第三百六十話 禁句
転移した謁見の間から隠し部屋に入り、そこにある地下道を通って皇帝専用の避難部屋へ向かった茨木童子達は今、目の前に広がる光景を見て絶句している。
夕焼け空が綺麗に見える天井の無い部屋で、鈴音が騎士風の男の胸倉を掴んで持ち上げ、壁へぶん投げた所だったからだ。
その様子を眺めているのは無邪気に拍手している虹男と、顔面蒼白になっている美中年と還暦前後の男。
「……ここ地下室っすよね。姐さん、何がどないしてこないなったんすか」
唖然とした顔で問い掛けた茨木童子を振り向き、騎士風の男5人を床に転がした鈴音は溜息を吐く。
「あー、それがなぁ……」
赤い飛龍に乗った鈴音は白い飛龍パルナに乗った聖騎士シンハと話し、予想通りこの追いかけっこが求愛行動だと知った。
全力で飛ぶオスの速さにメスが遅れずついて行けたらカップル成立となるらしい。
但しそれは立派に成長した飛龍同士の話で。
「パルナはまだ大人の男と呼ぶには早い、いう事ですか」
「そうなんです。あと1年もすれば伴侶を得てもいい年頃ですが、まだちょっと……。因みにその赤い飛龍もまだ子供ですよ」
「ええ!?あんた何背伸びしてんねんな」
鈴音が呆れると赤い飛龍は不満げに唸る。
「まあ聖騎士の相棒になるくらいや、その白いのんは相当ええ龍なんやろ。そないなると競争率は跳ね上がるから、早い内に近付いとこっちゅう話やな」
虎吉が笑い、赤い飛龍はその通りだとばかり頷いた。
「気持ちは分からんでもないけどさ、それで怖がられとったら意味ないやん」
「ゥグゥッ」
「このままやと後から来た百戦錬磨のメスとか、あざと可愛い系のメスとかに盗られてまうで?」
「ギャァゥ!」
「それが嫌ならまずはお友達から始めなさい。喧嘩売ってんのか思うような追いかけ方しない。のんびり並んで飛ぶねん。ほんでパルナがお仕事ん時は邪魔せんと待っとく」
「グルァー」
生ぬるいわ、と言いたげな顔をした飛龍だったが、パルナが鈴音に尊敬の眼差しを向けていると気付き光の速さで掌を返す。
「クルルゥ」
「うわ分かり易ッ!」
かわい子ぶる飛龍にツッコむ鈴音と、ホッとしたように笑うシンハ。
「まあこれで邪魔される心配無くなったしええか」
「ですね。では心置きなくカーモスを退治しに……」
「あ!その事でちょっとご相談がありまして」
そうして、カーモス教の信者達に現実を見せるため一芝居打つという話をし、シンハの協力を取り付けた所で漸く、城が消えている事に気付いた。
直ぐにポンと元通りになったので見間違いかとも思ったが、シンハも同じように驚いていたので現実だと分かる。
「あんな無茶が出来るんはシオン様か虹男か……」
「声がデカい神さんの力はせんかったから、虹男やろ」
虎吉があっさり答え、鈴音は唸った。
「そっか、ありがとう。うーーーん、やりたい事があるとか言うてたけど、これなんやろか。骸骨さんらと一緒に魔剣の監視してる途中で何か思い付いたんかなぁ」
「ま、何にせよ確かめに行かなアカンやろ」
「そうやんね」
頷いた鈴音はシンハに向き直り微笑んだ。
「ほな何があったんか確かめてから、ひと暴れしますんで」
「はい。合図をお待ちしています。じゃあ行こうかお嬢さん」
シンハに声を掛けられた赤い飛龍は、お嬢さん呼ばわりを怒るかと思いきや、何だかとても嬉しそうに喉を鳴らしている。
「人のイケメンも好きなん?欲張りやなー。気ぃつけなパルナが嫉妬するで」
