第三百四十一話 ニャ
子供達は、魔獣が可愛かった契約者が怖かったとキャアキャアはしゃいで走り回り、大人達は王子様がお姫様が、いや本物の王子は金髪の御方だ、お付きの男女もイケてた、と大興奮で村唯一の酒場へ雪崩れ込む。まだ日が高い事は気にしないようだ。
そんな村人達の楽しげな声を背に、鈴音達は木立ちの間に整えられた道を歩いている。
「ホンマのお祭りみたいになってるやん。浮いてる箱とか気にするレベルちゃうかった」
笑う鈴音の横では、骸骨が『少年が食べられる方の結末は嫌だし無理がある』と童話に関する感想を石板に描いていた。
「うん、狼からしたら羊食べ放題な状況でわざわざ人なんか襲わへんよね。少年かて狼の群れに1人で近付くほどアホちゃうから大人を呼びに行ってんねんし。まあ時代背景とか宗教とかお国柄とか、大人の事情いうやつで作られた結末や思う」
骸骨の意見に同意して頷いてから、『でも異世界には攻撃的なサラサラ羊いうんが居ってな、アレ相手やと狼は人を先に狙うかも』等と悪い笑みを浮かべる鈴音。
やはり骸骨も『羊なのにサラサラ!?』と驚いている。
鈴音と骸骨が平和な会話をする後ろでは、疲れ切った兄を妹が労っていた。
「まあ、ハルにしては頑張ったよ」
「おー。スゲー疲れたし。誰が皇帝の隠し子だよ」
「でも剣士様素敵、とか言ってる人もいたよ?」
「それはちょっと嬉しいかも」
この村で陽彦は、皇帝の隠し子の超絶美形剣士、として語り継がれるのだろう。
「私はお姫様だって。えへへ、そんな高貴なカンジに見えるのかなあ?こんなTシャツ姿なのに」
「あー、“みんなのアイドル”モードのツキならそう見えるんじゃね?」
「ちょ、照れる!」
バシッと音がする勢いで背中を叩かれた陽彦が悶える後ろでは、茨木童子が自由な虹男をどうにか引き止めていた。
「羊だよ羊、モコモコだなー、触りたいなー」
「駄目っすよ、姐さんとはぐれたらヤバいんすから」
「あ!あれは牛?目が3つあるみたいに見えるー」
「せやから行ったらあきませんて!」
「鳥が飛んでる!」
「ウガーッ!!」
神に許可なく触るのは不敬などと悠長な事は言っていられないので、茨木童子は虹男の腕を引き背中を押し、どうにかこうにか前へ歩かせる。
若干1名が大変な苦労をするなか進む事数分、城と呼んで差し支えないような屋敷が見えてきた。
「うわー、流石に偉い貴族のお屋敷やなぁ」
芝生と低い生け垣に鮮やかな色彩の花壇。
何より目に留まるのは前庭だけで3つもある噴水だ。涼し気な水音が耳に心地良い。
その奥に建つ屋敷は白っぽい石で造られており、初夏を思わせる今の気候に似合っていた。
「本来はもうちょい暑なってから来る避暑地かな?」
「あー、そんなカンジかも。冬のイメージじゃないよね」
月子と会話しながら近付いて行くと、門の前に詰め襟のリーダー格コラジョーゾの姿が見える。
こちらに気付いてはいるが、荷車が見当たらないので戸惑っているようだ。
周囲に彼以外の気配は無いので、鈴音は軽く手を挙げ声を掛けた。
「どこから入れたらええですか、荷物は」
「……ハッ!申し訳ございません、こちらへお願い致します」
目をぱちくりとさせたコラジョーゾは、慌てて行き先を手で示してから裏門へと先導する。
裏門から裏庭へ入り、荷物の搬入口のような場所へ案内された。
「ここから入り、地下牢へ続く通路へ向かいます」
そう言うコラジョーゾの目が、肝心の荷物は何処にと問い掛けている。
それに対し悪戯っぽい笑みを浮かべた鈴音は、上空にある木箱をそこそこのスピードで目の前へ降下させた。
内臓が浮き上がる感覚を味わっただろう魔剣信者達の悲鳴が漏れ聞こえ、コラジョーゾが一歩後退って目を丸くしている。
「う、上に居たのですか」
「うん、浮かしとってん。もう開けてええ?」
鈴音が木箱を指して尋ねると、ちょうど他の詰め襟達が応援に駆け付け準備が整った。
「お願い致します」
コラジョーゾが頷くと同時に木箱が消え、突然の浮遊感に腰を抜かしていた魔剣信者達が姿を見せる。
縄を打たれ猿轡をかまされ、外の様子が全く分からない状態からの垂直落下だ。涙目になるのも致し方ない。
侯爵家の馬車を襲撃した際の威勢はどこへやら、詰め襟達に引っ立てられるままヨロヨロと地下牢へ向かう魔剣信者達を、何とも言えない思いで鈴音は見送る。
「彼らも戦いの専門家やんね?」
「はッ、ほぼ間違い無いと思われます」
