第三十三話 神殿へ行こう
鈴音達は石造りの街が見える森の中へ出た。
森といっても、水不足でかなりの木が枯れてしまっている。
奥に行けばまだ、緑も柔らかい土も少しは残っていそうだが、木々もまばらな森の出口付近であるこの辺りの地面は硬い。
「あー……かなり厳しい状況やねコレ」
トントン、と地面を足先で軽く踏んで確かめた鈴音は眉根を寄せる。
その様子を見た虹男は不思議そうに首を傾げた。
「厳しい?何が?」
「飲み水と食べ物。特に水が危ないんちゃうかなぁ。川は干上がってそうやし、雨の量に左右されるタイプの井戸やったら、もう枯れとるかもしらんし」
「ふーん?」
「ここの人らの身体が私と同じ仕組みとは限らんけど、水は要るよね?」
「うん」
「やっぱそうやんなー……」
難しい顔をして唸る鈴音とは逆に、虹男は楽しげな表情で深呼吸などしている。
「よくわかんないけど、取り敢えず街に行かない?僕、山に作った庭へは来てたけど、街へ降りるのは初めてなんだよね」
「ああ、そやね、こんなとこで考えとってもしゃあないし行こか……て、待って待って。同じ失敗繰り返すとこやで。虹男の目、色の固定とか出来へんの?」
おそらく、揺らめくように色を変えるその目で、人ではないと判断され虹男は害されたのだと思われる。
このまま軍を持っているような国に入ったりしたら、何が起きるかなど火を見るよりも明らかだ。
「ついでに髪の毛の色も変えられたら、完璧やねんけど。もし神殺しにバッタリ出くわしてもバレへんやん?」
「ん、ちょっと待ってね。んー……んんー……」
コクリと頷いてから、鈴音を見つめ唸る虹男。
暫く待っても何も起こらない。
まだ変身能力は戻っていないのか、と鈴音が別の方法を考え始めた時、突然ポンと髪の色が黒に変わった。
次いで目の色も黒に近い茶色になる。
「わあ!!すごいやん!!やるやん!!」
「お、印象変わるもんやな。俺らは匂いで判るけど、人には難しいやろな。ええ感じや」
鈴音と虎吉が揃って褒めると、得意満面の虹男は胸を張る。
「鈴音を参考にしたよ。似合う?」
「うんうん、似合う似合う。めっちゃ似合うから、頑張って維持してな?」
褒めて伸ばす作戦に乗せられた虹男が素直に頷き、鈴音はひとまず安心した。
「ほな、街に行ってみよか。もし何か聞かれたら、私と虹男は兄妹のきょうだいで、東の島国から来た旅人やいう事で」
「きょうだい!?旅人!?楽しそう!!」
「基本的に話は私がするから、虹男はウンウンて頷いとって?」
「ウンウン」
「完璧や」
ニッコリ笑って褒め、魂の光を消すと、すぐそばに見える街へと出発した。
土埃の立つ道を歩きながら、鈴音は気になっていた事を尋ねる。
「なあ、神剣と聖剣の違いて何?」
聞かれた虹男は首を傾げ、記憶の引き出しを探っているようだ。
「えーと、神剣は僕や妻が作って人にあげた物。聖剣は、妻が神殿にあげた力を使って、人が作った物。だった筈」
「おー、なるほど解りやすい。ほな、虹男を襲った人の中に神剣持ちがおった言うてたけど、それはあの模様が入った鎧の人?」
遠くに見える城の旗を指しながら聞くと、これまた虹男は首を傾げた。
「結構昔の事だから、覚えてないなあ。最初は、フツーの武器の人が何人も来て、入ったらダメって注意したら神剣とか聖剣とか持った人が来て、暫く誰も来なくなって、今度はフツーの武器の人達が色々来て、最後は魔剣の人達が来たよ」
「ん?ん?“人”が“人達”に変わる間に、結構な時間が過ぎてそうやな。えーと、神剣と聖剣の人はいつ来たん?別の時期に来たん?一緒に来たん?」
人差し指を立てて真面目な顔をする鈴音に、腕を組んだ虹男は記憶の呼び起こしを頑張る。
「あ、思い出した。最初に聖剣持って来て、僕が弾き飛ばしちゃったから、次に神剣持って来たんだよ。同じ人がひとりで来たよ。あと、神剣が効かないからスゴいビックリしてた」
どうだ、とふんぞり返るので『強いな!』と褒めておく。
「その人はやっつけたん?見逃してあげたん?」
「見逃してあげたよ。何かビックリしたあと謝ってたから、別にいいかなと思って」
「流石やな、強い神様の余裕やな、カッコええやん!」
ワッショイと持ち上げる鈴音に、またしても虹男は得意顔だ。
「その神剣てどこにあるんやろ」
「さあ?神殿にあるんじゃない?」
「そっか。神殿は世界にひとつ?世界中に沢山?」
「たくさん、の筈」
「よし、ほなあの街にもあるやろから、聞いてみよ」
満足したらしい鈴音に、今度は虹男の方から尋ねる。
「魔剣の事はいいの?」
「あー、魔剣か忘れとった。虹男に当てたんやったら、ただの剣になってもうてる筈やけど……作り方とか知っとる?」