悪戯な笑みを浮かべた鈴音はシンハを笑わせ赤い飛龍をギクリとさせてから、躊躇いもなくヒョイと空へ飛んだ。
「後はよろしくー」
「グァウ!」
手を振りながら落ちて行く鈴音へ赤い飛龍が返事して、パルナの後を追いかけるように飛び去った。
くるりと回転し音もなく帝都の外れに降り立った鈴音はまず、空からでも見えていた陽彦の光を目指す。
軽やかに屋根を駆け抜け物の数秒で到着。
「お疲れさまー」
「お疲れ様でございました」
「お疲れ。ドラゴン言う事きいた?」
高い空でまた追いかけっこを始めた飛龍達を見上げて陽彦が怪訝な顔をし、黒花は心配そうに小首を傾げる。
安心させるため鈴音は笑って親指を立てた。
「協力して貰てん。赤い子が居らんようになったら、シンハさんが街に降りて来ぇへんのはおかしいやろ?せやから暫く遊んどいて、て」
「あー、成る程。ドラゴン同士のバトルに巻き込まれて降りて来らんねーって魔剣に思わせてるんだ」
「うん。シンハさんも魔剣と会うてしもたら狩らん訳にいかへんやん。けどそれやと信者の人らは依り代が弱かっただけや思て、次の復活に向けて魔剣を信じ続けるやろし」
「それでは意味がありませんね」
「はい。無理にシオン様を拝めとは言いませんけど、あんな悪党を煮詰めたみたいな性格悪い剣を崇めるんはダメです」
黒花へ頷いてから空に浮かぶ骸骨へ自然と視線をやった鈴音は、そこに見える光景に違和感を覚え目をぱちくりとさせる。
「あれ?虹男は?ここに居らんいう事はあっちで骸骨さんと一緒やないん?」
「え?居る筈だけど?」
答えた陽彦は黒花と共に空を見上げ『マジでか』と呟き固まった。
「おらへんのか?」
「うん」
見上げてくる虎吉へ返事して、骸骨が単独で浮いている理由を考える。
結果、鈴音の顔に焦りの色が浮かんだ。
「魔剣があの下に居るから骸骨さんは動かれへん訳や。となると、一緒におった虹男は何か思い付いてお城を消したり戻したりした後、ひとりで行った?」
「ははあ、ありそうやな。監視に飽きてやりたい事とやらをやりに行ったんちゃうか」
「やっぱりそない思うやんね。向こうには茨木とツキが居る筈やけど、合流するとは限らんし……アカン、急ご」
慌てる鈴音へ黒花が声を掛けた。
「虹男様の動向を見逃した事、面目次第もございません。言い訳にはなりますが、北の大陸で出会った男の匂いがしたもので、それを追っておりました」
しょんぼり項垂れる黒花を見て『可愛いなー』と思ってから我に返る鈴音。
「例の、娘さんを病気で亡くしたグラーさんですね?」
「はい。魔剣が居る広場へと入って行きました」
「よっしゃ魔剣の本性を見せられる。ありがとうございます黒花さん。匂い覚えてて欲しいてお願いしたから、気にしてくれはったんですね」
鈴音が微笑むと、黒花の顔が上がり尻尾がパタパタと揺れ始めた。
「はい。お役に立てましたか」
「勿論!」
「おお、良かった」
目を輝かせ口角を上げて喜ぶ黒花を見て、やっぱり可愛いなと鈴音の目尻は下がる。
「ほな私と虎ちゃんで虹男探してきますんで、黒花さんとハルはこのままここで待機して、骸骨さんに何か動きがあったらフォローお願いします」
「心得ました」
「了解。……見逃してゴメン」
ボソッと謝る陽彦に気にするなと手を振って、鈴音は城へと駆け出した。
「虎ちゃん、虹男の匂いする?」
カーモスによって破壊され神術士がある程度修復した城壁に立ち、鈴音自身も耳を澄ましつつ問い掛ける。
