第三百三十六話 空の旅
人々の視線を集めたまま、鈴音は雨でも確かめるかのように右手を空へ伸ばす。
そこへ竜神の姿を取った雷が真っ直ぐに落ちた。
だが落ちた筈の雷は地面へ抜ける事無く、球状に形を変えて右掌に留まっている。
バチバチと放電する雷球を立てた人差し指の上に載せ、鈴音は護衛のリーダー格スワルドを見やった。
「おんな子供連れた金持ちが軽い気持ちで職場荒らしに来よった、とか思たんかしらんけどさ」
笑みを消し真顔になった鈴音の低い声が響く。
「あんたの今の態度、神託の巫女なんか大した事あらへん言うたんと同じやし、雇い主であるリーキさんに赤っ恥掻かしてるけど分かってんの?」
雷球を指の上で回しながらの指摘にスワルドは息を呑んだ。
「こっちが探索者やて聞いとったんなら、『旅客便と違て危険もある旅になるからちょっと実力試させて貰うで』とか言うて飛龍に乗して飛び回るなりしたらよかったのに」
「飛龍なら僕がいくらでも乗ってあげるよー?」
首を傾げた虹男を見て鈴音は頷く。
「うん、虹男乗せて飛んだら直ぐに分かったよね。只者やない、て」
「ふふん、何せ僕だからね!」
自信満々にふんぞり返る虹男に笑ってから、改めてスワルド達を見やる鈴音。
「ホンマに過酷な空の旅に耐えられるんか試しもせんと見た目だけで拒否するとか、怠慢もええとこやんね?」
「ナメられたもんっすね、雇い主も神託の巫女も」
呆れ顔の茨木童子が参戦し、大上きょうだいは黙って頷く。
鈴音が溜息と共に雷球を消した所で、漸くスワルドが口を開いた。
「悪かっ……いや、申し訳ありません」
口調を改め胸に手を当て頭を下げる。
「仰る通り、高い身分を使って雇い主を利用したんだと思い込んでいました。契約者もいるので脅す事も出来るだろうと」
「何て事を言うんだ!……いや、そうか。きちんと説明しなかった私も悪いのか……」
目を見開いたリーキが声を上げ、直ぐに肩を落とした。
「こちらの方々は、父を愛するあまり悪霊化していた私の母を、消滅させるのではなく神の御許へ送って下さったのだ。証拠となる品も頂いている。私だけでなく一族にとっての恩人達だ」
リーキから鈴音達を恩人と呼ぶ理由を聞いたスワルドは、かなりの衝撃を受けた様子で再び頭を下げる。護衛達も慌ててそれに倣った。
「俺はとんでもない無礼を……」
「あー、大丈夫です問題無いです分かって貰えたらそれで構いませんので」
あまり畏まられても、と鈴音が手を振る。
「飛龍がどんな速さでどんな動きしてもついて行ける自信が全員にあるんで、乗せて飛んで貰えると助かります」
打って変わってお辞儀なぞする鈴音に、リーキもスワルドも大慌てだ。
「あ、頭をお上げ下さい」
「勿論きっちり帝国までお送りしますから!」
「ホンマですか、良かったー」
顔を上げた鈴音は満面の笑みを浮かべ、一行も良かった良かったと頷いている。
変わり身の早さに驚き、随分ややこしい相手と関わる事になってしまったと気付いたスワルドは、諦めたように小さく溜息を吐いた。
「では、どなたが誰の飛龍に乗るか決めますんで、こちらへ来て貰えますか」
「はーい」
言われるがままついて行く鈴音達の後を、ホッとした表情のリーキが追う。
護衛達の飛龍が待機する場所で行われたのは相性診断のようなもの。
これといった問題も起きず、全員が飛龍に認めて貰えた。
「では出発します!」
スワルドの掛け声と共に護衛達の飛龍が羽を広げる。
「皆さん、本当にお世話になりました!我々でお力になれる事がございましたら、いつでもお申し付け下さい!」
飛龍に乗る鈴音達を見上げ、リーキが声を張り上げた。
「こちらこそありがとうございます!助かりました!」
鈴音が応え、一行も手を振る。
手を振り返してリーキが離れると、飛龍が力強く羽ばたいた。
足が地面から浮き、一気に上昇して行く。
15体の護衛飛龍が旋回しながら貨物を積んだ飛龍を待ち、上空で合流してから南へと進路を取った。
「おー、ホンマや速い速い」