「作り方はわかんないけど、僕に当たった時すっごい辛そうな悲鳴あげたから、何か気になっちゃって」
白猫の縄張りで特訓を行った際、呪いの剣に触れた鈴音も聞いた、あのおぞましい悲鳴だろう。
「呪いとか負の感情とかがギューッと集まったもんが、神様の力でキレイになったて事みたいやから、気にせんでええと思うよ」
「あ、悪い事じゃないんだね。わかった、気にしないようにするよ」
大きく頷く虹男に微笑み、並んで少し歩くと、街の入口に到着した。
街を囲む5メートルはありそうな壁に、見える範囲で入口はひとつだけ。
馬車も通れる大きさの入口を背に、槍を手にした門番が二人立っている。
「すみません、旅の者ですが、街へお邪魔しても?」
双方へ顔を向けながら尋ねる鈴音を、覇気の無い表情でチラリと見た門番のひとりが、街の方へ向けて顎をしゃくった。
通れ、という事だろう。
旅人にしては鈴音は小綺麗だし、虹男の服など白すぎるというのに、調べもしないらしい。
誰が見ても門番失格だが、やる気が行方不明で疲れ果てているように見える彼らしか、ここに立てる者が居ないのだろうか。
「ありがとうございます。よし、入ろ」
疑問には思ったものの、取り敢えず街に入るのが目的なので、鈴音は余計な詮索をせず会釈し、門番の横を通った。
壁を抜けた先に広がるのは、神界で見た通りの大きな街だ。
石畳で舗装された道と、石造りの家が並ぶ街の様子は、風が吹けば舞い上がる土埃も相まって、色味が無く殺風景に見える。
ただ、家々の窓には植木鉢らしき物が多数あるので、本来は花々で彩られた美しい通りなのかもしれない。
「戦争中か思たけど、それやったらよそ者なんか入れへん筈やんね。すんなり入れたいう事はちゃうんかなぁ。……けどそれやったら、なんでこんな人少ないんやろ。大きい街やのに」
「家ん中にはちょっとずつ居るな。あと、階段の向こうの方にようけ居る気配がする」
耳と鼻を動かす虎吉に頷く鈴音と、感心した様子の虹男。
「虎吉すごいなあ、僕には全然わかんないや」
褒められてまんざらでもない顔の虎吉を撫で、鈴音は大通りの横にある広い階段へ歩を進めた。
隣を歩きながら周囲を見回した虹男は、何やら残念そうな表情をしている。
「他の世界の街はみんな賑やかだったのに、僕の世界の街は違うね。滅びに向かうってこういう事なんだね」
曖昧な笑みで頷く鈴音の脳裏には、テレビで観た過疎地やシャッター商店街などの景色が浮かぶが、この世界が置かれている状況とは違うので口には出さなかった。
階段を上り暫く進むと、神殿らしき大きな建物が見えて来る。
それと同時に、そこへズラリと列を成す人々の姿も。
「わあ、いっぱい居るよ。なにしてるんだろう」
「ホンマやな、何しとるんやろ。瓶やらバケツやら持っとるで、水汲みか?」
虹男と虎吉が小声で会話し鈴音を見る。
「水汲みやろね。もしかしたら、神殿が給水所になっとるんかも」
鈴音の答えに虹男も虎吉も首を傾げた。
「キュウスイジョって何?」
「何や?」
「水を貰える所の事。この街で水が出るんが、神殿だけなんかもしらんわ。それで皆が貰いに来てるん違うかな?」
「そら難儀やなー。俺らはちょびっとでええけど、人はようさん使うやろに」
「うん、飲む他に料理にも使うし、節約してたってたまには身体も拭きたいやろし、トイレ……は水で流すかわからんけど流すなら要るし」
皆で顔を見合わせ、疲れ切った人々の列を気の毒そうに眺めた。
小さく息を吐いて気持ちを切り替えた鈴音は、列の先にある神殿入口へ目をやる。
「私ら水は要らんから、お祈りだけさして下さい言うて中に入れて貰て、神職……神官?の人にお話を……あ。もしかしてお祈りすんの、お布施的なアレが要るんやろか。何にも持って来てへんわ」
金銭は無理だが、野菜や穀物などがあれば、ウチの島ではこういうしきたりで、とかなんとか言って乗り切れるだろうか、取りに戻ろうか、等と鈴音が考えていると、空間が歪む気配と共に虹男が『わ!』と小さな声を出す。
「何か来たよ、はいコレ」
ポケットを探った虹男が、手の平サイズの巾着袋を鈴音に渡した。
「え?……ぅわ、砂金や。どないしたん」
「妻が作って届けてくれたんだと思う」
「サファイア様流石やな……助かります」
感謝すると共に会話は筒抜けなのだなと理解し、『めっちゃバイオレンスな奥さんやな、ホンマの意味で殺されかける夫婦喧嘩や思わんかったわ、か弱そうな見た目に騙されたらアカンなー』等と迂闊な事を言わなくて良かったと胸を撫で下ろす。
「よし、ほなこっからは私が会話するから、最初に言うた通り、虹男はウンウンて頷くだけにしといてな」
