第三百五十話 熱帯雨林に居たものは
雨音以外何も聞こえなくなるような豪雨の中、森の入口にある大きな木の陰に避難し息を吐く。
黒花が直ぐさまブルブルと体を振って水気を飛ばし、陽彦と月子はリュックの中身を心配し、茨木童子は妖力で服を作り直して、へたった髪を掻き上げた。
「ねーさんズルい」
「こんな所でもチート」
マウンテンパーカーの水滴を払いながら恨めしそうに月子が言うと、陽彦も半眼で頷いている。
「私に触っといたら濡れへんかったのに」
そう言って2人の視線を物ともせず笑う鈴音に愕然とする月子。
「言ってよー!ホントだ虎吉様は濡れてない。骸骨さんが濡れてないのもそのせい?」
「いや、ローブが水弾くからや思うよ?」
鈴音が見やれば骸骨はその通りと頷いた。
「見た目フツーの布なのにレインコート仕様とかこっちもチート」
陽彦がずぶ濡れのロングパーカーをつまみ、羨ましそうに口を尖らせる。
「はいはい、ほなそのチートな力を使てみんなを乾かしたげるから」
「ホント?ありがとう!」
実に分かり易い月子の態度に笑いながら、鈴音は皆の髪や肌の表面、身に着けている物から水分を飛ばした。
「うおっ!?いきなり乾いたっすよ!?」
手を擦り髪を触って驚く茨木童子と、リュックから鏡を取り出しポニーテールが崩れていないか確認する月子。
陽彦はパーカーを触って笑い、黒花は水分が消えて体が軽くなった事を喜んでいる。
「よし上手い事いった。けどこのままやと、雨が止んでもぬかるみで靴がまた濡れてまうなぁ」
虹色玉の在り処へ続く道はドロドロで、どう見てもスニーカーでは厳しい。
「けど長靴では走り難いし……。あ、スニーカーごと薄いビニールみたいなんで覆ったらええんか」
名案だと頷いて、きょうだいのスニーカーの靴底以外を、透明な防水の膜のようなもので覆った。
それを見ていた茨木童子は妖力で地下足袋のようなレインブーツを作り出し、合わせて服装も忍者装束のように変える。
「黒花さんだけそのままやけど、泥汚れは後で洗いますんで」
「ありがとうございます」
尻尾を振る黒花に微笑んでから、鈴音は空を見上げた。
雨が止むのを待って再度虹男に方向を確認。
「こっち。割りと近いと思う」
そう答えた虹男の横に並び、鈴音は一行を引き連れてジャングルのような森へ足を踏み入れた。
苔むした木や大きなシダ植物などが生え、今にも恐竜が飛び出して来そうな森を進む事5分。
「鳥の声がする!」
「そら鳥ぐらいおるよジャングルなんやし」
「虫の声もする!」
「ちょ、どこ!?飛んできたらどうしよう!?」
「あっ!蛇!」
「なぁぁぁにぃぃぃい!?」
「虎ちゃん落ち着いて」
生き物の気配にいちいち虹男が反応し、ちっとも距離が稼げない。
「もー、虹男。日が暮れてまうから早よ行こ」
「えー?まだお昼にもなってないよ?」
「そういう意味ちゃう……。ほら、虹色玉どっち?」
二股に別れる獣道を指して鈴音が尋ねると、虹男は右を指しながら首を傾げた。
「こっちなんだけど、さっきと場所変わったかな?ちょっと動いたみたい」
「うわ、やっぱり魔物が食べたんやろか」
顔を見合わせた一行は、高い空を飛んでいた巨鳥を落とした何者かを想像する。
「一応警戒しながら進も」
頷き合い各々が四方に目を向けながら、シダが生い茂る道を進んだ。
それの気配を最初に察知したのは骸骨だった。
後方から移動し鈴音の肩を叩くと、石板にデフォルメした幽霊の絵を描いて見せる。
「ん?幽霊?悪霊が居るいうこと?」
首を傾げる鈴音に頷き、石板を仕舞った骸骨は大鎌を取り出した。
そのまま少し進むと、周囲に微量な魔力が漂い始める。
成る程これかと頷く鈴音を見やり、虹男が前方を指差して微笑んだ。
「もうちょっとで着くよー」
「そうなん?あれ?ほな悪霊が虹色玉持ってんの?」
自分で言っておきながら、そんな筈はないだろうと否定しつつ歩を進めること50メートル。
不自然にシダが刈り取られた人工的な広場に出る。
その広場のど真ん中、苔に覆われ蔦が這う樹齢数千年はありそうな巨木を背に、人の骨格標本がボロ布を纏って立っていた。
「うわー、持ってるやん虹色玉」