「匂いは風に流されて分からんけども、あの真ん中の奥の方から声がしたで」
「おー!気付かんかった。やっぱり虎ちゃんは凄いなぁ」
「そうやろそうやろ」
鈴音がデレデレしながら頬擦りし、虎吉は得意げに目を細めた。
「んふふ、可愛い。よし行こ」
顔を引き締めさっそく壁を蹴って城の屋根に跳んだ鈴音は、耳に届く『皇子様が』『ボスタ殿下が』という声に首を傾げる。
「どうも皇子が狙われたっぽい?もしかしてペドラさんやろか。ここに居らんかったら後は知らん、て茨木が言うてたんはこの事?」
「おう、そうみたいやな。皇子の部屋が吹っ飛んで無うなった言うてるで」
「契約者がどうとかも言うてるね。骸骨さんは来てへんから本物の契約者?」
他にも透明な城だの精鋭部隊が全滅だのと聞こえてくるが、情報が多過ぎてよく分からないのでまずは虹男を探す事だけに集中しようと決めた。
「虹男見つけた後で茨木とツキに聞こ」
溜息交じりに呟いて、鈴音は巨大な城の屋根を走る。
「あ!今、虹男の声したやんね?」
「せやな、この先やな」
一番大きな建物の奥の方から虹男の声がした。
急ぎ駆け付け見下ろしてみると。
「……え?」
「ん?なんや?」
裏庭、と呼ぶには広大だが建物の裏にあるのだから裏庭なのだろうと思われるスペースに、ぽっかりと穴が空いている。
まるで遺跡の発掘現場のように深く綺麗な四角い部屋と、そこから城へ伸びる水路のような細長い堀。
発掘現場と違うのは、その両方共が石積みの壁で覆われている事だ。
そして四角い部屋には身なりのいい中年男性と魔法使い風の男が居て、それを守るように5人の男が立っている。
彼らと向かい合っているのは虹男だった。
「えーとえーと、あれホンマは地下の部屋?見るからに偉い人の後ろが土で塞がれてるのは虹男が通せんぼしたから?」
全く以て意味不明なので、見える情報だけを脳に入れて状況を整理する鈴音。
虎吉も余計な事は考えず頷く。
「あー、そうやな。あの後ろにも道が続いとるんやろ。殿様なんかを逃がす為の隠し通路ちゃうか。それがあんな塞がり方しとるんはおかしいから、やったんは虹男やろな」
「お殿様。あ、皇帝かあのイケオジ!ほなローブの爺さんは神術士で、戦隊ヒーローみたいに並んでる5人は近衛兵かな。魔剣が出て危ない帝都から脱出しよったんやろか」
見た目だけで何となく判断したものの、合っていたとしてそんな人物達に虹男が何の用だろう、と鈴音は渋い顔で首を傾げた。
「ええわ、聞こ」
「おう、その方が早いな」
虎吉と頷き合ってすぐ飛び降り、虹男の隣に立つ。
「にーじーおーサーマー?」
「うわあ!?」
横から顔を覗き込んで声を掛けると、虹男は飛び上がって驚いた。
「鈴音だ!何でいるの!?」
「探しに来たからや。……で?何してんの?何で骸骨さんと別行動してるん?」
初夏の気温を物ともせず詰め襟の騎士服を着て剣を構えている5人と虹男を見比べつつ、鈴音は真顔になる。
ちょっと後退った虹男だが、どうにか踏ん張って凛々しい顔を作った。
「お仕置きしようと思って」
「お仕置き?誰を?何で?」
「皇帝だよ?汚い生き物を作ったのは皇帝でしょ?だからお仕置き」
「うーん?」
虹男の中で話は繋がっているようだが、断片的過ぎて流石の鈴音でも今聞いて即理解とはいかない。
「えー……、汚い生き物とは?」
「誰かの妻を襲って殺した悪い皇子」