簡易的な手すりと椅子がベルトによって固定された飛龍の背中で、鈴音と虎吉と骸骨が風に吹かれている。
因みに月子と黒花が同じ飛龍に乗り、男性陣はそれぞれ別の飛龍だ。
20人の護衛の内5人は神術士で、攻撃に専念出来るよう仲間の飛龍に同乗している。そんな彼らは鈴音の操った雷が気になって仕方ないものの、話し掛ける勇気が出ない様子だった。
「恥ずかしがりやさんやなぁ」
「怖がっとるんやろ」
「あはははは。うんまあ、その雷何なん?て聞かれても答えようがないし、このぐらいの距離感が丁度ええよね」
虎吉を撫でながら笑って誤魔化す鈴音に骸骨が肩を揺らす。
暫くはそんな平和な時間が過ぎた。
体感で1時間ばかり飛んだ頃、先頭を行く飛龍から高い笛の音が響く。
「魔物発見の合図なんで、戦闘態勢に入ります!」
飛龍を操る護衛が振り返って告げ、スピードを上げた。
「割と魔力ある感じやね?」
「おう。どんなんが来るんやろな」
虎吉と骸骨と顔を見合わせ、のんびり構える鈴音。
周囲を見回して確認するも、他の皆にも緊張感はない。虹男なぞこちらに手を振っている。
手を振り返して待っていると、前方に小さく影が見えてきた。
「神術士5人しか居てへんけど、どないして戦うんやろ。弓?でも誰も持ってへんなぁ」
鈴音が首を傾げている間にも影はどんどん大きくなり、姿形がはっきりしてくる。
それは、人の腎臓のような形をした深緑色の物体。大きさは飛龍の半分弱か。
羽もないのに空を飛べるのは、豊富な魔力のお陰なのだろう。
「全部で6体かな?どないして倒すんやろ」
いざという時には出ようと備えつつ観戦モードに入る鈴音の視界で、護衛達が行動を開始した。
それぞれの護衛の指示に従い、V字型に並んで飛んでいた飛龍達が魔物を囲むようにスピードを上げ移動する。
包囲すると同時に頭を魔物側へ向け、飛龍達は口をカパッと開けた。
喉の奥から光りが溢れる。
「……まさか……」
驚愕の表情となった陽彦の呟きを鈴音の耳が拾った途端、飛龍達の口から赤い光線が放たれた。
まともに食らった魔物は跡形もなく消し飛び、中途半端に避けた魔物は半身を失って墜落して行く。
下に船でも居たら危険だからか、落ちる魔物にスワルドの飛龍が再度光線を放ち綺麗に片付けてみせた。
「ドラゴンブレス、キターーー!!」
両手ガッツポーズを決めながら叫ぶ陽彦と、何事かと驚いている護衛を眺めて鈴音は笑う。
「こんだけ強かったら手伝う必要ないね」
「せやな。聖騎士が乗っとった龍みたいなんでも出ん限り負けはせんやろ」
虎吉と骸骨と頷き合い、大丈夫かと振り返った護衛に拍手して照れさせ、鈴音は安心して空の旅を楽しんだ。
4時間程飛んだ頃、大きめの島が見えてきた。
この島の海沿いにある村の近くに着陸し、今夜はここで宿泊するのだそうだ。
勿論、積荷を放ったらかしには出来ないので、護衛達は交代で番をする。村の宿で休むのは貨物を運んでいる飛龍の御者だけらしい。
鈴音は眠くならないので見張りを交代してやりたいが、出発前のゴタゴタで神託の巫女の友人である事を強調してしまったので、全力でお断りされるだろうと考え皆と一緒に宿へ入った。
夕食に出たマグロのような魚はとても美味しかったが、自分達とお客が食べる分しか無いとの事で白猫へのお土産には出来ず。
帝国で色々買うと誓って本日は就寝と相成った。
翌朝、まだ少し眠そうな護衛達と合流し、再び空へ。
今日は昼休憩用の島に一度降りた後はもう帝国だと教えて貰った。
「夕方までには着くんやて、楽しみやね」
「ホンマやな。どんな肉が食えるやろな」
お酒も、と石板で伝える骸骨に笑い、取り敢えず難しい事は考えないでおく。
只々昨日と同じくスムーズに進めばいいなと思っていた。
だが、そう上手くは行かないのが旅なのである。
昼休憩後、残り4時間弱で街に着くと護衛達が浮かれる中、それはやってきた。
先頭の護衛が笛を吹くより早く伝わってくる、強い魔力。
護衛達は一瞬で表情を引き締め戦闘態勢に移行する。
