第三百三十九話 山越え
登山口へ近付くと、麓の村で雇った案内人から注意事項を聞いている団体や、慣れた様子で山へ入っていく少人数パーティ、護衛をつけた隊商など、山越えの目的も経験値もバラバラな人々の姿が見える。
「へぇー、登山道は魔物少な目やけど、外れると結構出るんか」
周囲を観察しながらのんびりと進む間、団体へ説明する案内人の大きな声が鈴音達にも情報をくれた。
それによれば、登山道は強い探索者や護衛もよく通る為、魔物の方も学習しあまり出てこないのだそうな。
しかしひとたび登山道を外れ原生林へ迷い込んでしまうと、待ち構えていた魔物達が熱烈な歓迎をしてくれるらしい。
それが分かっていて原生林に入る馬鹿はいないだろうと思うのだが、毎年何人かは行方不明になるというから驚きである。
「何でだろうね?」
「何でやろなぁ」
月子の疑問に鈴音も首を傾げたが、答えは割と直ぐに出た。
隊商や団体を追い抜きつつ登山道の端を走っていると、別れ道が現れる。
片方はいかにも山道な上り坂、片方は緩い下り坂だ。
よくよく辺りを見回して、どうにか下り坂側の木の下部に打ち付けてある“シューヴァ市方面”と書かれた小さな看板に気付いた。
「こーれは見難いわー」
呆れる鈴音に皆も頷く。
「粗忽モンやったらまあ見逃すっすね」
「うん。山に入ってそんな経ってないし、まだ上に行くよね?って思っちゃいそう」
「そんで『やっべ間違えた』って焦って下りる時に近道しようとして迷うとか?」
茨木童子と月子と陽彦が顔を見合わせ、虎吉と黒花は周辺の状況を探った。
「道やないとこ歩いとる奴は居らへんな」
「はい。魔物の気配ばかりですね」
助けを必要とする人はいないと分かり、一行は下り坂へ歩を進める。
「坂を上ってったら何があるんやろ」
「ハーブのような香りがしますので、薬草等が生えているのではないでしょうか」
ちらりと上り坂へ視線をやった鈴音に、小さく鼻を動かした黒花が答えてくれた。
「おー、薬草の群生地でもあるんですかね?薬屋さんとかが上りはるんかなー。ありがとうございます黒花さん」
「いえいえ」
微笑み合って坂を下ると、続く道は大きくカーブして緩やかな上りに変わる。
面倒だと原生林を突っ切ったりはせず道なりに進めば、十字路でまた木の下の方に小さい看板を見つけた。
「ちょ、見落とす見落とす!何でもっと大きぃにせぇへんのやろ」
不思議そうな顔の鈴音へ、骸骨が石板に描いた絵を見せる。
「んー?魔物大暴れ、看板ドカーン、登山客が左右をキョロキョロ。ああ、最初は大きい看板出してたけど、何らかの理由で魔物が壊してしもたんちゃうか、て事か」
「そっか。看板壊れちゃったら慣れてない人はどっちが目的地に行く道なのか分かんなくなるから、敢えて壊れ難い小さい看板にしてるのかな」
骸骨の予想から鈴音と月子が正解らしき答えを導き出すと、茨木童子が薄暗い木々の間へ目を向けた。
「そうやとすると、この辺に出る魔物そこそこデカいっすよね。人の目につく高さやと魔物もよう見えるから、わざわざこんな低い位置に付けとるっちゅう事っすもんね?」
確かに、と鋭い推理に感心した一行だったが、茨木童子の表情を見るや『出て来ぇへんかワクワクしてるし』『喧嘩したいだけか』と一斉にスナギツネ化。
幸か不幸か世界最強軍団の前に躍り出る命知らずな魔物はいなかったので、茨木童子がつまらなそうな顔になった以外は特に何事もなく十字路を通過した。
その後も看板を見落とさぬよう気を付けて走っていると、どうやら上りは終わったようで、ダラダラと続く下りに入る。
この先はもう道を間違える心配もなさそうだ、と全員が気を抜いた時、猫の耳と犬の耳に遥か前方から怒号と悲鳴そして鈍い金属音が聞こえてきた。
「バトル勃発かな?誰か襲われてる?」
「え!?ドコっすか!?」
鈴音の声に食い付いたのは勿論茨木童子だ。
それに答えるのは黒花。
「ずっと先、恐らく麓だな。匂いからして魔物ではなく人同士の戦いだ」
頷いた陽彦が首を傾げる。
「なんだろな、山賊……だと麓に出るのは変か」
「魔物だらけの山に根城も作られへんやろし、山越えして疲れてる人を狙う強盗かもしらんね」
鈴音の予想に皆は納得したが、彼らは忘れていた。自分達の移動速度の異常さを。
彼らにしてはゆっくり上ったのは事実だが、それでもまだまだ午前中なのである。山を越えた人々が姿を見せるような時間帯ではないのだ。
実際、シューヴァ市側から登り始めた人々の声はこの下から聞こえる。