鈴音の言う通り、骨格標本は右手に虹色玉を握っている。
「あれって不死者っすかね?」
興味津々の茨木童子に鈴音は頷いた。
「そうや思う。つまりは悪霊の上位版やのに、何で虹色玉に触れるんやろ」
悪霊は神力で浄化される筈なのにと不思議がる鈴音へ、髭を前に向けた虎吉が答える。
「あれの神力は弱い上に、玉ん中に入っとるからなあ」
「虹色玉には悪霊を浄化出来る程の力はあらへんいう事?」
「いや、骸骨の世界に落ちたみたいなヤツやったら知らんで?けど、あれには無さそうや。まあ、鈴音のデコとゴツーンいったら世界の壁壊すぐらいは頑張りよるかも分からんな」
「頑張らんでええし!」
額を押さえて顔を顰め、鈴音は溜息を吐いた。
「虹色玉にも強さが色々あるから、ものによっては悪霊でも触れるっぽいんやね」
「せやな」
「うーん素直に返してくれるかなぁ。まあ、虹男が触れば悪霊も不死者も関係なしに一撃やねんけども」
会話しながらゆっくり近付いて行くと、残り5メートル程の位置で不死者が左手を挙げる。
「そこまで。それ以上近付いたら攻撃するよ?」
パカパカと顎を動かした不死者から、青年から中年くらいの男声が発せられた。
一行の目は点である。
「え、喋った?」
振り向いた鈴音に骸骨が幾度も頷く。
「どっから声出てんの?謎過ぎるんだけど」
唖然とした月子の視線を受け、陽彦が唸った。
「んーーー、魂が魂に直接語りかけてる感じ?骨が残ってるから違和感あるけど、あれも悪霊なわけじゃん?」
漫画等の知識を総動員した陽彦の見解に、皆は成る程と納得する。
「悪霊も身体無いのに喋るもんね、言われてみたらその通りやわ。不思議ちゃうかった」
実際、飲食出来る骸骨の方がよっぽど不思議なのだが、その辺は深く考えないらしい。
「ま、会話出来るならその方が助かるし」
あっさり切り替えた鈴音は不死者へ向き直る。
「えー、もしもし不死者の方」
声を掛けられ、不死者は鈴音の方へ顔を向けた。
「なに?契約のお願い?」
「いえいえ、その手に持ってる虹色玉を返して欲しいなー思て」
「返す?これ、オマエの?」
「私やのうてこっちの神様のん」
鈴音が手で虹男を示すと、不死者は口を開けたまま暫し固まる。
「神?」
人なら訝しげな顔をしているんだろうなと思わせる声に、鈴音は尤もらしい表情で頷いた。
「神様やで。ただ、あんたが思う神様とは別やけど」
「別?別とは。神は神で神なんだから神しかいないだろう」
「大混乱やな。異世界の神様やいう事よ。この世界とは別の世界。分かる?」
鈴音が人差し指を立てて言うと、不死者は首を傾げる。
「異世界。別の世界。別の神。この広い世界のような場所が他にもある?鏡の中に広がる世界のようなもの?」
「あー、うんうん、そんな感じ」
軽く頷く鈴音を不死者は凝視した。
「別の世界は理解した。そいつが神だという証拠は?」
「証拠て、そんなもん見せたらあんた消えてまうけどええの?ついでに地形も変わるしそれに伴って気候も変わるしそのせいで色んな生き物が絶滅しそうやけども」
「そんなにー!?」
と驚いたのは不死者ではなく虹男である。
「うんうん、そんなに。せやから虹男はそのまま力抑えとってな。代わりに私が神の使いやいう証拠をみせるわ」
「そっちが神でオマエは神の使いなのか」
驚く不死者に鈴音は笑顔を向けた。
「ふふん、猫神様の使いやで。羨ましいやろ」
そう言うと同時に魂の光を全開にする。
神力はほんのりと出すに留めた。気を付けないと不死者を浄化してしまうからだ。
「な、なんだその光は。なぜ魂が光る?神力……神力?何か違う。怖い」
彼らが便宜上そう呼んでいる力とは違う本物の神力の気配を感じ、不死者はカタカタと震えた。
それを見た鈴音は取り敢えず神力を引っ込める。
「どない?何となく分かってくれた?」
「分かった。神の使いだった。神の使いが言うんだからそいつは神なんだろう」
よしよしと頷いて魂の光を消した鈴音が、右手を差し出した。
「ほな虹色玉返して?」
「断る。それはそれ、これはこれだ」
キッパリ拒否され鈴音も一行もポカンとする。
「えーと、それやと、神の使いと喧嘩になってもええ言うたんと同じやけども、大丈夫?」