距離が縮むにつれ強さを増す魔力に飛龍が落ち着かない様子で鳴き始め、護衛達も前方へ意識を集中するが、一向に姿が見えない。
「雲に隠れてんのかな?」
風で吹き飛ばしてやろうか、と鈴音が顎に手をやった丁度その時、背の高い雲の中から魔力の主が現れた。
商会の飛龍達より高い位置を飛ぶそれは、聖騎士シンハの相棒パルナと同じ種らしき赤い飛龍。
全体的にパルナより一回り小さいが、鈴音が乗る飛龍よりは大きい。
そして、とても穏やかだったパルナとは違い、この赤い飛龍は現在かなりお怒りのようだ。
「グォァアアアーーー!!」
口を大きく開けて吠えながらこちらへ突っ込んで来る。
力関係で言うとやはりあちらの方が上位らしく、咆哮に怯えた商会の飛龍達はバラバラに動き出した。
「落ち着け!陣を乱すな!」
「そっちじゃない、逃げるな!」
御者の指示が通らず大混乱に陥った一行のド真ん中目掛け滑空する赤い飛龍。
その口が薄っすら開き、青い光が零れ出ているのを見た鈴音は迷わず介入した。
「よっ、こい、しょー!」
乗っていた飛龍の背を蹴って先頭の飛龍まで移動し、その背を蹴って今度は赤い飛龍を目指す。
「はい到着!」
赤い鱗が綺麗な頭頂部に鈴音が降り立つと、驚いた飛龍がブレスを引っ込め大暴れし始めた。
「うわわ、振り落とす気満々やな!?まあ落ちたらへんけどね!」
言うが早いか大きな角を右手で掴み、最新の絶叫マシンもビックリなアクロバット飛行に付き合う。
「うはははは!オモロイなー!」
「あーれー目が回……らない!猫の能力からしたらこの程度の動きは楽勝!うん、ホンマ楽しいね、ジェットコースターみたい」
背面飛行中は右腕一本で角にぶら下がり虎吉と共に大笑いしている鈴音を、上位種が離れた事で落ち着いた飛龍達が唖然とした顔で見ている。勿論その上に乗っている人々もポカーンだ。
「え、ズルくない?俺も乗りたい赤いドラゴン」
「いーなー、鈴音ばっかりー。僕も交ぜてよー」
いや、ズレた事を言っている者も居た。
殆どの人にその声は聞こえないが、ばっちり聞こえた月子と黒花は大きな溜息を吐く。
「何言ってんの。ねーさんと違って落ちたらヤバいでしょハルは。神様はまあ、お好きにどうぞ」
半眼で冷たく言い放たれても、ドラゴン愛好家なふたりはめげない。
「取り敢えずこう、神様が行って大人しくさせて、それから乗るってのはどうですか」
「んー、僕が行くと動物達って何故か攻撃的になるんだよねー。大丈夫かなあ?」
「あー、それはヤバいかも。ドラゴンがって言うより夏梅さんと虎吉様が怒りそう」
「そっちの方が怖いから、鈴音があの子を大人しくさせるの待ってよっか」
「はい、その方向で」
勝手に話を纏めて頷き合う男達を無視して月子が周囲を見ると、茨木童子は大人しく鈴音の奮闘を眺め、骸骨はフヨフヨ飛び回って飛龍達を宥めていた。
「悪鬼の方がまともじゃん……!」
「骸骨殿も立派だ」
遠い目になったふたりの視界には、暴れ疲れたのか高度が下がった赤い飛龍の姿が映る。
「ねーさん凄っ」
「鈴音様が勝利するのも時間の問題だな」
黒花の言う通り、ここからは早かった。
「ヘイヘーイ、飛龍さんやー?降参ですかー?」
振り落とすどころか全力のアクロバット飛行を面白体験として処理され、赤い飛龍は心身共に大ダメージを受けている。
「なあ、ここ別にあんたの縄張りちゃうやろ?今まではフツーに通れてた訳やし。何でまた急に出てったん?」
聞かれたくない事を聞かれ追加ダメージを食らった赤い飛龍は、勝ち目がないと理解し降参した。
といっても人語は話せないので、只々大人しく従うだけだ。
「あれ?何や諦めたんかな」
「そうみたいやな。ほな俺らはコイツに乗って大陸目指そか」
「お、ええね。リーダーにそない言うてこよ。あの前の方に居る飛龍んトコへ向かってくれる?」
大人しくしていれば解放されるのでは、と思っていた赤い飛龍は愕然とする。
しかし抵抗しても無駄なのはもう分かっているので素直に従った。
まさかこの後、5人と3体も背中に乗せて運ぶ事になろうとは思いもせずに。




