第三百五十九話 化け物
室内では、虹男が離れた事で復活した不死者が素早く立ち上がり相棒を小脇に抱えている。
「こんなトコに居たら命が幾つあっても足りないから帰ろぉーっと。あっ、私もう死んでたぁー」
空いている右手を拳にして頭を小突く仕草をし、小首を傾げた。
「うわぁ……」
まさか帝国の伝説となっている契約者がこんなのだったとは、とこちらも立ち上がりながら呆れたカルテロは、流れてきた不穏な空気に気付いて即座に身構える。
「でもせっかくここまで来たのに手ぶらで帰るのはないでしょぉ?あの色男は後で回収するとしてぇ……まずはぁ、あなたからにするわねぇ?」
ハキハキ喋れる癖にやたら間延びした頭の悪そうな喋り方をし、不死者はカルテロへ顔を向けた。
攻撃が来ると分かったので、カルテロも皇子付きの神術士も瞬時に防御用の結界を自身の周りに張る。
「やぁだ、そんなので耐え切れるかしらぁー!?」
楽しげに笑いながら不死者は右手を前へ突き出し、特に力むでもなく風の神術を放った。
途端に吹き荒れる暴風。
カルテロを捕らえる為に威力を抑えている筈のそれは部屋の壁を破壊し、皇子付きの神術士の結界も砕いて彼ごと吹き飛ばしてしまう。
壁の向こうは中庭だ。そしてここは城の3階。物理ダメージを軽減する結界を張るか強化神術を掛けるかしなければ、命の保証はない。
あの神術士にそんな余裕は無さそうだったが、カルテロにも他人を助けてやれる程の余裕は無かった。
何しろ相手は生前の強さに加え、数え切れない程の魂を食って魔力を底上げしている化け物である。
「キツイな」
弱音を吐きつつそれでも結界を壊される事無く耐え切ったカルテロを見て、不死者は感嘆の声を上げた。
「ちょっとぉ凄いじゃない!いいわぁー、とってもいいわぁー」
「うへぇ……」
頬に手をやりクネクネしている不死者にうんざりし、カルテロはもう奥の手を使う事にする。
「こういう時は逃げるが勝ちだ」
言うが早いか転移の神術を発動。
不死者の前から姿を消した。
「は!?転移持ちだったの!?キーッ!!逃さないわよぉ!?絶対見つけ出してバリバリと食べて……」
ギャンギャンと叫んでいた不死者はふと気付く。
カルテロの気配がすぐ上からしている事に。
そう、転移という高度な神術を使用したカルテロは、茨木童子と月子の前で困ったように笑っていた。
さあ今から皇子を叩きのめすぞ、と気合を入れていた茨木童子は、いきなり現れたカルテロに目が点である。
「……どないした?」
「いやー、強くて。アレ」
申し訳無さそうな笑みのカルテロが指差す方へ視線を移すと。
「私の事ナメてんのぉぉぉお!?」
吹き上げる風に乗って屋上へ移動してきた不死者が居た。
「まだ居ったんかい!!」
「ウザッ」
虹男という恐ろしい存在から出来る限り遠ざかる為に壁を吹っ飛ばして城から逃げたのだろう、と思い込んでいた茨木童子と月子が揃って呆れる。
その時、不意に城の色が元に戻り、ハッと目を見開いた皇子が弾かれたように立ち上がって走り出した。
「あ!」
驚いたペドラが追うより早く。
「逃がす訳ないじゃん!」
一瞬で皇子の前へ回った月子がその腹を蹴り飛ばす。
「ぐァっは!!」
屋上へ叩きつけられるように転がった皇子は、くの字になると先程ぶつけた腰が痛い、けれど苦し過ぎて身体を伸ばす事も出来ない、という状態で脂汗を流しながら身悶えた。
「安心してね、絶対逃さないから」