鈴音の念押しに虹男は頷く事で応える。
笑顔で頷き返し、並んで神殿へと向かった。
列の横を通り過ぎる鈴音達を、時折チラリと見る者も居るが、基本的には皆気にしていないようだ。
変わった服装はよそ者である旅人の証だし、バケツ等も持っていないので、割り込みへの注意を払う必要も無いのだろう。
無事に神殿に辿り着いた鈴音は階段を上って、入口に立つ神官のひとりへ声を掛ける。
「すみません、旅の者ですが、神様へ旅の無事をお祈りさせて頂けませんか」
疲れの見える神官はそれでも笑顔で、神殿内へ案内を申し出てくれた。
「ようこそお越し下さいました。どちらからいらしたのですか?大変な道のりだったでしょう」
「東の島国から参りました。大陸に着いて驚きましたよ……随分と乾いてて」
鈴音の言葉と頷く虹男を見て、神官は思わず溜息を吐く。
「そうなのです。もう数か月に渡って一滴の雨も降らず。ついに街の井戸が枯れてしまいました。枯れていないのは神殿の井戸だけです」
「それでこの行列ですか……皆さん大変ですね。神殿の井戸が無事なんは、やはり神様のお力のお陰ですか?」
力は全て引き上げたと知っている筈なのに、と微妙な顔をした虹男だが、言いつけを守って口は挟まなかった。
「ああ……その……神殿の井戸はとても深いので……いや勿論神のお恵みなのですが……」
神官は言い淀む。
これから神に祈ると言っている者に、神の力がもう感じられない等と伝えるべきなのか、悩んでいるようだ。
その様子を見た鈴音は、虎吉を撫でながら首を傾げた。
「うーん?やはり噂は本当やったんですかね?」
「え?噂、とは?」
「いえ、旅の途中で色んな話を小耳に挟みまして。その中に、なんや、魔剣を使て神様が可愛がってる生き物を殺した輩がおって?そのせいで神様が怒ってこの世界を見放された、とかなんとかいう噂話が」
鈴音の話を聞いた神官は驚いた顔を見せる。
「そ、それは本当……いや噂話か……どちらでお聞きに?」
「高い高い山の麓にある街の、酒場やったかなー?酔うた強そうなオッチャンの、この山にはありがたい生き物が住んでるんだぜ、とかいう話から、そんな噂話へ繋がってったような記憶があります」
尤もらしい鈴音の演技に、神官は驚愕の表情のまま青褪めていた。
「そ、そのお話を、神官長様にもして頂けませんか」
「今の話ですか?勿論かまいませんよ」
「ありがとうございます、こちらへどうぞ」
少し早足になった神官は、鈴音達を伴って奥の部屋へと向かう。
「神官長様、お客様をお連れしました」
一番奥の部屋の前で立ち止まった神官は、大きな扉をノックしながら声を掛け、そのまま開けて入室してしまった。
マナー違反では、と鈴音も虹男も驚いたが、神官にしてみれば今はそれどころでは無いようだ。
続いて入るべきか判断がつかなかった鈴音は、ヒョコ、と頭だけ室内へ入れた。
その視界に映るのは、立派なデスクを挟んで、神官と見事な白髪の老人が会話する様子だ。
「神の山の神獣について知った上で?それは無視出来ない話だ」
「はい。あの方々……あッ、申し訳ありません、どうぞお入り下さい」
生首のような鈴音に慌てた神官が、デスク前にある応接セットを示した。
虎吉を抱えた鈴音と後ろに続く虹男を観察しながら、白髪の神官長も立ち上がりソファへと移動する。
鈴音と虹男を先に座らせてから、神官長も腰を下ろした。
「お疲れの所、申し訳ありません。この者にして下さったお話、今一度伺えますかな」
「ええ、任して下さい」
柔和な笑みを浮かべる神官長へ、先程と全く同じ話をする。
「なるほど……魔剣か……その噂話の出所になった者は、どうして魔剣だと判ったのでしょうな?」
顎髭に手をやる神官長を見つめながら、鈴音は首を傾げた。
「神官長様ならどうやって判断しはります?魔剣か普通の剣か」
「私はこの目で見れば判りますのでな」
微笑みながら自身の両目を指し示す神官長へ頷き、鈴音も微笑む。
「その者も同じく、見て判断したんですよ」
その言葉に、神官長も脇に控える神官も困った顔になった。
「それが出来るのは我々、神に仕える者のみで……」
神官がそう言った所で、鈴音は己の魂の光を第一段階まで解放する。
「!?」
ギョッとした後、まじまじと鈴音を見やり、瞬きを繰り返す神官長と、ポカンと口を開けて固まっている神官。
二人の反応に、本物だと納得した鈴音は、虹男に声を掛けた。
「虹男、今だけ元に戻せる?目ぇと髪の色」
キョトンとした虹男は黙って頷き、一瞬で元の金髪と虹色に揺らめく目に戻す。
それを見た神官は腰を抜かし、神官長もまた座ったまま腰を抜かすという、器用な驚き方を披露していた。