「あー、はいはいはい成る程、見えてきた。クズな息子育てたんは皇帝やから、皇帝にも責任があるやろいう事ね?」
「うん」
この会話で漸く皇帝側にも何故こんな事態になっているのかが伝わったようだ。
「汚い生き物というのがアレの事だったとはな」
「陛下。下賤の者共に尊きお声なぞ勿体のうございます」
皇帝が口を開くと老神術士が慌てて止めに入っている。
鈴音としてはどうでもいいので無視だ。
「ほんでお仕置きしたろ思て皇帝探しにきて、地下に居るんが分かったから地面めくったん?」
「うん。椅子の後ろにある部屋の地下、ってアッキの子が教えてくれたから透明にして見てみたら、外に道が繋がっててそっちに居るみたいだったから。お城壊さずに中に入るの大変だし、地面なら消しても後で戻せばいいかなって」
また色々な情報が出てきたので、鈴音は頑張って脳内メモを整頓しついて行く。
「お城勝手に壊したらアカンて覚えててくれて嬉しいわ。けど、虹男がそこまで誰かに執着するて珍しいね」
「だって、妻だよ?妻に触れていいのは夫だけだよ?なのに襲って殺したんだよ?」
喋っている内に怒りが湧いてきたのか、虹男の目が忙しく色を変え始めた。
危険な気配を察知した鈴音は鎮火しにかかる。
「そうかー、他所の奥さんの事やのにそこまで怒ってくれる虹男は優しいなぁ。サファイア様も惚れ直したで多分。幸せに暮らしたい夫婦はみんな虹男を拝んだらええんちゃうかな?夫婦円満の御利益がありそうやわ」
「ええー?そうかなぁ?えへへー。ゴリヤクって何だろ?まあいっかー」
狙い通り照れてニコニコする虹男にホッと胸を撫で下ろし、鈴音は近衛騎士達が隠している皇帝へ向き直った。
「もしもしー、皇帝さん?聞いてた通りお宅のバカ息子の件でえらい事なってますよ?」
鈴音が話し掛けると、近衛騎士達の顔が怒りに染まり老神術士が怒鳴る。
「黙れ女!!下賤の分際で許可無く口を開くな!!」
「許可?この世界では好きにしてええいう許可なら貰てるけど?」
神紋を突き付けてやろうかと眉根を寄せる鈴音へ、今度は近衛騎士達が罵声を浴びせた。
「黙れと言われたのが聞こえんのか!!怪しげな術を使った上に陛下の御前へ薄汚い魔獣を連れて来るなぞ……」
近衛騎士その1は最後まで吠えさせて貰えなかった。
脇腹に衝撃を受けると同時に隣の近衛騎士その2を巻き込んで、壁へ吹っ飛んだからである。
大の男をボール宜しく蹴り飛ばした鈴音は、瞳孔が開き気味の目を他の騎士達へ向けた。
「ごめんごめん、何て?もっぺん言うてみてくれる?ちょっと聞き取られへんかったわ」
「強化神術か。油断するからだ未熟者め。いいか女!こちらに御座すはこの世界に於いて最も尊き御方。魔獣などという醜い存在を連……」
近衛騎士その3は隣に居たその4と共に壁へ飛ぶ。
「この世界で最も尊いんは神で、その次が神託の巫女やろ?神を超えた存在なん?皇帝て」
残された近衛騎士その5は剣を構えて慎重に口を開いた。
「神にも等しいという意味だ」
「超えてはないんかー。神は怖いんや、フーン」
「キサマ……ッ、神にも等しい御方の前でその態度!!万死に値する!!」
「へー」
「そのケダモノ諸共叩き斬っ……」
ちょっとだけ頑張った近衛騎士その5だったが、結局は剣を圧し折られた挙げ句に胸倉を掴まれ、壁へぶん投げられて終了。白目を剥いて意識を飛ばしている。
茨木童子が鈴音に声を掛けたのは、この直後の事だ。