「喧嘩はしない。神術の勝負がしたい」
またしてもキッパリ言い切られ、鈴音は首を傾げた。
「神術の勝負てどんな?」
「神術を使っての戦闘だ。撃ち合うんだ」
何とも無邪気に恐ろしい事を言う。
優秀な神術士が不死者になりがちと聞いたが、この男はまさにその類ではなかろうか。
強い者同士が攻撃神術を使って勝負などしたら、周囲に甚大な被害が出る。しかしそこに関して一切考えない辺り、生前もやりたい事をやりたいようにやって周りを振り回していた、天才肌の神術士だったのではと鈴音は予想した。
「勝負はええけど、お互いに向けて撃ったら危ないから嫌。何か別の方法ないかな」
鈴音達は不死者の攻撃ごとき何ともないが、森は消し飛んでしまうだろう。それは避けたかった。
「戦闘せず神術を使う方法……?」
不死者は腕組みをして悩んでいる。
「そうだ、鳥を撃ち落とそう。さっきも大きな鳥を撃ったんだ。鳥を落とした数で勝負にすれば、高度な神術を使うしかない」
さも名案だと言いたげに胸を張られ鈴音は頭を掻き、やはりあれは虹色玉を手にしたものの仕業だったかと陽彦が巨鳥に手を合わせる。
「他の生き物巻き込むん無し!」
鈴音に厳しい顔で言われ不死者は戸惑った。
「じゃあどうする?勝負できないじゃないか」
「何でよ簡単やん。一番自信のある神術を空に向かってブッ放すねん。鳥が飛んでへんの確認してからね。そんでどっちのが凄かったか自分らで決める」
空を指差し笑った鈴音を見やり、不死者は成る程と頷く。
「しかし風の神術だと獲物がいないから見えないな」
「うん?あんたは風の神術が一番得意なん?」
「いや?得意なのは火の神術だから大丈夫」
なんじゃそりゃ、と一行がずっこける中、不死者は空を見上げた。
「鳥は飛んでいない。じゃあ火の神術を放つよ?」
「え?もう?マイペースやな。どうぞー?」
鈴音が許可するや否や不死者は右手を突き出し虹色玉を空へ向け、火の神術を放つ。
するとどうやら虹色玉の力を取り込んだらしい巨大な火の玉が出現し、不死者が振る右手に合わせて空で忙しく動いた。
「へぇー、自由自在やな。これが最大?」
尋ねた鈴音に不死者は頷く。
「ほなもっと凄いもん見せたら私の勝ちやな。私が勝ったら虹色玉は返して貰うで」
「分かった」
これまた簡単に頷いた不死者は、直後に浮かんだ鈴音の邪悪な笑みを見て怯えた。
「ふふふふふ、言質は取ったで」
口角を吊り上げながら人差し指を空へ向けた鈴音は、不死者が出した火の玉を自らの手元へ引き寄せた。
「へ?あれ?おかしいな?」
制御できなくなった事に驚く不死者を尻目に、鈴音は火の玉のサイズをどんどんと小さくしていく。
最終的には線香花火の火種程に縮め、フッと息を吹き掛けて消し去った。
「消された。何がどうしたらああなる?」
頭を抱えるようにして混乱する不死者へ、鈴音と虎吉以外から同情的な目が向けられる。
ハッと我に返った不死者は、握り締めていた虹色玉を鈴音へ向けて放り投げた。
「負けたから返す」
「はい、どうもありがとう」
笑いながら右手でキャッチした鈴音が虹男へ渡す。
「わーい、ありがとー!」
大喜びの虹男はさっそく虹色玉を胸に押し当てて取り込み、『内臓のどれかだった』と微笑んだ。
「よし、目的達成。めでたしめでたし」
鈴音がそう言うと、陽彦がああそうかと頷く。
「ホントはこれで帰ってもいいんだ。神託の巫女には会ったし、神様の落とし物も回収したし」
「猫神様にお肉も献上したしね」
肯定する鈴音だが、帰るつもりなどないのは顔を見れば分かった。
「後は宝石をアクセサリーに仕上げて貰て、魔剣サクッと苛めて、皇帝親子をフルボッコしたら終了や」
「うん。あ、あと俺は、何でこんなトコに不死者が居んのかも気になるから解決したい」
「おお成る程。聞いてみたら?暇そうやし」
暇そう、に笑いながら頷いた陽彦は、うっかり触って浄化しないよう距離を取りつつ不死者を見やる。
「なあ、あんた何でこんなトコに居んの?人なんて滅多に来ないのに」
そう問われた不死者は、質問の意図が分からないと言いたげに首を傾げた。