「取り敢えず様子見に行こか。明らかに商人と強盗とかなら助けたらなアカンし。ハルとツキは後ろからおいで。人同士の戦いやと、えげつないもん見る羽目になるかもしらんから」
素直に頷いた大上きょうだいが後方へ下がり、黒花が先頭に立つ。
結局誰も時間帯の違和感には気付かず、黒花の鼻を頼りに麓までの高速移動を始めた。
1分程で駆け下り、木の陰に隠れて様子を窺う。
山の麓に広がる森を横切る街道の脇で繰り広げられていたのは、剣と魔法を使った殺し合い。
高そうな馬車を背にした詰め襟の男達へ、ベージュのローブを着た者達が襲い掛かっていた。
「うわぁ。ハルとツキは見たらアカンで。虹男、一緒に居ったって」
ローブ姿の者達が何人か既に事切れているのを見て、鈴音は大上きょうだいにもっと下がれと指示を出す。2人を虹男に託し、自分もなるべく見ないよう目を逸らしながら。
「姐さん、どないしますか、どっちに加勢すんのが正解っすか」
ウズウズしている茨木童子をまあ待てと宥め、隣に来た骸骨と共に状況を見極めようとヒントを探した。
「馬車が高そう。……あ、紋章付いてるで、貴族かな?」
骸骨はローブの者達の動きに着目し、我流の動きではないと結論付ける。大勢の犯罪者を見てきた骸骨が言うのだから間違い無いだろう。
「ほな暗殺?帝国か、帝国の支配下にある国の政局的なあれ?」
そうかも、と骸骨は頷いた。
「となると、下手に加勢するとややこしなるよね?一見ベージュローブが賊っぽいけど、革命軍とかの可能性もあるやん?」
帝国の圧政に耐えかねて、だとか、帝国の威を借る悪しき王家に国民が蜂起し軍も味方した、だとか。
その場合、この馬車の主を助けるのはよろしくない。
「けど、フツーに賊っぽい方がやっぱり賊な可能性の方が高い気もするし」
「どっちっすか!?」
「うーーーん、取り敢えずローブを無力化した上で、詰め襟に剣を引かせて話を聞く?」
鈴音としては無視して通り過ぎるのが正解に思えたが、目を爛々とさせた茨木童子をこれ以上抑えるのは無理だった。
「よっっっしゃブン殴って……」
「アカン。剣を砕く程度にしといて。神術士は私と骸骨さんが受け持つ」
「……うっす」
物凄く不満そうだがちゃんと頷いた茨木童子に微笑み、骸骨と黒花と頷き合って一斉に飛び出す。
「……ッ!?」
突如現れた得体の知れない者達にベージュローブ達も詰め襟達も一瞬気を取られた。
その隙に茨木童子が突っ込み、ローブの1人が持つ長剣を握って砕く。
「っな……!」
有り得ない事態に剣を砕かれた者が驚愕している間にも、次々とベージュローブ達の武器は砕かれていった。
慌てた神術士が茨木童子目掛けて火の球を放つも、その先に仲間が居ると気付いて愕然とする。
しかし火の球は骸骨の大鎌に刈り取られ、仲間にも茨木童子にも当たる事はなかった。
一方、この混乱をチャンスと見た詰め襟の神術士は、敵を纏めて葬るべく大量の水の球を弾丸の如く放つ。
だが放った球の全てが綺麗な放物線を描いて人を避け、鈴音の掌に集まり消えた。
唖然とする神術士の向こうでは、武器を失った敵を仕留めようと剣を突き出した詰め襟が、横っ腹に物凄い衝撃を受けて吹っ飛んでいる。
軽い体当たりで大の男を数メートル吹っ飛ばした黒花は、他の詰め襟達をギロリと睨み付けその場に縫い留めた。
「……退け!」
圧倒的不利を悟りベージュローブ達が逃走を図る。
「いやいや、逃がすわけないやん」
呆れた鈴音がバラバラに逃げるベージュローブ達の足を凍らせた。途端に全員がつんのめって転ぶ。
「茨木、纏めといて」
「うっす」
剣を砕いただけで消化不良の茨木童子は、転けたローブ達の後ろ襟を掴んでポイポイと鈴音の前へ投げ飛ばした。それでもまだ渋い顔だ。
「しゃーないなー、ちょっとだけそこの森ん中で遊んどいで。但し、森林破壊は禁止やで」
初めからこうすればよかった、と思いつつ鈴音が原生林を指す。
「ええんすか!?あざっす!!」
一瞬で嬉しそうな笑顔になり、スキップしそうな勢いで森へ消える茨木童子。
ベージュローブ達も詰め襟達も化け物を見る目をその背中に向けていた。真の化け物が目の前にいるとも知らず。
「さて、アンタらは何者?返答次第では縛り上げて治安維持隊に突き出さなアカン」
言いながら鈴音は魔力で黒い布を作り出し、死体に掛けておいた。これでうっかり見てしまう事故が防げる。
空中から湧いて出た布には気付かず、一応剣を下げた詰め襟が口を開く。
「お前達こそ何者だ」