「憎い訳でも無い相手殺したり、気のええ仲間が殺されたり、仕事とはいえ何でこんな事せなアカンのやろて思うような毎日やったんかな」
「……そ、れは何とも」
現役で侯爵家に仕えるコラジョーゾには答え難い質問だ。
「毎日毎日そんな緊張状態にあったらちょっとずつおかしなってって、神様を恨みだすんもしゃあないかもしらんね」
神は人同士の争いに介入しないと知っていても、どうして自分ばかりこんな目に遭うのか、救いは無いのかと負の感情に蝕まれてしまうのも分かる気はする。
そんな時、地球人なら神など居ないと諦めれば済む話だが、当たり前に神が存在するこの世界ではそういうわけにも行かず、どうにかして文句を言いたい、ぶん殴ってやりたい、となるのかもしれない。
「シオン様からしたら逆恨みもええとこやろなぁ」
猫の耳にしか届かない鈴音の呟きに、虎吉が小さく頷いている。
そんな鈴音の様子を眺めるコラジョーゾは、まさか神託の巫女の関係者が魔剣信者に同情するとは思わなかったのか、分かり易く困惑気味だ。
「えー、何はともあれ、屋敷へお入り下さい。お尋ねの件をセゴーニャ嬢がご説明致しますので」
とにかく今は自分の役目を果たそうと、裏口ではなく正面玄関を手で示しながら歩きだす。
「分かりました」
頷いた鈴音は、ナントカニャ嬢というのはあの侍女の事だろうかと考えつつ後をついていった。
広い玄関で出迎えたのはやはり侍女で、胸に手を当て軽く膝を折り『ラーゴ子爵シーズニ・パッサロが四女、セゴーニャにございます』と名乗る。
微笑んで名乗りを受けた鈴音だったが、実の所『アカン。やっぱり最後のニャしか聞き取られへんかった』と遠い目だ。
「神託の巫女の友人で、鈴音と申します。えー、この国の貴族制度に疎いんで不思議に思てまうんやけど、子爵家のお嬢様が、コウシャク家のお嬢様の侍女のような事を……?」
「はい。侍女というよりは秘書の方が近いでしょうか。とても名誉な事なのです。何しろ侯爵家ご令嬢に侍れるだけの信用が私にはあるという事ですから、嫁ぎ先を探す際に大変有利となります」
「あー、大奥退職したお女中が引く手あまたやったんと同じか」
「おう、成る程な」
猫の耳専用会話で納得。
セゴーニャの口振りからして四女ともなると、普通に暮らしていたのでは家格が釣り合う相手を見つけるのも一苦労なのだろう。
「娘三人持てば身代潰すて言うもんなぁ……四女かぁ。ゲホン。何でもない何でもないこっちの話ですよ、ええ」
笑顔で誤魔化した鈴音は、『応接室へご案内致します』と歩きだしたセゴーニャに続きながら、顎へ手をやる。
「基本はコウシャク家のお墨付きで嫁ぎ先探す。もしコウシャク家にめっちゃ気に入られて、見合い相手を探して貰えたりしたらもう万々歳」
人の耳では聞こえぬ鈴音の呟きに、そばに居る虎吉と月子だけが頷いた。
「けど、肝心のお嬢様がアレやと彼女の立場ビミョーちゃう?」
「あー。何で魔剣信者なんかと会わせたんだ!とか?」
月子が前を向いたまま言えば、鈴音も表情を変えずに頷く。
「知ってたら防いだ筈やから接触は事故みたいなもんなんやろけど、大きなミス扱いはされるよね。せやからこれ以上評判落としてたまるか思て、馬車襲撃ん時に私らまで消そうとしたんかなぁ」
背筋をピンと伸ばしたセゴーニャの後ろ姿を見ながら、まだ10代だろう彼女が咄嗟に人を殺せと命じてしまう程、おかしな噂や悪い評判は貴族の世界で生きるのに致命的なのかと眉を下げる鈴音。
「こちらです、どうぞお入り下さい」
そんな庶民の心の内なぞ知る由もなく、セゴーニャは優雅に微笑んで鈴音達を豪華な応接室へ通した。
お茶を出してくれた侍女が下がってから、改めて頭を下げたセゴーニャが口を開く。
「先程は誠に申し訳ございませんでした。誰にも知られてはならないと、そればかり考えてしまって」
「いえいえ。身内以外を警戒するんはしゃあない思うよ。味方の顔して近付いてきた人が、実は魔剣信者でした!なんて事になったら目も当てられへんもんね」
気遣いにホッとした様子を見せながらも伏し目がちなセゴーニャに、鈴音の隣に座る月子がポンと手を打った。
「お嬢様を魔剣信者にした人、味方のフリして近付いてきたんだ?」
「……はい」
力無く頷くセゴーニャ。
それは気の毒にと鈴音は顔を顰める。
「ほな相手は貴族やんね?コウシャク家のお嬢様にそこらへんの馬の骨は近寄られへんもんね?」
「仰る通りです。傷心のお嬢様に近付いたのはネヴォア辺境伯令嬢キエット様でした」
