はウンウンと頷いた。
「そうやね、その件では難しいね」
そんな鈴音をペドラが興味深そうに見やり、目が合うとどちらからともなく微笑んだ。
「そんな、そんな馬鹿な話が……」
頭を抱え混乱する皇子を見下ろしペドラが声を掛ける。
「そういえば殿下。あなたは女性を手籠めにした事を、いちいち陛下にご報告なさったんですか?」
先程までと違った丁寧な口調に違和感を覚える事もなく皇子は答えた。
「する訳ないだろう!」
「おや、そうなんですね」
「へぇー、そうなんや」
意外だと言いたげな表情でペドラと鈴音が顔を見合わせる。
「一応悪い事をしているという自覚はあったんですね」
「ビックリやわぁ。でもそないなると不思議に思う事があるんですよ私」
「奇遇ですね、私もですよ」
2人の目が皇帝へと向いた。
もう随分と地平線に近づいた夕陽のせいで、皇帝から2人の表情は見え難い。
「ペドラさん家に来たんは誰の部下でしたっけ」
「皇帝陛下の側近でしたね。奥方様への贈り物にと宝石を購入して下さった方なので、よーく覚えております」
「その側近さんは身分の高い方でしょ?なんで平民のペドラさん家にわざわざ御足労下さったんですかねー?」
「それがですね、堕胎薬をお持ちになったんですよ」
「おやまあ。何ででしょう?」
「何故でしょうね?」
すっとぼけた演技が終わる。
「教えて貰えます?皇帝さん」
鈴音のその低い声が合図だったかのように、老神術士が風の神術を発動した。
自身と皇帝を風に乗せて地上へ運び、逃げ出そうという魂胆だ。
ゴウ、と音を立てて風が吹く。
しかしいつまで経っても身体が浮くどころか、皇帝のマントや老神術士のローブがはためく事すらない。
「何が……!?」
術は使えたので結界を張られた訳ではないだろう。
では何故、と狼狽える老神術士は知らなかった。
目の前に居る女が、他者が吹かせた風に干渉し消し去る事も、別の方向へ流してしまう事も出来る化け物だなんて。
風が目に見えないせいで謎が解き明かされる事はないままに、悪夢の続きが始まる。
「側近が勝手にした事、て言いたいなら言うてもええけど、息子と違て側近に関しては使用者責任を問わして貰うからそのつもりで。要するに部下の罪は上司の罪いう事や」
帝国にそんな法律はない。
けれどそう言った所で通用するとも思えなかった。
仕方なく皇帝は口を開き直接答える。
「国を守る為だ。そんな阿呆でも皇子なのでな、全ての行動を把握出来る体制は整えてある。とにかく、誰彼構わず種を撒き散らされては困るのだよ。争いの火種は燃え上がる前に消すに限る」
「女性の同意も得ずに?」
「必要ない。当然の事だ」
威厳のあるバリトンで、毒物を強制的に飲ませるのは当然だと言い切った。
「秘密裏に“処分”してもよかったのだぞ?それに比べればよほど温情に溢れた処置であろう」
自分で言うかと呆れる鈴音と、怒りで表情が抜け落ちたペドラ。
「温情……。皇帝の側近が持って来た薬という名の毒、あれは妊娠初期に使うものだそうだよ。妻のようにそろそろお腹も大きくなるだろうかという頃に使えば、死んで当たり前だと薬師に聞いた」
陽が沈む。
まだ空に幾らか明るさは残るものの、人の表情はもう見えない。
「何度も訴えたんだけどね。私と妻の子だと。どう考えたって月齢が合わないんだから、疑われようもないだろうって」
スラリと短剣を抜く音がした。
「側近は皇帝陛下の御下命だと言って聞く耳を持たなかったよ」
虎吉が鈴音の腕から降りて足もとに座る。
「おい、待て、待て。その流れだと、お前の妻とやらを、殺したのは、俺じゃないだろう」
ペドラから逃げようとした皇子が腰の痛みで立てずに慌て、鈴音は耳を塞いで目を閉じた。
「妻とやら。……フフ、誰の話をしているのかも分かっていないんだな。まあいいか、お前みたいな“汚い生き物”に妻を覚えられている方が不愉快だ」
「クソッ!クソッ!近寄るな!」
いよいよ命の危険を感じて両腕を滅茶苦茶に振り回す皇子を、素早く近付いた茨木童子が蹴り飛ばし俯せにして踏み付ける。
「やめろ!やめろーーー!!」
「精々苦しんで皇帝に恐怖を与えてくれ。自分もあんな目に遭うのかと怯えて頂こうじゃないか」
「待て、やめろ、今なら赦してやる!やめ……」
ペドラの短剣の先が皇子の脇腹近くに刺さった。
途端に響き渡る悲鳴。
刺された痛みで上がったそれは直ぐ、毒が与える痛みに苦しむものへと変わる。
「痛い痛い痛い痛い痛いィギャァァァアアア!!」
絶叫し首を掻き毟り腹を押さえのた打ち回る皇子の姿を、ペドラは離れた位置から黙って見つめていた。
「大丈夫か?素人が見るには刺激が強いやろ」
隣に立った茨木童子が心配するも、ペドラは緩く首を振って笑う。
「妻の苦しみに比べればこの程度どうって事ありませんよ。寧ろこっちが記憶に残って、妻が苦しむあの姿を忘れさせてくれればいいのに」
笑っているのに泣いているように見えるペドラの様子に眉を下げた茨木童子は、藻掻き苦しむ息子から距離を取るべく壁際へ逃げている皇帝を見た。
「あー、薄暗いから離れたらあんま見んで済むもんな。けどそうは問屋が卸さへんで。カルテロ、クソの周り明る出来るか」
「よし任せろ」
頷いたカルテロが前方へ幾つかの火球を飛ばす。
床に落ちた暫くは消えないその火が、目を剥き歯を剥き舌を出して転げ回る、涙と鼻水と涎と脂汗まみれの男の姿をより恐ろしげに浮かび上がらせた。
「……ッ!」
「ヒイィ!!」
皇帝は顔を顰め、老神術士は腰を抜かす。
鈴音のように耳も目も塞げばやり過ごせるのに、皇帝はプライドが邪魔をしてそれが出来ず、老神術士はパニックになってそんな簡単な事さえ思いつかない。
「よく見ておくといい。自分で自分が苦しむ姿は見られないからね。今こんな顔でのた打ち回っているのかな、と後で思い出せるようにしっかり記憶してくれ」
嘲るように笑うペドラへ向け、老神術士が腰を抜かしたまま火球を乱れ撃つ。
しかしその全てをカルテロが素早く正確に放った火球が相殺した。
「元上司をナメて貰っちゃ困るな、次席神術士」
「黙れ逆賊!!私が首席だ!!」
喚く老神術士が今度は風の刃を繰り出すも、カルテロはこれまた相殺してみせる。
中々に高度な技を見て、鈴音が動けなくても今の所は問題ないなと虎吉は安心し、醜く喧しい叫び声に耳を反らしつつ終わりを待った。