のたうち回る大の男の前で綺麗に微笑む月子へ、ペドラは畏敬の念が籠もった眼差しを向けて頷く。
「き、キサマら……」
「うわー、超ブス。こっち見ないで?ウザ過ぎ」
本来は整っている顔を歪めて罵倒しようとする皇子をバッサリやって、月子は足元を見た。
「何で急に元に戻ったんだろ?虹男様の気まぐれ?」
落ちる心配をせずに動けるからこの方がいい、と思いつつ茨木童子達の方を見ると、いつの間にやら不死者がやる気満々だ。
「もう怒ったわよぉ!?どんな姿でも取り敢えず生きてりゃ契約は出来るんだから、思い切り痛い目に遭わせてやるわッ!!」
相棒を小脇に抱えたまま風の神術で空へ舞い上がった不死者は、屋上へ向け右手を突き出した。
「消し飛べぇ!!」
ゴウ、と音を立てて竜巻のような風が迫る。
実際に風が直撃した部分は竜巻に襲われたかの如く屋根も壁も巻き上げられて飛ばされ、城の一角は無惨に削り取られてしまった。
「……やだぁ、消し飛んだら契約出来ないじゃない。私ったらうっかりさんだわぁウフフ」
舌があったら確実に出しているだろう声音で言い、楽しげに笑う不死者。
そこへ。
「もしかしてお前か、質より量で魂食う不死者て」
削り取られた部分より西側、胸壁を備えた塔の上から茨木童子の声が届いた。
「えええぇぇぇえええ!?何で生きてるのよ!?」
驚きのあまり相棒を落としかけて抱え直し、不死者は呆然と塔の上に立つ茨木童子を見やる。
「あっ、転移ね!?転移したんでしょ、生意気だわぁ」
そう言いながらカルテロを探し、見える範囲には居ないなと首を傾げた。
「ハハハ、転移かどうかはこの際どないでもええやろ。そんな事より、昔どこぞの地下迷宮で火の神術が得意な不死者と喧嘩なりかけんかったか?」
胸壁の上に飛び乗った茨木童子に問われ、不死者は嫌そうに唸る。
「ぐぬぬ、何でそれ知ってるのよぉ。300年も前の話よぉ?」
「本人から聞いたんや。やっぱりお前か。相手が強過ぎて尻尾巻いて逃げたらしいなあ」
ニヤニヤと小馬鹿にした笑みを浮かべる茨木童子と、そちらを見ながら苛立ってカタカタ震える不死者。
「当時はまだ200歳ぐらいだったんだから仕方無いじゃないの!!今なら負けないわよッ!!」
「何やお前たかが500かそこらか、フーン。ま、今でも勝たれへん思うで。あっちは量より質や。帝国が用意した生贄の魂テキトーに食うとるような奴が追いつけるワケあらへん」
塔から城へ飛び移り、茨木童子は気の毒そうな表情を作ってみせた。
「なんですってぇぇぇえええ!!ちゃんと神力の多いヤツ連れて来させてるわよ!!だから私は強いのッ!!あんたなんかもうどーーーでもいいわ!!消えろ!!」
再び竜巻級の風を放出する不死者により、城は更に削られ皇子の部屋は跡形もなくなる。
「フンっ、偉そうに……って、キャーーー!?」
風の上で踏ん反り返っていた不死者は突如足首を掴まれ、引きずり下ろされるようにして勢いよく落下した。
ビタン、と不死者を地面に叩き付けたのは勿論、茨木童子だ。
不死者が手を離した相棒のベルトを空中で掴み、こちらは叩き付けられないよう保護してある。
恐ろしい目に遭っているのに表情が動かない相棒を下ろし、茨木童子は不死者を見た。
「さて、どないする?まだやるか?」
両手をついて起き上がった不死者は、腕組みしてそう告げる茨木童子を見上げ悔しそうにガチガチと歯を鳴らす。