微妙な顔をした月子が鈴音を見た。
「辺境伯って偉いの?」
「別の異世界では、やらかして滅んだ王家に代わって次の国王に指名されとったわ」
「すっごい偉いじゃん!」
「ここでも同じかは知らんけど、コウシャク家のお嬢様に話し掛けられる立場やねんから、上から数えた方が早い偉さや思う」
ここまでを犬猫の耳専用会話早口モードで交わし、コクリと頷き合ってからセゴーニャに向き直る。
「ほなもう、帝国の貴族にも蔓延してるいう事?」
辺境伯の格云々の会話をしていたとはおくびにも出さず、鈴音は真顔で尋ねた。
「……いえ、もしかするとご令嬢やご令息の中に傾倒している方がいらっしゃるかもしれませんが、噂には聞こえてきませんので……」
困り顔のセゴーニャを見て成る程と頷く。
「ここのお嬢様と同じで、外で変な事言い出す前に隠してしまうんや」
「はい。キエット様も現在は辺境伯領にお戻りだとか」
「うーーーん、お嬢様に接触したんは貴族。ほなその貴族に接触したんは誰なんやろなぁ。……て、虹男。退屈なんは分かるけど、他人様のお宅のもん勝手に触らんといてよ?」
飾り棚の中身に興味津々の虹男に注意しつつ、脳をフル回転させる。
「お金持ちお金持ち……あ。外商。偉い貴族の人って、服の生地とか宝飾品とかお屋敷に持ってきて貰て選ぶやんね?」
「はい。……あっ!」
セゴーニャも気付いたらしい。
「キエット様にお会いしてから、お嬢様は帝都のお屋敷に出入りする宝石商を増やされました……!」
「多分そいつがカーモス教団の関係者やわ。どないかして接触出来ひんかなぁ。そいつ店構えてる?」
「はい。帝都の一等地に」
「ほうほう。ほな会えるやん。紹介状書いて貰われへん?」
「畏まりました、直ぐにご用意しますので少々お待ち下さい」
神託の巫女の友人に協力して怪しげな教団を潰せば手柄になると考えたようで、セゴーニャは大層協力的だ。
一方で、月子や陽彦はどこか不思議そうな顔をしている。
紹介状を用意するためセゴーニャが席を外すや揃って口を開いた。
「ねーさん、その宝石商と会う必要ある?」
「北で会ったオジサンが教団の場所とかリーダーの名前とか教えてくれたじゃん」
陽彦が言っているのは、娘を病で亡くしたグラーという中年男性の事だ。
「あー、あれなぁ。確かに帝国に出来た拠点までは行けるやろけど、代表に会えるとは思われへん」
「そらそうっすよね。間者の可能性もあるし、新参者にホイホイ会うんは危ないっすわ」
かつて賊のような生活を送っていた茨木童子の言葉には説得力がある。実際、見ず知らずの者を信用したばかりに、彼の大事な兄貴分は討ち取られてしまったのだ。
「そっか、拠点に居ねーとかいうパターンもあり?」
「あるかもわからんねぇ」
陽彦に頷く鈴音の耳が、上の階から降ってくる金切り声を捉えた。
「うわわ、お嬢様がお目覚めあそばしたみたいやで?」
「泣き叫んでるじゃん。そんなにあのローブの人達と一緒に行きたかったのかな」
月子達にも聞こえたようで、何とも言えない空気になる。
「あ、ニャのお嬢さんが到着した」
「ニャのお嬢さんって……!」
鈴音の一言がツボを直撃したらしく、月子は身体をくの字にして声も出ない程の大笑いだ。
「えー、そんなおかしい?ハルは直ぐ名前覚えた?」
「ラーゴ子爵、までしか記憶にない」
「茨木は?」
「四女、としか」
虹男と虎吉には聞くまでもないので飛ばし、骸骨は似顔絵だよねと頷き、最後に黒花を見る。
「ラーゴ子爵シーズニ・パッサロが四女、セゴーニャと名乗っておりました」
キリッと答えた黒花に集まる尊敬の眼差し。
「次からは黒花さんに聞こ。えーと、ニャの?」
「セゴーニャ嬢です」
「セゴーニャさんね、覚えました」
「ニャの……!ニャ……の……ッ!」
この会話すら燃料になってしまう月子。さすが箸が転んでもおかしいお年頃だ。
「それにしても揉めるねぇ。お嬢様大暴れやん」
「ニャは帰ってきそうにないっすね」
だからといって乱入する訳にもいかず、一行は暇を持て余しながら待つしかない。
すると、扉が勢いよく開く音に続いてセゴーニャの『お嬢様!!』という声が響き、次いで階段を駆け下りる足音が聞こえてきた。
玄関からコラジョーゾの声がしたと思ったら、足音は方向転換してこちらへ近付いてくる。
「裏口にでも向かうんやろか」
そう言ってからこの応接室にある大きな窓に気付く鈴音。
案の定、扉を乱暴に開け寝衣姿のお嬢様が息も荒く飛び込んできた。