「通りすがりの探索者やで」
「こんな中途半端な時間に山の麓に居る探索者か。目的は何だ」
そう問われてようやっと鈴音も骸骨も気付いた。山から下りてきたと言うには早過ぎる時間だと。
だがここで嘘を吐くと後々ややこしくなるのは確実。依って、契約者の不思議パワーという事で押し通すと決めた。
「ちょうど山から下りてきよる時に、何や物騒な音が聞こえたから駆け付けたんやんか」
「山から下りてきただと……?何をバ……」
「契約者ナメたらアカンで。この程度の山道なんかチャチャっとやったら終わりや。疑うんやったらエントラーダの役人に聞いたらええがな」
不敵に笑う鈴音と大鎌を構えた骸骨の醸し出す雰囲気に呑まれ、詰め襟達は黙り込む。
何をどうチャチャっとやったのか問い詰める勇者はいなかった。
「ほんで?アンタらは?貴族か王族の警護担当?」
「……まあそういった所だ」
後で紋章を調べれば分かる事なのに歯切れが悪い。
馬車の中の人はそれこそ、こんな時間にこんな場所に居てはいけない人なのか。
「フーン。ほなこっちの人らは?山賊?」
「賊だと!?我ら崇高なる目的を持つ戦士に向かって、賊と言ったか女!!」
詰め襟が答える前に、山賊呼ばわりにキレたベージュローブが吠える。
すると、鈴音はオモチャを前にした猫のような表情になった。
「言いましたよー?徒党を組んで馬車を襲うような輩が崇高な目的がどうとか寝言は寝てから言えアホンダラとしか思いませんけどもー、一応伺いましょかー?崇高な目的ってなーにー?アナタ達はだぁれー?」
恐らく、これ程わかり易く馬鹿にされたのは生まれて初めてなのだろう。
一拍どころか三拍ばかり経って漸くベージュローブ達の顔が真っ赤になった。
「き、キサ、キサマッ」
「我らを、誰だと……ッ!」
「それが分からんから聞いとんねん。質問の意味すら理解出来ひんのかいな」
「皆、伏せろ!」
ケッとか言い出しそうな鈴音へ向け、怒れる神術士が仲間を伏せさせ火の球を放つ。
顔へ真っ直ぐ飛んでくる火の球を無造作に右手で掴んだ鈴音は、深い溜息と共に握り潰した。
「問答無用で人に神術ぶっ放して。それも森があるトコで火の神術。いやーもう放火殺人で監獄送りに出来るんちゃうやろか。私ちゃうかったら死んどったもんねぇ。あれや、一生神術が使えんようになる刑罰とかあったらええのに」
何が起きたか分からずに呆然としている神術士へ鈴音が言い放った直後、小さな異変が起きる。
神術を使っている訳でも無いのに神術士の身体からどんどんと魔力が消失して行き、枯渇する一歩手前で止まった。
当の神術士はあまりにも急激な魔力の消失について行けず失神している。
どうやらシオンが何かしたらしいと気付くも、危険人物が神術を使えなくなっただけなので鈴音は特に何も言わなかった。
「で、いつになったらアンタらが何者か教えてくれんの?」
代わりに再度質問すると、ベージュローブ達は突如倒れた仲間と鈴音を見比べ冷や汗を掻く。
「わ、我らも通りすがりの探索者だ」
「へぇー、そうなんやー」
半笑いの鈴音はカマをかけてみた。
「ほな旅と探索の無事を神に祈っとかな、ね」
すると案の定、ベージュローブ全員が顔を顰める。
「誰が神になど……ッ!」
1人がそう吐き捨てた時、急に馬車の中が騒がしくなった。
「いけませんお嬢様!じっとなさって下さい!」
「うー!うぅー!!」
はっきりとした女性の声と、唸り声のようなものが馬車から聞こえてくる。
「眠りの術が浅かったのか?もう一度かけ直せ」
「はッ!」
詰め襟達が目配せし小声で指示が飛ぶ。
「クソッ!何たる非道!我らが同胞を……!」
ベージュローブはベージュローブで何か叫び、馬車へ近付こうと凍った足を物ともせず匍匐前進もどきを披露するも、詰め襟に蹴り飛ばされて失敗。
「うわー、何や面倒臭そう。今からでも逃げよかな」
「逃げてもどっちみち後で関わるんやろ?情報収集しといたらええんちゃうか?」
虎吉に諭され、嫌そうな顔をしていた鈴音は小さく息を吐いて頷いた。
「そうやんね、こんな馬車に乗るような人がどこで彼らと繋がったんか気になるし」
顎に手をやり、まずは混乱を収めなければ、とベージュローブ達を魔力で作り出した縄で拘束する。
喚く声がうるさいので、彼らの周りを土のドームで囲った。空気孔が無いため早目に話をつけ解除しなければならない。
鈴音が指先ひとつ動かさずこれだけの事を瞬時にやり遂げたので、詰め襟達は『契約者恐るべし』と骸骨へ畏怖の目を向けていた。