「何なのあんた、あの高さを物ともしないとか。どんな強化神術よそれ」
喋り方が至って普通になっている不死者を面白そうに眺め、茨木童子は妖力を出す事なく角と爪だけを出した。
「1000年は軽ぅ生きた鬼や。強化神術とやらは使われへんから知らん。で?どないすんねん、まだやんのか小娘」
「ヒイィィィーーーッ化け物ぉーーー!!」
「お前に言われたないわ!!」
角を引っ込め思わずツッコむ茨木童子。
「キャー!!怖い怖い怖い怖い!!」
相棒を引き寄せ抱きついた不死者は風を起こし、乗るというより吹き飛ばされる勢いで城どころか帝都から逃げて行った。
「礼儀を知らん小娘やな。まあええわ、これで邪魔は入らへん」
不死者を恐れて退避していた兵士達が戻って来る前に、と茨木童子はさっきまで居た塔へ跳び上がる。
「あのやかましい不死者は逃げてったで」
塔の天辺から階段を下りると、薄暗く埃っぽい部屋で月子とペドラとカルテロに睨まれながら、皇子が腹を押さえて蹲っていた。
「やっちゃわなかったんだ?」
「うっす。やった後に『あれは要る』とか姐さんに言われたら詰むんで」
「ぶふふ、ねーさんのお陰で助かったんだあの不死者」
そう言って笑ったのも一瞬、月子は茨木童子を手招いて立ち位置を代わる。
「ペドラさんと話し合って、私は入口の監視役になったんだ」
「そっすか、それがええっすよ。後は俺が補助しとくんで大丈夫っす」
「うん、お願いね。下からは誰も通さないから」
やはりいくら強くても皇子とは無関係な少女に凄惨な場面は見せたくない、というペドラの願いを聞き入れて、月子は塔の入口を守る役割を引き受けた。後は宜しくとばかり階段へ足を向けると、ペドラから声が掛かる。
「何度も助けて頂いて、ありがとうございました。神の如き御方を止めて頂いたり、不死者の攻撃から守って頂いたり、あなたが居なければこの復讐は叶いませんでした」
不死者が風の神術を放った瞬間、自身を抱え皇子の後ろ襟を掴んで跳んだ月子の勇姿を思い返しペドラは微笑んだ。
「どういたしまして。まだ終わってないから気を抜いたらダメだよ?後、終わってホッとして死んじゃうのもダメだから」
振り向いた月子が真剣な顔で言えば、ペドラは微笑んだまま頷く。
「死ぬつもりはありません。妻と子供の墓を守らなければなりませんから」
「なら良かった」
安心したように頷き返し、ヒラヒラと手を振って月子は階段を下りて行った。
「よし、ほんならどないする?片っ端から骨でも折るか?なんぼアイツの毒がえげつないとは言え、それだけやと気ぃ晴れへんやろ」
指の関節をペキパキ鳴らしつつ世間話のように言う茨木童子を見上げ、皇子は脂汗まみれの顔を更に歪ませて荒い呼吸の合間に言葉を挟む。
「き、キサマ、よくも、そのような、恐ろしい事を、平然と」
「あ?強姦魔が何ほざいとんねん。黙っとけこのブサイクが」
「顔しか取り柄がないのになあ。そこ否定されると何も残らないな。でも確かに酷い顔だ。内面の醜さが全て表に出てしまっている。これじゃ嫁は来ないし婿入り先も決まらないワケだ」
害虫でも見るかのような茨木童子の目とカルテロの憐れむような声に、皇子は噛み締めた奥歯をギリギリと鳴らした。
「女達には、皇子たる俺の、無聊を慰めるという、名誉を与えて、やったのだ、喜びこそす……」
無表情の茨木童子が皇子の頬を蹴り飛ばし黙らせる。
「言葉の意味わからんまま喋んなや。アホが難しい言葉使おうとしても恥かくだけやで、なあ」
絶妙に加減された蹴りのせいで失神する事も出来ず、皇子は腹に次いで顔も押さえ目に恐怖の色を宿した。
「ああ、安心せぇ。お前に恨みあんのは俺やない」
悪党の笑みを浮かべた茨木童子が、横へずれて立ち位置をペドラに譲る。
ゆっくりと進み出たペドラは左手で短剣の鞘を握り締め、右手を柄に掛けながら皇子を見下ろした。
「妻と子の仇だ、死ね」
怒りも悲しみも侮蔑も無い、一切の感情が読み取れない顔と声で告げるペドラに全身の肌を粟立たせ、皇子は腹を押さえていた手を床について後退りつつ叫ぶ。
「の、望みを!望みを、叶えてやろう!父上に、頼めば、何でも、出来るぞ!」
「何でも?」
オウム返しするペドラへ皇子は顔の痛みも忘れて必死で頷いた。
「何でもだ!」
「……そうか」
ペドラの考える素振りを見て、『勝った』と言わんばかりの光を目に宿した皇子だったが、続く言葉で地獄へ叩き落とされる。
「じゃあ、私の妻を生き返らせてくれ。勿論お腹の子も一緒に」
「……な……」
「何でも出来るんだろう?堕胎薬という名の毒を飲ませた時と同じ手下を使って、墓を掘り返すといい。生き返ったのに土の中じゃ、彼女が困ってしまうからね」
目に何の感情も無いまま口だけ笑みの形を作るペドラ。
皇子の顔からは血の気が引き冷や汗が流れる。
「どうした?何でも出来るんだろう?死者を生き返らせるなんて神にだって出来るかどうか怪しいのに、皇帝は凄いな」
相変わらず口にだけ笑みを浮かべるペドラをチラチラと見ながら、皇子は何故か頷いた。
「そう、凄い。父上は、神に等しい。だから俺を、父上の前へ、連れて行け。そうすれば、俺が、望みを伝えて、やろう」
「へぇ……」
口元の笑みを消し表情を無くすペドラ。
まさかこの場を切り抜ける為だけに皇帝を巻き込むとは、と茨木童子とカルテロは顔を見合わせる。
てっきり怒って短剣を突き刺すかと思われたペドラはしかし、再度不気味な笑みを浮かべた。
「……じゃあ行こう。頼めるかい、カルテロ」
振り向いたペドラへカルテロも茨木童子も心配そうな顔をする。
「勿論かまわないが、その……」
「フフ……、大丈夫さ。だって皇帝の所にはあの御方が足を運ばれたじゃないか」
ペドラのヒントで茨木童子はポンと手を打ち、カルテロに囁いた。
「虹男様や。あの方が皇帝をシバいとるかはともかく、ビビらしとるんは間違い無い。そんなとこにクソが行ってアホな事言うてみぃ」
「そうか。息子の首でどうかひとつ、なんて話になるだろうな」
「絶対的な力持っとって助けてくれる思てた親父が、しょんべんチビるぐらいビビり倒しとるだけでも意味わからんやろに」
「その上あっさりと切り捨てられたら、そりゃあ惨めで絶望するだろう」
内緒話を終えたふたりは胡散臭い笑みを貼り付け、ペドラの隣に並んだ。
「よし、それじゃあ皇帝の所に転移しよう。と言っても皇帝の周りには転移を防ぐ結界が張られているだろうから、玉座の裏辺りへ行く事にする」
「任せるよ」
「じっとしとけよ?暴れたらシバく」
皇子の首根っ子を押さえた茨木童子が階段へ向け声を張り上げる。
「ツキさーん、クソ連れてちょっと皇帝んトコまで行って来るんで、ハルさんか骸骨さんと一緒に待っとって欲しいっすー!ほなまた後でー!」
耳のいい月子になら聞こえる筈、と皆で頷き合い、カルテロが転移の神術を発動。
直ぐに塔から男達の姿が消えた。




